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道化の手

 リクは戸惑っていた。


 カイは何も言わず、リクの手を引く。


 外は暗く月明かりだけが頼りだ。


 部屋を出る時。ナナとリリは薄い布を頭から被っていて、様子は分からなかった。


 カイはずっと牧師の部屋を意識しているようだった。音を立てないよう静かに、ゆっくり移動するカイに習ってリクも慎重に歩を進めた。


 教会を出てどこに行くのかと思ったら裏手に回った。


 カイが立ち止まって、リクの手を離す。


 今の場所は牧師の部屋から対極のところにある。部屋の窓から見えることはない。


 それに教育を廃し、最低限の食事しか与えられない。希望は条件の良いところに引き取られることのみという教会のシステム。


 牧師と修道女は安心しきっている。部屋から出ることもないだろう。


 痺れを切らし「……そろそろ教えろ。」とカイに問う。


 その目は鋭い。


 カイはそれに応えるように振り返った。

 月明かりに照らされたカイの瞳は、透けるように優しい色を纏っていた。


「リク。お前に選ばせてやるよ。」その声はいつになく真剣だ。


「……?」リクは理解できず目を丸くする。先程の鋭さはもうない。


「お前は今からあの部屋に戻って、いつもの日常に帰ることができる。」


 カイがゆっくり右手を差し出す。


「だが。他の道もある。」


 カイは穏やかな顔で続ける。


「何も聞かず、俺と。この教会から逃げるんだ。」


 リクは理解できずにいた。


――お前が逃げる理由がどこにある?


「……理由を教えろ。」


「聞くなと言ったろ。……でも、そうだな。」


 カイは左手で首をさする。


「1つ言えるのは……これはただの自己満足だ。」


 リクは両手を組み「夕飯が足りなかったのか?」と呟いた。


 その姿にパンをカイの口に突っ込もうとしたり、パンを差し出してきたりするリクを思い出す。


 カイは腹を抱えて笑い出す。声を抑えるが、止まらない。


 ひとしきり笑って顔を上げると、リクが顰めっ面で仁王立ちになっていた。


 カイは小馬鹿にするように目を細める。


「なんでいつも俺の言動が理解できないと、腹が減ってるって思考になるのかな?」


「違うのか?」


「まぁ、俺がおかしいのは認めようか。でも腹は減ってない。」


――それを認めたら……駄目じゃないか?


 リクは戸惑う。


「それより。どうするんだ?」


 カイは笑顔でまた右手を差し出す。


 リクは右手を出しては引っ込める。


「これ以上は待てない。」とカイが手を引こうとする。


 慌ててリクはその手を掴む。


 カイは満足気に「じゃあ、決まりな。」と言ってその手を握り返す。


「あと言い忘れてたけど、俺についてきても、幸せも安全も保証できない。もしかしたら教会の方がマシだったって、後悔する日が来るかもしれない。」


 一拍おいてリクが口を開く。


「……前にジャンが嫌な奴だって言ってたろ。」


 "ジャン"の名前にカイの指が微かに反応する。


「ジャンより、お前の方が嫌な奴だ。」


「……今更知ったのか。」


 カイの笑顔は変わらない。


「ご愁傷様。」そう言って、手を離し歩き出した。


 その背をリクは追う。

 

 教会の粗末な柵を越えた時、カイは教会に向かって手を振った。


 リクは不思議そうにカイの視線の先を見た。


 自分たちが使ってた部屋の窓が微かに揺らめいた気がした。




――俺についてきても、幸せも安全も保証できない。

  もしかしたら教会の方がマシだったって、後悔する日が来るかもしれない。


 そう言ったカイだが、その後の生活は教会に居た時より充実したものだった。


 カイは人を観察し、人に合わせて自分たちを売り込むのがうまかった。


 読み書きができ計算もできるカイと、腕っぷしがあって力持ちなリク。二人の出来ることを考え、見つけた日雇いの仕事をこなし日銭を稼いだ。


 ふとリクはカイを見た。


 今日は荷運びの仕事をしていた。でも今はカイを中心に屈強な男たちが談笑している。


 一人の男は流行病で子供を亡くしたそうだ。


 十二歳の男の子だったそうだ。カイとリクと同じくらいだと語る男は鼻を啜っている。


 カイは眉を少し垂れて「……僕。教会でお世話になっていたことがあるんです。」と言って男に近寄る。


「お子さんにお祈りをあげても?」


「……ありがとう。頼むよ。」


「お子さんのお名前は?」その声は穏やかだ。


「ルイだ。」


 それを聞いたカイは、太陽の位置を確認する。日の指す方に向かって座り込み、両手を合わせて見せる。


「ルイ。君の安らかな眠りを祈ろう。次の生が輝かしいものであることを願って。」


 カイは目を閉じる。


 男はカイの手をとり、咽び泣いた。


 その後仕事を終えると男の家に呼ばれ、妻の手料理をご馳走になった。

 

 帰り際、男の妻がルイの遺品を持ってやってきた。

 布に包まれているのは服や靴のようだ。

 

「よかったら貰ってくれ。」という男に「いえ。ルイくんとの大切な思い出を受け取れません。」と一度突き返した。


「お願い。貰って。」涙ながらに妻もカイの手に包みを渡す。


 カイは「ありがとうございます。」と言って受け取り、家を後にした。


 家から離れるとカイは布を広げる。そして中身の状態を一つずつ確認し始めた。


「お前ああいう祈りの言葉とか……思いつきか?」


「そうだ。」


「なんで一度突き返した。」


「母親がまだ納得してなさそうだったからな。誠意を見せたらくれたろ。」


――誠意。


 リクはカイのことを見て、少し考える。


――これが、誠意??


 視線に気づいたカイはふっと笑う。


「難しく考えるな。貰えるものは貰うが。後腐れなく演出はする。それだけだ。」


 リクはまだ納得がいかないようだった。




 その日カイはリクと別々で行動していた。


 日雇いの仕事は日を選べない。二人の得意不得意もあるため、適材適所に分かれ仕事をすることはよくあることだ。


 無難に仕事を終えて、路地裏から待ち合わせ場所に戻ろうとした時だった。


 通りの方で揉める親子が視界に入って足を止めた。


 母親らしい女は娼婦のようだ。


 でも娼館で働くわけでもなく、道端で男を捕まえる貧民のようだ。


 艶のない金の長い髪と、質素な服に窪んだ目の女が少女に怒鳴り散らしている。


 少女は必死にその足にしがみついていた。


 カイは少しだけ近寄る。


 少女を無理やり引き剥がし女は離れていった。


 少女は汚れのせいか、燻んだ金髪をしている。


 泣きじゃくる少女の小さな背をカイは黙って見ていた。


 生活苦で子供を捨てたのだろう。


――口減しか。


 茫然とその様子をただ観察する。


 どのくらい経っただろうか。少女はまだ泣いていた。


 その時、後ろから足音と話し声が聞こえた。


 足音が近づいてくる。


「……ガキ……女だ。……ぞ。」

「……売れる!…しろ。」


 男の声、それも二人か三人。

 まだ距離があって会話は聞こえないが、聞き取れる単語もあった。


……ガキ。女。売れる。


 カイは歩き出す。


 少女の腕を掴み、通りに向かって走り出した。


 人の合間を縫って、別の路地に逃げ込む。少女は戸惑っているだろうに、振り払いもせずカイの後を走った。


 まがりくねりながら走り、充分な距離がとれたところで足を止めた。少女の腕を外し、小さく深呼吸をし息を整える。


「…お兄ちゃん。だあれ?」


 振り返ると、空色の瞳をパチクリさせる少女が、肩で大きく息をしながら立っていた。


 その空色の瞳を見ていると

 「そいつも助けるのか?俺は見捨てたのに?」と

 どこからともなく、ジャンの声が聞こえた気がした。


 カイは小さく拳を握りこむ。


 カイはその声を振り払うように前屈みになった。少女の顔を覗き込み右手を差し出した。まだ涙の跡は残っているが、もう泣いてはいない。


「はじめまして。僕はカイ。君は?」


 少女はなんの躊躇いもなくカイの手を握り返した。


「あたしミナ!」


「そうか。ミナ。かわ……?」


 ミナが大きく首を振る。カイは困った顔で首を掻いた。


「みーちゃんって呼んで!」


「……みーちゃん……」カイは目を見開く。


「えっと……みーちゃんって何歳?」


「あのね。あのね。ミナは8歳!」ミナは笑う。


「へぇ……」


――俺。このくらいの時、こんなに幼かったか?


「みーちゃん。よかったらお兄ちゃんと一緒に来ない?」

 

「いいよ!えっとぉ?カイ?」


「そう。僕はカイ。」


 並んで歩きながら、待ち合わせ場所に向かう。


 遠回りをしてしまった。


――リク機嫌悪いだろうなぁ。めんどくせぇ。


 顔を上げると薄い雲が張った空が広がっていた。





 待ち合わせ場所に着く。


 リクは仁王立ちでミナを睨んだ。


「なんだ。それ?」


 ミナはびっくりして、カイの背に隠れる。


「みーちゃんだそうだ。」


 カイは悪びれもしない。


 ミナをチラリと見る。


「みーちゃん、こいつはリク。口も目つきも悪いがいい奴だ。」


「え〜やだぁ。こわぁい。」


「……おい。ふざけんなよ。」リクがカイに掴みかかる。


 ミナが驚いて、目一杯涙を溜めてひくつく。


 リクは慌ててカイから離れる。


 カイは穏やかに「おぉ、泣くな。泣くな〜。」と頭を撫でた。


 リクはミナを見ないようにして「捨ててこい!」とカイに言う。


「……捨てない。」


「俺たちにも……余裕はねぇ。」


「大丈夫。なんとかなる。」その言葉の軽さに、リクは眉間に皺を寄せた。

 

「いや。俺がなんとかする。」


 カイは穏やかに微笑んだ。

 


 ミナが急にモジモジし始める。


 カイがミナを見る。


「みーちゃんどうしたの?」


「おしっこ〜。」


 その言葉にリクが飛び退く。


「うーん公衆場は遠いしなぁ。」カイが通りの方を見た。


 国が道の衛生対策と農業転用策として、貧民が使える公衆便所を運用していた。ひどい匂いだが、ないよりはマシだろう。


 だがすぐ行ける距離ではない。


 リクが睨みつけながら「ここでしろ。」とぶっきらぼうに言う。


「変態!リクきらい!」ミナは頬を膨らませて怒る。


 リクは苛立ちを露わにする。


「ごめんねぇ。みーちゃん。でも他にしょうがないんだ。」とカイは両手を合わせてみせた。


「少し離れてるから。終わったらおいで。」


 そう言ってカイはリクの肩を掴んでその場を離れた。


 少し経つとミナは涙目になりながら戻ってきた。


「どうしたの?みーちゃん。」


「おしっこかかったの。」


 ミナのズボンの裾が少し濡れている。


 カイはミナの手をとり「じゃあ井戸で洗おうか。」と歩き出した。


「井戸つかってもいいの?」


「いいよー。たまにお手伝いする代わりに、借りてるとこがあるの。そのうち、みーちゃんにもお手伝いしてもらおうかなぁ。」


「うん!ミナ手伝う!」


 さっきまで涙目だったミナの顔がパァッと輝いた。


 取り残されたリクはカイとミナの背を見つめながら「……無理だろ。」と呟いた。

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