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遥かなる恋人に  作者: Ono


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20/22

現実的愛情

 水曜日みずようびの午後、早速エリーゼを誘って街へ繰り出すことになった。

 今回も当然ながらフェリクス・ノーランドが護衛としてついている。彼はいつの間にやら近衛騎士団副団長に出世していた。

 普段の勤務態度が評価されたのはもとより、聖女の舞(元ラジオ体操)の改善によって騎士団全体の能力が底上げされたことが決め手となったらしい。

「本日はよろしくお願いいたします、妃殿下、エリーゼ様」

「こちらこそ、フェリクス。副団長おめでとう」

「ありがとうございます。給金も上がりましたので、モチベーションは最高潮ですよ」

 真新しいマントを翻してフェリクスは爽やかに笑う。出世欲と金銭欲を隠しもしない態度がもはや清々しい。


「マリ。どこへ参りましょうか?」

 そしてエリーゼは今日も今日とて愛らしい。ピンクブロンドに淡い黄色のドレスが映えてまるで春の妖精さんだ。ディートリヒが見たら昇天していたかもしれない。

「市場のほうにできたカフェとかどうかな。ケーキがおいしいってミリアが教えてくれたんだ」

「まあ! それは楽しみですわ!」

 青い瞳を期待に輝かせるエリーゼを、フェリクスが微笑ましそうに見守っている。その背後には……誰もいない。


「今日は“ヘンリー”はこないんだね」

 小声でフェリクスに尋ねると、彼は苦笑して肩を竦めた。

「公務がお忙しいようです。それに、もう変装してまでついてくる必要はないと……いえ、そう言い聞かせられるようになったとご判断されたのでしょう」

「そのために結婚って既成事実を作ったんだもんね」

 もちろんどこかに密偵は潜んでいるのだろうけれど、情報を把握しておくのは王太子として当然のこと。エリーゼを特別に監視するのではなく、私やフェリクスとまとめて「職務の内」として扱えるようになっただけでも大進歩だ。


 今頃きっと執務室で悔しさに歯噛みしているであろうことはさておいて。


 街は今日も活気に満ちている。

 結婚式のおかげで私の顔が割れ、たまに気づいた市民から声をかけられるけれど、フェリクスがうまく誘導してくれるのでパニックにならずに済んでいた。

 それでも美化されすぎて誰だか分からなくなった王太子妃の肖像画を見かけた時には、思わず「ぎえぇ」と聖女らしからぬ声をあげてしまった。


 市場には、以前訪れた時よりもさらに人が増えている気がした。複雑に絡み合う人の流れから私たちを庇うようにフェリクスが先導してくれる。

 すれ違う男性たちがエリーゼの美貌に見惚れて足を止めるけれど、フェリクスの鉄壁に阻まれてナンパもできずに退散していった。

 エリーゼ本人は、自分が守られていることにも、注目されていることにも気づいていない。

 それで報われないと落ち込むでもなく平然としているのが、愛よりも金に一途なフェリクスの強みだった。


 今日の私はお小遣いの銀貨ではなく、商店に渡す取引契約書を持っている。ドレスの布地を買うためだ。

 私の胴体は一つしかないというのに聖女兼王太子妃のドレスは次から次へと新たなものが作られる。そして結婚式で痛感したこと、王宮で貴人が纏うドレスは、重いのだ!

 やたらめったらドレスを作って市場経済を回すことに異存はない。でもせめて、軽い布を使ってほしい!

 というわけで色とりどりの布地を扱う露店を覗く。目を引いたのはペールグリーンに染められた高級シルクだった。

 サテンほど光沢がなくて主張せず、何より風の魔法が織り込まれているようでめちゃくちゃ軽い。ただし目玉が飛び出そうなほど高い。これでドレスを作るとしたら小型金貨が何枚必要になるのだろう。

「こんなものを露店で売っていいんですか……」

「聖女様、うちの売りは魔法織物なんでね! この屋根が雨風も陽射しも通さないんで、布が傷まないんですよ!」

「いい広告戦略。買った!」

「毎度ありー!」

 でもやっぱり高級ファブリックがバナナみたいに叩き売りされている光景はちょっと不思議だった。


 別の露店を覗いていたエリーゼが、余った布地で作ったらしいクリームイエローのリボンを熱心に眺めている。すかさずフェリクスが店主に銀貨を渡してお買い上げだ。

「可憐で上品、エリーゼ様の今日のお召し物にもよくお似合いになりそうです」

「ま、まあ、フェリクス様! わたくし、少し子供っぽいかしらと思って……」

「貴女がつけてくだされば、女神も恥じらう優雅な美しさとなりますよ」

「……フェリクス様ったら」

 エリーゼは頬を染め、彼女の許可を得てフェリクスが器用に髪にリボンを飾る。


 甘い。口から砂糖が出てきそうだ。まるで新婚夫婦のようなやり取り。

「……ほんと、よくお似合いになりそう」

「フェリクス様も順調のようですな」

 感心しきりの店主にこっそり聞いてみる。

「もしかしてあの二人、前にも一緒にきてたことある?」

「ええ。市場でよくお見かけします。おめでたいことが続きそうで、嬉しい限りですよ」

 オルデンブルク家の御令嬢と近衛騎士団副団長の結婚式なんかがあればそりゃあ高級シルクやベルベットが飛ぶように売れることでしょう。

 民衆公認。外堀は埋まりすぎている。


 ミリアに勧められたカフェでケーキを堪能しながら、甘さでふにゃふにゃのエリーゼを見ていてうっかり言葉が零れる。

「エリーゼはまだ結婚しないの?」

 親戚の口うるさいおばちゃんみたいな聞き方になってしまった。我ながら鬱陶しすぎる。でもエリーゼが気にしていない様子でよかった。

 ディートリヒが身を引いて、というか表向き彼女を捨てて私と正式に結婚した今、エリーゼは完全にフリー。いつでも次にいけるはずだけれど。


「そうですわね……お父様は早く結婚してほしそうです。わたくしも、オルデンブルクの娘として義務を果たさなければとは思うのですけれど」

「けど?」

「……すぐに新たな相手を探すのは、なんだかディートリヒ様に不実な気がしてしまいますわ……」

「ふーん。そっちなんだ」

 ディートリヒは「君は王太子妃に向かない」という真実を隠し、「私が聖女に一目惚れしたのだ」という嘘でエリーゼとの婚約を破棄した。つまりエリーゼにとっては資質の問題ではなく痴情のもつれで捨てられたことになっている。

 だからこそ、彼女の中にある誠実さが邪魔をするのだ。すぐに後任と話をまとめるのは長年の婚約期間を軽んじているようで申し訳ない。どこまでも善意だけに基づいた躊躇い。


 ディートリヒとしては、さっさと幸せになって(とどめを刺して)ほしいと思っているだろうけれど。

 でも、エリーゼが「伯爵家令嬢」としての義務ではなく、自分の「愛する気持ち」を優先して立ち止まっているのは、決して悪いことではない気がした。

「わたくし、もう少しだけ自分の心と向き合ってみたいのです。ディートリヒ様にも、わたくしの夫となる方にも、失礼のないように」

「いいと思うよ。ゆっくり考えて」

 あの一途な純情ストーカーはどう足掻いてもエリーゼの幸せしか考えていないのだから、勝手にやきもきさせておけばいい。


 そして隣で聞いていたフェリクスも、言葉には出さないけれど「いつまででも待つ」と瞳が語っていた。

 彼は急かさない。金の源泉であるエリーゼの気持ちが整う時をじっくりと待っている。

 投資と同じだ。焦って売買すれば損をする。最高のタイミングを待つ忍耐力が、彼にはあった。


 翌朝の風曜日。聖女の舞を終えて中庭のベンチで汗を拭いていると、列から離れたフェリクスが声をかけてきた。

「おはようございます、マリ殿。日に日にキレがよくなっていますね」

「どうも。なんやかんやフェリクスのアレンジでスクワットまでさせられてるもんね……」

 最近は明らかに足腰が疲れにくくなっている。前の世界では生涯のパートナーになるかと思っていた肩凝りと偏頭痛もきれいさっぱりいなくなっていた。

 ミリアが用意してくれた冷たい水を飲む。早朝の空気は澄んでいて、街の喧騒とはまた違った心地よさがある。


「……エリーゼと、いい感じなんだ?」

 単刀直入に聞くと、フェリクスは悪びれもせず頷いた。

「そうですね。実のところ、うちの両親にもすでにオルデンブルク伯爵領に移ってもらっています」

「え。もう親ぐるみの付き合いじゃん」

「俺の父は元々農夫でしてね。伯爵領の豊かな土壌で野菜を作らせてもらっています。エリーゼ様も気に入ってくださってありがたいことです」

 行動が早すぎる。そして抜け目がない。いつの間にか一族郎党、オルデンブルク家に食い込んでいるのだった。


 フェリクスは優秀な騎士であり、人格も実務能力も評価されている。彼の家族もまた真面目な働き手なのだろう。

 時に無秩序なエリーゼの優しさと悪人をも惹きつける莫大な資産、フェリクスの実務能力と欲を隠して騎士道精神を体現できる強固な理性。パズルのピースのように二人は噛み合いつつあった。

 エリーゼもあれで、名高い貴族の娘として政略結婚に異存はないタイプだ。フェリクスとなら愛しすぎて身を持ち崩すこともなく、うまくやっていくのだろう。

 私とディートリヒほどあからさまな業務提携ビジネスパートナーではないけれど、彼らの関係もまた、非常に現実的だ。結婚に際して必要なのは敬意と信頼と、そして経済的基盤。


 ただ、自分の時と同じ疑問が湧く。

「……」

 さすがにフェリクスにもエリーゼにも、「それ白い結婚にならない? オルデンブルク家的には大丈夫なの?」なんて聞けない。セクハラになる。

 しかし私が口ごもっていると、勘のいい男フェリクスが察してくれた。

「ご心配なく。俺は金を一番に愛しているだけで、女性に愛されることにも悪い気はしません。それに、健康な男ですからね。良き夫となるつもりですよ、いろんな意味で」

「……だよね。よかった」

 もしもフェリクスが本当に金だけを愛していたら、それは「愛しすぎない」ではなく「人を愛せない」ことになってしまう。でもそういうわけじゃないのだ。


「妻に人格的な魅力は特に求めませんが、素敵な女性であるに越したことはない。エリーゼ様は美しく、優しく、料理も上手い。この上なく良い条件ではありませんか」

「身も蓋もないなあ」

 だけど、これくらいでちょうどいいのだろう。

 変に「自分には下心などなく純粋な愛情を相手に捧げているのだ」なんて思い込んでいる世の誠実ぶった恋愛よりもよっぽど信用できる。

「俺は彼女を幸せにします。それが俺の利益になるんですから」

「頼もしいよ」

 本心からそう思った。

 ディートリヒの愛しすぎるがゆえに手放す重たい愛も、フェリクスの利益のための軽薄な献身も。今、エリーゼが笑っているのだから、どちらも誠の愛情として成立している。


「さてと、そろそろ仕事に戻りますかねー」

「今日も殿下は書類の山と格闘中でしょう。マリ殿を待ちかねておられると思いますよ」

「やったりますよ。昨日ベッドで寝転がったまま領主に配布する陳情書テンプレも作っちゃったもの」

「頼もしい聖女様ですな」

 送られてくるものがテンプレートに沿っていれば私が分類するのもディートリヒが処理するのも楽になる。事務仕事においても規格化こそが正義なのだ。

「行ってきます。副団長殿もがんばって」

「ええ、お互いしっかり稼いでくるとしましょう」

 それぞれの戦場へと向かう私たちの足取りは軽い。


 心身を削りながら明日のことさえ分からなかった世界を離れ、私は今日もこの場所でただ生きていく。

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