78話 『ノーステップバック』
ドクン、ドクン、ドクン......。
力が、溢れて止まらない。
世界とのズレが無い状態での魔力操作は、これほどまでに甘美で、万能なのか。
俺の意思が、そのまま世界の意思になる。
もはや下地にあった黒色は隠れ、俺の纏うコート『ヒュニエスタ』は、内側から噴き出す魔力で禍々しい紅色へと変色していた。
まるで、生き血を啜った獣のように蠢いている。
ああ、これなら......何でもできる
正に、天を穿つほどの力。俺はニヤリと口角を吊り上げ、指先を振るう。
「──貫け、ヒュニエスタ」
ズオオオオッ!!!!!
魔鉱石を紡績した魔布で出来ているヒュニエスタが、俺の言葉に呼応して爆発的に膨れ上がる。
何本もの鋭利な槍となり、鞭となり、深紅の顎となってガルファへ殺到する。
「ハハッ!!! 全部避けるか!!!」
ガルファは紙一重で、その嵐のような猛攻を躱し続けている。
だが、それがどうした?
今の俺に、敗北の二文字はない。
だって、今の俺は──世界そのものだから。
『──ヴァルセリア』
脳内に響く、魔剣の声。いや、俺自身の破壊衝動か。
『殺せ、”奴”を。跡形もなく──────』
俺は笑いながら、さらに出力を上げようとする。その慢心。その一瞬の思考の空白。
それを、百戦錬磨の長男は見逃さなかった。
「......俺も、長男として、負けられないんでね」
嵐の中で、ガルファが静かに呟く。
その瞳には、恐怖も焦りもない。あるのは、背負ってきたものの重さと、弟たちの屍を超えて進む覚悟だけ。
「これが、土壇場の兄としての力だ」
その時。
ガルファの周囲の空気が、ピタリと止まった。
彼もまた、その正義を《完成》させたのだ。
──突っ込んでくるか
ガルファが一直線に俺へ向かってくる。
だが、遅い。
今の俺の知覚速度からすれば、止まって見えるほどだ。そんな一撃、当たる確率は万に一つも──。
ザシュッ!!!
「......え?」
鮮血が舞う。俺の胸に、深い斬撃が刻まれていた。
双対する正義は、確率も、速度も、理屈も超えて。
不可能を可能にする者へと変化した。
◇◇◇◇◇
「ご、ふッ......ォェッ......!」
喉の奥から、鉄の味とは違う、もっと粘り気のある禍々しいものがせり上がってくる。俺は膝をつき、地面にドス黒い感情と共に、大量の鮮血を吐き出した。
......危なかった
飲み込まれかけていた。
力が全能すぎて、自分が自分でなくなる感覚。
破壊衝動と殺意が脳を支配し、ただ目の前の敵を蹂躙することだけに悦びを感じていた。
これが、『悪意』だというのか。
どうやら、世界そのものである『エクタ』を過剰に使用すると、生身の肉体と精神が人間の悪意をコントロールする『ディソナンス』に蝕まれていくようだ。
その『悪意』は、思考をジャックし、俺を終わらない闘争の果てへと引きずり込もうとする。
「はぁ......はぁ......ッ」
意識が遠くなるその感覚。
死神が耳元で囁くような冷たさは、俺に「もう過去へは戻れない」という事実を、嫌というほど思い出させてくれる。
......慢心はダメだ、絶対に....!
俺は血のついた口元を乱暴に拭い、脳内で暴れる『悪意』を握りつぶす。冷静になれ。俺は神じゃない。ただの、一人の人間だ。
背後から温かい光が降り注ぐ。
傷は瞬時に『拒絶』され、塞がった。しかし、回復してくれるユキの顔色は蒼白だ。彼のリソース的にも、ここから先は油断できない。無尽蔵に回復できるわけじゃないんだ。
俺は立ち上がる。
不可逆な戦場。一度きりの命。
その重圧が、俺の感覚を再び鋭く研ぎ澄ませていく。
「......悪い、待たせたな」
俺は魔剣を構え直し、静かに告げる。
「第二ラウンドと行こうか。ガルファ」
「フッ......ようやく、戦士の目に戻ったか」
相対するガルファもまた、レイピアを正眼に構える。兄としての責務、弟たちの無念、そして円卓の運命。その全てを受け入れた男の、静寂を纏った構え。
「来い、レイ。ここからは、互いの『全て』を懸けた殺し合いだ」
「シッ、ハァァァァッ!!!」
「オラァッ!!!」
ガギィッ! キィィィンッ!! ズガガガガッ!!!!!
互いの剣がぶつかり合うたび、火花が視界を埋め尽くす。
速い。重い。そして、鋭い。
さっきまでの怪物じみた「確率干渉」や「現実改変」の応酬じゃない。互いに死力を尽くし、ただひたすらに、剣の腕と読み合いだけで殺し合う。
これが、円卓第一席......!!
ガルファの剣には、迷いがない。
弟たちの無念、組織の長としての誇り、その全てが切っ先に宿り、俺の防御を抉じ開けようとしてくる。
「もらったァッ!!!」
「──ッ!?」
一瞬の呼吸のズレ。
ガルファが俺の大振りを誘い、そのカウンターとして完璧なタイミングで踏み込んできた。
ガァァァァァァンッ!!!!!
「ぐ、ぅ......ッ!!」
手首に走る激痛。
強烈な衝撃に耐えきれず、俺の手から漆黒の魔剣『ヴァルセリア』が弾き飛ばされた。
クルクルと回転し、地面に突き刺さる魔剣。
俺は丸腰。
ガルファのレイピアが、無防備な俺の喉元へと迫る。
......魔法だ!
脳裏に、甘い誘惑が過ぎる。
指を鳴らせ。世界を書き換えろ。エクタを過剰に使えば、剣がなくとも奴を消し炭にできる。あの全能感に身を委ねれば、勝てる。
────違う。
俺は奥歯を噛み砕く勢いで、その誘惑を振り払った。エクタを媒介にした魔法は、もう使ってはいけない。あれを使えば、俺は勝っても「俺」でいられなくなる。ガルファと同じ、力に溺れた化け物に成り下がる。
ならば──────。
俺は構えを取る。
剣はない。だが、俺の中にはある。あの森でルターと戦った日々。ソフィアに教わった兵法。スミスと語らった武具への信頼。
そして、何万回と繰り返した死の中で、体に染み込ませた「戦いの記憶」。
俺は、ここまで研鑽を積んだ、己の剣を信じるのみだ。
死が迫る。
ガルファの必殺の刺突が、俺の眉間へと迫るコンマ数秒の世界。
その時、脳裏に”あの声”が、静かに響いた。
『──焦るな。イメージしろ。お前の剣は、まだそこにある』
これまで何度も、窮地を脱する時に俺を導いてくれた声。エデニアムの誰かでも、ユキの声でもない。もっと硬質で、けれど誰よりも俺を知っている声。
......そうか
俺は口元を緩める。
いつも、俺の背中を叩いて『それ』を教えてくれていたのは......
ヴァルセリア。お前だったんだな
俺はガルファから視線を外さず、腰を深く落とす。
右手を、何も無い腰の横へ。
左手を、存在しない鞘へ。
「......あぁ!?」
ガルファが訝しむ。丸腰で、抜刀術の構え? 狂ったか、と。
違う。
俺は強くイメージする。俺の腰には、共に歩んできた相棒がある。その重み、その冷たさ、その長さ。全てを幻視する。
その想像した強固なイメージは、右腕の『トゥーゴ』と大気中の『エクタ』を触媒にし、時空そのものを歪ませる。
物理的な鋼ではない。
勝利を掴み取るためだけに存在する、概念の刃を生成する。
「終わりだ、レイ!!」
ガルファの刃が届く──その刹那。
俺は踏み込んだ。
もう二度と、後ろへは下がらない。過去へは戻らない。
「第四節《【後編】ノー=ステップ=バック》」
キィィィィンッ──────!!!!
神速の抜刀。
空間ごと断ち切る不可視の一閃が、戦場を横切った。




