59話 僕の戦い
レイがいなくなった。
目の前で、小さな箱のような──黒い立方体に圧縮された空間にレイが閉じ込められ、そして掻き消えるように連れ去られた。
「......ッ」
僕は、レイが消えた虚空を見つめたまま、唇を噛みしめる。 心臓が早鐘を打っている。指先が震えている。 けれど、僕は膝をつかなかった。
「クソッ!! ふざけやがって!!」
隣で、スミスさんが叫び声を上げ、持っていたハンマーを地面に叩きつけた。 ドガァン! という音が響く。彼は怒りと無力感で顔を歪め、肩で息をしている。
「なんでだよ......! せっかく腕を治して、これからだって時によぉ!!」
「スミスさん。落ち着いて」
僕は、荒ぶるスミスさんの肩に手を置いた。 自分でも驚くほど、僕の声は冷静だった。
「......あ? ユキ、お前......」
「レイは、死んでない」
僕は、レイが最後に投げてよこした『グリモ=メモリア』を胸に強く抱きしめる。
「あいつは『封じる』って言ってた。殺すことが目的じゃないなら、レイはまだ生きてる。どこかに幽閉されているだけだ」
「そ、そうか......。そうだよな......」
スミスさんがハッとしたように顔を上げる。 僕はレイがいなくなった空間を睨みつけ、思考を回す。
悲しんでいる暇なんてない。泣いている時間があったら、一秒でも早く助け出す方法を考えろ。 レイなら、きっとそうするはずだ。
「ここじゃ何もできない。一旦ロンベルに戻ろう」
僕はスミスさんの方を向き、きっぱりと告げる。
「イーシアさんやソフィアさんと合流して、情報を集めるんだ。あの『ベター』って奴の能力、拠点、弱点......全部調べて、万全の状態で殴り込みに行く」
「......へっ、驚いたな」
スミスさんは、僕の顔を見てニヤリと笑った。少しだけ、いつもの覇気が戻っている。
「てっきり泣き出すかと思ったが......いい面構えになったじゃねぇか、ユキ」
「泣くのは、レイを助け出した後だよ」
僕はハンマーを拾い上げ、スミスさんに手渡す。 その時、胸に抱えた『グリモ=メモリア』から、ドクン、と微かな鼓動を感じた。
まるで、「その通りだ」とレイが背中を押してくれているような、温かい魔力の波長。 これがある限り、僕とレイは繋がっている。
待ってて、レイ。
心の中で、彼に呼びかける。 この本には、レイの魂の一部がある気がする。なら、僕の声は届いているはずだ。
僕が、絶対に助けに行くから──────
僕たちは顔を見合わせ、頷き合うと、街道を走り出した。 逃げるためじゃない。 大切な「英雄」を取り戻すための、反撃の狼煙を上げるために。
◇◇◇◇◇
皮肉なことに、ロンベルへの帰路は驚くほど順調だった。 レイがいないだけで、世界はいつも通り回っている。空は青く、風は穏やかだ。 その「平和」が、僕たちの心に巣食う喪失感をより一層際立たせていた。
ロンベルに到着するなり、僕たちはエデニアム本部へと駆け込んだ。 事情を聞いたイーシアさんは、顔面を蒼白にし、唇を噛み締めた。
「......不覚だ。私がついていながら、みすみすレイ殿を......!」
ドンッ! と机を叩く音が、重苦しい作戦会議室に響く。 彼女もまた、レイの不在に心を痛め、そして憤
っていた。
「悔やんでいる場合じゃねぇぞ、イーシア。今は一刻も早く、あいつを取り戻す算段を立てるんだ」
スミスさんが努めて冷静に振る舞い、地図を広げる。 僕、スミスさん、イーシアさん。そして情報を集めるソフィアさん。 残された僕たちが、レイ奪還チームの主軸だ。
「だが、最大の問題は......レイ殿が『どこ』に幽閉されたか、皆目検討がつかない点だ」
イーシアさんが苦渋の表情で唸る。 あのベターという男は、空間ごとレイを隔離した。それがこの世界のどこにあるのか、あるいは異次元なのか。手がかりがなければ、広大な世界を雲掴みで探すことになる。
「くそっ......! 何かねぇのかよ! 奴の魔力残滓とか、足取りとか!」
スミスさんが苛立ちを露わにする。 行き詰まる会議。重くなる空気。 僕の手の中で、抱きしめていた『グリモ=メモリア』が熱を帯びた気がした。
......レイ
その熱に導かれるように、僕はハッと思い出した。 そうだ。旅の始まり──ロンベルへ向かう前、レイはこの本を使って地図を見せてくれたことがあった。
『見てくれ。今いるのがここだな』
あの時、この本は正確な地形図と現在地を表示していた。 もし、この本がレイと繋がっているなら......!
「......あるかもしれない。レイの居場所」
僕の言葉に、全員の視線が集まる。
「この本......『グリモ=メモリア』は、レイとリンクしている魔道書なんだ。昔、レイがこれで地図を見せてくれたことがある」
僕は震える手で、古びた表紙を開いた。 頼む。答えてくれ。レイはどこにいるんだ。 僕の魔力を、祈りと共に流し込む。
「お願いだ......教えてくれ、レイッ!!」
ブゥン......!
僕の呼びかけに応えるように、ページが独りでにパラパラとめくれ始めた。 白紙だったページに、魔力のインクが走る。 描き出されたのは、詳細な大陸全土の地図。 そして──。
「......あった!!」
地図の一点。 人里離れたリベルタス王国の極地、そこにマークが示されていた。
「ここだ......! レイは、ここにいる!!」
「でかしたぞ、ユキ!!」
イーシアさんが身を乗り出し、スミスさんが拳を握る。 僕たちが最も渇望していた「希望」が、今ここに示されたのだ。
本から伝わる温もりは、まるで「早く来い」と僕を急かしているようだった。 僕は顔を上げ、仲間たちを見回す。
「行こう。レイを迎えに」
今回は、レイを救い出すという、僕の戦いなんだ──────。




