3.選択
路地裏は、昼でも少し暗かった。
通りから一本入っただけなのに、音の質が変わる。人の声が、丸くならない。
男は壁にもたれて立っていた。
急いでいる様子はない。
人を待つ立ち方じゃなかった。
その前に、子どもが一人いた。
服はサイズが合っていなかったが、袖は手首より短く、裾は靴に擦れて白くなっている。
それでも汚れてはいない。きちんと洗われていた。
ただ、生地は薄く、何度も着られてきたことが分かる。
新品ではない。
でも、誰かに大事にされていた感じもしなかった。
間に合わせで選ばれた服。
それが、この子の生活の基準なのだと分かる。
男は何も言わず、子どもの手に紙幣を押し込んだ。
一枚か、二枚か。よく見えなかった。
子どもは受け取って、少しだけうなずく。
「そこに立ってろ」
命令はそれだけだった。
声を荒げてもいない。脅してもいない。
まるで、いつものことのように。
子どもは従った。
嫌そうな顔はしていない。
かといって、楽しそうでもない。
立つ場所は、路地の角。
人が来たら分かる位置。
逃げ道も、男の背中も、全部見える場所。
私は、その様子を少し離れたところから見ていた。
距離はあった。
声も届かない。
近づこうと思えば、近づけた。
通報する理由は、いくらでも思いついた。
金を渡している。
明らかに対等じゃない。
でも、通報しない理由も、同じだけあった。
殴っていない。
泣いていない。
助けを求めていない。
合意に見える、と言われたら否定できない。
正義を呼ぶ道具は、この手の中にあった。
子どもは、男の方を一度だけ見た。
確認するような目だった。
男は何も言わず、あごで示す。
それで十分だった。
私は、その路地を通らなかった。
角を曲がって、遠回りをした。
歩きながら、何度もポケットの中のスマートフォンに触れた。
結局、取り出さなかった。
私は、それを見なかったことにした。
自分でそう選んだ。
正しかったかどうかは考えないまま、家に帰った。




