わたしの人形
焦げた匂いがする。
長い前髪の隙間から覗く光景に、少女は動けずにいた。
枝毛まみれの栗色の髪は腰まで伸びていた。
目の前には焼け焦げた家だった物が横たわっている。
清々しいほどの青空を、遮るものはなにもない。
風に運ばれふわりと灰が宙を舞う。
「……きれい。」
灰はそのまま舞い踊り、青空に溶けていった。
「ママ。パパ燃えちゃったよ?そっちに居るの?」
少女の肩が震えだす。
「ふっ…ふふ。あはっ!キャハハハハ……」
少女は笑い続ける。
その時、横から影が落ちた。
それは黒い制服に身を包んだ衛兵の影だった。
「家が焼けて頭おかしくなったか。」
衛兵の声は、少女には届かない。
ため息混じりに、衛兵は少女を小脇に抱える。
それでも少女は気にも留めず笑う。
「気味が悪いガキだな……うっわっ!コイツ、すごいフケだな!きったねぇ。」
振り返りざまに「そこの嬢ちゃんも行くぞ。」衛兵は近くにいた少女に声をかけた。
声をかけたのは、おかっぱ頭の黒髪の少女。
小さく震える少女は、長い前髪のせいで俯くと顔が見えない。
「はぁー。こっちもこっちだな。」
そう言って、歩きだす。
衛兵が二人の少女を連れてきた先は、錆びれた教会だった。
牧師らしき男が出迎える。
「衛兵さんがなんのようかな?」
「やあ。急に申し訳ない。平民街で火事があったのは知ってますか?」
「ええ。痛ましいことだ。」と牧師は両手を軽く合わせた。
衛兵が抱えていた少女を下ろす。
少女はよろめきながら立つ。隣にはおかっぱの少女が並び立っていた。
二人の背を衛兵が軽く押す。背を押され一歩前に出た。
「子供が生き残ってね。あそこの平民街は、訳ありも多い。身寄りがなさそうで困ってましてね。」
衛兵が牧師を見て続ける。
「ここのことは詰所で聞いたことがありまして。敬虔な牧師様が孤児たちに手習いをして面倒見てるって。」
牧師は「ああ。」と呟いた。
「それは前任ですね。今は余裕がなくて、手習いはしてないのです。ただ前任の志を継いで孤児の面倒を見ているのですよ。」
「ほお、それは立派ですな。ぜひこの子らも。よろしくお願いします。」
牧師は笑顔で「ええ。ええ。もちろんですとも。」と頷いた。
衛兵は軽く敬礼して立ち去る。
残された二人を見て牧師は両手を擦り合わせる。
「お名前は?」
栗色の髪の少女が「リリ。」と答えた。
隣でおかっぱの少女が「……ナナ。」と小さく呟いた。
「そうか。まずはお顔を見せてくれ。まずはリリから。」
牧師はリリの長い髪を掻き分け顔を確認する。
そばかすのある茶色い目を見て「ちっ。」と小さく舌を鳴らした。
次に牧師はナナの前髪を片手で持ち上げ、その顔を覗き込む。
「こっちは糸目か。なんて運がない。」
パッと牧師が手を離す。
「とりあえず部屋に案内しよう。」
教会に入るとすぐある本堂には見向きもせず、廊下に出て端の部屋に入る。
四つ並ぶ寝台が目に入る。
奥からニ番目。そこに灰青髪の少年が寝転がっていた。
「ジャン。ここに居たのか。」
癖のある髪を掻きながら、少年は起き上がる。
「はい。牧師様。」
「リクはどうした?」
「……さあ?」ジャンは気怠げ。
「まあいい。今日から同室の子達だ。お前が面倒見なさい。」
ジャンは眉を吊り上げる。
「とりあえず。髪が汚いから切るか梳かすかして、もう少し見れるようにしなさい。道具は後で持って来させる。」
「はい。牧師様。」ひどく嫌そうに答える。
牧師が部屋を出る。
少し経って修道女が鋏を持ってやってきた。
「使ったら、返しな。」そう言って乱暴に床に放って出ていく。
カシャンッ、と音を立て、床を滑って止まった鋏をジャンが拾い上げる。
「……めんどくせぇなぁ。」
ジャンは二人を見比べる。
髪の色の違う二人の背丈は一緒だ。
「あっ面白いこと閃いた。お前らそのまま座れ。」
リリとナナは戸惑いつつ、膝を折り曲げ床に座った。
近寄るジャンは、リリの髪を迷わず切り上げる。
切って、切って、切りつづけて——満足すると鋏を床に落とした。
リリの膝の間に落ちた鋏が床に刺さる。
「あはは。やっばっ!切ったら、瓜2つになった!俺天才!」
ジャンは大きく笑う。
リリとナナは顔を見合わせる。
リリの髪は、ナナのように重たく顔が見えないおかっぱ頭になっていた。
「おい。あとは自分で片付けろよ。」
ジャンは冷たく言い捨て、部屋を出た。
二人きりになった部屋で、見つめ合う時間が続いた。
先に沈黙を破ったのはリリだった。
「……私の人形。」
ふと、リリは亡き母のことを思い出していた。
「リリ!見てみて!」母はリリに向かって、布の端切れでできた不恰好な人形を掲げて見せた。
母は「私はリリ!」と言って人形を左右に動かす。
「皆の人気者よ!」
そしてそっとリリの手に、人形を置いた。
「リリのために作ったの。でもごめんね。ママ不器用で。」
母の手は針を刺したのか傷だらけだ。
「リリさえ良ければ、もう1人の自分だと思って大事にしてくれると嬉しいな。」
「うん!リリはリリを大事にする!」
それを聞いた母はふっと笑う。
リリもつられて「キャハハ……」と笑い出した。
リリの思い出の中で、母との時間だけが幸福だった。
母が流行病で亡くなったあと、父は荒れに荒れた。
リリをいないものとして接する父の変貌に、傷つかなかった訳ではない。
でも母にもらった人形を心の支えに生きていた。
「……もう燃えてなくなっちゃった。」
リリの掠れた声に「大丈夫?」とナナが問いかけた。
リリはナナの前髪をあげる。茶色い目と目が合う。
「確かに……そっくりかも。名前も似てるし。」
ナナは戸惑うが、気にせず続ける。
「ねえ。あなたなんでずっとボソボソ喋るの?普通に話せないの?」
ナナの肩がビクッと跳ねた。
「……私、人と話すの。苦手。」
その言葉にリリはナナの手を掴む。
「じゃあ私があなたの代わりに話してあげる。」
ナナは訳が分からず黙る。
「今日からあなたがリリになるの!」
「……私……ナナ。」
「違うわ。今日からリリよ。私たち2人で1人になるの!」
ナナは俯く。
「……無理だよ。」
「大丈夫よ!私はあなたで、あなたは私!だからあなたの代わりに私が話してあげる。あなたはただ首を振っていれば良いの。簡単でしょ?」
ナナは少し顔をあげて「それならできそう。」と頷いた。
「じゃあ今日から私はナナね。」
「……私、リリ。」
この日から二人の少女は、名前を入れ替え生活することを誓った。
少し経って夕飯だとジャンが呼びに来た。
食堂に集まった子供達の中で、銅色の髪の少年に向かってジャンが掴みかかる。
「リク。てめぇどこに行ってやがった?」
「……木の上。」リクという少年は動じない。
ちっと舌打ちをし「お前のせいで、面倒ごと押し付けられたじゃねぇか。」とぼやく。
ガチャッと音がして、ジャンはリクから手を離す。
牧師と芋の乗った皿を持った修道女が入ってきた。
修道女が皿を置く。
牧師は「皆今日の恵みに感謝しなさい。」と言って片手をあげた。
『はい。牧師様。』と声を合わせる子どもたち。
ナナとリリはそれを黙ってみてた。
牧師は修道女と一緒に食堂を出る。
扉が閉まった途端に、子どもたちが蒸した芋を奪い合う。
リクという少年は、難なく一つとってどこかへ消えた。
ジャンは他の子を押し退け二つ持って出ていく。
ナナとリリは手を取り合い、その背を追う。
「ジャン?」
ナナの声にジャンは振り向く。
「あ?」低く威嚇するような声だ。
「お願い、私たちにも分けて。」
「分ける訳ねぇだろ。これは俺が俺のために掴んだ芋だ。お前らも欲しけりゃ奪え。それがここで生きる方法だ。」
そう言って踵を返して行ってしまう。
リリは「……ひどい。」と言って俯く。
「そうかな?」
ナナの言葉にリリは驚いて顔をあげる。
前髪の隙間から覗く目が爛々と輝いていた。
「私ジャン好き!」
「……何で?」
「大事な物を無くした私に、新しい大事モノを見つけるきっかけをくれた。乱暴だけどここでの生き方を教えてくれた。」
リリは首を傾げる。
「ジャンは私を無視しない。」
ナナの言葉を理解できずにいたリリだが、その真っ直ぐな想いに大きく頷いた。
数年が過ぎて、ナナとリリは教会の生活に慣れた。
今日も二人、食堂の窓から外を眺める。
朝の掃除や食事の時間以外は自由な時間だ。
「夕飯のパン小さいよね。あれならまだ芋の方が良いや。」
ナナは窓の外を眺めながら呟く。
リリは隣で大きく頷いた。
その時私兵だろうか。二人の男に連れられ、教会の庭に入る少年が目に入った。
「新しい子かな?同じ部屋になるかな?楽しみだね。」
リリは小さく頷いた。
廊下から子どもたちの足音が響いた。
「もうそんな時間?」と言ってナナはリリの手を掴み、食堂から自分たちの部屋に向かって歩き出した。
部屋の中では、壁にもたれたジャンと自分の寝台で休むリクがいた。
リクには目も向けず、部屋の奥に進む。
「ジャンおやすみ。」と言ってナナは、リリを連れ奥の寝台に上がる。
二人で薄い布を広げ、肩を寄せ合いかぶる。
暫くすると牧師が、少年を連れて入ってきた。
少年を見たナナは「綺麗。」と小さく呟いた。
泣きボクロがある整った顔の黒髪の少年。その目は二人と同じ茶色い目だが、どこか淡く透き通っていた。
―― 一緒な色なのに。なんか、違う。
ナナは下唇を軽く噛む。
ナナとリリは動かない。牧師が出たのを待ってジャンが少年から服を要求し奪った。
驚いたのはいつも黙っているリクが、一度止めに入ったことだ。
――リクって誰かのために動けたんだ。
次の日の朝。
パンを頬張るリリとナナの姿が庭の隅にあった。
「ねえリリ。あのカイって子。男の子なのに綺麗だよね。」
リリは大きく頷いた。
「リクがあの子に構ってるし、ジャンも何かと突っかかてる。」
ナナは頬を膨らましてみせる。
「私カイ嫌い。」
リリはナナの腕を掴む。
「じゃあ何で……掃除の時、声かけたの?」
「えっ?」
「私たちの名前……教えたじゃない。」
ナナは地面を見つめながら「ジャンが意識してるみたいだから、近くで顔見たかったの。」
リリは首を傾げる。
「見なきゃ良かった。」ナナは爪を噛む。
そうして時は経ち、教会内には大きな変化があった。
カイは牧師に気に入られ、よく部屋に出入りするようになった。
それに不満を抱いたのはジャンだった。
出入り始めは特にカイにちょっかいをかけていたが、その度にリクに止められていた。そんな鬱憤を溜めたジャンはここ最近ずっと不機嫌だ。
だったのにその日のジャンはご機嫌だった。
その日は初めて牧師の部屋に呼ばれたからだ。
そしてほんの数分で出てきた。ナナとリリは寄り添いながら「何だろ?」と呟いた。
二人の姿を見つけたジャンは、何か思いついたように駆け寄りその肩を掴む。
「おい。お前ら最近カイがぼーっとしてるの知ってるだろ?」
ナナとリリは顔を見合わせる。
「そうなの?」ナナが問う。
「あぁ。俺が妬ましいんだろうさ。あれだけ胡麻擦ってたんだ。可哀想だろ?だから慰めてやろうと思って。」
「意味わかんない。」ナナは口を尖らせる。
「あいつが助けが必要なら、一度だけ助けてやれってこと。」
そう言って二人の肩を叩いて通り過ぎた。
ジャンの背を見つめ「やっぱり嫌い。」とナナは呟いた。
カイは井戸の前に立っていた。
ただ井戸の底を眺める姿はどこか気味が悪い。
「……カイ?」
呼ぶ声に反応して、カイがゆっくり振り向いた。
ナナとリリはいつものように、手を繋いで肩を寄せ合い立っている。
「なぁに?」と問いかけるカイ。
「カイ大丈夫?疲れてるよね〜。なんか手伝おうか?」と言うナナの言葉に、リリは大きく頷く。
「……いや今は大丈夫だ。」と笑う。
「ふーん。お願いあったら言ってね?手伝ってあげる。」
そう言ってナナは、鼻歌混じりにリリを連れて教会へ戻る。
――なんか分からないけど、確かに落ち込んでそう。いい気味。
カイのことが見えなくなるまで、リリはその姿を見つめながら歩いた。




