属性たちの宴
「マリ」
散歩がてら王宮を練り歩いていたら、廊下でディートリヒに呼び止められた。
「あ、殿下。お疲れ様です」
「ああ。少し話がある。部屋にきてくれ」
「はーい」
珍しいなと思いながら王太子の執務室に入る。ディートリヒは積み上げられた書類の山の一番上に分厚い紙束を置いた。
公文書ではない。そこには『フェリクス・ノーランドに関する調査報告書』とある。
「……もしかして暇なんですか?」
「多忙だ。睡眠時間を削って職務の合間に目を通している」
「こんなことしてる暇あるなら寝てくださいよ」
眉間に深い皺を刻んで書類の束を睨みつけるディートリヒの視線はあくまでも真剣だった。
王太子として近衛騎士団に所属している人間の素性を明らかにしておくのは大事だ。……という話ではなく、単にエリーゼに近づくに相応しい男かどうかの調査なのだろう。
「前に“大事なのはエリーゼの意志”とか言ってませんでしたっけ」
「もちろんだ。だからこそ、ノーランドが彼女の純朴な意志に選ばれるに相応しい男なのか、我々が確認する必要がある」
我々って、私も入ってるの?
まあ、エリーゼの場合はろくでもない男に引っかかって騙されてもずっと気づかずにいそうだから、周りが勝手に心配になる気持ちはよく分かる。
相変わらずのストーカー気質に呆れつつも、つい興味本位で報告書を覗き込んでしまった。
フェリクス・ノーランド、二十六歳。平民出身ながら王国騎士団の入団試験に首席で合格し、その献身と技術によって近衛騎士に抜擢された俊英だ。
戦闘能力、知性、忠誠心、すべてにおいて高評価。借金なし、女性関係のトラブルなし、賭け事の類いもなし、普段の素行は清廉潔白。
「完璧じゃないですか」
「そうだ。完璧すぎて腹立たしい。文句のつけどころがない」
理不尽だな。気持ちは分かるけど。
普通の人間は叩けば少しくらいの埃が出るものだ。でもあのフィクションの王子様みたいな騎士様は叩いても埃が出ない。むしろ叩けば叩くほど輝きを増す。
でも、報告書の隅に書かれた一文に目を留める。
ノーランドは平民出身で領地や爵位を持たず、騎士としての給金が唯一の収入源である。
「そっか。フェリクスって貧乏なんだ?」
「いや、貧乏というほどではない。近衛騎士の給金は決して少なくないからな。もちろんオルデンブルク伯爵家と比べれば玉の輿に乗る形にはなるが、それは比べる相手が悪いだけだ」
めちゃくちゃ悔しそうに褒めるな、この人。
「仮に何か見つかったとして、どうするんですか? エリーゼに忠告でもするの?」
「そのようなことはしない。ただ伯爵家に報告はする。それでもノーランドを選ぶか諦めるかは、エリーゼが決めることだ」
なんとなくディートリヒが血涙を流しているように見えるのはきっと気のせいではないのだろう。
「とにかく。君も手伝え、女性の視点から見て違和感はないか?」
「はあ……私じゃ殿下が見るのと大して変わらない気もしますけど」
正直、私もフェリクスの本性には興味があった。煤けた灰色の世界からやってきた社畜にはあの潔白さが信用ならないのである。
粗を探すお局、あるいは姑のような視点で報告書に目を通す。
勤務態度は極めて良好。聖女の護衛やエリーゼの送り迎えをするようになって以降も遅刻欠勤はなく、上司からも同僚からも、騎士団の新入りからも評価が高い。
その職場も含めた交友関係、派手な付き合いは見当たらなかった。休日は同僚と自主トレーニングに励むか、街の知人に頼まれて狩りに出る。プライベートと呼べそうな行動は定食屋で食事をする程度。
重要なのは金銭関係。給与の七割を貯金している。堅実だ。実家に仕送りをしている形跡あり。親孝行である。
王宮でも街でも老若問わず女性人気は高いのに、浮いた噂はゼロ。特定の恋人、不特定の遊び相手ともにいない。
「なんという……おもんない男……」
思わず書類を放り出してしまった私にディートリヒが顔を顰める。
「何これ。聖人君子? 本当に人間? 若い男? 逆に怖いんですけど」
「……似たような男としては複雑な気分だな」
確かに、ディートリヒも顔面偏差値や職務に対する真面目さ、浮いた話のなさではフェリクスと似たようなものだった。ただしこの男にはエリーゼを愛しすぎているのに絶対に報われないという、致命的かつ悲劇的な笑いどころがある。
「給料の七割貯金って、趣味とかないのかな? 老後の資金?」
「実家は特に貧しくも裕福でもない。仕送りの額は常識の範囲内だ。単に貯蓄が趣味なのかもしれないな」
「うーん」
通帳の数字が増えていくことに喜びを感じるタイプか。面白味はないけれど、欠点というようなことでもない。
でも、ここまでくるともはやフェリクスに隠れた下心があろうとなかろうと同じだという気がする。
きっとディートリヒの調査は執念深く徹底していた。にもかかわらず、この潔白っぷり。たとえ演技だったとして、ここまでぼろを出さずに一生演じ続けられるのだとしたらそれはもう真実と同等だ。
「本当にただのいい人なのでは?」
「であればいいのだが……」
そう言うディートリヒの表情は苦虫を嚙み潰したようで、決して「いい」ようには見えなかった。
エリーゼの相手が申し分のない男であればあるほどいい。でもそれが自分ではないことがつらい。お気の毒様だった。
翌朝、風曜日の爽やかな晴れた空のもと。
いつものように私が、最近は『聖女の舞』と呼ばれるようになってしまったアレンジラジオ体操を終えて一息ついていると、中庭にひやりとした緊張が走る。
「総員、整列! 殿下の閲兵だ!」
騎士団長の大声が響き渡り、筋トレに励んでいた男たちが一斉に整列する。突然のことでもさすがは近衛騎士団、迅速だった。
そこへ現れたのは訓練用の軽装を身にまとったディートリヒだった。普段は執務に忙殺されている殿下がここに顔を出すことは滅多にない。しかも自前の剣を持っている。
「皆、楽にしてくれ。少し体が鈍っていたのでな。手合わせを願いたい」
ディートリヒの声は穏やかだけれど、その目は獲物を狙う鷹のように鋭かった。視線の先には当然、フェリクスがいた。
「フェリクス・ノーランド。相手をしてくれ」
王太子殿下に指名されたフェリクスは一瞬だけ驚いた顔をして、すぐにいつもの爽やかな微笑を浮かべると列から抜け出してきた。
「光栄です、殿下。私ごときがお相手になりますかどうか」
「謙遜はいらん。騎士団随一の実力者と聞いている。……手加減は無用だ」
二人が広場の中央に対峙する。エリーゼという可憐な令嬢を巡る、王太子と騎士の戦い。なかなかの修羅場だ。
実際にはディートリヒはもう別れたのだから、彼女の恋人候補に名乗りをあげる立場にはないのだけれども。
私は特等席であるベンチに座り、ミリアが持ってきてくれた冷たいお茶を飲みながらのんびり観戦することにした。
「魔法の使用を許可する」
そのディートリヒの言葉に訓練場がどよめいた。
「殿下、しかし……」
「構わん。聖女がいる今なら問題ない。神官長の承認も得ている」
言われて見上げると胸壁からセルギウスがマジックレンズを使って観戦していた。野次馬め。……私もか。
「……承知いたしました。全力を尽くしましょう」
フェリクスの瞳に、冷徹な戦士の色が宿る。
「始め!」
合図と共に、最初に踏み込んだのはディートリヒだった。彼の剣身が真っ赤な炎に包まれる。
「おおお!」
思わず声を上げてしまう。赤と橙の炎が剣を包み、まるで生きているかのように揺らめいている。でもその炎は暴れることなく、完璧にディートリヒの意志で制御されていた。
これが火の魔法! 今まで見てきた実用重視の地味な魔法とは違う。派手で格好良くて華やかな、まさに私が求めていたファンタジーの魔法だ。
鋭い突きが炎の軌跡を引きながらフェリクスへと迫る。彼のサバトンが地面を強く踏みしめると、石畳が波打つように隆起し、瞬時に壁となって炎の剣を受け止めて赤熱した。
こちらも負けじとファンタジー。地味だと思っていた土魔法が戦闘シーンにおいてはこんなに頼もしい防御になるとは。
防がれたと見るやディートリヒは即座に剣を返し、横薙ぎに払う。炎が鞭のように伸びてフェリクスを襲った。低い姿勢でそれを回避し、フェリクスが懐へと潜り込む。
彼の剣がダイヤモンドにも似た硬質な輝きを宿していた。あれが土魔法の補強、金属としての性質に働きかけて物質強化を行っているのだ。
炎の剣と岩の剣が激突する。火花と熱波が周囲に飛び散り、歓声があがる。
「すごい、すごい!」
私も興奮して拍手していた。筋肉祭りなんかじゃなくて、これぞ剣と魔法のファンタジー。
ディートリヒの戦い方は、性格が出ていた。非常に合理的で正確無比、流れるように無駄がない。だけど激情を秘めている。エリーゼへの想いがそのまま火力に変換されているかのようだ。
対するフェリクスはまさに地に足をつけた華麗な体術。最小限の動きでディートリヒの攻撃を往なし、主に足を狙っている。殺し合いではないから急所を突くよりもバランスを崩しにかかっているのだ。
堅実。頑強。そして泥臭い。魔法に頼りきらない生身の戦闘技術だった。決して派手ではないけれど、猛攻を冷静に受け流して好機を待っている。
「さすがです、殿下。隙を見せてはいただけませんな」
「まだ終わらんぞ」
ディートリヒが気合と共に魔力を解放する。炎が爆発的に膨れ上がり、フェリクスを飲み込まんと渦を巻いた。
観衆が息を飲む中、フェリクスは臆することなく炎の中に突っ込んだ。剣圧で炎を切り裂いて、その勢いのままディートリヒの手甲を叩いて剣を弾き飛ばす。
術者の手から離れた炎は霧散し、気づいた時にはフェリクスの切っ先がディートリヒの喉元に突きつけられていた。
「そ、そこまで! 勝者、フェリクス!」
訓練場に万雷の拍手が巻き起こった。
「……見事。お前の勝ちだ、ノーランド」
「恐れ多いことです。殿下の御手並み、さすがでした」
汗もかかずに一礼したフェリクスに礼を返して、ディートリヒは剣を拾い上げ、乱れた呼吸を整える。
「私の炎を正面から突破するとはな」
「命ごと燃え尽きる覚悟でしたよ」
とてもそうは見えない涼しげな顔には煤がつき、銀色の鎧の一部は熱で変色していた。ディートリヒの火魔法の凄まじさを感じる。
この平然とした態度が表向きの仮面だとしたらフェリクスの皮膚自体が仮面でできているに違いない。
戦いが終わり、興奮冷めやらぬまま騎士たちは訓練に戻っていった。
ディートリヒは私の隣に腰かけてタオルで汗を拭いている。
「負けちゃいましたねー」
「ああ。私に阿って手を抜くようなら批判してやれたのだが、遠慮なく全力を出してきた。敬意を持って、正々堂々と」
「エリーゼが見てたら惚れ惚れしたかもしれないですね」
「……くっ。うるさい」
もういっそのことそれくらいはっきりしてしまったほうが、ディートリヒのほうも楽になれる気もする。
結局、フェリクスはディートリヒの「いちゃもん」を実力でねじ伏せた形だ。
王太子を相手に一切の手心を加えず、かといって恥をかかせるような勝ち方でもなく、騎士としての矜持を見せつけた。
「少しは気が済みました?」
「間違いなく腕は立つ。エリーゼが危険に晒されても守ることができるだろう。だが人間性はまだ分からない」
「あのー……。一応、あなたはエリーゼを捨てた側なんですから」
「分かっている」
「未練たらたらな態度はやめなさいよ」
「分かっている!」
ディートリヒは声を荒げてから、騎士たちの視線を受けて誤魔化すように咳払いをした。
「……ノーランドに難点があったとしても、別れさせようというつもりはない。ただ難癖をつけたいだけだ」
分かっててやってるのがたち悪いな、この元カレ。
「フェリクスは、おいしい結婚相手だと思いますよ。特にエリーゼには」
「そうだな」
「いかにも『理想の恋人』って感じだし」
「……私と違ってな」
「もうすっきり諦めては?」
「諦めることなどない。私は一生、エリーゼを想い続ける。彼女が他の男と結婚しても、子供を産んでも、老いても、儚くなっても。私の心の中で彼女は永遠に私の愛する人だ」
重いなあ。重いけど、誠実なのだ。誠実だけれど、重たい。
「君こそ、堪能していたようだ」
「はい。めちゃくちゃ満足しました。最高でした」
「そうか。ならば多少の成果は得られたな」
ディートリヒは僅かに笑って、執務室へと戻っていった。
王太子でさえなければフェリクスに負けず劣らずエリーゼに好きなだけ尽くせたのだろうに、彼もまた「王太子」としては最高の人間でありながら、ただの「良き夫」には向いていない男だった。
まったく、恋というのはままならないものですね。
そしてその日の午後。私はエリーゼが焼いたクッキー(フェリクスへの差し入れの余りをもらった)を持って魔法研究室を訪ねた。
「セルギウスー、ソフィアー。お茶しない?」
「これはこれは、嬉しい差し入れですな」
「いらっしゃいませ、マリ様!」
セルギウスは研究の手を止めて私を歓迎してくれた。ソフィアも目を輝かせて飛んでくる。
いつだったか冗談で言った「聖女が触ってればいい土になる」という言葉は実際に成果を出していて、庭から移した私の土で育てている植物は比較対象である他の鉢よりも早く、より豊かに育っていた。
私が直接触れることで本当に土が活性化しているようだ。さしづめ私の指先はパワーストーン製のスコップといったところだろうか。あまり格好よくはない。
その聖女パワーで立派に育った薬草を使って、ソフィアがお茶を淹れてくれる。
「今朝の模擬戦、すごかったそうですね! 私も見に行けばよかったなあ」
三人分のカップにお茶を注ぎながら、ソフィアが残念そうに言った。
「うん、すごかったよ。ディートリヒ殿下の魔法、初めて見たけど、すごい強いね。すごかった」
しまった、ようやくファンタジー魔法を見た興奮のあまり語彙力が小学生レベルだ。幸いにもセルギウスはエリーゼのクッキーに舌鼓を打っていて指摘してこない。
「ディートリヒ様は幼い頃から火の魔法がお得意です。気性に合っておられるのでしょう」
「火属性か。イメージ通りかも」
「情熱的で、破壊的で、しかしそれを理性で御する。王となる者に相応しい、力強い属性です」
火は物事を変える力だ。燃やして溶かして形を変える。ディートリヒの改革者としての資質、そしてエリーゼへの激しい執着は、まさに火そのものだと言える。
「では、エリーゼ様はいかがでしょう?」
ソフィアが興味深そうに尋ねると、クッキーを頬張りながらもセルギウスが教師の顔になる。
「エリーゼ様は水の属性をお持ちです」
水か。マニュアル作成以前の、あの混沌とした庭を思い出してしまった。
「水は形を持ちません。器に合わせて姿を変え、あらゆる命を潤す慈愛と調和の象徴。しかし形がないゆえに流されやすい。一度氾濫すれば、すべてを飲み込む制御不能な力ともなります」
なるほど。エリーゼの無償の愛、誰にでも合わせられる柔軟さ、そして過剰ともいえる優しさが暴走した時の厄介さ。
水やりをしすぎて根腐れさせてしまうあの感じ。まさに水属性だ。
「火と水。……そういう意味でも相性が悪かったのかな」
「一般的には、相反するものですな。火は水を蒸発させ、水は火を消し止める。ですが、料理においてはどうですかな? 適切な火加減と水加減があれば、美味しいお茶が入ります」
「何事もバランスが大切ということですね、セルギウス様」
「まさに」
バランス、か。あの二人はうまくバランスがとれなかった。あるいは、バランスをとろうとするあまりエリーゼをお湯に変えてしまうことを、ディートリヒが望まなかったのか。
「じゃあ、土の魔法ってどんな気質?」
フェリクスのことが気になって尋ねると、セルギウスは少し考え込んだ。
「土は、揺るぎません。堅実に命を育む基盤であり、熱を受け止め、水を受け止める。頑強で忍耐強く、最も信頼できる属性とも言えます」
水は土に染み込み、土は水によって固まる。エリーゼの溢れる愛情をしっかりと受け止めるには、フェリクスのような男が相応しいのかもしれない。
「魔法って面白いね」
セルギウスに食べ尽くされる前に私もクッキーを口に運ぶ。エリーゼの愛が詰まった甘い味だ。
「では、マリ様はどの属性だと思われますか?」
ソフィアの質問に首を傾げる。
「私、魔力ないんですけど……」
「それでも気質というものはございますから」
ファンタジー文脈で考えるなら、魔法防御力という概念は私にもあるのだろうか。たとえ火の魔法が使えなくても、いざ炎をぶつけられた時に燃えにくくなるのならいいなと思う。
セルギウスが私をじっと見つめて呟いた。
「そうですね……マリ様は、風でしょう。自由で、縛られず、どこへでも行ける。火の勢いを強め、優しく水を揺らし、時に土を覆して暴く。まさに風の気質です」
「風の聖女様、ですね……!」
そんな修辞に喜ぶ辺り、ソフィアは意外とロマンチストなところがある。
確かに私は一つの場所に留まるのが苦手だ。前の世界でブラックな仕事に縛られていた反動なのか、この世界では常にふらふらと自由を謳歌している。
「風はいつか去っていくかもしれません。しかし今この瞬間、ここにいてくださることに感謝しておりますよ」
「……きれいにまとめたなー」
そういえば帰還の方法探しはどうなっているのだろう。私自身、すっかり忘れ去っていたけれど。忘れていることさえセルギウスにはお見通しだろうか。
ティータイムを終えて廊下を歩きながら、ふと思う。
もう少しフェリクスとも親しくなっておこうかな。エリーゼの友人として、彼女の未来の伴侶となるかもしれない男を見極めるために。
そんなことを自然に考えている自分に気づいてちょっと驚いた。面白くて面倒くさい彼らと、いつの間にかずいぶん仲良くなったものだ。
少なくとも今この風は、ここに吹くことを心地よいと感じているのだった。




