井戸の底を覗いて
ある日いつものように手伝いをこなしていると、修道女がカイに近づいてきた。
カイの顎を掴み、顔を寄せる。
「ガキ。もう気づいてるわよね?」
カイは黙ったまま動かない。
「牧師様も人が悪い。分かっててやらせてるでしょう?」
「まあな。だが想像以上に、カイは利口だ。今後も問題ないだろう。」
修道女の手が離れる。
カイの中で仮定は確信となってしまった。
でもそれを肯定したその先が恐ろしくて堪らなかった。
「……何のことでしょう?」カイは知らないフリをした。
「あはははは!」修道女は下品に声を上げ笑う。
「カイ。惚けなくてもいい。私たちは孤児たちを売買している。帳簿の通りだ。」
牧師は平然と真実を告げる。
カイは小首を傾げながら「……なぜ、その事実を僕に?」と、問う。その顔は穏やかなまま。
「お前は私たちと共に、これから管理する側になるからだ。そのために読み書きを教えた。」
意地汚い笑みを浮かべ続ける。
「お前はこちら側だ。」
「……光栄です。」カイは微笑む。
「近々ジャンを売る。その時も報告書には記載しないように。」
「承知しました。」
修道女がニヤニヤしながら牧師を見る。
「またあの伯爵ですか?」
「あぁそうだ。困ったものだ。ジャンは長く保てばいいが……"資源"は有限だ。」
牧師はため息をつく。
"資源"とは"孤児"のことだろう。
「こちらもホイホイ拾える訳ではないからな。」
「保つとは、どういうことでしょう?」
カイは尋ねる。
「伯爵の趣味だ。男は反発するような聞き分けのない子どもを好み、女は年頃でも子どもでも見目のいいのを好むんだ。」
「……買ってどうするのですか?」
「甚振って殺すのだよ。だから私たちは羽振りのいい伯爵のために、せっせと孤児を集め育てているのだ。」
「ジャンがどれだけ保つか見ものだよ。」
牧師は笑顔のままだ。
修道女は「次は真珠の首飾りが欲しいわ。」と牧師に擦り寄る。
「おぉ良い良い。好きに買えばいい。……カイお前も遠慮せず言いなさい。」
カイは朗らかに「ありがとうございます。」と答えた。
ジャンを見送る日。
カイはわざと部屋から出なかった。
窓の外は日が傾き始めてた。そろそろ迎えの馬車が来る頃だ。
「おい。」
その声に肩が跳ねた。
気づけば目の前にジャンが立っていた。
「最後まで気に入らない奴だな。てめぇは。」
ジャンは舌打ちをする。
「見送るのが常識だろ?」
「……僕に見送られたいのか?」
その言葉を無視し、ジャンは「妬ましいか?羨ましいのか?俺が!」と誇らし気に語りだした。
「俺はこれから貴族に引き取られる!すごいだろう?」
「牧師に気に入られたところで、こんな寂れた協会で何ができる?いつも涼しい顔してた癖に!気に入らないんだろう?最後にお前のその顔見たら清々したぜ。」
――どんな顔だよ。
「まあ良い。お前はここから指を咥えてたらいいさ!」
ジャンはそう言い捨て部屋をでた。
まるで嵐のように。
「そうだな。最後だ。ジャン。」
カイは頭を抱える。
「最後まで嵐みたいな奴だな。お前は……ほんと苦手だ。」
ジャンは馬車に乗って伯爵邸へ赴いた。
初めての馬車、貴族の立派な邸宅を前にジャンは立ち尽くした。言葉も出ない。
侍従が近寄る。
「まずは身なりを整えましょう。」
侍従に従い、その後をついていく。
さすがは伯爵邸だ。廊下を歩けば歩くほど、その調度品の数々にジャンは舌を巻く。
そして連れてこられた部屋には、猫足のついたバスタブがあった。
温かな湯が張ったバスタブに腰を下ろし、侍従たちが丁寧に体を磨き始める。
――勝った……勝った!勝った!勝ったんだ!
ジャンは笑いを堪える。
――俺は勝ち組だ!
汚れを落とされ、身綺麗になったジャンに服が用意された。これまで伯爵邸の中で見てきた品を思えば質素な服だ。だが今までボロを着てたジャンにとっては、地味なその服さえ贅沢なものに見えた。
服を着たジャンは自信を持って胸を張る。
侍従は淡々と隣の部屋へ移動を促した。
「今日は遅いので、伯爵様との対面は明日となります。」
そう言ってグラスに、透き通った紫色の液体を注ぐ。
ジャンは初めて見る液体に興味津々だ。
「ぶどうの実を絞ったものです。食事の前に。」
侍従は「どうぞ」とジャンに差し出す。
ジャンはそれを受け取る。侍従は受け取ったのを確認して下がった。
グラスを傾け、匂いを嗅ぐ。甘い。
ふとカイの顔を思い出した。
いつも涼しい顔をしていた。怒鳴っても、掴みかかっても余裕があるカイ。牧師に気に入られ、リクを側に置いて良いように使っている。
――嫌な奴だ。でも。
教会を出る前のカイを振り返る。カイは喋るたびに、頬を引き攣らせていた。
――あの顔は見ものだった。そのまま羨ましがればいい。
グラスに口をつける。甘い果汁が口に広がる。
――うまい!
ジャンは一気に飲み干した。瞬間視界が霞み暗転する。
手から離れたグラスが弾ける甲高い音が、遠くに聞こえた気がした。
目を覚ますと真っ暗闇の中にいた。
「はっ?」ジャンは驚いて起きあがろうとするも動けない。
ジャンは目隠しをされ、椅子に手足を縛られ拘束されていた。ジャンの心臓が跳ねる。
椅子は金属で出来ているのか。石で出来ているのか。ひどく冷たい。
「なんだよ!これ!??」
「おはよう。ジャン。」
「誰だ?お前!なんでもいいから!離しやがれ!ふざけんっ!」
ガンッ。鈍い音が響いた。
途端に頭に衝撃が走る。骨が軋む音が聞こえた気がした。
「君のような口汚いガキは大好きだよ。でも少々騒がしい。」
それは穏やかな声だった。
ジャンは不意にカイを思い出した。口を開くたびに、頬を引き攣らせ苦しそうなカイの顔。
――お前。知ってたのか?
ドンッ。机を鈍器で叩く音が響いた。
何度も。
何度も。
何度も。
ジャンは唇を震わせる。「……たす……」
その瞬間、カイは飛び起きた。
外はまだ薄暗い。
服が体に張り付いて、気持ちが悪い。
カイは静かに部屋を出た。
教会の裏に出たカイは、地面に両手をつき、這いつくばる。
一度飲み込もうとするも、腹の底から湧き上がるものを止めようがなかった。
目の前に広がる吐瀉物を前に、カイは微かに笑った。
――こちら側だっけ?
カイはゆっくり立ち上がる。井戸に桶を落とし、水を汲み上げる。
手で水を掬い、口を濯ぐ。残った水を吐瀉物に向かってかけた。
――消えてなくなればいいのに。
それは何に対してなのか。自分でもわからなかった。
日が昇った。カイはいつものように、子どもたちから集めた掃除道具を小屋にしまう。
そして井戸の水で手を濯ぎ教会を見た。
そろそろ朝のパンが配られている頃だ。
――食べれる気がしない。
カイはふと井戸を見た。
何処にでもあるような古い井戸には、まるで現と繋がる境界のように深い闇が広がっていた。
しばらく黙って見ていたカイが井戸の縁に手をかけた。
なんとなくその闇の底を覗いてみたくなったのだ。
体が前に傾く。
途端に腕を引かれ、乱暴に井戸から引き剥がされる。
「何してる?」リクだった。
カイの腕を掴む手が微かに震えている。
いつになく低く「お前こそ何をしてる?」と返す。
リクは持っていたパンを丸々差し出した。
「腹減って頭おかしくなってるぞ。食え。」
「お前が食え。」カイの口角がわずかに上がる。
その眼差しは全てを見透かすように冷たい。
――こわい。
腕っぷしのあるリクが、誰かにそう思ったのは初めてだった。
「俺は先に食べて腹一杯だ。……これはお前のだ。」
ぐきゅるるる〜。
気の抜けるような音がリクの腹から響く。
固まる二人。
先に動いたのはリクだった。カイから手を離し腹を隠すように手を当てる。
「……これは……違う。」
その様子に、張り詰めていたカイの表情が綻んだ。
「お前。体まで正直だな。」
カイはくるりと井戸を背に座りこむ。
「今日は気分が悪いんだ。無下にしたくないけど、すまない。リクが食べてくれ。」
いつもの笑顔だ。
リクは隣に座ってパンを頬張る。
「……ジャンのこと、気にしてるのか?」
「…………そうだな。嫌な奴だったけど、居なくなると淋しいもんだな。」
カイは頷きながら続ける。
「まぁ、でも。ちょっかいかけられなくなって、清々したさ。」
「どんなところだ?」
「は?」カイが聞き返す。
「……あいつ。どんなところに引き取られたんだ?」
カイは自分の首をさする。
「貴族は貴族でも伯爵家だ。」
「それって……」リクは考える。
そしてカイを見た。「すごいのか?」
「すごいさ。俺たちが一生かけても、手に入ることのない地位だ。」
カイはリクを安心させるように続けた。
「だからジャンはすごく運がいい。あいつは幸せだ。」
カイの言葉にリクは頷き、またパンを頬張る。
カイは黙ってそれを見ていた。
それから数日経った。
カイはいつものように牧師の手伝いをしていた。
牧師は届いた書簡を見て、大きくため息をつく。
――わざとらしい。
「どうなさいました?」
カイの問いかけを待っていたように「3日だった。」と返す。
カイは意味がわからず、小首を傾げる。
「……3日、ですか。」
「そうだ。ジャンだ。もう少し骨のある奴だと思ったんだが、3日しか保たなかった。あまりに早いものだから、伯爵が次を要求してきてな。」
牧師は顎をさする。
「……どうなさるのですか。」
「リクしかいないだろう。」牧師がカイを見つめる。
何かを計るように。
「どう思う。」
牧師が前に語った。伯爵の好みを振り返り、子どもたちを比較する。
「……牧師様のおっしゃる通り。該当者は他にいませんね。」
カイは笑う。
牧師も満足気だ。
「牧師様。ちょうど今日の分が終わったところです。ご確認いただけますか?」
カイは立ち上がり書類を手渡す。
ゆっくり書類を捲り、指を滑らせ確認する。
「さすがカイだ。また頼むよ。」
「はい。牧師様。」
カイは深く礼をして牧師の部屋を後にする。
教会を出ると、ナナとリリがアリを眺めしゃがみ込んでいた。
――何が面白いんだか。
カイは二人の前に立つ。
その影に二人が気づいたようだ。
「ナナ。リリ。」
二人がカイを見上げる。
「なぁに。」やはり口を開くのはナナだけだ。
「前に言ってたお願いまだ有効かなと思って。」
カイが両手を合わせて見せる。
「僕のお願い聞いてくれる?」
カイの背に夕陽が差し込む。
ナナとリリは眩しそうにその光を片手で遮る。
「もちろんよ!」
リリは大きく頷いた。
「……ありがとう。」
それを木の上からリクが眺めていた。
カイが自分からあの二人に声をかけるのは珍しい。
何か頼んでいるようだ。
リクは今にも井戸にその身を投げそうなカイの姿を思い出す。
「俺を頼れよ。」
そう呟く自分に驚いた。
カイが自分ではなく、二人に何かを頼んでいるのが気に入らないと自覚したから。
カイから目を逸らす。
リクは夕日に向かって「くそ。」とぼやいた。




