60話 秘術のしくみ
蒼い光点が示すレイの現在地。
その「場所」が分かっただけでも、暗闇の中に確かな希望の光が差した気分だった。
とはいえ、ただ闇雲に突っ込んでも返り討ちに遭うだけだ。あの時、レイを一瞬で封じ込めた円卓第二席、ベター=サイプの魔法。その理を解き明かさなければ、レイを救い出すことは決してできない。
だから僕は今、エデニアムの作戦室を離れ、ソフィアさんと共に魔導ギルドの特別資料室へと足を運んでいた。
「勇者様。対策を立てるにあたり、まずはベター=サイプが使用した魔法の『事象』を正確に把握する必要があります」
壁一面を覆う膨大な魔道書の匂いの中、ソフィアさんが静かに問いかけてきた。
「当時の状況を、できる限り詳細に教えていただけますか?」
僕はこくりと頷き、あの忌まわしい記憶を一つ一つ言葉にしていく。
何も違和感のなかった街道。レイが「さっきと同じ配置だ」と認識した瞬間に、世界がガラスのようにひび割れたこと。
そして、物理的な破壊や殺意の波動は一切なく、ただ純粋に「空間を切り取り、レイだけを黒い立方体の中に圧縮してしまった」こと──。
僕の話を聞き終えたソフィアさんは、顎に手を当てて深く考え込んだ。その秀麗な眉間には、深いシワが刻まれている。
やがて彼女は「少し、お待ちください」とだけ言い残し、一般の魔導師では決して入れないであろう、ギルドの最奥にある禁書庫へと姿を消した。
◇◇◇◇◇
それからしばらく、ソフィアさんは禁書庫で考え込んでいるようだった。
その時間を使って、グリモ=メモリアを見ていると、僕の能力が刻まれていることに気づいた。
「少し、自分のことについて知るのもいいかも」
グリモ=メモリアを見ながら、僕自身のことを再度振り返ってみようかな。
僕が使える能力は、『事象の拒絶』と、『聖剣の召喚』の二つだ。そして、聖剣に刻まれている昔の勇者さんの記憶を、肉体に一部読み込ませることもできるみたい。
そして──────
聖剣の真名、それこそが、”リュミエール”。聖剣リュミエールというのが真名らしい。
そうやって時間を潰していると、重厚な扉が開く音をたてながら、ソフィアさんが埃にまみれた古い羊皮紙や分厚い文献を抱えて戻ってきた。
「お待たせいたしました。あくまで推論の域を出ませんが......ベターの使った魔法の正体が、掴めたかもしれません」
彼女はそう言うと、持ってきた資料をテーブルに広げた。
「結論から言いますと、レイ様を閉じ込めたあの結界術は『現代の魔法体系からは完全に逸脱』しています。あれほど強固で、対象の物理法則ごと隔離するような空間結界は、エルザナ魔法研究機関の歴史上、どんな大魔導師であっても到達不可能な領域です」
ソフィアさんの声には、研究者としての畏怖が混じっていた。
「では、なぜあのような事象が成立したのか──────」
ソフィアさんは一層真剣な眼差しになり、自ら整理したであろう大きな模造紙をバサリと広げた。そこには複雑な魔力構成式がびっしりと書き込まれている。
「私が出した結論は二つ。一つは『極限まで絞り込まれた対象の限定』です。発動条件を『レイ様が違和感を認識した瞬間』に限定し、効果範囲も『レイ様ただ一人』に絞り込む。術式のハードルを異常に高く設定する代償として、魔法の強度を天文学的に跳ね上げているのです」
なるほど。対象を絞り込んで、僕たちの空間とベターの空間を切り分けたってことっぽいね。
「ですが、それだけでは足りません。もう一つの要因にして最大の脅威......それが、古代魔法『エクタ』の行使です」
「エクタ......?」
聞き慣れない言葉に、僕は首を傾げる。
レイの記憶をシンクロした僕なら、レイが知っている魔法知識はすべて頭に入っているはずだ。だが、そんな概念はどこにもない。
「その『エクタ』っていうのは、一体どんな魔法なの?」
僕が尋ねると、ソフィアさんは周囲を警戒するように声を潜め、テーブルに身を乗り出した。
「神話の領域のお話です。かつてヴァイドヘイムで崇められていたような『龍の時代』にあったとされる、現在の魔法の原初の姿──つまり、真の魔法とも呼べる代物です」
「その大半の情報が失われており、今ではその存在と、魔法よりも多くの属性を有していたことだけが分かっている。それがエクタです」
「古代の魔法......だから、レイの認識の隙を突いて、あんな理不尽な封印ができたんだね」
僕たちが知っている現代の魔法体系が通じないからこそ、防御も回避も不可能だった。
しかし、どんな神話級の魔法であろうと、それを行使しているのが「人間」である以上、必ず綻びはあるはずだ。
僕がそう考えていると、ソフィアさんは紙に描かれた術式の一部を指差し、ベターへの対抗策を語り始めた。
「いくら円卓第二席のベターといえど、これほど規格外の魔法を維持し続けるには、莫大な魔力と集中力を要するはずです。つまり、その魔法を維持したまま、私達のような手練れと『戦闘』を行うことは不可能です」
ソフィアさんの眼鏡の奥が、鋭い知性の光を帯びる。
「恐らく、あの蒼い光点が示す封印の座標に、ベター本人はいないでしょう。彼は遠く離れた安全圏から、術式の維持のみに専念しているはずです」
「......なるほど。術者本人がいないなら、僕たちだけでも封印に近づける」
「はい。ですが、そこから先は......賭けになります」
ソフィアさんは少しだけ言葉を濁し、僕の目を真っ直ぐに見つめた。
「外側からの物理攻撃や魔法干渉は、『認識の檻』に全て無効化されます。ですが、勇者様とレイ様には、魂を繋ぐ『意識のシンクロ』という絶対的なアドバンテージがあります」
あのクオカミ戦で見せた、二人で一つの身体と意識を共有する力。ソフィアさんの言わんとしていることが、僕にも痛いほど理解できた。
「どうにかして物理的に封印のすぐ側まで近づき、勇者様の意識を、檻の中のレイ様と強制的にシンクロさせる。そして、外部からではなく、檻の内側にいるレイ様の意識の中から、勇者様の力──《拒絶》リジェクトを放ち、封印そのものを内側から破壊するのです」
ソフィアさんが、ぎゅっと拳を握りしめる。
「失敗すれば、勇者様の意識まであの亜空間に囚われ、二度と戻ってこられなくなる危険な賭けです。......これが、私の導き出した最善にして唯一の案。後は、勇者様の判断にお任せします」
ソフィアさんが、持てる知恵の全てを絞り出してくれた最高の作戦だ。
危険な賭け? そんなことはどうでもいい。
レイが今まで、僕のためにどれだけの死線を、どれほどの絶望を越えてきてくれたと思っているんだ。
僕の心は、もう決まっていた。
「ありがとう、ソフィアさん。......その案で行く」
僕は迷いなく答え、『グリモ=メモリア』をしっかりと握りしめる。
「レイの救出に、僕たちで乗り込もう」
僕の決断に、ソフィアさんは深く、そして力強く頷いてくれた。
その後、合流したスミスさんとイーシアさんに作戦の全貌を伝えた。
二人は危険な作戦であることを承知の上で、当然のように同行を志願してくれた。
勇者である、僕。
魔導の叡智を司る、ソフィアさん。
王国の最強騎士、イーシアさん。
神業を持つ専属鍛冶師、スミスさん。
レイを奪還するための、少数精鋭の四人パーティ。
僕たちは即座に旅の支度を整え、蒼い光点が示す地──リベルタスの果てへと向けて、反撃の足を踏み出した。




