88話 『帝王』
「チィッ......!」
俺は迫り来る兵士の首を魔剣で跳ね飛ばし、すぐさま背後から突き出された槍を柄で弾き返す。
「レイ、左から三人......ッ!」
「分かってる......!」
無数に押し寄せる円卓の雑兵たち。
個々の戦闘力は決して高くはない。俺やユキなら、赤子の手を捻るようにあしらえる相手だ。だが、その圧倒的な『数』という暴力が、確実に俺たちの体力と精神を削り取っていく。
「ハァ......ッ、ハァ......ッ!」
隣で背中合わせに戦うユキの息遣いが、限界に近いほど荒くなっている。
シンクロが使えない今、広範囲の攻撃は味方である俺を巻き込む危険がある。だからこそ、ユキは俺の動きに合わせながら、極小の範囲で『拒絶』の力を精密にコントロールし続けなければならない。その脳の疲労は計り知れないはずだ。
俺自身も、握る漆黒の魔剣ヴァルセリアが、まるで鉛の塊のように重く感じ始めていた。
斬っても、斬っても、黒い波は止まらない。
返り血で視界が赤く滲み、足元は倒れ伏した兵士の骸でひどくぬかるんでいる。敵の刃を躱し切れずに受けた小さな切り傷や打撲が全身に蓄積し、疲労という名の毒が確実に思考を鈍らせていく。
「全軍......手を、休めるな。......奴らを、殺せ」
軍を指揮する第九席、イオの血を吐くような声が戦場に響くたび、兵士たちは狂気を孕んだ目で群がってくる。
ジリ貧だ。このままじゃ、間違いなく押し潰される。
息も絶え絶えに血みどろの視界を確保した、その時だった。
「......ッ!」
兵士たちの群れのさらに奥。
俺の一撃を受けて地に伏していたはずの第二席、ベターがよろよろと立ち上がり、その両手に禍々しく輝く巨大な魔法陣を組み上げている姿が見えた。
──────マズい。
理屈じゃない。肌を刺すような強烈な悪寒が、俺の直感にけたたましい警鐘を鳴らす。
あれを撃たせたら、終わりだ。
極限の疲労の中でも、あれだけは絶対に止めなきゃいけないと、俺の戦士としての本能が強く叫んでいた。
しかし、俺の戦士としての本能がその危険性に気づいた時には......全てが遅かった。
バタッ......、バタバタバタッ......。
「......え?」
「な、なんだ......!?」
今まで狂ったように襲い掛かってきていた無数の雑兵たちが、まるで一斉に糸を切られた操り人形のように動きを止め、次々とその場に倒れ伏し始めたのだ。
一切の抵抗も、悲鳴すらない。ただ、命の灯火だけがフッと消え去っていく。
倒れた兵士たちの山によって開けた視界。
その先に、空間そのものを歪ませるほどにとんでもなく巨大で、おぞましい真紅の魔法陣を描き終えたベターの姿があった。
「......この禁呪を発動させるのには、術者自身が『死』を極限まで近くに感じる必要があってね」
血まみれのベターが、狂気を孕んだ薄い笑みを浮かべて俺たちを見つめる。
俺たちの決死の反撃で致命傷を負い、死にかけたことすら、この巨大な術式のトリガーだったというのか。
「ガルファ兄さんも、ルターも、ロータシーもいない今......僕が取れる最善の策が、これだったんだよ」
ベターの言葉を合図にするかのように、限界を迎えていた第九席イオの身体からも、そしてロンベルの各地で倒れた円卓の幹部たちの残滓からも、眩い光の粒子が立ち昇り始める。
それは、まるで世界そのものに響き渡るような、彼らの『遺志』の声だった。
『今、時は来た。我々の正義を示す時が。』
『私達の遺志は、大いなる父、皇帝陛下から賜ったもの。』
『さあ、その遺志を......全て、父上へお返ししよう』
死にゆくベターの身体が光に包まれ、崩れ落ちる。
戦場に満ちていたすべての円卓の命、その膨大な魂の力が、空に描かれた巨大な真紅の魔法陣の一点へと凄まじい勢いで吸い込まれていく。
──────『我らエルザナの未来に、幸あることを』
最後に残った彼らの悲願が木霊し、魔法陣が臨界点を超えて弾けた。極光がロンベルの地を白く染め上げ、俺とユキは思わず腕で顔を覆う。
やがて、荒れ狂っていた魔力の嵐が収まり、空間がゆっくりと元に巻き戻るように定着していく。
「......嘘、だろ」
光の晴れたその中心に、一人の男が君臨していた。
圧倒的、という言葉すら生ぬるい。そこに存在するだけで世界がひれ伏すような、次元の違う重圧。
男の頬には、自らのために散っていった子供たちや臣民を想ってか、静かな一筋の涙が流れていた。
すべての命を代償にして、この世に完全なる復活を遂げた伝説の帝王。
『シン=エルザナ』が、静かにその目を開いた。




