交差する視線の歪み
その日お嬢様とカイはお茶会に参加して帰ってきた。
ミナは屋敷の入り口が見える廊下の窓を磨いていた。
予定ではそろそろ戻る頃だ。
ここに来てすぐ宿舎だと言って、リクやカイと離れ離れになった。
――リク。なんで?
露骨に反発してたリクが数日も経つと、私兵として修練に励んでいた。ミナにはその変わり様が、理解できなかった。
暫くするとナナが屋敷の外へ出て行った。
その後すぐ屋敷の門が開かれた。
門番が開いた門を深い緑のドレスに、身を包んだセリナが軽やかに通り入る。
機嫌がいいようだ。
門が閉じる。
一緒に入ってくると思われたカイは、なかなか入って来ない。
ミナはそれを訝しんだ。
少し経ってカイが一人、屋敷の中へ入ってきた。
「……あっカ、ィ。」
名前を呼ぼうとしてやめた。
リリがオドオドしながら歩いてきたのだ。
キョロキョロと視線を動かし、忙しない。
距離があってあまり聞こえないが、ナナが外にいることを伝えたようだ。
カイの言葉に、リリが駆け出しすぐに外へ出て行った。
その扉が閉まるのを眺めながらカイが何かを呟いている。
カイはふっと笑って踵を返す。
その目は笑ってない。
尚も小さく笑いながら屋敷の奥へ消える。
その背をミナは小さな手を震わせながら見つめていた。
「……リク、助けて。」
リクの名を無意識に呼んでいることに、気づいてミナは俯いた。
路地での生活で、助けてもらうことに慣れてしまっていた。カイはミナに寄り添い色々なことを教えてくれた。リクは不器用で無愛想だが、どんな時も真っ先に助けてくれた。
ミナの瞳が潤む。
「私二人のために何も出来ない……。」
あれからまた数日が経ち、ミナも侍女としての仕事に慣れてきた。
今日のお昼はチーズを挟んだパンだった。
ミナは二人分貰って、修練場に向かった。
リクも私兵としての業務に慣れたようだ。屋敷を囲う塀の巡回、門や屋敷の蔵の見張り、荷馬車の護衛を交代しながらこなしている。
合間を見て手狭なこの修練場で剣を振るっていた。
この時間はいつもここにいる。
――持ってかないと、ご飯食べないんだから。
ミナは膨れっ面だ。
リクは相変わらず、剣を振っている。
それは何かを振り払うように力強く。
「もう!ご飯!」
ミナの声にリクの手が止まる。
「……ああ。」
リクが振り返る。
軽く汗を拭う。その腕はガッシリとしている。
ミナは少し息を止めた。
リクはいつものように、修練場の壁にもたれながら座る。
ミナを見て片手を差し出す。
ミナはハッとして「はい!コレ!」とその手にパンを渡した。
ミナはリクの隣に腰を下ろす。
二人でパンを頬張る。
無言の時間が流れた。
リクは地面を見つめる。その目は何か思い詰めているようだ。
ミナはバッと立ち上がった。くるりとリクの前に立ち、わざと明るく微笑んだ。
「そういえば、礼儀作法も少し習ったのよ!」
ミナはリクに向かって、スカートを少しだけ持ち上げ礼をする。
リクは口をポカンと開けたまま。
ミナがまた笑い出す。
「どう?すごいでしょ!」
リクがサッと片手で顔を隠す。
ミナはリクの前にしゃがみ顔を覗き込む。
「ねぇ!聞いてるんだけど?」
「……ああ、良かったな。」
「それだけ?」
ミナはムッとして、すぐにふっと吹き出した。
修練場にミナの笑い声が響いた。
屋敷に戻ると、カイの背中を見つけた。
大量の書類を抱えて、二階に向かって階段を登っているところのようだ。
今駆け寄れば、届く距離だ。
ミナはその背に向かって駆け出しかけて、やめた。
カツ、カツ、カツ、と二階から降りる音が鳴る。
カイでも、ミナでもない。
でもミナはその主が誰かすぐ分かった。
階段の上からカイに気づいたのだろう。音は軽やかに響き、その薄紅色がカイの腕に飛び込んだ。
セリナだ。
ミナは軽く視界を隠して、指の隙間から二人を見た。
セリナはカイの腕に手を回してその胸を押し付ける。
カイは少し体を引く。
「お嬢様。」その声は責めるように。
「離れてください。」
セリナはより体を寄せ、耳元で囁く。
「あら?私に買われた自覚、あるのかしら?」
カイが固まる。
「触れるのも、愛でるのも。買い主の自由であるはずよ?」
一瞬沈黙が流れた。
「……かしこまりました。」
「それより、それはどうしたの?また紫ちゃんの嫌がらせ?」
セリナは楽しげだ。
「いいえ"お願い"です。」カイは即答する。
「へえ。"お願い"ね。」
セリナはその肩に頭を擦り寄せる。
「それ私が決済したものみたいね。どうするべきだと思う?」
カイは無言だ。
「うふふ。人を頼るって考えがないのね。可愛いんだから。」
セリナが笑う。
「優先順位も。どこに向けた指示書かも。ぜーんぶ、分かるわ。私の部屋にいらっしゃい。お茶を飲みながら、一緒に整理しましょう?」
「………お茶はご遠慮します。」
カイは諦めたように、セリナと共に二階へ上がっていく。
音が聞こえなくなると、ミナは頬を膨らましながらぼやく。
「近すぎよ。変態。……カイのバカ!」
その日はカイとセリナと一緒に、とある貴婦人の屋敷へ赴くことになった。今日のセリナは商談の席ということもあって、紺の落ち着いたドレスを着ていた。
リクは護衛の中に居る。
馬車でのカイとセリナの会話は、業務的だった。
「お嬢様の商品は基本的に、所有する鉱山の採掘品から作ったものの筈では?」
セリナは余裕の表情で「そうね。」と答えた。
「今回の積荷。明らかに採掘出来ないものが含まれてましたが?」カイは無表情だ。
「父の商品も今回は用意したのよ。今から会う婦人は、うちの商品より、父の商品の方が好みそうだもの。前もって父に交渉したのよ。まぁ、仲介料は貰えるから気にせず売ればいいわ。」
セリナは腕を組み胸を持ち上げる。レースも光沢もないが上等な生地は、体のラインを美しく見せた。
「早いとこ商会まるまるくれれば良いのにね。」
セリナは馬車の外を見る。
ミナは会話に入れず黙りつづけた。
――なんで、私ここに居るの?
自分が呼ばれた理由がよく分からなかった。
屋敷につくと華やかな部屋に通された。
婦人の趣味だという紫の花柄のクッションが詰められた長椅子、花模様の彫りが見事な机も目を惹く。
ミナは目を輝かせた。
カイは何かを確認するように、一瞬目を止めただけだった。荷を運びこむためかすぐその場を離れた。
婦人はセリナに向かい合うように座るよう手招きする。
「もう。待ち兼ねたのよ。」
婦人にセリナは笑顔を返す。
「お呼びいただき、光栄です。」
その振る舞いや笑顔は優雅だった。屋敷では見せない、貴族としてのセリナがそこに居た。
ミナは唇を噛んだ。
自分が付け焼き刃で覚えた礼儀作法とは、比べるまでもなかった。
戻ってきたカイは、侍従たちに指示しながら商品を部屋に運び並べる。
立ち尽くすミナの肩を軽く叩いた。
ミナは少し驚いたが、カイに従いそれを手伝った。
カイは並び終えたそれを見て、サッとアメジストやタンザナイトの首飾りを手前に並び替える。他にも花のモチーフの金具飾りが美しい品も寄せた。
ミナは首を傾げた。
準備ができると壁際に移動したカイに倣って、ミナもその隣に移動し並び立った。
婦人とセリナは楽しげに談笑をしている。
「それでね。今日呼んだのは、結婚する姪のために贈り物がしたいからなの。」
セリナは「きっとそのお気持ちを、お慶びになられますわ。」と答えた。
「何が良いかしら?手前の紫の石……タンザナイトかしら。綺麗だわ。私が欲しいくらい。」
それは先程カイが手前に並び替えた品だった。
ミナはカイを見る。
カイは無表情だ。
「でも少し落ち着きすぎているわね。あの子にはもう少し可愛らしい色や飾りのあるものが良いわ。」
婦人は頬に片手を添える。
「おいくつですか?」セリナは穏やかに問う。
「12よ。」
ミナは目を見開く。
自分より幼い身で嫁ぐと云うのだ。
「え!?」と声を上げかけたが、瞬時にカイがその口を片手で塞いだ。
音もなく塞がれたミナは、驚きつつもカイを見る。
カイはもう片方の手で、人差し指を立てて唇に添えた。
ミナは小さく頷いた。
「なら、あちらが良いかしら。」
セリナが商品の方を向く。
その視線を見たカイは、ピンクダイヤの首飾りの入った箱を手に取り、セリナに片膝をついて差し出す。
セリナはそれを当たり前のように受け取り、その箱を机に置いた。
婦人は顔を綻ばせる。
「いいわ。素敵ね。」
セリナとカイの息のあった動きに、ミナはポカンと口を開けた。
不意に婦人と目が合った。
その目にミナは一歩後退る。
「いいことを思いついたわ。」
婦人はセリナを見る。
「あなたの侍女に、これをつけて見せてくれないかしら?」
ミナの肩が少し跳ねた。
セリナは唇を人差し指で抑える。
「コチラを、彼女に?」
セリナは意図が分からないでいるようだ。
「ええ。彼女がこの中で一番、姪と歳が近いようだし。雰囲気が分かると思って。」
婦人の話にセリナは笑顔で頷く。
ミナに視線を移し手招きする。セリナに従い、婦人の横に立つと、カイが後ろからゆっくり首飾りをつけた。
首元に確かな重みが乗る。
婦人が満足気に「ああ、良いわ。やっぱり、若い子にはこういう色が似合うわ。コチラをいただくわ。」と何度も頷いた。
セリナは「ありがとうございます。」と微笑む。
自分がこの場で初めて、存在を認められたことにミナの瞳が輝いた。
それを静かにセリナが見ていた。
その後婦人は最初に関心を持ったタンザナイトも購入した。
帰りの馬車でミナは満面の笑みだ。
「うふふ。ローズちゃん、ほんと可愛いわ。」
そんな穏やかな空間を崩すように、外が騒がしくなる。
カイがゆっくりミナの腕を掴む。
「お嬢様の横に座って。」穏やかな声だが、その手は力強い。
ミナは少し緊張しながら横に移動する。カイは二人の間に割って入るように膝を曲げ入れ、もう片方の足で反対の椅子を蹴るようにして体制を支える。
ヒュン!と高い音が響いたと思った途端に、カイは二人の頭を抱えるように腕を回した。バンッと馬車の壁から衝撃音が鳴る。
ミナは「ひっ!」と声を上げ震えた。
カイは「落ち着いて、頭下げてて。」と穏やかに言う。
「こわぁい。」セリナは緊張感のない声をあげて、カイの腰に手を回し抱きついた。
カイは少しため息をつく。
――こわい。
ミナは震えながら自分の膝に顔を埋めた。
外で何が起きているのかわからない。
変わらず、馬車の揺れる音と馬の蹄の音が聞こえる。
その中にキンッ、ガッ、と金属がぶつかる音が混じる。
何かが放たれるヒュッと高く空気を切り裂く音もする。
怒号も飛び交っているようだ。
暫く様子を見てたカイが、どこか嬉しそうに声を上げた。
「あいつ、ただの野生児じゃなくなったんだな。」
ミナはゆっくり顔をあげた。
「私兵らしくなってきたんじゃないか。凄いな。」
ミナと目が合う。
カイは微笑む。
「もう大丈夫だよ。みーちゃん。俺たちのリクが助けに来た。」
そう言ってまた外を眺める。
リクと聞いて、ミナはホッと胸を撫で下ろした。
でもすぐ視線に気づいて、顔を向けた。
セリナが目を見開きミナを見ていた。
「……みーちゃん?」セリナは小さく呟いた。
その目にいつもの余裕はない。
ミナの肩が跳ねた。
――こわい。こわい。
馬車は停まらなかった。
外は落ち着きを取り戻したようで、カイはいつの間にか向かいの席に座っていた。
セリナは唇を人差し指で抑えて物寂しげだ。
ミナは両手を握りしめ、動けずにいた。




