マジックコントロール
一時間ほど草原を揺られて、馬車は小さな森の入り口で止まった。ここからは徒歩での移動になる。
清潔で神聖な王宮とも生活感の溢れる街ともまた違った静かで爽やかな空気だ。濃い緑の香りが漂ってくる。
木々の合間で鳥が囀り、どこからか小川のせせらぎも響いていた。喧騒が遠いから自然の音がよく聞こえるのだろう。
まさに理想的なピクニック・スポットだ。
「足元にお気をつけください、エリーゼ様」
エリーゼが馬車から降りる時にはフェリクスがすかさず手を差し出して支える。
「ありがとう、フェリクス様」
さながら王子様とお姫様だ。少なくとも見た目は。
「……あちら、お似合いですねー。殿下もそう思いません?」
小声で話しかけるとディートリヒはちらりと私を一瞥してため息を吐いた。
「殿下ではなく、ヘンリーと呼べ。……エリーゼはあの程度でときめいたりしない。淑女と騎士として当然の光景だ」
それはまあ、確かに。
オルデンブルク家が名家ゆえにエリーゼはお姫様扱いされることに慣れている。無意識のうちに凄まじい異性耐性ができてしまったわけだ。
かつてのディートリヒの必死の求愛も、フェリクスの非の打ち所がないイケメンぶりも、洗練された紳士に囲まれて育った彼女にとっては「殿方ってそういうものでしょう?」ってなものだった。
そういう意味でもエリーゼに惚れてもらうことをまったく望まないフェリクスは、夫候補として強いな。
街道と違って森の中は歩きにくいかもしれないと思い、ミリアに頼んで足に負担のない靴を履いてきた。でも不思議なことに、地面は適度に固められ、邪魔な草も刈り取られてしっかりした『道』がある。
「ここって管理人とかいるの?」
フェリクスを始め近衛騎士ですら領地を持たない者が多いのは、おそらく聖女の不在と魔物の存在があるせいだ。こんな郊外の森を非常時も含めて定期的に手入れしている人間がいるとは思えなかった。
答えてくれたのはヘンリーだ。
「狩りに訪れる者でもいるのでしょう。人が通れば道ができる」
このように、と彼が指差した先で、ややぬかるんでいた地面も乾いて平らに均される。魔法によるリアルタイム整地だ。王太子殿下は気質に合うとされる火だけでなく土の魔法の扱いも精密だった。
あとを引き取るようにフェリクスが続ける。
「訓練を兼ねて騎士団も定期的に各地を巡回しますが、こういった小さな森まではなかなか手が回りませんね」
「こちらは街の皆さんの『領分』ということなのですわね」
「そういうことです。さすがはエリーゼ様、的確なご理解です」
おお、ヘンリーの瞳で静かに嫉妬の炎が燃え盛っている。
人の手が入らない森はすぐに荒れるというけれど、省エネ魔法で誰もが道を敷けるのなら確かに時々狩人がくるだけでも管理は行き届くのだろう。
……土の魔法によって道路の整備がこんなにも簡単になるということは、近代的な戦車を持ち込んで無双できる気がする。そう思ったけれど、エリーゼと話しているフェリクスの銀の鎧を見て考え直した。
頑丈な装甲車を作ったところで所詮は金属、土魔法によって紙っぺら同然に変えられ得る。だったら巨大な盾でも構えて炎の使い手が戦場を駆け回ったほうが手っ取り早いに違いない。
持続可能な魔法利用《SMUs》。前の世界の中世ヨーロッパに似た文化でありながら、そこに存在する魔力や魔物といった概念が常にこの場所を私にとって未知の異世界たらしめている。
この年になっても新たな知識がどんどん増えていくというのはなかなかの快感だ。
フェリクスがエリーゼの手を引いて、ヘンリーはこっそりエリーゼの足元を整えながら、ハイキングというよりむしろレッドカーペットの上を歩くような快適さで森の奥へと進んでいった。
森の中は涼しくて、差し込む木漏れ日に癒される。たまに小動物が走っていくのか草むらが揺れる音がした。
「マリ、見てください、リスがいますわ」
「ん。どこ?」
「あちらの枝の上です」
「どれ……?」
エリーゼが指差す先を追いかけても森の景色に溶け込んだリスは私ごとき自然界に不慣れな現代人の視界におさまってくれない。
見かねたヘンリーがマジックレンズを使ってくれた。円形の中に拡大された枝に立ち、茶色くてふさふさのリスが呑気に木の実を齧っている。こちらを警戒する様子もない。
「いたー。かわいい!」
「心が和みますわね」
「あまり近づきすぎませぬよう。今は大人しくしていますが、魔力が乱れた際にあれらは強大な魔物となって被害をもたらします」
「えぇ……」
「ヘンリーの言う通り、リスの性格はなかなか狂暴です。見た目はかわいらしいのですがね」
「ま、まあ……」
そう言われると途端にあの硬い木の実を易々と砕く齧歯が凶器に見えてくる。
動物が魔物になったりもするのか。魔力が安定していてよかった。ありがとう聖女。私だけど。
しばらく景色を楽しみながら歩いていたら、開けた場所に出た。
透明な水が静かに湧き出して泉となり、周囲には柔らかな苔が生えている。木々に囲まれた隠れ家のような場所だった。
よく日が射して草の上があったかい。ランチには最適な空間だ。
「そろそろお昼ごはんにしよっか」
「はい!」
フェリクスとヘンリーが手際よく準備を進める傍ら、私はエリーゼと一緒に泉で手を洗うことにする。冷たい水が気持ちいい。
二人の男は主にエリーゼのために甲斐甲斐しく、火の魔法でお茶を温め直したうえにパンに軽く焼き目を入れてくれた。ピクニックの次元を超えた豪勢な食卓が整えられた。
「いただきます!」
各々で自分好みのサンドイッチを作って食べる。男性陣には噛み応えのあるライ麦パンが人気だった。
私は雑穀パンにマスタードを塗ってレタスとトマトに燻製肉を挟んだ。エリーゼはクリームチーズを丁寧に並べてジャムを塗っている。
ヘンリーはキュウリのピクルスにハムとトマトとツナ、フェリクスはたっぷりバターにクララ製のハンバーグとチーズで一番ごつい。
「ん~、うまい」
「マリがいろいろなパンを焼いてくださったから、味が変わって楽しいですわ」
「具材もいい感じ。サンドイッチにして大正解だったね」
外で足を放り出してだらだら食べる食事というのは「休みの日のお出かけ」感があって特によい。パンが焼きたてと同等なのも最高だった。
二つ目を頬張りながら、ふと思いついて尋ねてみた。
「エリーゼって何の魔法が得意なの?」
水の気質を持っているという彼女ならその魔法は調理に活かされているのだろうか。あるいはセルギウスが得意としているみたいにインクの精密操作ができれば、書類仕事に強そうだ。
水の魔法といったら治癒、癒しのイメージもある。どれもエリーゼにぴったりで、伯爵令嬢としても役立てやすい能力だろう。
しかし私の問いかけにエリーゼの表情は曇ってしまった。
「わたくし、魔法は……その……」
「エリーゼお嬢様は膨大な魔力をお持ちですが、伯爵様より魔法を禁じられております」
「まあ、よくご存じですのね、ヘンリー様」
「……オルデンブルク家の一員として心得ております」
相変わらずヘンリーが変装したディートリヒだと気づかないエリーゼはさておき、私はなんだか嫌な予感がした。
エリーゼへの評価だから相当な贔屓が入っている可能性はあるけれど、ディートリヒの人を見る目は確かだ。その彼が「膨大」とまで言う魔力を持っているのに魔法を禁止されている。しかも伯爵によって直々に。
「何やらかしちゃったの?」
私の言葉に、ヘンリーが鋭い視線を向けてきた。愛しのエリーゼに対して「やらかした」という言い方が気に障ったらしい。
「ごめんごめん。なんか失敗しちゃったとか?」
エリーゼは不思議そうに首を傾げつつ答えた。
「オルデンブルクの城の近くに川があるのです。わたくし、幼い頃にその川をきれいにしたのです」
「きれいに……って、川ごと飲み水に変えたってこと?」
「はい。雨上がりで濁っていましたから、きれいにして差し上げようと思ったのです」
なにそれ怖い。歩く浄水プラント娘だ。でも、恐ろしいほどの魔力かつ、すごい才能なのではないだろうか? 不純物を取り除いて川をまるごと清流に変えてしまう。災害時はもちろん、平時にも最強に思える。
だから、ということなのかな。聖女が不在で世界の魔力が不安定になっていた場合、強すぎる魔力はエリーゼ自身にも周囲にも危険になるとか、そういう理由?
「ほんとに相当な魔力量なんだね」
「ええ。ですが、以来わたくしは、なぜかお父様に魔法を禁じられてしまったのです」
「へぇ……」
その時、ヘンリーがぼそっと、決してエリーゼに聞こえない小さな声で呟いた。
「川の生態系が死んだのだ」
「……」
「エリーゼには言うな」
さっきの嫌な予感が形になった気がした。
川をまるごと純水に変えた。つまりエリーゼは文字通りに『不純物』をすべて取り除いたのだ。有毒物質や病原菌だけに飽き足らず、微量な塩分や微生物も消し去り、蒸留水レベルまで浄化してしまった。
本来、川にはその成分に適応した魚や水生昆虫、藻類や微生物が暮らしている。それぞれが複雑なバランスの上で生態系を作っているはずだ。
人間にとっては微細な塩分濃度や溶存酸素量の変化でもミクロの世界では崩壊に等しい。生まれ育った世界が変り果て、川の生き物たちは何が起きたのか悟る間もなく死滅した。
もし自分が川の生き物を皆殺しにしたと知ったらエリーゼはショックで寝込んでしまうだろう。いや、それが幼い頃の出来事なら寝込むだけでは済まなかったに違いない。あの慈善事業の時と同じ、優しさで為したことだからこそ。
エリーゼの「助けたい」という願いは、純粋さゆえに妥協を知らない。
適度な濁り、適度な雑味、そういった“必要な汚れ”を飲み込めないから加減知らずに無秩序な浄化を施してしまうのだ。
それは破壊と同義だった。対象を殺すほどに深すぎる慈愛。
ディートリヒが自ら泥を被ってでも婚約を破棄したように、オルデンブルク伯爵が娘に魔法の利用を禁じたのは英断だった。
「どうかなさいました?」
「ううん、なんでもない。そっか、伯爵が言うんだったらきっと複雑な理由があるんだろうね」
「はい。よく分かりませんけれど、わたくし、お父様との約束はきちんと守りますわ」
もしエリーゼが王太子妃に、ゆくゆくは王妃になっていたとしたら。想像しただけで背筋が寒くなる。
判断力がないくせに恐ろしいまでの力だけを有するこの子はほとんど生物兵器だ。まったく無自覚なまま大軍勢だって容易に踏み潰せてしまうだろう。
たとえばの話。彼女の浄化魔法が、人間に向けられたら? 人体の水分をまるごと「純水」に変えてしまったら? そこにあるべき電解質もタンパク質も消え失せる。ミネラルの除去で神経も死ぬ。
なんなら血液さえもただの水に変えてしまうかもしれない。
国を守るためなら自分が身代わりに、とまで言った彼女の言葉を思い出す。そこで善意を突かれて敵の制御下に落ち、その無差別浄化魔法がエルハーフェン王国のほうへ向けられる可能性だってあるのだった。
十年以上の苦労を経てディートリヒが諦めたのも無理はなかった。
力はあるのにそれを適切に制御できない。優しいから突き放す判断ができない。有り余る愛を注いで根から枯らしてしまう。彼女の問題は一貫していた。
蛇口を全開にするのは簡単なこと。コップ一杯分だけ水を注ぐには理性で蛇口をひねらなければならない。そしてエリーゼには、その蛇口のハンドルがついていない。
過不足なく、適切に。要するにエリーゼは、何事にもコントロールが苦手なのだ。
帰りの馬車の中、エリーゼは疲れて眠ってしまった。天使のように無垢な寝顔。しかし天使というのは生者を霊魂の世界へと導く死の使いの側面も持っている。
つくづく多方面でもったいないお嬢さんだ。性格か能力か、どちらかが違えば有能な領主にも魔法使いにもなれただろうに。でもそこが変わってしまったら、それはエリーゼではない誰かだった。
眠っているエリーゼにまで媚びを売る気はないようでフェリクスはのんびり窓の外を眺めている。これだけ現実的で打算的なほうが、エリーゼ本人に代わってしっかり手綱を握ってくれるだろう。
今は正体を隠すことに思考を割かなくて済むディートリヒが、火の魔法を通した温かいマントをエリーゼにかけてやって微笑んでいる。この男はエリーゼさえ幸せならそれで満足なのだ。
愛しているのに恋はできず、愛がないからうまくいく。心地よくもおかしな関係になっていた。……それはもちろん、私も含めての話。




