90話 そして、英雄譚へ
登りきった朝日が、荒野に立つ俺とシンを確かに照らしたその瞬間。
言葉による合図など何一つなく、最終戦闘の火ぶたは切って落とされた。
「......」
シンは静かに瞳を閉じ、自らの胸に手を当てる。
それは、自らの奥底にある『憧憬』を、そのままこの世界へと投影するような厳かな儀式だった。
「拝啓、憧れの英雄へ」
シンの静かな詠唱と共に、彼の姿が光に包まれ、一変する。
純白の髪が逆立ち、かつて世界を救ったという英雄の姿をそのままその身に宿したかのように、荒々しくも特異な装飾の大剣と、重厚な鎧を纏ったのだ。
「知っているかい? 龍と人の時代に居たとされる、大剣の英雄の話を」
シンがゆったりと問いかけてくる。
俺は、
その話を、
──────知っていた。
「......どういう運命の悪戯かは知らないが。俺がまだ幼い頃、英雄譚として読み聞かせてもらったことがある」
大剣の英雄、ロッド=ガルバス。
俺のいた元の世界が、凄惨な戦争を始めて間もない頃。平和だった日々の記憶の片隅で、確かに聞いたことのある名前だ。遠い昔なのもあって、その物語の結末や詳しい内容はほとんど忘れてしまっていたが。
なぜ、この異世界の帝王が、俺の元の世界の英雄譚を知っている......?
「なるほど。......なら、この世界は『そういうこと』なんだろう」
俺の答えを聞いたシンは、全てを悟ったように意味深な発言をしてニヤッと笑い、続けて語る。
「私は、小さな頃からこの英雄譚が一番好きでね。数え切れないほど読み返した」
その独白を終え、シンは手にした大剣を太陽へと高く掲げた。
その言葉の真意、二つの世界の繋がり。気になることは山ほどあるが、そんな疑問は、極限の殺し合いとなるこの戦いにおいてはただのノイズだ。
俺は瞬時に、自分の思考からそれを強引に外し、目の前の敵の魔力だけに意識を集中させる。
「憧憬:龍剣ボルケイム、燃えあがれッ!!!!!!!」
ゴォォォォォォォッ!!!!
シンが掲げた大剣の刀身から、天を焦がすほどの紅蓮の炎が爆発的に吹き上がった。
「借りよう。......英雄、ロッド=ガルバス」
信じられない光景だが、シンはその身に、俺の知る物語の英雄『ロッド=ガルバス』の力を不完全ながらも確かに宿した。
そのまま、圧倒的な熱を放つ龍剣ボルケイムの切っ先を、真っ直ぐに俺へと向ける。
強大な伝説の力に対し、俺もまた、ユキの黄金の魔力が脈打つ『ヴァルセリア』を強く握り直した。
刹那──────鼓膜を焼くような爆音を置き去りにして、帝王の殺気が目前まで迫っていた。
「......ッ!」
速い、なんて次元じゃない。
龍剣ボルケイムの刀身から噴き出す圧倒的な熱波が、肌をチリチリと焦がす。
だが、俺の身体は恐怖で硬直するよりも先に、カシムさんと血を吐くほど反復し、細胞の隅々にまで染み込ませた『いなす』構えへと自動的に移行していた。
ギャリィィィィンッ!!!!!
黄金の光を帯びたヴァルセリアの腹で、迫り来る紅蓮の斬撃を紙一重で受け流す。剣と剣が交錯するたび、空間そのものが悲鳴を上げて歪み、凄まじい衝撃波がすり鉢状に荒野の土を抉り取っていく。
一瞬の判断ミスが身を滅ぼす、そんな攻撃が連続で来るだろう。
「......ほう。今の太刀筋に反応するか。見事だ」
シンが冷たく、しかしどこか楽しげに目を細める。そのまま息つく暇もなく、怒涛の連撃が俺を襲った。
ガァンッ!
ゴァァァァンッ!!
ガガガガガガッ!!!
火花と閃光が乱れ飛び、戦場に太陽がいくつも落ちたかのような爆発が連鎖する。シンは、これまでの円卓の幹部たちのように、初見殺しの特異な能力や厄介な呪いを使ってくるわけではない。
しかし......攻勢、防御、魔法の詠唱速度、そして戦局の判断。その全ての基本スペックが、圧倒的に『ハイセンス』なのだ。
一歩踏み込むタイミング、剣を引く角度、魔法を混ぜ込む隙のなさ。一切の無駄がない。まさに、戦うために生まれてきたような完全無欠の天才......!
......マズいな。このまま普通に斬り合っていれば、数手先で必ず俺が押し負ける。
俺の手首は既に限界に近い悲鳴を上げていた。シンの超常的な剣技に対し、俺が勝っている要素はない。
ならば......正統派の剣戟の『常識』から外れるまでだ。
「......ふぅ」
俺は短く息を吐き、体内を巡る魔力リソースの配分を極端に弄り回した。
身体能力や知覚を底上げする強化魔法を削り落とし、その分の膨大なリソースを、全て『魔剣ヴァルセリアの生成と消去のレスポンス』へと全振りする。
「......行くぞッ!!」
俺は地面を蹴り飛ばし、シンへ向けて真っ直ぐにヴァルセリアを投擲した。
「小細工を......!」
シンがボルケイムで飛来する魔剣を弾き飛ばす。だが、弾かれた瞬間に俺は魔剣を『消去』した。
宙を舞っていたヴァルセリアが黒い霧となって消え失せる。そして俺は、無防備なシンの懐へと潜り込み、空だった右手に再びヴァルセリアを『生成』して下から斬り上げた。
「......ッ!? 武器の、瞬間移動......!」
僅かに目を見開いたシンの頬を、黄金の刃が浅く切り裂く。
だが、天才の反応は異常だった。体勢を崩しながらも、即座に死角からカウンターの蹴りを放ってくる。
俺は斬り上げたヴァルセリアを即座に消去し、今度は左手に生成。シンの蹴りを完璧なタイミングでガードし、その反動を利用して後方へと跳躍した。
「ハァ......ッ、ハァ......ッ」
魔剣の瞬間的な生成と消去。フェイント、投擲、防御、全てを不規則に切り替える変則スタイル。知覚の強化をおろそかにしたせいで、シンの剣速は恐ろしいほどに視えづらくなっている。一歩間違えれば即死だ。
だが、その見えない隙間は、今日まで幾多の死線を潜り抜けてきた俺の『経験』と『直感』で強引に埋めてやる。
ギリギリの命の綱渡り。
その極限のヒリつきの中で......俺の集中力のギアが、カチリと、もう一つ上の次元へと上がった。
「......ッ、がァ......!」
魔力回路が焼き切れ、断熱しそうになるほどの尋常ではない熱量が、複雑に体内を駆け巡る。
ただの魔法じゃ、あの圧倒的な帝王に決定打を決めることはできない。ならば......あの禁断の力に頼らざるを得ない。ふと思いついた、生存確率の極めて低いその『可能性』に賭けようじゃないか。
俺はシンの猛攻を右手のヴァルセリアでギリギリ防ぎながら、空いた左手で瞬時に魔導書『グリモ=メモリア』を生成させる。
そのグリモ=メモリアに、自らの右手から強烈に感じられる固有の魔力『トゥーゴ』を惜しみなく流し込む。その燃素は、この世界そのものを構成する根源の力『エクタ』へと直結する。
そのあまりにも強大な力に触れれば、普通であれば俺の精神力は一瞬でリソースを吸い尽くされ、悪意に精神を飲まれてしまうだろう。
──────だが。
俺の賭けはこうだ。
精神の同調と魔法の構築を、全てグリモ=メモリアに外部委託して処理させる。そして、魔導書の中で”完成した魔法”だけを、純粋な『情報』として俺の身体に取り出す。
これなら、俺の脆弱な精神力を介さずに、エクタの神がかった魔法が使えるのではないか。
バチバチバチッ!
グリモ=メモリアに、俺のトゥーゴが濁流のように流れ込む。
その、途中だった。
”それ”が、俺の想定を裏切る形で強烈に干渉してきたのだ。
「な......ッ!?」
そう。この現代で、ユキだけが使える世界を『拒絶』するほどの力。
先ほどユキが俺の体内に全てを託してくれた『日のエクタ』の情報が、導かれるように逆流し、俺の魔力と混ざり合ってグリモ=メモリアへと流れ込んだのだ。
繋がる。
俺の持つ『月』と、ユキの託した『日』が。
交わるはずのなかった二つの根源が、俺という器、そしてグリモ=メモリアという演算機の中で、完璧な形で融合していく。
カッ──────!!!!
「......がッ、あああああぁぁぁぁぁッ!!」
そうして、神の領域の術式が完成した瞬間。その情報が、俺の脳内に凄まじい電撃のように叩き込まれてきた。視界が白く飛ぶ。脳髄が沸騰しそうになる。だが、確かな力の奔流が、俺の魂そのものを別次元へと押し上げていくのが分かる。
「......何をした、英雄」
シンが警戒して剣を構え直す中、俺は静かに目を閉じ、天に向かって左手をかざした。
──────そして、世界そのものに告げるように、俺の脳に刻み込まれたその奇跡の魔法の名を紡ぐ。
「『エフォート=エクリプス』」
頭上の空で、幻影の太陽と月が重なり合い、黒い光を放つ。
それは、失われたはずの奇跡。俺とユキの力が一つの器で交わり、世界すらも書き換える最強にして究極の『シンクロ』。
その眩い日食の光が、俺にこの世界を救う『勇者の資格』を、一時的に与えたのだ。
頭上で輝く黒い太陽、日食の光を浴びて、俺の身体から溢れ出す魔力が爆発的に跳ね上がった。
「......馬鹿な。人の身で、神の領域の術式を......ッ!」
余裕を崩さなかった帝王シンの表情が、初めて焦燥に歪む。
シンは即座に反応し、龍剣ボルケイムを触媒にして、周囲の空間を焼き尽くすほどの極大魔法を俺に向けて解き放った。
「消え失せろ、英雄!!」
迫り来る紅蓮の火球。だが、俺は動じない。
俺の中に流れるユキの力が、その魔法の本質を瞬時に理解し、否定する。
『アーカイヴ=リジェクト』
俺が静かに呟くと同時に、紅蓮の火球は俺に触れる直前で、まるで最初から存在しなかったかのように世界から『拒絶』され、霧散した。
「拒絶......まさか、勇者の力をその身に宿したというのか......ッ!?」
驚愕に動きを止めたシン。その絶好の隙を、俺は見逃さない。
「これで、終わりだ」
俺は手にした魔剣ヴァルセリアを、真上の日食に向かって全力で投擲した。
黒い太陽へと吸い込まれていく魔剣。俺はそれに向かって、右手をかざす。
俺とユキの力が融合した、最強のシンクロ魔法。その真価は、対象の「在り方」そのものを書き換えることにある。
「ヴァルセリア。お前が『一つの魔剣』として存在するその在り方を──────俺は今、ここで『拒絶』するッ!!!」
俺の意志に呼応し、日食の黒い光がヴァルセリアを包み込む。
次の瞬間、魔剣は内側から破裂するように、その形を保てなくなった。
バジィィィンッ!!!!
「なッ......!? 剣が、砕けた......!?」
否。砕けたのではない。
一つの巨大な個としての存在を許されなくなったヴァルセリアは、その構成魔力を無数の、数えきれないほどの鋭利な『魔力の短剣』へと再構築したのだ。
空を埋め尽くす、黒と黄金の刃の嵐。
それはまるで、意思を持った流星群のように、一斉に切っ先を地上の帝王へと向けた。
「しまっ......防御が、間に合わな......ッ!!」
「貫けェェェェッ!!!!」
右手の拳を思いっきりと握りしめながら叫んだ俺の号令と共に、無数の短剣が全方位からシンへと殺到した。
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
「グァァァァァァァァァッ!!!!!」
回避不能の飽和攻撃。シンの絶叫が響き渡る。
伝説の英雄、ロッド=ガルバスの堅牢な鎧が、数千、数万の刃によって飴細工のように粉砕され、その破片が朝日に照らされてキラキラと舞い散った。




