教会と孤児たち
日の出が昇りかけた頃、目が覚める。
リクは隣を見た。灰青髪の少年や、奥の少女たちも動き始めている。
昨日カイに絡んでた、灰青髪の少年の名前はジャンだ。
でもカイはまだ眠っているようだ。
リクは窓の外を見る。
年端もいかない頃から、この孤児院に捨てられている。当時は年老いた牧師が管理していた。
気のいい牧師だった。子どもたちに説法を説き、簡単な裁縫仕事や手習いを行い、自立できるように育てていた。
だが寿命だろうか。牧師は呆気なく逝ってしまった。
代わりに教会から来た牧師と修道女は碌でもなかった。
ふとカイを見る。
孤児院に来るやつは、だいたい決まってる。
子どもらしく泣きじゃくる。
見えない未来を考え怯える。
この世の全てを憎むように怒る。
希望を無くして呆然とする。
昨日のカイを思い出す。
――また子ども。
私兵に連れてこられたカイは、艶のある黒い髪に柔らかな茶色い瞳。泣きぼくろが目を引く顔に、最初は女かと思った。
リクは木の上からカイを確認していた。
呆然としたタイプだと思って見ていた。
でもカイは違った。
騒ぐことはなかった。表情に変化はない。まずは建物や庭を見まわし、次に子どもたちの様子を観察していた。
そしてリクの視線に気づき視線が交わる。
カイは気まずそうに首を触りながら視線を逸らした。
その冷静で平常な行動を、リクは異様に感じていた。
――なんだアイツ。
部屋に戻って休んでいると、カイがやってきた。
孤児院で年長者組のジャンが、カイから服を奪おうとしていた。いつものように黙っていれば良かったが、自分でも不思議なことに気づいたら体が動いていた。
リクは喧嘩に関しては、孤児院で誰にも負けない自信があった。
だからジャンが怒ろうが、手を出そうが問題なかった。
なのに「脱げば良いんだろ?」と平然と渡す。
取り返してやると言うと「あまり騒ぎを起こしたくないんだ」と否定する。
リクは苛立ちを覚えた。
――なぜ渡す?なぜ取り返さない?
庭で視線を逸らしたカイは、その後寝台を一つ使いたいとリクに相談する。
――使えば良い……なぜ俺に聞く?
無視しようとするも、カイは気にせず話しかけ続ける。
痺れを切らして「使え」と言って自分の寝台にあがって寝転がった。その言葉を待っていたようにカイも同じように寝転んだ。
隣に寝転がるカイの存在が妙に気に障った。
不意にカイの目が開いた。
リクの視線に気づいて「……なんか用?」とゆったり起き上がる。目を細めるカイはどこか不快そう。
リクは周りを見る。物思いに耽っている間に、他の子どもたちは部屋を出たようだ。
「……遅い。」
「……?……ごめん。」
リクは寝台を降りて、部屋を出ようと歩き出す。カイは戸惑いながらリクの背に続く。
――説明も無しかよ。謝ったろう?
カイは振り返り、窓の外を見やる。まだ日の出の直後だ。
――朝から何があるっていうんだ?
カイは後を追い、部屋の戸を開け廊下へ出た。リクは食堂ではなく外へ出るようだ。
――喋れよ。コイツ……苦手だ。
カイは小さくため息をついた。
リクとカイは本堂に出た。すでに子どもたちが布の切れ端で床や飾りを磨いている。
その中にいたジャンがおもむろに立ち上がる。
傍にある水の入った桶に布切れを乱暴に放る。
リクを避けてカイの前に立つ。
「今まで寝てたのか。いいご身分だな?」
ジャンが凄む。
「ごめん。朝は掃除の時間なんだな。次から気をつけるよ。」
カイはジャンをものともしない。
その様子が気に入らないようだ。
ジャンが一歩前に出る。すかさずリクが間に入る。
リクは無言だ。
ジャンが舌打ちをして離れる。
「さっさと動け。」
「わかった。」
ジャンが離れたのを確認して、リクの背に問いかける。
「……えっと君名前は?」
カイはリクの背に向かって聞く。
「……リク。」
「リク、そうか。お……」
俺と言おうとしてやめた。なんとなく、俺と言った時の印象を計る。僕くらいがかわいらしいか。
カイはリクの前に回り込む。
「リク、僕はカイ。よろしく。」右手を差し出す。
「ここのやり方を教えてくれ。」
リクは差し出された手を見つめる。
――何悩んでんだ。コイツ。
カイは小首を傾げる。
リクがゆっくり動き出す。カイの横を通り過ぎる。
カイは差し出した手を握りしめた。ただゆっくり微笑み、リクの背をまた追う。
――腹が立つ。握手も出来ねぇのか?
でもだめだ。ここで孤立するわけにはいかない。
リクは教会の裏に向かって歩く。
「なぁ。さっきのキレてたやつなんて名前?」
「……ジャン。」
「そうか。この教会の子どもで1番年上なのか?」
「違う。他……いる。」
「そうかリク。教えてくれてありがとう。」
カイは笑顔だ。ふと本堂の様子を思い出す。
子どもたちが寝る部屋は二つ。一部屋が四人で同じなら、単純計算で八だが。
「ちなみにここには何人の子どもがいる?」
少し沈黙が続く。リクは指を順に折っていく。
カイの口角が引き攣る。
「何人かな?」
教会の裏には小さな小屋があった。奥には井戸も見える。
リクは小屋の前で立ち止まる。
「……お前入れる……9?」
カイの笑顔が消える。横からリクの顔を覗き込む。
「……数かぞえてたのか?」
リクに向き直り、顎を撫でる。
――握手も数も……そうか。孤児院暮らしだからな。
顎から手を離す。
「リク。まず数を教えてくれてありがとう。」
「とりあえずこっち向いてくんない?」
リクは戸惑いながら、対面に立つ。
「右手を出して。」
「……みぎ。」ゆっくり右手をあげる。
その手をすかさず掴む。リクの肩が跳ねる。
でも手は離さない。
「はい。あーくーしゅ。」
カイが手を振る。
「……あくしゅ?」
「そうだ。これが握手。挨拶だ。」
リクの手に、ぎこちなく力が入る。
「あいさい。」
「よろしく。」カイが笑う。
なんの計算もない笑顔に、リクは目を逸らす。
「よろしく。」
小屋の中から布の端切れをニ枚とって本堂に戻った。
他の子どもたちと一緒に、本堂から廊下。食堂を磨いていく。
その間に教会内で1番年上だと言う子がカイに話しかけてきた。物言いは素っ気ないが、リクの代わりに教会内のルールを教えてくれた。
一 朝は日の出が上がりきる前に、教会内を掃除する。
「これに参加しない奴がいると、連帯責任で飯を抜かれる。掃除が中途半端でも同じだ。」
二 牧師様には必ず"さま"をつける。
三 牧師様の部屋に入ってはいけない。
「これをすると修道女から鞭打ちの罰を受ける。」
四 必ず一日に一回井戸の水で体を清める。
「ここは働き手として商人が子どもを引き取りに来る。でも稀に、貴族が引き取ることがあるんだ。皆それを狙っているから、常に体は綺麗にする。」
以上がここのルールらしい。
ここまで聞いてカイは首を傾げる。
「君は偉く流暢だな。リクは何を聞いても、考えてたまに戸惑って黙る。」
隣にいたリクの指がピクリと動く。
「それはそうだ。ここでは、手習いがあった頃からいるのはリクや俺くらいだ。」
カイの手が止まる。
「基本的にお前やジャンみたいに、帰る場所がなくなってここに来る。今の牧師様に変わる前まで、俺たちは手習いを受けてた。リクも習いはしたが、今は教育という教育を受けられないんだ。」
少年の顔が険しくなる。
「孤児に教えるのは無駄らしいぜ。」
――なるほど。
リクに対して抱いていた違和感の正体がわかったのだ。
――使う必要がない知識は、身につくわけがない。
「……なな。」
囁くような声だった。カイは驚いて後ろを振り向く。
そこには手を取り合って、寄り添う少女たちが立っていた。
同室の子どもだ。部屋では俯いていて、印象があまりない二人。
「……双子?」
ナナと言う少女は栗色の髪でそばかすがあるようだ。もう一人の少女は黒色の髪。
似ていない。でもおかっぱのような髪型。目が見えない程の長い前髪で揃えているせいか、雰囲気はそっくりだ。
ナナという少女は微かに笑い首を振る。
「あたし、ナナ!こっち!リリ!」
リリと呼ばれた少女が首を大きく振る。
カイは戸惑いながら「……よろしく。」と言う。
二人は顔を見合わせ、駆けていく。
――不思議な子たちだな。……苦手だ。
日が昇ると牧師が修道女と一緒に食堂にやってきた。
食堂にはテーブルが一つだけ。
子どもたちは掃除用具を小屋に片付け食堂に集まっていた。
修道女の両手には小麦のパンの乗った皿。
パンは一個一個が、カイが銅貨一枚で買ってた頃のパンより小さい。
牧師はいつもの作り笑顔で「皆おはよう。」と声をかける。
子どもたちは声を揃えて『はい!牧師さま!』と返す。
カイは口パクだ。
――おい。こんなルール聞いてねぇぞ。
カイは顔を顰める。
食堂の机に皿が置かれる。
牧師が手を合わせる。
「皆、今日の糧に感謝しなさい。」
『はい!牧師さま!』今度はカイも真似る。
牧師と修道女が踵を返して食堂を後にする。
食堂の扉が閉まる。
パタン。
その瞬間だった。孤児たちが走り出す。
「はっ?」
呆気にとられるカイの前で、子どもたちがパンを奪いあう。
ジャンは2個とって食堂を出る。
ナナとリリはうまく子どもたちの間を抜けながら、パンをとって頬張りながら走る。
ルールを教えてくれた子は、一番小さな子とパンを分け合う。
――聞いてないって。……わざとか?
カイはため息をつく。
――まぁ良いか。仕方ない。こんな環境だ。
机の上の空の皿を見る。もともと人数分はなかった。
諦めて部屋に戻ろうとした時だった。
通せんぼするようにリクが前に立つ。
リクは手に持つパンを半分に割る。
――こいつ。もしかして……
リクは一歩前に出た。
カイは要らないと断るつもりで口を開いた。
その瞬間だった。リクはカイの口に向かってパンを突っ込む。
カイは吐き出しむせる。
リクはゆっくり落ちたパンを拾う。
そして目を細め「勿体ない」と責めた。
カイは呼吸を整える。
「いや、いやいやいや。お前頭おかしっ」
声を荒げ顔をあげたカイだがすぐさま口を手で隠した。
リクがまた片手でパンを掲げ構えている。
――いや。怖すぎんだろ。
カイは片手をあげる。
「お前不器用すぎないか?」
「ぶっぶき?……なんだそれ?」リクは手を下ろす。
カイは口から手を離そうとする。
「それはっ」
すかさずリクが手をあげる。
ただ両手を前に突き出すカイに、リクは静止する。
「お前ほんと野生児がすぎんだろ。勘弁しろよ。」
リクは訳が分からないようだ。
カイは深くため息をつく。
「とりあえず自分で食べれる。そのまま渡してくれ。」
リクは自分のあげた手を見る。そして構えたままカイの顔を見る。
「おい。フリじゃねぇんだよ。口じゃなく手に寄越せ。」
リクは少し口を尖らせながらパンを差し出す。
カイはそれを受け取り「……ありがとう。」と首をさする。
その日からカイは少しずつ教会での暮らしに慣れていった。
リクはカイの様子が気になるようでよく見ていた。
たまに手を貸そうと、突飛な行動をとる。
そしてジャンがカイに意地悪く近寄ると間に入るようになった。
――なんでコイツ。こんなに俺に構うんだ?
終始カイには戸惑いしかなかったが、悪意のないリクの行動に少しずつ歩み寄ることにした。
まずは数字を教えた。
基本は習っているため、少し教えるだけでリクはすぐ覚えた。
言葉数が少ないのはリクの性格もあるようだ。
だが根気強く話しかけ、分からない言葉はその場で教える。これだけでリクの語彙力は驚く程広がりを見せた。
テンポよく会話ができるようになったら、簡単な足し引きを教えることにした。
カイが教えられるのはこの程度だ。
「俺が家の買い出しで行ってた店は、銅貨1枚でパンが2個買えた。」
「……1枚でパンが2個?」
「そうだ。お前が銅貨を2枚持ってるとする。そしてお腹が空いて、パンを1つ買うとどう……」
「素晴らしい。」背後の声にカイは口を噤んだ。
振り返る。
そこには手を叩いて笑う牧師が立っていた。
――いつの間に。
「カイ。見目以外、取り柄のない子だと思ったが。君は存外賢いようだ。」
頬の筋肉が引きつくのを感じながら、笑ってみせる。
「……牧師様に評価いただき光栄です。でも僕はしがない平民出。今は何も持たない孤児風情です。」
牧師が手を止める。
「読み書きはできるか?」
「できません。平民ですから。」
「では教えよう。昼の食事の後に、私の部屋に1人で来なさい。」
――断ろうか。目的が分からない。
その時後ろで動く気配を感じた。
「はい!分かりました!」カイは目を見開く。
後ろの気配が静止するのを感じる。
リクが何かするつもりだと勘付いた時には口走っていた。
牧師は満足気に「では明日から」と言って教会へ歩き出す。
牧師が行くとカイは振り返った。
「……何するつもりだった?」
「……」
リクは目を逸らす。
「とりあえず……殴る。」
「お前……馬鹿だろう……」大きくため息をつく。
「良いのか?多分碌なこと考えてないぞ。」
「……野生児なお前の口からまともな言葉がでてくることが不思議だよ。」
リクはカイを睨む。
「へいき。へいき。なんとでもなる。あんま心配すんな。」
カイはへらりと笑って、踵を返した。
次の日から本当に牧師はカイに読み書きを教えた。
最初は警戒してはいたが、読み書きを覚えられるのは貴重だ。
カイは毎日通うようになる。
「おい。調子乗ってんじゃねぇぞ。」と言ってジャンがカイに掴みかかる。
その時、後ろからこちらに向かって走る足音が聞こえた。
ジャンは舌打ちをして、カイを離す。
「……なんでリクがお前なんかに構うんだ?」
ジャンはそう言い残して去る。
部屋に呼ばれるようになってから、こんな攻防が日常となっていた。
「……大丈夫か。」
「お前なんで俺に構うんだ?」
この頃にはリクの前でだけ素で話すようになっていた。
「……お前、弱いから。」
カイはリクの顔を見る。
平然とした顔に、カイは思わず片手で額を抑えた。
「なんなんだろうなぁ。お前。」
リクは眉をピクリと吊り上げる。
そんな中、教会で一番年長者の少年が貴族に引き取られることとなった。
きつい物言いをすることもあるが、面倒見のいい少年だった。
子どもたちは素直に「よかったね。」と口を揃えた。
中には「寂しい。」と泣く子もいたが、最後の時には笑顔で見送った。
カイはそんな子どもたちの背を見ていた。
すると隣に動く影。
「……ほんとうによかった。よかった。」
牧師だった。
カイは横目で牧師の顔を見る。
初めてだった。
牧師の心からの笑顔を見るのは。
でもその笑顔が純粋なものでないことは、その顔を見たら明らかだった。
カイは唾を飲んだ。
――なんて目してやがる。
数年が経った。
カイは牧師から簡単な帳簿管理の手伝いを、任されるようになっていた。
上手くこなせば、たまに飴玉やお菓子などを貰った。
だがそれを口に入れることはなかった。
いつもカイは見えないところでリクに与える。
リクは「餌付けか。」と不満気だが、「食べないなら…捨てるしかないな。」というカイに従うしかなかった。
そうやって牧師に気に入られていくカイを、ジャンは一層毛嫌いした。
だが表立って喧嘩を売ることは無くなっていた。
帳簿管理といっても基本的に、牧師や修道女が纏めた内容を写して教会本部に報告としてあげる。いわば写本のようなものだった。
だが手伝いを始めてカイは気になることができた。
子どもが引き取られる日。必ず教会にかなりの寄付金が寄せられるのだ。
そして決まって、報告にあげる写しには書かない。
そう指示されているからだ。
――それしかないよな。
すでに頭の中では、嫌な事実を仮定しほぼ断定しつつあった。
だがカイはそれを飲み込んだ。
カイは井戸の前に立っていた。
何も考えずただ井戸の底を眺めていた。
「……カイ?」
呼ぶ声に反応して、ゆっくり振り向いた。
ナナとリリだ。いつものように手を繋いで肩を寄せ合い立っている。
「なぁに?」
「カイ大丈夫?疲れてるよね〜。なんか手伝おうか?」と言うナナの言葉に、リリは大きく頷く。
「……いや今は大丈夫だ。」と笑う。
「ふーん。お願いあったら言ってね?手伝ってあげる。」
そう言ってナナは、鼻歌混じりにリリを連れて教会へ戻る。カイのことが見えなくなるまで、リリは物言いたげにカイを見つめながら歩いて行った。
前髪で隠れて見えない。だが確かに刺さる視線にカイは目を顰めた。
「……おねがい…………ね。」




