適材適所の伴侶
フェリクスに連れられて訪れたのは、大通りから少し外れた路地にある小さな食堂だった。看板には『金の麦亭』と書かれている。ビールがおいしそうな店名だ。
「ここはボリュームがあって値段も手頃、おすすめです」
「よく食べにくるの?」
「はい。仲間と街にきた時は大体ここですね」
ディートリヒの資料通りだ。普段は騎士団の宿舎にある食堂で過ごしているけれど、休日に街へ降りてきた時は騎士仲間と一緒にこの店に訪れている。
他に常連となっている店もありつつ、女性がいるような宿や酒場には近づかず健全な食堂ばかり。
西部劇でよく見る木の扉をくぐると、昼時ということもあって店内は満席に近い。
「おやフェリクス、いらっしゃい。女性連れとは珍しいな」
カウンターから声をかけてきたのはエプロン姿の恰幅のいい男性だった。看板娘らしき快闊な女性もいるけれど、給仕に忙しくしていてフェリクスに注意を払う様子はなかった。
「親父。聖女殿を連れてきたぞ」
「……え!? せ、聖女様! よ、ようこそ、こんなむさくるしい場所へ……!」
店内にいた客たちが一斉にこちらを向いた。慌てて立ち上がってしまう人があり、看板娘さんも驚いて固まっている。あああ、また私の小心が疼いてしまうから大事にしないでほしい。
「あのー、普通にしてもらって大丈夫ですので」
「今代の聖女殿は堅苦しいのが苦手だそうだ。頼むよ、皆」
「は、はい。どうぞ奥のお席へ」
若干面白がっている様子のフェリクスに親しい間柄ならではの睨みをきかせてから、店主は調理場へとさがっていった。
たとえばフェリクスが逆玉の輿狙いだったとして、オルデンブルク家の調査を誤魔化すために身辺整理をしている雰囲気は感じられなかった。
彼はどう考えても、ごく当たり前に自然体で生活しているだけだ。周りに女性がいても色恋沙汰の気配はない。
騎士として相応しい振る舞い以外で、きちんとエリーゼを「特別」に扱っている。
ディートリヒじゃないけれど、本当に文句のつけどころがなさすぎて腹が立つくらいの男だった。
壁に掛けられた黒板にお品書きがある。エールが銅貨四枚、冷えたエールは銅貨九枚。王宮のような大きな氷室がないから冷やしたものは少々お高めなのだろう。
パンとチーズのセットで銅貨四枚、ウサギのシチューは銅貨三枚、チキンステーキが銅貨七枚。つい頭の中で円換算したくなる。チキンステーキが千円しない程度と考えたら妥当なところか。
「シチューが安くてお得だね」
「味も保証しますよ。我々騎士の場合はパンとチーズも食べなければ足りませんがね」
「それを見越してちょっと安いんだ。やるなあ」
私がディートリヒに持たされたお小遣いが銅貨三十枚分だから、シチューなら十杯は食べられる。
買い食いをしてどこかでそこそこの食事をし、さらにお土産を買うことを想定してこの金額を持たせたのなら、王太子殿下の金銭感覚もなかなかだった。
フェリクスは冷えたエールにキノコのリゾットにパンとチーズを注文し、私はさっきパンを食べたのでエールとシチューだけで済ませることにした。
「一時は小麦が不作でパンも酒も値段が上がりっぱなしでした。近頃ようやく落ち着いてきたところです」
ああ、聖女がいなくなって起きたという、魔力の淀みによる天変地異。
エールを運んできた店主がにこやかにフェリクスの言葉を継ぐ。
「新たな聖女様が現れてくださったおかげです。小麦も野菜もよく育ち、腹いっぱい食わせてやれるようになりました。ありがたいことです」
「きょ、恐縮です」
「本当に感謝しております。この街の皆、聖女様のことを心から歓迎していますよ」
なんだろう。魔力の安定だとか浄化だとか言われるよりも、「一食の値段が安くなった」と言われるほうが世界を救っている実感がある。我が身に露骨に返ってくるからだろうか。
私が日々やっていることは、のんびり図書室で本を読んだり庭仕事をしたり、昼寝をしたり、それだけだ。でも私の存在が経済をも動かしている。
「楽な仕事だなあ」
「そのマリ殿の『仕事』のおかげで、我々はこうして安くてうまい昼食にありつけるわけです」
エールで乾杯し、喉を潤す。冷えてはいなかったけれど、歩き疲れた体には染み渡る。
そしてシチュー。木製のボウルにたっぷり入ったそれは、湯気と共にハーブの香りを漂わせている。兎肉は初めてだ。意外と野性味は感じられず食べやすい。
エリーゼも、あの一件で肉がトラウマになっていなければいいな。
「……ねえ、フェリクス」
エールの酔いも借りて、直球で聞いてみることにした。
「正直な話さ、エリーゼに惚れてるの? 男として」
優雅にパンをちぎっていたフェリクスが動きを止めた。
「結婚したいと思っております」
「濁すなー。好きかどうかって聞いてるの」
「俺がこの世で最も慈しみを抱くものは、金です」
騎士道精神というものにはまったくそぐわないドストレートな言葉なのに、こいつが言うと淑女に囁く愛の歌みたいに聞こえる。
一人称が俺になっている。私に本音を話してもいいということなのだろう。いつもの騎士様モードではなく、素のフェリクス・ノーランドを晒してくれてはいる。
「名誉も好きです。金になるので。安定した生活も、高い地位も好きです。金を維持するために役立つ。平民あがりの俺がそれらを手っ取り早く、かつ確実に手に入れる資質を、エリーゼ様は持っている」
オルデンブルク伯爵家はエルハーフェン王国でも屈指の資産家。その一人娘であるエリーゼは、言ってしまえば歩く金塊だ。なんてディートリヒが聞いたら即座に処刑されそうで言えないけれど、私もそう思っている。
「じゃあ、金目当てで近づいてるんだ。べつに責めてるわけじゃなくて」
「そうですね。マリ殿はそういった考えを否定なさらないでしょう」
そりゃあもう、お金の素晴らしさと尊さは前の世界で身に染みて知っているから。聖女になったからといって私の心根が聖人君子に成り下がったわけではない。
真実の愛だのなんだのを求めるタイプでもない。
「でも、なんかお金が必要な理由ってあるの? 借金とか、病気の家族とか」
資料でそんなものがないのは分かっているけれど、純粋に金が好きなのか『理由』があるのかは重要だ。目的があって好きなのだとしたら、その目的を果たした後、あるいは果たせなくなった時に問題となる可能性がある。
「理由などありません。俺はただ金を貯めるのが好きなだけですよ」
あっけらかんとした答えに思わず笑ってしまった。使うよりも貯める側としての「お金大好き」は短所にならない。
「裕福すぎて困ることがありますか?」
「ないですね」
庶民が急に大金持ちになったら身を滅ぼし得るけれど、フェリクスは自力でそれなりに稼げているそもそもの小金持ちだし、銀行を握る王家の近衛騎士として資産管理に慣れている。
「ところでエリーゼ自身に興味はあるの? たとえば彼女が不細工だったら?」
「仮に顔の造作が整っていなくとも、エリーゼ様の精神性ならば魅力が損なわれることはないでしょう」
「はあー」
言ってることは真っ当なのに、ずっと客観的すぎるんだよな。フェリクスの個人的な嗜好というものが見てとれない。
「あんまりクサいこと言いたくないんだけど、『愛してはいない』みたいな話だね」
「エリーゼ様の好みにもよりますが、彼女が愛を求めておられるのなら、俺は心から愛することができますよ」
「……フェリクスって、本能で人間に恋しないタイプ?」
「ええ。ですから理性的に、金を愛しているのです」
分かってしまった。この男は私と似たような性格なのだ。恋愛に重きを置いていない。それでも誠実な騎士像を貫いているのだから、世間体の取り繕い方で言えば私の上位互換の現実主義者だ。
「もしエリーゼが伯爵家を追い出されたら、それでも結婚する?」
意地悪な質問を投げてみる。フェリクスは呆気にとられた顔をして、ふっと笑った。
「その仮定は難しいですね。彼女の性格とオルデンブルク家の力からして、起こり得ません」
「……確かに」
現に放蕩に近いエリーゼの無秩序な慈善行為にオルデンブルク家は揺るがない。インフレ事件も伯爵家が揉み消している。何が起きても追い出す理由がない。
そこに良き夫を演じ抜く能力を持つ男、しかも社交性に優れた権力欲のない平民あがりの腕が立つ騎士が現れたとしたら、オルデンブルク家にとってもこれほど好都合な相手はいないだろう。
「俺は彼女に“向いている”伴侶ですよ、マリ殿」
「そうなんだよなあ」
伯爵令嬢としては欠点にもなり得るエリーゼの過剰な優しさを、フェリクスは矯正しない。彼が求めているのは貴族としての有能さではないのだ。
彼女をそのまま受け入れて、彼女の魅力を理解して認め、彼女の資産を愛し、彼女に足りない部分……つまり現実的な処理能力や汚れ仕事を補う力も持っている。
「俺は金が好きだ。だから金のなる木を枯らすような真似は絶対にしない。大切に育て、守り、心から慈しみますよ」
ディートリヒがすべてを擲てるように、フェリクスは金のためなら全身全霊でエリーゼを愛する。ある意味で最強の誓いの言葉かもしれない。
何よりも重要なのは、フェリクスがエリーゼを無理に口説き落とそうとはしないこと。
大事なのはエリーゼの意志。この世で最も金を愛する財産目当ての騎士様に、それでも恋をするか諦めるかは、あくまでもエリーゼが自分で決めることなのだった。
「マリ殿、次はどこに行きましょうか」
「うーん。私の手持ちで買えそうなのって何がある?」
「そうですね、万年筆などいかがでしょう。魔力不要のものなら銀貨一枚もしませんよ」
「いいかも。城でもらったやつは魔力がある人向けなんだよね」
水の魔力を通じてインクを節約したり筆圧を調整できる高級品。書き味はいいものの私には無用の長物となっている。
「承知しました。値切り交渉なら任せてください」
お伽噺の騎士様からお金が大好きな生身の人間として距離を縮めたフェリクスは、単純に人間として頼もしかった。
帰りの馬車の中で、隣を並走するフェリクスとガートルードの華麗な姿を小窓から眺めつつ考える。
エリーゼの隣には清々しいまでに打算的なこの騎士様が似合っている。なまじ愛を装って近づく男よりも、よっぽど正直だとさえ言える。
適度な距離。エリーゼは今まで通り好きなだけ慈善活動ができて、フェリクスが彼女の財産をきちんと管理する。そして彼女が焼いた菓子にうっとりするような笑みを向けてくれるのだ。
互いに愛していない私とディートリヒが互いの伴侶に向いているように。愛情のバランスが釣り合わなかったディートリヒが、エリーゼの伴侶には向かなかったように。
エリーゼが単なるいい奥さんになりたいとしたら、フェリクスはとても適切な相手なのだった。




