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遥かなる恋人に  作者: Ono


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21/22

業務効率向上

 光曜日の午前七時。悠々と目覚めてミリアと一緒に朝食をとっておしゃべり、中庭で聖女の舞を執り行って体をほぐす。なんて健康的な朝。

 近衛騎士団の面々のトレーニング風景を眺めてちょっと休憩したら、メイドさんたちと挨拶を交わしながら散歩がてら城の回廊を歩く。

 今日は厨房に顔を出してクララにチョコレート入りのアイスクリームを分けてもらい、職場に向かって食べながら歩いたって誰にも怒られたりしない。


 暦の違いで気づかないうちに二十四歳の誕生日は過ぎていた。私はこのエルハーフェン王国で慣れ親しんだ一日の始まりを迎える。

 豊かな生活とやりがいのある仕事に支えられ、これが今の私の充実した人生だった。


「おはようございます、殿下」

「ああ、おはよう。マリ」

 以前は入室するたびに「遭難救助隊を呼びましょうか?」と思ってしまうほど書類という名の混沌の海で溺れていたディートリヒだけれど、ここ最近は彼のデスクの上に秩序というものが生まれていた。

 整然と積まれた決裁箱、彼の手元には今日すぐにでも処理すべき急ぎの重要案件だけが置かれている。

 窓から差し込む陽射しが黄金の髪を煌めかせ、そこには公務に追われるワーカホリックではなく、彼本来の優雅な王太子としての姿があった。


「いい感じに片づいてますね。デスクも仕事も」

「ああ。順調すぎて怖いくらいだ。午前中には今日の予定分が終わってしまう」

「いいことじゃないですか」

 私の業務改善の賜物だろうとどや顔で胸を張ったら、ディートリヒは苦笑しながらも頷いた。

「君が考案した『陳情書定型化計画』のおかげだ。改めて礼を言う」

 あ、そうやって上司から素直に褒められると普通に恥ずかしい。日本人に対して褒めすぎないでください。


 かつてディートリヒのもとに持ち込まれていた書類とは、中央地方問わず領地を持つ貴族に官吏、商店や各ギルド、時に小さな村からも無限に届く膨大な陳情と報告の数々だった。

 もちろん書記官によって最低限の分類はされていたけれど、最終的な裁決をくだせるのは国王あるいは王太子だけ。統治者としてすべてに必ず目を通す必要があった。

 そしてそれらの書類は伝統と格式を重んじるあまり、時候の挨拶だけで紙面の半分を使い、遠回しかつ過多な修辞によって本題がどこにあるのか一読では分からない暗号のような代物がほとんどだったのだ。

 エルハーフェン王家よりも歴史ある旧家の老貴族の手紙などは顕著だ。

 麗しき月の光が湖面に映るが如く、殿下の御心が遍く領土を照らさんことを願いつつ、此度は我が領地の北端に位置する森の古木が風に揺れる様を憂い……。

 要約すれば「台風で木が倒れて橋が壊れたから修理費を用立ててください」で終わる話を、彼らは十枚の壮大な叙事詩にして綴ってくる。結論に辿り着くまでに麗しき月が空を一周してしまう。

 彼らが有力貴族ゆえに、書記官たちもその書面を勝手に要約して殿下に上げることはできずにいた。


 不本意ながら王太子妃となり、ディートリヒほどではないにせよ書類の渦に飲まれることとなった私が真っ先に導入したのが「テンプレート」である。

 それが要望なのか報告なのかで様式を分け、さらに送り主の地位や役職によって書式を変える。

 まずはタイトルに用件を。書類作成者の姓名と執筆した日付の記入。問題が発生している場所を明記。必要としている予算と内訳を記載。期限をいつまでとするのか。返信の宛先は誰か。

 すべて指定された枠内に簡潔に記入させる方式に変えたのだ。


 導入当初、一部の貴族は若干の反発を見せた。彼らは伝統的な長い修飾を用いた手紙を好み、味気ないテンプレ書類を王家に送るのは無礼に感じたのだろう。

 まあ、想定内だ。たとえ客観的に見て明らかに効率が改善されていたとしても、慣れるまでは前の仕様のほうが便利だったように感じるのが人間だ。

 しかし聖女である私が提示した改善案ならば、この世界における誰しもが渋々とでも従わざるを得ないのだ。

 王族だとか上司だとかそんな次元ではなく、現実として聖女の存在が人々の生命線そのものになっているのだから。絶対的な権力を、この私が握っている。


 それでも若い貴族や実務官僚たちからは概ね好評だった。彼らは返信の速さと確実性を実感してくれている。

 必要事項だけをまっすぐに伝えることで情報の吸い上げ効率が格段に上昇したのである。

 これまで「偉い人に手紙を書くための行儀作法」という高いハードルに阻まれて報告できなかった小さな問題も、フォーマットさえ埋めれば提出できるようになった。

 結果として国の統治機能がじわじわと改善され、ディートリヒの実務負担も削減されたというわけだ。

 地方の領主たちが次の世代に移る頃にはもっと効率的になっているだろう。


「夜会や茶会の招待状もテンプレ化しちゃおっかなー。参加の可否だけ返せばいいようになったら楽だし」

 何かの前祝いか、令嬢のデビュタントか、他国からも客を招くのか、個人的なランチのお誘いなのか、最初に分かれば返信も速くなる。

 しかしうきうきでデスクに向かう私にかけられたディートリヒの一言で私の手は止まった。

「そこを効率化すれば、さらに君への招待状が増えることになりそうだが」

「やめましょう。いや、いっそ数ヵ月も頭を悩ませて書き上げた壮大な詩を添えなければ招待できないことにしましょう」

「君が招待状を出さねばならない時も?」

「……今のままでいいや」


 ソフィアにもらった万年筆を握る。私が先日作った返信テンプレを自動で綴る簡易印字機型の万年筆だ。

 私がやるべきことは魔法研究室で魔力入りのインクをもらって、その残量を監視しながら空白になっている宛先の差分を埋めるだけ。陳情書の処理よりは楽な作業だった。

 でも聖女にして王太子妃という訴求力が高すぎる肩書きのせいで、その楽な作業の枚数が馬鹿みたいに多いのだ。

 思えば私がこの世界にきて最初の失敗は、図書室に足を踏み入れたあの瞬間に始まっていたのかもしれない。

 素直に「異世界人なので字が読めません、そして書けません」というふりをしていればよかった。そうしたらこんな手紙の山に悩まされることはなかっただろう。


 どちらかと言えば、適度に頭を使うことができるディートリヒの手伝いのほうが楽しかった。

 彼の執務机から重要度の低い案件を勝手に取り出し、王太子妃のサインでも処理できる報告書を片づけていく。処理済みの箱へと移そうとした書類束の一番下に、ひっそりと、しかし確かな存在感を放つ封筒があった。

 おかしい。これは重要案件のはず。ここに入っていてはいけないものだ。オルデンブルク伯爵家の紋章が刻印された封蝋。

 その中身は貴族が婚姻の許可を求める公文書のテンプレに則っていた。

「ああ、ついにきたか」

 思わずディートリヒを見る。王太子殿下の目が死んでいる。


 平然と万年筆を走らせているようでいて、オートマティックに手が仕事をこなしているだけ。心ここにあらずだ。

「殿下」

「……なんだ」

「これ、わざと一番下に入れましたね?」

 上質な紙に華麗な装飾が施された封筒を指し示すと、ディートリヒは「何のことですか」と言わんばかりにそっぽを向いた。


 貴族の結婚には王家の承認が必須だ。それは王国の権力構造を一気に書き換え得る。

 ましてやエリーゼは王太子の元婚約者、フェリクスは平民出身とはいえ近衛騎士団に属している身。個人の感情を差し置いても国家として最重要案件だった。

「往生際が悪いですよ、殿下」

「分かっている。分かっているが……手が、動かんのだ」

 そう言いながらディートリヒの手は書類を捌き続けている。これが本当の仕事人間というものか……。


「君がサインしてくれ、マリ」

「あなた王太子でしょうが」

「代筆を許可する。君のエリーゼへの友情を信じる」

「だ、め、で、す! 自分でしなさい。エリーゼのために」

「くっ……」

「ほら、ここ。ちゃちゃっと名前を書くだけですよ」

「……鬼か、君は」

「聖女です」

 今は迷える子羊を導いているところです。


 ディートリヒは死刑執行書にサインする囚人のような顔で許可証を見つめている。

 領地と財産の分配、王家への忠誠の継続、住居の変更。必要事項が簡潔かつ明瞭に記載されているけれど、重要なのは最後の署名だけだった。

 やや控えめで上品なエリーゼ・フォン・オルデンブルクの名。

 その下で彼女を支えるように力強いフェリクス・ノーランドの名。

 ディートリヒにとって、それは愛する女性が永遠に他人のものになるという確定申告なのだ。

 誰よりも彼女の結婚を望んでいたくせに、誰よりも彼女の結婚を悲しんでいる。ストーカーは大変だなあ。


 震える手で万年筆を握り直し、彼は深呼吸をする。

「エリーゼが望んだことだ」

「はい」

「エリーゼは幸せになる」

「そうそう」

「ノーランドは優良物件だ」

「言い方。まあそうですね」

 特にエリーゼにとってはこの上なく最適な相手。どこの馬の骨とも分からない変な男につかまる前にフェリクスと結婚してくれたら、むしろ安心と言えるだろう。


 自傷行為じみた確認作業を経てディートリヒはゆっくりとペン先を紙につける。

 万年筆を握る指先が力の入れすぎで真っ白に染まっているのに、それを少しも感じさせない優雅な文字で「ディートリヒ・ギュンター・フォン・エルハーフェン」の名が刻まれた。

「……終わった」

「はい、お疲れさん」

 さっと書類を取り上げて処理済みの箱に放り込む。まだ伯爵から届いた結婚式についての相談が残っているけれど、その返信業務くらいは王太子妃パートナーとして私が代わってあげるとしましょうか。

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