87話 最奥
イーシアが命懸けで切り開いてくれた道を抜け、俺とユキはついに敵本陣の最奥へと辿り着いた。
そこは、肌が粟立つほどに濃密で禍々しい魔力が渦巻く空間だった。
静寂の中、パチパチと軽い拍手の音が響き渡る。
「なんと、キミたち二人が無傷でここまで来るとはね」
暗がりから姿を現したのは、円卓第二席、ベター=サイプ。
余裕の笑みを浮かべる奴のさらに奥からは、もう一つ別の強大な気配が漏れ出している。あれが、最後に残る第九席だろう。
俺は魔剣ヴァルセリアを構え、真っ直ぐにベターを睨みつけた。
「久しぶりだな。今、ここで引導を渡してやる」
「強気だね。でも、奥にはここの全軍を率いている弟がいるからね。僕も簡単には退けない。......せいぜい抗わせてもらおうかな」
ベターがふっと目を細め、指を鳴らした瞬間だった。
俺たちの周囲の空間を埋め尽くすように、無数の魔法陣が展開された。炎、氷、雷、風。あらゆる属性の極大魔法が、一切の詠唱なしで俺たちに狙いを定める。
圧倒的な、魔法の暴力。
「来るよ、レイ! いつもの『シンクロ』で一気に魔法ごと吹き飛ばすよ!」
ユキが叫び、俺の魔力に自身の『拒絶』の力を同調させようと手を伸ばしてきた。
俺もそれに合わせ、呼吸を一つにして魔力の波長を重ね合わせようとする。
──────だが。
「......ッ!? 嘘、同調できない!?」
ユキが驚愕の声を上げた。
俺の魔力が、まるで硬い岩のようにユキの力を弾いてしまったのだ。
「レイ、どうして......!」
「......そうか。俺が、この世界に定着してしまったからか......ッ!」
理由はすぐに理解できた。
俺が『タイムシフト』を手放したこと。それは、時間を漂う不安定な観測者から、この世界の確固たる住人になったことを意味する。
かつては存在が曖昧だったからこそ、ユキの特異な力と自在に混ざり合い『シンクロ』できていた。だが今は、俺という存在の輪郭がこの世界に強く固定されすぎていて、二人の力を一つに溶け合わせることができないんだ。
「ハハッ! どうやら自慢の連携は不発のようだね。なら、そのまま消し飛べ!」
ベターが冷酷に腕を振り下ろす。
シンクロという最大の防御であり矛を失った俺たちに、逃げ場のない全方位からの魔法の豪雨が、容赦なく襲い掛かった。
「......クソッ!」
俺とユキは、全方位から迫る魔法の豪雨を、それぞれバラバラに回避するしかなかった。
シンクロが使えない。つまり、俺たちは二人で一つの『無敵の矛と盾』になることはできず、ただの『二人の戦士』として戦うしかないのだ。
「レイ! 右から炎が来る!」
「分かってる! ユキは自分の防御に専念しろ!」
俺は魔剣で氷の槍を叩き割り、ユキは自身に迫る雷撃を『拒絶』の力で空間ごと弾き飛ばす。息つく暇もない。ベターの放つ魔法は、どれも一撃が致命傷になり得る威力だ。
「ハハハッ! 泥臭く逃げ回るねぇ。でも、いつまで保つかな?」
空中に浮かぶベターが、余裕の笑みで次の極大魔法の詠唱に入る。
......このまま防戦一方では、確実にジリ貧になる。
「ユキ......! 合わせるぞ!」
「......うんッ!」
長年の相棒としての勘だ。言葉を交わさなくても、お互いの意図は痛いほど伝わる。
シンクロで魔力を混ぜ合わせることはできない。なら、それぞれの力を極限まで独立させたまま、コンビネーションで奴を叩き落とす!
「拒絶ッ!!!」
ユキが前方に両手を突き出し、ベターを守る幾重もの魔法障壁を、力任せに空間ごと『拒絶』して消し飛ばした。
「なッ......!? 僕の防壁を力技で......!」
ベターが驚愕に目を見開いたその一瞬の隙。
ユキがこじ開けた文字通り『一筋の道』を、俺は全魔力を脚に込めて駆け抜けた。
「もらったァァァッ!!!」
俺の放った渾身の袈裟斬りが、ベターの胸元を深く切り裂く。
「ガァァァァッ......!?」
鮮血を散らしながら、ベターが荒野の土へと墜落した。荒い息を吐きながら、俺とユキは地に伏す第二席を見下ろす。辛くも、奴を追い詰めた。
「......ハァ、ハァ......。まさか、個々の力だけで......僕をここまで削るとはね......」
不自然なほど、簡単に決まった一撃。他に思惑があるのかもしれないが、ここで終わらせればそれも阻止できるだろう。
──────そして。
ベターが血に染まった口元を歪め、忌々しそうに俺たちを睨み上げる。これで終わりだ。俺がトドメを刺そうと剣を振り上げた、その時だった。
ズズズズズズズッ......!!!!
敵本陣のさらに奥、砂煙の向こう側から、地鳴りのような足音が響いてきた。
「......ごめん、遅れちゃった、兄さん」
土煙が晴れた先に立っていたのは、一人の少年だった。
円卓第九席....!
まだあどけなさの残る少年の風貌だが、その姿は異様だった。限界を超えた魔力行使の代償か、彼の両目からはツゥーッと一筋の赤黒い血が流れ落ち、青白い頬を濡らしている。
フラフラと覚束ない足取り。だが、その後ろに広がる開けた空間には、息を呑むほどの......文字通り『無数』の円卓の兵士たちが、ぎっしりと陣形を組んで待機していたのだ。
「......勇者と、剣聖。......よくも僕たちの陣を、ここまで......」
イオは血の涙を流しながら、焦点の定まらない瞳で俺たちを睨みつける。限界ギリギリの身体で、この大軍勢を束ね、維持しているというのか。
「全軍......突撃しろ。......奴らを、数の暴力で削り殺せ......ッ!」
「「「「「オオオオオオオオオオッ!!!!」」」」」
イオの血を吐くような号令と共に、黒い鎧の波が雪崩のように俺たちへと殺到してくる。
シンクロを封じられ、ベターとの死闘で既に肩で息をしている俺たちに、休む暇すら与えない底なしの消耗戦。
「......冗談だろ」
押し寄せる絶望的な軍勢を前に、俺はただ、血に塗れた魔剣を強く握り直すことしかできなかった。




