守る価値のない男
次の日三人はセリナの執務室にいた。
ミナは侍女の、カイは侍従として制服に身を包んでいる。カイはクラバットの結び方を知らないので、胸ポケットにそれを仕舞っている。
リクだけが私兵の制服を着ていた。
セリナはそれを椅子に腰掛け眺めていた。
その瞳は満足気だ。
「今日からあなた達には、私のためにこの商会の人間として働いてもらうわ。」
視線がミナに動く。
ミナの肩がピクッと跳ねる。
「ローズちゃんは侍女として。」
そしてリクに視線が動く。
「柘榴くんは、もちろん私兵ね。守護の石だもの。」
リクは眉間に皺を寄せる。
「……俺が?俺は俺の守りたいものしか、守るつもりはない。」
その声は低い。
セリナは徐に立ち上がる。
ミナとカイの後ろに回り、その間に立つ。
すると手を伸ばし、ミナの顎を優しく撫でた。
ミナの肩が先程より大きく跳ねた。
「でもこの商会には、あなたが守りたいものがあるわ。」
セリナはもう片方の手をカイに伸ばし、その顎を撫でて見せる。
カイは僅かに眉を顰める。
「それも、一人じゃない。」
二人の顎を軽く持って、セリナがリクを見る。
「駄々を捏ねても、他に選択肢はないはずよ。」
その言葉に、リクは奥歯を噛み締めた。
リクの反応に、セリナは目を細め微笑んだ。
二人から手を離したセリナは、ゆっくりカイの胸ポケットに手を伸ばした。
「うふふ。本当に可愛いわ。狙ってるの?」
クラバットを引き抜く。
カイは微動だにしない。
首に手を回し、セリナは丁寧にクラバットを結ぶ。
「全て知ってるような涼しい顔してるけど、ちゃんと貧民なのね。良いわ。これからも、私が結んであげる。」
クラバットを手繰り寄せるように、セリナは顔を近づける。
「あなたは、今日から私の専属よ。愛しの黒曜石。よろしくね。」
それを聞いたリクが、カイの肩を掴み引き剥がす。
「……何だそれ。何が商会を守れだ?外より中の方が、よっぽど危険じゃねぇか。」
リクがセリナを睨む。
「カイに対するお前の執着は、一体何だ?」
セリナはキョトンとする。
「価値があるものを、見定め磨き価値を高めるのが宝石商よ。」
セリナはカイを指差す。
「元より欲しかったのは、彼一人。あなた達はおまけ。」
そしてふっと吹き出す。
「でもとんだ、拾い物だったけどね。」
リクの目が鋭さを増す。
「カイに触れるな。カイに何かあれば、ただじゃおかない。」
カイがすかさず、リクの手から離れる。
「……お前の頭は、どうしてそう堅いんだ。」
そうしてセリナに頭を下げた。
「申し訳ありません。どうか、お嬢様の慈悲でお許しください。」
カイはゆっくり頭を上げてリクを見据える。
「言ったろ。そろそろ、現実を受け入れろ。」
リクは奥歯を強く噛み部屋を足早に出た。
大きく音を立てて扉を閉めるリクに、セリナは笑う。
「あらあら、困ったわ。柘榴くんは、磨き上げないと"価値がない"のに。」
その言葉にミナは唇を噛んだ。
「……平気です。受け入れる以外の選択肢がないことは、アイツも分かってるので。」
カイの冷ややかな言葉にミナの瞳が潤んだ。
リクは屋敷の裏に居た。壁を殴り「くそ!」と声を荒げる。
そんなリクの元に、近寄る影が一つ。
リクはその影に気づいて、振り向いた。
そこにはナナが立っていた。
ナナは唇を歪ませる。
笑っているが、どこか不気味だ。
「ナナ、か。」リクの声は低い。
「キャハッ。久しぶり〜。」
ナナは心底嬉しそうだ。
「部屋での会話、聞こえてたわ。」
リクが視線を逸らした。
「せっかく心配してあげたのに。やっぱり、カイって嫌なやつよね。」
リクは黙ったまま。
「本当嫌いだわ。」
リクがゆっくりナナを見た。
「あんた達が逃げた後、ナナとリリがどんな目にあったか。取り残された子どもがどうなったか。想像したことある?」
リクの目が、大きく見開いた。
ナナから笑顔が消えた。
リクの呼吸が、一瞬止まる。
「鞭で打たれ、食事を抜かれたのよ。」
「……」リクは黙ったまま、動けない。
「カイは分かった上で、ナナとリリにお願いしたの。黙っててって。」
リクは拳を強く握りしめる。
「そういうことが、出来ちゃうの。嫌な奴でしょ?」
ナナがリクに近寄る。
「なのに、セリナ様が気に入っちゃったの。悲しいわ。」
ナナはリクの顔を覗き込む。
前髪が風に靡いて、その瞳が顕になった。
凍てつくように冷ややかな目だ。
「リク。カイは守る価値のない奴よ。」
その目に一瞬怯んだリクだが、その言葉に力強く答えた。
「そうだ。カイは誰よりも、嫌な奴だ。」
ナナを押し退けて歩き出す。
「それでも、守ると決めたのは。俺だ。」
離れていくリクの足音を聞きながら、ナナはまた爪を噛んだ。
ガリッと音を立てて、爪が割れる。
その指から血が滴り落ちた。
あれだけ反発してたリクだが、私兵としてちゃんと修練を受け基礎を真面目に学んでいた。もともと体を動かすことが得意なリクは、武器の扱いにもすぐに慣れていった。
ミナも戸惑いながらも、侍女としての教育を受けていた。まだその言動に、幼さが残るミナに礼儀作法は難しい。
だがカイとリクの背を見て、ミナは着実に基礎を習得していった。
カイはその要領の良さから、礼儀作法も、侍従の仕事も、うまく適応してみせた。
もともとセリナの専属だったナナとリリは面白くない。
特にナナはもともとカイを嫌っていたために、より苛立っていた。
その行動は日に日に激しさを増していった。
はじめは食事の席のことだ。
「セリナ様は、女の身でありながら商会の次期後継者という立場にあるの〜。」
侍女たちがテーブルに食器をセッティングしている。
それを横目に続ける。
「男爵家は貴族の中でも、低い階級よ。それも女ともあれば、閉鎖的な社交界で受け入れられるはずもない。よく嫌がらせを受けるのよ。」
侍女たちは料理をテーブルに並べる。
「その対策よ。カイには今日から、毒味をして貰うわ。」
隣のリリは困惑しているのか。
カイとナナの顔を交互に見る。
「キャハハッ!セリナ様が口を付けるもの全てを、あんたが盾になって確認するの!」
ナナは不気味に笑う。
でも次の瞬間、ナナは固まった。
カイは穏やかに微笑んだからだ。
「分かった。」その言葉は何の迷いもない。
――強がってる?
ナナとリリの困惑を気にも留めず、近くの侍女に声をかける。
「毒見します。カトラリーを用意して貰えますか?」
侍女は目を白黒しながら、予備のカトラリーを差し出す。
カイはスープから一掬いして確認する。
「……あ、美味しい。」カイはまた一掬いして飲む。
――私、毒見だって言ったよね?なんで躊躇しないの。
その視線に気づいたカイが慌てる。
「済まない。つい……ちゃんと他も毒見はするから、安心してくれ。」
他の少しだけ口にし、全て確認を終えると侍女に使用したカトラリーを手渡した。
「すみません。調理場に戻るなら、ついでに下げて貰えませんか。」
侍女が無言で受け取り下がる。
そしてカイはナナの前に立った。
「問題ない。お嬢様を呼べば良いか?」
――なんで?
ナナはその疑問を飲み込んで「うん。呼んできて〜。」と軽く指示した。
カイは指示に従い、部屋を出る。
リリがゆっくりナナの腕に抱きつく。
そしてか細い声で問いかけた。
「……毒見なんてしたことないじゃない。」
ナナは反応しない。
「この屋敷、セリナ様が自ら雇用した者も多い。危険ない。セリナ様は外では、私たちが出した物以外口をつけない。……毒見役、いらない。」
リリはナナに寄りかかる。
「……リリ。それ、カイには内緒よ。」
ナナがゆっくりリリを見る。
「ナナはカイが嫌いなのぉ。だから、リリもカイを嫌いじゃないと。だぁめ。」
リリの肩が少し跳ねた。
「……リリも、カイ。嫌い。」
リリは小さく頷いた。
次の嫌がらせはカイに選ばせることにした。
セリナの付き人として、お茶会に踏み込む。
もしくは崩れかけた坑道の確認。
ナナの思惑はこうだ。
お茶会は付き人も立派な装飾品だ。しかも今回は商談も兼ねている。新商品を「お近づきの印に。」と参加者に配る予定だ。貴族であるセリナが荷を抱え、配るわけにもいかない。そのための付き添いだ。
カイは見目が良い。貴族たちから見せ物のように値踏みされるのは目に見えてる。
そして崩れかけの坑道に関しては、現場の監督が確認している筈だ。それに合わせ既に対応も講じ始めていることだろう。
でもセリナの性格上、自分の目で確認したがる。だから代わりに見ておいでって説明した。
ナナはその上でこう考えた。カイは見せ物になるより、自分の雇い主を守る選択をする。合理的に危険のある方を選び取る。
――さあ。どうする?
カイは説明を黙って聞いていた。眉一つ動かさず。
説明を聞き終えるとすぐ口を開いた。
「分かった。順番に片付けよう。お茶会はいつだ?そういう話なら、さっさと坑道を確認するべきだと思うが。お茶会の日は決まってるんだろう?」
カイは柔らかく微笑んだ。
――はぁ?はあ??コイツどっちもやるつもり?
ナナは短く答える。「八日後。」
カイは窓の外を見る。
「八日もあれば事足りるな。すぐ出る。」
カイはナナに視線を戻す。
「お嬢様には内緒なんだろ?俺が居ないこと、上手く誤魔化せよ。」
ナナは笑う。だがその顔はどこか固い。
「……無理しなくて良いのよ。」
ふっとカイが笑う。
「お前、俺が憎くないのか?」
その瞳はどこか悲しげだ。
「まあ、任せろ。なんとかなる。」軽い調子でカイはナナの横を通り過ぎていった。
足音が離れる。取り残されたナナは爪を噛みながら、その足を力強く床に叩きつけた。
何度も。
何度も。
何度も。
「……きっも。」
カイは宣言通り坑道へ行って戻ってきた。
坑道も自身で確認し、現在の対策案の妥当性を評価する。採掘が問題なく稼働出来ているのを確認すると戻ってきた。
ちゃんとお茶会の前に。
お茶会準備をするセリナは、カイが戻ったことを知ると喜んで部屋に通した。
ドレスの調整をしているセリナの姿に一瞬たじろぐカイだった。
だがすぐ平静を取り戻し、淡々と事後報告を行いお茶会の付き添いを打診した。
セリナは目を丸くしたが、お茶会に付き添うと言われ顔を綻ばせた。
「黒曜くん、来てくれるの?嬉しいわ!」
その様子を観察するカイは目を細めた。
きっと坑道の件も、お茶会もナナの独断であることを察していたのだ。そして今のセリナの反応とやり取りで確信したのだろう。
セリナは侍女たちの手を払って、カイの前に移動する。その顔に手を伸ばし頬を撫でる。
「ああ、ほんと可愛い。」
カイはセリナから顔を逸らした。
その手から離れるように。
――嫌い。ほんと嫌い。なんでセリナ様までコイツに構うのよ?
お茶会に付き添ったカイは、屋敷に戻ると疲れを滲ませていた。
セリナは上機嫌で屋敷に入っていく。
カイは屋敷の前で立ち止まり、大きくため息をついた。
余裕綽々とした、いつものカイはそこにない。
ナナはその口を歪ませる。
笑いが込み上げる。
「キャハハハ!どうしたの〜?疲れちゃった?」
高笑いするナナに、カイは無表情だ。
「……満足?」
ナナが固まる。
その声には、怒りも哀れみも何の感情も篭ってなかったからだ。
――何言ってんの?コイツ。
カイはひどく落ち着いた声で続ける。
「ナナ。……ああ、リリもだな。」
カイは自分の首を撫でる。
「全てだ。俺はお前たちのお願いなら、なんでも聞く。」
その言葉にナナはカイの視線を見て気づいてしまった。その目はナナを見てるようで――何も見ていなかった。
――何を見てる?
ナナは固まったまま。
「なんでも聞いてやる。」
ナナを放置して、カイは屋敷に向かって歩き出す。
「これからも遠慮しなくて良い。」
――何を考えてるの?
屋敷の扉が閉まる。
取り残されたナナは混乱していた。
「……ほんとなんなの?」
ナナは唇を噛んだ。地面に血が落ちる。
立ち尽くすその背中はちいさかった。
カイは屋敷の中へ入って、すぐ足を止めた。
その瞳には灰青髪の少年が映っていた。
コチラを睨む少年は、すぐその輪郭を歪め消えた。
カイはゆっくり歩き出す。
ナナを探しているのだろうか。前方からリリがオドオドしながら歩いてくる。
キョロキョロと視線を動かし、忙しない。
「ナナなら表に出てるぞ。」
カイの言葉に、リリは「……ありがと。」と小さく感謝し駆け出した。
リリは扉の外に出る。
その扉が閉まるのを眺めながらカイが呟く。
「まだ……生きてる。」
カイはふっと笑って踵を返す。
「償い……か。今更だな。」
小さく笑いだす。
「……ほんと笑える。」




