手の平の空
ミナと共に路地裏で生活し始めて数日が経った。
その日の仕事はカイが適任だった。
カイがいない間、リクがミナと一緒にいることになる。
リクは不満気に「お前が面倒見るって言ったくせに。」と小さくぼやいた。
カイは「ごめーん。」と軽く手を振り、すぐ戻ると言って出かけた。
カイの背を見ながらポツリと「カイが良い。」と呟く。
リクの眉間の皺が濃くなる。
リクは道に座り込んで時間が過ぎるのを待った。
ミナも隣に腰を下ろす。
でも何もしないのは退屈だ。ミナはリクにもたれかかって「ひーまー。」と言って体を揺する。
リクは舌打ちをする。
無視をされて「やっぱりカイが良い。」とミナは頬を膨らます。
でも暫く経つと、ハッと何かを思い出して笑顔で話し始めた。
「あっ聞いて聞いて。この前カイと二人で居たら、変なおじさんに声かけられたの。」
リクの肩が少し跳ねた。
「……何て?」
「えっとね。カイとミナを見て、めんこいなぁ。こっち来いって。なんか気持ち悪かったの〜。」
リクはミナの肩を掴む。
「その後は?」
「えっとね。えっとね。カイが急におじさんの後ろを指さして。あっ!って。」
その時のことを再現するように、ミナは空に向かって指を指す。
「衛兵さん!助けて!ってカイが叫んで、おじさん飛び上がって後ろ振り返るの。」
リクを見るミナは笑いながら続ける。
「そしたらカイ。パッとミナを抱えてピューッて走って逃げたの。カイ速いんだよ。」
ミナは掌を空中で右から左へ滑らせる。
「逃げた後ね。おじさんの驚いた顔、面白かったねって大笑いして!楽しかった!」
それを聞いていたリクの顔は険しかった。
カイの顔は整っている上に、ミナは目立つ髪と目の色をしている。目をつけられても仕方ない。
――俺が守らないと。
「あっあのおじさんだ。」不意にリクの後ろを指さしてミナが言う。
後ろを向く。貧民窟の中年の男が二人、並んでこちらに歩いてきてた。
リクはゆっくり立ち上がる。
「帽子かぶってるのが、その時のおじさんだよ〜。」
ミナが笑う。
そのミナの姿に気づいたのか。穴が空いた帽子を被った男の指がミナを指す。
「アレだ。」
リクが拳を強く握りしめる。
「お前はそこにいろ。」
男たちはニチャニチャと笑みを浮かべ近寄ってくる。
「なぁ坊主。それは妹か?」
ガッ、と。リクの拳が男の顔面に入る。
男は呻き声をあげてよろける。
もう一人の男が「てめぇっ?!」と叫んでリクに飛びかかる。
だがリクはものともせず、その腹に蹴りを入れた。
顔を殴られた男がくるりと隠していたナイフを取り出した。
リクに斬りかかる。だがリクはその手首を掴み、腹と顔に一発ずつ浴びせる。
「こんなもの使っても……俺には勝てない。」
リクの言葉に男は手を振り払って逃げた。それを見たもう一人も慌てて逃げ出す。
リクはその背が見えなくなるのを待ってミナを見る。
ミナは丸い目をキラキラさせてリクを見つめていた。
リクはたじろぐ。
「リク。すごい!」感嘆の声をあげるミナ。
「すごい!すごい!リク!かっこいい!」
ミナがリクに抱きつく。
リクは驚いて固まる。
抱きつくミナは大きく笑いながら「リク!つよ〜い!」と喜んだ。
「でしょ?」
その声にリクが反応する。
カイだ。
「リクは強くてカッコいいんだ。」それは茶化すようで、リクは顔を顰める。
「あっカイ!」
ミナはリクの手をとり、カイに駆け寄る。
「おかえり!」
「ただいま。みーちゃん。リク。」
カイはミナの頭を優しく撫でる。
「リクとのお留守番は楽しかったようだね。」
「うん!」ミナが大きく首を縦に振る。
リクは目を丸くして「は?」と呟いた。
それでもミナは気にせず笑う。
「カイとリクはミナのお兄ちゃんだね!」
その言葉にカイは得意気に「じゃあ俺が1番上だね。」と笑った。
それにムッとして「違う。俺が1番だ。」とリクが否定する。
リクの言葉にカイは笑いを堪えながら「そうだな。」と肯定する。
「良いじゃん。リクがお兄ちゃんでミナが俺たちの妹。」
リクの顔を覗き込み「ね。」と囁くカイはどこか楽しそうだ。
リクは舌打ちを打つ。
暫く経った頃、暖かな風に季節が変わってゆくのを感じた。
この頃、ミナはそわそわしていた。
リクはその様子に違和感を覚えていたが、カイは今日の食事や次の仕事を考えていて気づいてないようだ。
リクはカイの腕を小突いた。
「ん?」
「あれ。」リクはそう言ってミナに向かって顎を向ける。
その動きにカイはミナを見た。
「みーちゃん。どうしたの?」
ミナは、はにかみながら話す。
「もうすぐミナお誕生日なの。」
カイはびっくりして目を丸くする。
リクは腕を組み「は?」と呟く。
「みーちゃんもうすぐっていつかな?」
ミナは困った顔で「もうすぐはすぐなの!いつもママが暖かくなったら、ミナの誕生日って祝ってくれたの。」
「ミナに髪結ぶリボン送ってくれたもん。」
ミナは自分の髪を掴む。
「……お家置いてきちゃった。」
ミナは今にも泣き出しそうだ。
カイが仕方なく慰めようと口を開く間にリクが前に出た。
「じゃあ俺がやる!新しいリボン。」
その言葉にミナの顔が華やいだ。
「わぁ、リク。大好き!」
ミナはその場でピョンピョン跳ねる。
大好きの言葉に照れたようだ。リクは顔を逸らした。
「おい。」カイがリクを小突く。
「……なんだ。」
「お前誕生日が何か知ってるのか?」
「……」リクは黙る。
「お前そういうところあるよな。」カイは小さくため息をつく。
「まあ、ミナは俺が見てるから。リボン買ってこい。」
「……無理だ。」
「却下。」
「……まずどこに行けばそれは買える?そもそもリボンとは……なんだ。」
カイは片手で顔を覆う。そして大きくため息を吐いてみせた。
リクはミナを見て拳を握り込む。
カイはリクの肩に腕を回した。
「孤児院の時から変わらないな。まあ良い。お前が知らないなら、俺が教える。」と囁いた。
「みーちゃん。リクがリボン買いに行こうって。」
ミナは笑顔で二人を見る。
「おいで。」その声に向かって駆け出した。
大通りに出ると世界が変わって見えた。
リクとミナは周囲を見回す。
平民だけじゃない。
地味な色が多いが、ドレスを着たお嬢さんもいる。
衛兵も歩いているし、商店が並ぶだけでなく出店も並んでいる。
貴族の馬車もよく通るようだ。
パン、とカイが手を叩いた。
二人の視線がカイに向く。
「一応、買い物前に約束して。」
「なんだ?」とリク、「なぁに?」とミナが問い返す。
「まずリク。ここでは何があっても手を挙げるな。」
「無理だ。」即答だった。
「……リク。さすがにキレるぞ。」
「…………努力する。」
「よし。みーちゃんは俺とリクから何があっても離れない。」
「うん分かった!」ミナは大きく首を縦に振る。
「……リク。みーちゃんと手を繋いで。ぜったい離すな。」
「無理だ。」
「却下。」
そのやりとりを聞いてたミナが頬を膨らます。
「私もヤダァ。」
その言葉にリクがミナの手をしっかり握る。
その優しく包み込む手の温かさにミナは口元を緩ませる。
「仕方ないなぁ。そんなに繋ぎたいなら繋いであげる〜。」
「……。」リクは黙ったまま。
「はいはい。ありがとう。ほら行くよー。」
商店や出店の品を眺めながら、カイは先を歩く。
その後を二人がついて行く。ミナは終始大はしゃぎだ。
ある出店の前でカイは足を止めた。
髪飾りや耳飾りといった装飾品が並ぶが、地味で質素な品が多い。
その中にはリボンも並んでいた。
「おばちゃん。そのリボンいくら?」
「銅貨2枚だ。」店主が指を二本立ててみせる。
「ありがとう。他も見させてもらうよ。」
カイが手招きする。
「リク。こういうのがリボンだ。」指を差す。
リクはリボンを見て訝しんだ。
用途がわからないようだ。
「みーちゃん好きなのある?」
ミナは並んだリボンを見る。リボンの種類は少ない。
濃い赤が映えた細長いリボン。
水色の綺麗な細いリボンが二本。
茶色の厚くて見るからに硬いリボンが四本。
人気のあるなしが見てとれた。
その中でミナがコレっと指差す。
「ママのリボン。」
カイはそれを見て固まる。
それは茶色いリボンだ。
「ママがもうすぐ誕生日だってくれたリボンそっくり!」
ミナははしゃいで飛び跳ねる。
「自分でうまく結べなくて、でもママが私のためにくれたの!」
――だろうな。
カイは言葉を飲み込んだ。
「あたし!コレに……」
「する」という言葉を遮るようにリクが動いた。
リクは水色のリボンを手に取り「コレを買う。」と店主に見せた。
「それも銅貨2枚だよ。」
ミナは膨れながら「なんで勝手に決めるのよ。」とぼやく。
「……?コレしかないだろう。」リクは当然のように答えた。
リクの目はミナの空色の瞳を見ていた。
「じゃあ2本買って!じゃなきゃ嫌!」
「毎度あり。銅貨4枚だよ。」店主が掌を差し出す。
リクは渋りながら四枚払った。
目的を果たした三人はいつもの路地裏に移動する。
ミナは一本ずつ両手に持ってくるくる回りながら鼻歌混じりに先を歩く。
「気に入ったみたいだな。」
リクは黙ったまま、ただミナを見つめた。
ふとミナが振り返り二人の前に立つ。
「なぁに?みーちゃん。」カイは小首を傾げた。
「結んで!カイがコッチで、リクはコッチ!」
二人は黙って受け取った。
カイが横目でリクを見る。リクはミナとリボンを交互に見ている。
――仕方ないな。
カイがリボンを口に軽くくわえ、ミナの髪を片側だけ纏める。指ですかし、纏め上げリボンを器用に結んだ。
「……リク。やってみろ。」
リクは反対側にまわって、ミナの髪に触れる。
ミナの髪は柔らかく動く度に煌めいた。
どう扱って良いか分からずリクは少し息を呑む。
それでもゆっくりと指を動かし始めた。
うまく纏められず少し絡んだりもして、指が少しとまりつつもなんとか結わえることができた。
でもカイの結び目と比べ、低い位置になってしまった。
「すまない。」
ミナはそっと自分の髪に触れる。カイが結んだ方と、リクが結んだ方に交互に触れる。触れるほどにその顔が綻んでいく。
「カイ。リク。ありがとう。えへへ。嬉しい。」
リクは顔を逸らす。
「いや……カイに直してもらえ。変だ。」
「ううん。良いの。このままが良いの。」
その笑顔を見てカイはふと母の大きな腹を思い出した。
――あの子が生きていたら、こんなだったろうか。
それから一年、二年、三年と時が経つ。
ミナはあのリボンを毎日使うようになった。
最初は下手くそだったリクだが、カイの結ぶ仕草を見ながら練習を重ねだんだん腕を上げていった。
朝は必ずカイとリク、二人でミナの髪を結ぶのが習慣となっていった。
そして三人には他にも変化があった。
次第にミナの背が伸びる。体つきが変わっていく毎に、カイは服を用意した。
リクはその度に「どうせすぐ伸びて着れなくなる。」とぼやいた。
その言葉にカイは「俺とお前は良いけど。ミナはダメだろ?」と少し困ったように返す。
リクには訳が分からない。
そんなリクも袖丈が合ってない。手首と足首が見える姿はなんだか滑稽だ。
「……お前は無頓着すぎる。」カイは首を掻いた。
「は?」リクが睨む。
「その格好で睨んでも可愛いだけだぞ。」
リクが目を見開く。
「かっかわ?は?」
まさかの言葉に戸惑う。それを見てたミナがカイの腕に抱きついて「うん!リクかわいい!」って茶化す。
リクは眉間に皺を寄せる。
「お前、どんどんカイに似てきたな。それも悪い方に。」
ミナの顔がパァッと輝く。
「ほんとぉ?ミナ嬉しい!」
素直に喜ぶミナにリクは苦い顔をする。
カイはパンッ、と軽く手を叩く。
「リクで遊ぶのはそのくらいにして。みんなで服でも買いに行こう。」
三人は並んで歩き出した。
そんな平凡な日常が過ぎ去っていく。
ある日、いつものように仕事に向かっていると「カイじゃないか?」と中年の男に声をかけられた。
記憶にない。
でもカイは笑顔で「ええ。カイです。」と答えた。
「会えて嬉しいよ!カイ!」と言って男はカイの背を叩く。
「実はあの後、子供ができたんだ。ルイが死んで女房は気落ちしてたが、カイがあの子の死を悼んでくれたおかげで少し持ち直したようでな。」
カイはピンと来てないが「それはよかった。ルイくんもきっと天から喜んでいることでしょう。」と話を合わせた。
「今も仕事探してフラフラしてるのか?」
カイの眉が僅かに動く。
「ええ。今もその日暮らしなもので。」
「ならちょうど良い!」男は豪快に笑って見せた。
「俺の知り合いが、ルミエール商会が所有する鉱山で働いてるんだ。だが最近腰を痛めたらしくてな。」男は顎を摩る。
「もともと人手不足だったところだから、これを機にって人手を募集してるらしくてな。」
男はカイの肩に手を置く。
「良かったらどうだ?もしかしたらそのまま雇ってもらえるかもしれないぞ!」
「ぜひ、お願いします。」カイは微笑む。
「じゃあ、3日後の正午にここに来てくれ。そいつを紹介するよ!」
男は手を振りその場を離れて行く。
カイは路地に向かって歩き出した。
「おかえり!」ミナがカイに抱きつく。
「ただいま。」
リクは黙ってパンを差し出す。
「食え。俺たちは食った。」
カイは受け取り「なぁルイって知ってる?」とパンを割って聞く。
リクは黙って考え込んだ。
「なんか俺がルイって子のために何かしたみたいなんだが。」
「あっ。」
「知ってるのか?」カイはリクを見て驚いた。
「……いや。なんでお前が忘れてるんだ?」
カイは小首を傾げてみせる。「本当に記憶にない。」
「お前。本当に嫌なやつだな。」
「たまたま荷運びの仕事に行って、俺たちと同い年くらいの子がいたって奴がお前に話しかけたんだ。」
カイは黙ってパンを齧る。
「そしてお前は死んだっていうルイのためにお祈りして、そいつの家で夕飯ご馳走になって、ルイの衣服貰って帰った。」
カイはパンを頬張る。
「本当に覚えてないのか。」
「記憶にないな。でも聞いといて良かった。」
カイが笑う。
「次会う時。そのこと話されたら、困ってたよ。ほんと今のうちに聞いといて良かった。」
リクは呆れたようにカイを見た。
「カイ。知らない子のためにお祈りしたの?優しい!」
ミナがカイに飛びつく。
「そうみたいだね。」
「なんて言ってお祈りするの?」
「安らかな眠りを祈ろう。次の生が輝かしいものになることを願って。」カイは空になった両手を合わせて見せた。
それを見たミナは「おおっ!」と手を叩いて喜んだ。
「また荷運びの仕事に誘われたのか?」
「いやそいつの知人が人手不足で声をかけてきたらしい。代わりだ代わり。」
「荷運びとかなら言えよ。俺がする。」
「うーん。今回は俺が行くよ。」
男との会話を思い出す。鉱山での仕事だ。力仕事がメインだろう。
いつもならリクに頼むところだが、
――雇ってもらえるかもしれないぞ。
という男の言葉を思い出す。
カイは視線を落とす。
交渉できる余地があるなら、俺が行くべきだろう。カイはリクを見る。
その顔は何か言いたげだ。
「まぁ。上手くやるさ。」
カイは安心させるように軽く言った。




