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五つ目の寝台

その日は日の出も待たずに騒がしかった。


 「早くしなさい!」

 苛立ちのこもった女の声が部屋に響く。その部屋は天井が低く薄暗い。


 少年は声に従いボロボロの靴を履き立ち上がる。


 それを確認する女は籠を抱えていた。

 女は乱暴に少年の手を掴み、籠を抱えながら扉のノブに手をかける。ギィーと鈍い音がして扉が開く。


 外はまだ肌寒く少年は軽く身震いした。

「カイ!あなたもいい加減、自分のことは自分でしてくれないと!」

 引っ張られる手。カイは抗いもせず引きずられるように歩く。

 後ろを見る。

 さっきまで居た二階建ての古びた建物が目に入る。石と木でできた簡素な家だ。


「……母さん。手を離して。」

 

「自分で歩くよ。ちゃんと急ぐから。」


 母はカイを見ない。そして歩みも止めない。


「あんたの足に合わせてたら、仕事に間に合わないわ。」


 母は裁縫の仕事をしている。なんのツテもなく、死に物狂いで手にした仕事だ。気持ちは分かる。

 

「それより道を覚えなさい!明日からは自分で行って帰れるようにしてくれないと!」


 大通りに出る頃には日が顔を覗かせ始めた。

 ここまで来ると人通りも多い。


 平民の朝は早いのだ。


 街道を渡った先で、母の歩みが少し遅くなる。


 目の前には石造りの建物とそこに群がる人々。木の看板には、丸の中にバッテンがある絵が彫られている。


「……パン屋?」

 カイは小首を傾げる。


 母は一息吐いて大きく吸った。カイはその様子を不思議そうに見つめる。

 「行くよ!」また強く手を引かれる。


 母は群衆の中を掻き分けるように進む。


 小さなカイは人の波に呑まれかける。店の中は特に怒号が飛び交って騒がしかった。

 次から次へと男の尻が、女の足が、ぶつかってカイは顔を顰める。

 だがこの群衆と喧騒の中、この手を離したら終わると本能が告げた。

 その恐怖に必死にその手を握り、前へ進む。


 母が止まった。カウンターまで来たのだ。

「2つおくれ!」


 注文しているようだ。カイは母にしがみついて一息つく。パンさえ受け取ればここから出られるのだ。


 カイは母に体を預けながら、カウンターが見えるように身を乗り出す。


 母は上着の仕込み袋に手を入れ、無造作にそれをカウンターに置いた。

 銅貨だ。それも一枚。


 それを売り子が受け取って、手拭いでパンを掴んで見せる。手慣れた手つきだ。

「ほら!焼き立て2つね!」


 それをサッと掴み、持ってた籠に入れる。


 母は踵を返す。今来た道を戻るように。カイは必死にその手を握り歩く。

 人の波に攫われないように。


 パン屋を出る。

 カイは大きく息を吐いた。


 母は歩きながらカイに向かって話す。

「明日からここまで1人で来て、パンを買いなさい。」

 

「朝のうちに来ないとなくなるからね。ここのパンは味は悪いが、銅貨1枚で2個買える。」


 カイはそれを真剣な眼差しで聞く。

――銅貨1枚でパンが2個。


「お父さんと一緒に食べるからね。お母さんはお父さんとわけるから、必ず2個買いなさい。他にも買い出ししたり、食事の用意も少しずつ覚えてもらうからね。」


「……分かったよ。」カイは俯きながらこたえる。


 母は街道を渡ろうと一歩前に出ようとして止まった。


 その後は一瞬だった。


 カイの手を離し、振り向きざまに抱きしめる。

 カイは驚いて目を見開く。


 横から黒い馬車が目の前を滑るように通り過ぎた。紋章が刻まれているのがチラリと見えた。


 蹄の音と軋む車輪の音が遠のいても尚、跳ねる心臓にカイは身動きできずにいた。


「……はぁ。」母はため息混じりにカイを離す。


「驚いたでしょう?」優しい声音だ。


 カイはゆっくり頷く。


「この通りはよく貴族の馬車が通るのよ。気をつけなさい。」


 母は籠を抱えながら、自分の薄い腹をさする。


「平民を轢こうが、お貴族様からしたら大したことじゃないのよ。だからこっちが道を渡ろうとしてても関係ないの。」


 母はさすりながらカイを見る。


「あなたはお兄ちゃんになるんだから。ボーッとしてないで、シャンとしなさい。外は危険よ。」


 母はゆっくり立ち上がる。


「不満はあるかも知れないけど。父さんも、母さんも。余裕はないわ。」


 カイはふと母の服を見る。麻でできた服は継ぎ当てが施され、燻んだ色をしていた。


 カイは静かに頷く。


「分かってる。できるよ……母さん。」


 黒髪の隙間から見える茶色い瞳が細く弧を描く。


「大丈夫。」



 


 そうしてカイは忙しい父と母に代わり、買い出しや食事の用意を手伝うようになった。


 はじめは難しいこともあったが、要領が良いカイは幼い割によく動けた。


 その日も釜戸に火を焚き、鍋のスープを温めていた。


 カイは鍋をおたまでかき混ぜながら、部屋の小窓を見る。


 外は薄暗く日が陰り始めている。


 そろそろ母と父が帰る頃だ。


 カイは徐におたまを持ち上げ、ふぅーと数度息を吹きかける。


 ゆっくりと口をつけた。


 根菜で煮込んだスープだ。

「……薄い。」


 一通りできるようになってはきたが、料理の腕はどうも身につかない。


 カイは小首を傾げつつ考える。


――塩気が足りない?何が足りない?干し肉でも入れるか?


「いや干し肉なんて勝手に入れたら怒られるな。」


 平民にとって肉は贅沢だ。


「あとは母さんに任せよう。」


 またおたまで鍋を回す。


 その様子をじっと見つめていた。


「……遅いな。」


 部屋には静寂が流れていた。


 それを切り裂くように、家の戸が二度鳴った。


 カイの肩がビクッと跳ねた。


 ノックだ。


 家の戸の方を見やる。


 再び三度その戸が鳴る。


 ゆっくりカイはおたまを置いて、戸に近づく。


 跳ねる心臓を落ち着けるように、一呼吸置いて戸を少し開ける。


 ギィーと鈍い音が鳴る。いつもの音だが今日はどこか不穏だ。


 戸が半分開いた状態で、外を確認する。


 目の前には革鎧を纏った男が二人。肩の部分には何か模様が施されているようだ。腰に剣を差している。

――貴族の私兵だ。


 それを確認してカイは、再び戸を動かした。


「……何のご用でしょう?」


 私兵の一人が一歩前に出る。


「小僧。1人か?」


 カイは小首を傾げる。


「……ええ。今は。でもそろそろ両親が帰る頃です。」


 私兵が顔を見合わせる。


「両親は帰らん。」


 カイは目を見開く。「えっ……」


「面倒なことをしてくれた。貴族の馬車が来たらすぐ道を譲るのが常識だ。」


 カイはふと母の腹を思い出す。

 日増しに大きくなるお腹を、支えるようにして歩く母の姿。そして走る馬車。


 カイの頭で嫌な光景が浮かぶ。


「……母ですか?父は?どうして?」


「女を守るために駆け寄って一緒に轢かれたよ。」


 私兵は残酷に事実を告げる。


 カイは俯く。

 

 私兵は続ける。


「今回の件で馬車がダメになってな。この家を差し押さえることとなった。……お前は。」


 私兵がまた顔を見合わせる。

 もう一人の私兵がはじめて口を開いた。


「孤児院にでもやるしかないだろ?」


 そしてカイに向かって低く諭すように告げる。


「相手は貴族様だ。……小僧。馬鹿なことは考えるなよ。」


 私兵がカイを押し退け中へ入る。


 火がくべられた釜を見る。近くにあった水の入った桶を掴み、火を消した。


 戻ってきた私兵がカイの肩を掴む。


 カイは息を呑んだ。


「とりあえず近くの孤児院までは付き合ってやろう。」


「大丈夫だ。お前みたいのは幾らでもいる。」


 私兵たちが歩き始める。カイは黙って従う他なかった。



 


 連れてこられたのは教会だった。

 私兵の手は尚もカイの肩を掴んでいる。


 花はない。木が一本あるだけの殺風景な庭には、子どもたちの姿があった。


 集まって地面に座る子たちも居れば、教会の壁にもたれるように佇む子も。

 皆一様に虚な目をしてこちらを見つめる。


 カイは子どもたちの服を見る。自分のように継ぎはぎだらけだが、どこか違う。


――自分たちで縫っているのか。


 裁縫仕事をする母の縫った自分の服とは違う。


 子どもたちの服は縫い目がほつれてたり、継ぎ足した布が寄れていたりしてボロボロだ。


 観察をしてると鋭い視線が刺さる。


――見られてる。


 視線の先は木の上だった。


 ちょうど雲の切れ間から夕陽が差し込む。


 カイは目を細めながら視線の主を探す。


 こちらを見下ろす同じ年くらいの少年と視線が交わる。


 少年の暗い髪は日に照らされると赤みを帯びた。


 銅色の芯のある髪だ。


 少年の黒い目はあまりに鋭く、カイは右手で首に触れながら、視線を逸らした。


 教会の方を見ると壁にもたれた少年が中へ入っていく。


 一人の私兵が口を開く。


「ここあまり良い話を聞かないが……」


 カイの肩を持つ手が僅かに動いた。


「何を言う。ここの牧師様は迷惑な孤児を受け入れてくれるんだぞ。ありがたい聖職者様さ。」


 頭の上から声が落ちる。


「坊主。よかったな。これで大丈夫だ。」


 私兵が笑う。


 もう一人の私兵は戸惑っているようだ。


――最悪だ。


 カイはその小さな拳を強く握った。


 教会の戸が開く。

 先ほど中へ入った子供の後に続いて、恰幅が良い中年の男が出てきた。


 男は太陽の刺繍のある法衣を纏っていた。


――牧師?

 

 金糸で縫われた太陽を見た時、ふとカイは昔のことを思い出した。



 

 手を伸ばすと届きそうで、届かない天井を見ていた。


 体には薄い布がかかっている。カイを挟むように寝転ぶ母と父。三人でその布を分け合うのはいつもの夜の光景だ。


 ふと父がカイを見つめながら呟いた。


「カイは、お母さん似だな。」


 カイは父の方に顔を向けて「そうなの?」と尋ねる。


「そうだ。墨のように黒い髪がそっくりだ。」


 父は頷きながら語る。


「あら。目はお父さん似よ。」と母がカイの頭を撫でながら続ける。


「カイの瞳はね。明るいところでは蜜のように淡く透けるのよ。その茶色い瞳はお父さん譲りね。お母さん好きよ。」


「ふーん。」


「カイはお父さんみたいにいい男になるわ。」と語る母はどこか誇らしげだ。

 

「何で分かるの?」

 

 カイは小首を傾げる。

 その瞬間を待ってたように母の指がカイの頬に当たる。


「カイは可愛い泣きぼくろがあるじゃない。私とお父さん譲りのその目と髪で泣きぼくろよ?いい男になるわ。」


 カイは黙って自分の首を触る。


「でも心配だ。見目が良いと碌なことがない。」


 父の声はいつになく真剣だった。


「カイ。自分に近寄る人間をよく見なさい。」


――身なりはその人間の人となりが良く出る――

 


 次の瞬間バシッと肩に衝撃が走った。


 カイは目を見開く。


 気づけば法衣の男は目の前に立っていた。


「おい坊主!呆けてないで挨拶したらどうだ?」


 私兵の言葉に「すみません。」と返す。


 私兵たちは呆れるようにカイを見やり、牧師に軽く礼をとる。

「じゃああとはお願いします。」


「えぇ。えぇ、もちろんだとも。」


 笑顔な牧師の指には、大きな石のついた指輪がはめられていた。袖から垣間見える腕輪も下品に輝いている。


 カイはその腕輪から視線を外すことができなかった。

 

――身なりはその人間の人となりが良く出る――


 父の言葉が頭の中で反芻される。


 私兵の足音が遠のく。

 先程まで重く感じていた肩が、今では恋しく感じる。


 右手に力が入る。息が苦しい。

 でも首に触れる手は離せなかった。


「お名前は?」


 牧師が屈むようにして顔を覗き込む。


「……カイ…です。」


「そうか。ではカイ。これからはこの教会が君の家だ。」


 牧師が微笑む。


「良いかい?」


 その目を見て息を呑む。


――笑ってない。


「……はい分かりました。」




 教会の庭に響くように牧師が手を叩く。


「ほら。お前たち、もう中へお入り。」


 その声を聞いた子どもたちは、足早に中へ入っていった。いつの間に木の上から降りたのだろうか。


 中へ入る子どもたちの中に、銅色の髪がちらりと見えた。


「さぁカイ。お前も中へ。」


 中へ入ると木の床が音を立てて軋んだ。


「このまま真っ直ぐ行くと本堂がある。」


 前を向くと本堂から修道服に身を包んだ女が一人こちらに歩いて来ていた。


 女の袖の隙間から、牧師と揃いの腕輪がチラリと見えた。

 

「あぁ君。あとは任せるよ。」と牧師がカイの背を押す。


 その反動で体が前のめりに揺らぐ。


 倒れないように足で踏ん張る。


「え〜このガキを?」

 気怠げな女の姿に、

 本当に修道女かと問いたくなるのをカイは堪えた。


 次の瞬間女の手がカイの腕を掴む。


 爪が腕に食い込む。カイは顔を顰めた。


「さっさとしな。」


 女に引っ張られながら本堂を横切り、奥の建物へ移動する。


「右。ここ食堂。」


 廊下を通りながら、女は部屋の前を通るたびそこが何の部屋か告げる。


「左側の2つある扉はガキどもの寝床だ。お前は奥の方の扉だよ。」


 左奥の扉に向かって女は歩く。カイを引きずるように。


「向かいの扉は牧師様の部屋だから。」


「勝手に入るんじゃないよ。」


 扉の前に立つと乱暴に扉を開け、中にカイを放り込む。

 カイは足を縺れさせながら床に転がる。


「ここがお前の部屋よ。せいぜい仲良くやんな。」


 扉が閉まる音と、女の低い声が不快に響いた。


 カイはゆったりと立ち上がる。


 見ると小さな部屋には粗末な寝台が四つ並んでいた。


 どうやら四人部屋のようだ。


 奥の一つの上に体の小さな少女が二人肩を寄せて座っている。壁に寄りかかる背の高い灰青髪の少年もいる。


 その二つ隣の寝台に寝転がる少年の姿には見覚えがあった。


――木の上の……。


「おい。」


 横から声をかけられ、カイは驚く。

 見るとさっきまで壁に寄りかかっていた少年が、横に立ってカイを見下ろしていた。


 癖のある灰青髪が触れそうなほど顔が近寄る。


「……何かな?」


 カイは拳を握りしめる。


「脱げ。」


「は?」思わず素っ頓狂な声を上げる。


 だが構わず少年は続ける。


「脱げ。」


 戸惑うカイに向かって、少年が手を振り上げる。


 ギシッと寝台が軋む音が響いた。


 でも少年は何も気にせず振り下ろす。だが振り下ろされる前に、別の手がその手を掴み止めた。


 それはほんの一瞬の出来事だった。


 止めたのはあの銅色の髪の少年だった。


「何しやがる。リク。」


 静止されたことに苛立ちが隠せないのか、少年の声は低く重い。


「……やめろ。」

 

 短い。リクと呼ばれた少年は、無表情のまま。

 手を掴んだまま離さない。


 リクのその言葉、表情、態度全てが気に入らないのか。

 少年は歯軋りしながら睨みつける。


 今にも喧嘩になりそうな雰囲気に、カイは耐えられなかった。


「……待って。」


「えっと?脱げばいいんだよな?」


 予想外だったのだろう。リクはカイを見て固まる。

 リクの力が抜けたのを見計らって、少年はその手を振り解く。


「さっさとしろ。」


 カイは麻布のチュニックをゆっくり脱いで床に放る。


「ほら。これで良いだろ?」


 カイは細い上半身を晒しながらも、腰に手を当て堂々と立つ。先程までの動揺は嘘のように。


 少年は自分のボロボロのチュニックを脱いで、カイの足元に投げつける。

 脱がされた理由も分からないのに、今度は自分の服を投げつけられてカイは眉を顰めた。


 少年はカイのチュニックを手に取り、頭から被って袖に腕を通し着る。カイのチュニックは少し小さいようだが、少年は気にも留めない。


「それ、やる。」


 そう言って奥から二つ目の寝台に寝転がる。


 カイは仕方なく少年のチュニックを着ることにする。

 チュニックは嫌な匂いがこびりついていた。しかもカイには大きく、ボロボロの縫い目が気になって顔を顰める。


「……取り返す。」


 その声にカイが顔を上げる。リクだ。


「いや、良い。あまり騒ぎを起こしたくないんだ。」


 リクは不愉快そうに目を細めた。

 

――目つき悪いやつだな。


 カイは扉に近い寝台を見て問う。


「アレ。使って良いのか?ここ4人部屋だろ?」


「なのに俺が入ると5人になる。足りないだろ?」


 リクは黙って聞いている。


「奥のあの子ら2人で1つ使うなら、それ使わせて欲しいんだが……」


――コイツ聞いてんのか?


「……使え。」


 それだけ言ってリクは自分の寝台に向かって歩く。


「あいつら、いつも2人で寝る。」


 寝台にあがると薄い布を体に巻き付け寝転がった。


 カイはそれに習うように余った寝台に寝転がる。

 


 視界が滲む。だが声は出さない。


――きっとこの埃とカビの匂いのせいだ。きっとそうだ。

 


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