39話 悠久の廻廊
「ん...んんッ」
身体が痛い。左腕の感覚がない。泥のように重い意識の中で、俺はぼんやりと天井を見つめる。 もしかして、俺は死んだのか?
「意識を確かに。レイ様」
重い瞼を開けると、そこにはソフィアの姿があった。いつもの冷静な瞳だが、その奥には隠し切れない疲労と沈痛な色が浮かんでいる。
苦しかったが、何とか起き上がり、ガサガサの声でソフィアに向き合う。
「...ソフィアがいるってことは、俺は負けたんだな」
「はい。回収した時、レイ様の身体は、ほぼ死にかけていました」
あれだけの攻撃を受けたんだ。命がある方がおかしい。それより、戦局はどうなった。
「ソフィア、円卓達は...イーシアたちは、どうなった?」
ソフィアは一瞬、言葉を詰まらせた。 だが、すぐに意を決したように口を開く。
「覚悟して聞いてください。レイ様を見失った円卓の二人は、そのままイーシア様たちの元に向かい...軍を壊滅させました」
「...壊滅?」
「はい。イーシア様も、最後まで戦われましたが...」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。全滅。俺が、負けたばかりに。 あの時、俺がもっと上手く立ち回れていれば。俺がもっと強ければ。
悔しい気持ちをぐっとこらえ、話をしっかりと聞く。
「ロンベルの街は壊滅状態です。私たちは、一応何とか避難に成功しました。現在、安全なエデニアムの副基地に転移しています」
避難に成功したか。 つまり、ここにいる俺と、隣のベッドで眠るユキは助かった。
だが──これでは、俺の『タイムシフト』を使う条件を満たすことができない。
俺の死に戻りの力については、ソフィアとイーシアだけに告げてあった。 俺が死ねば、時間は戻る。 だが、今の状況は「ユキの生存」が確定してしまっている。 もし今、俺が単独で自殺した場合、タイムシフトが発動せず、俺だけが死ぬ結果になる。
それでは意味がない。 それに、イーシアや、エデニアムの兵士たち、ロンベルの民が死んだこの世界を、正史にするわけにはいかない。
「......」
俺の脳裏に、イーシアとの記憶がよみがえる。『生きてまた、稽古をしようぞ』 そう言って笑った彼女を、見殺しにすることはできない。
だとしたら。 俺に残された手段は、一つだけ。
『ユキを殺して、その事実ごと世界を否定し、タイムシフトを発動させる』こと。
俺が、自らの手でユキを殺す。そう思考した瞬間、指先が震えだす。 本末転倒だ。俺はユキを守るために戦っているのに。
だが、このままでは誰も救えない。完璧な勝利を掴むためには、この「負けた世界」を廃棄するしかないんだ。
俺はふらつく足でベッドを降り、ユキの元へと歩み寄る。 ユキは、何も知らずに眠っている。心なしか、その寝顔は穏やかだ。
「...ソフィア」
俺は振り返らずに問う。
「円卓に負け、あまつさえ自分の主を手にかけようとしている俺は...守護者失格だと思うか?」
甘えだとは分かっている。否定してほしいわけじゃない。 ただ、断罪して欲しかった。
ソフィアは、俺が欲しかったその言葉を察し、冷酷に、しかし慈悲を込めて告げてくれた。
「......はい。勇者様の守護者として、恥ずべき事です」
「......ありがとう」
なら、俺がやるべきことは、ただ一つ。恥も外聞も捨てて、修羅になる。
俺は眠るユキの身体を、そっと抱きしめた。温かい。生きている。ごめん。ごめんな。痛いのは一瞬だ。次は、絶対に勝たせてやるから。
「...俺は、円卓に勝つ結果が訪れるまで、何度でもお前を殺す」
世界に、告げる。俺が円卓を倒さなければ、ユキが生きられないと誇示するように。
あまりの悔しさから、目尻から血の涙が流れた。
俺は魔剣を逆手に持ち、切っ先をユキの背中に当てる。 そして、俺の心臓の位置と重ね合わせ──。
「ごめんな、ユキ」
ドスッ。
肉を貫く感触。ユキがビクンと跳ね、すぐに動かなくなる。同時に、俺の意識も急速に遠のいていく。
鮮血に染まる視界の中で、俺は祈るように次の世界を願った。
──────第三次観測、開始。
目が覚めたのは、出撃前だった。イーシアも、ソフィアも、ユキもそこにいる。作戦開始前の、あの部屋だ。
俺はもう一度、同じように出撃する。 迷いはない。やることは決まっている。
──────第四次観測、開始。
何回だって諦めずに、一つ一つ相手の動きを見切るんだ。 負けても、一つ情報を取れば次に生かせる。
──────第五次観測、開始。
ユキを手にかけるのは辛い。 手の震えを抑え込み、自ら心臓を貫く。 痛みには慣れない。だが、やっとムラクの無茶苦茶な行動パターンが読めるようになってきた。 まだいける。
──────第六次観測、開始。
やはりクオカミが厄介だ。 いくら攻撃しても、回復される上に強化される。 魔法攻撃を仕掛けたが、ムラクが身を挺して必死に守っていた。 知性が無くても、本能レベルで連携が取れているのか? クソッ。
──────第七次観測、開始。
手を変えた。イーシアと共に戦ってみた。 結果は最悪だ。 経験を積んでいないイーシアが集中的に狙われ、彼女を援護しようとした隙を突かれて崩された。 俺の目の前でイーシアがミンチにされた光景が焼き付く。 ...やはり、俺一人で戦うべきだ。誰も巻き込んではいけない。
──────第八次観測、開始。
気づいたことがある。 どうやら、事務的に死に戻りしても魔力は増えないようだ。 以前のように、死の淵で足掻いて生き残ったわけではなく、自らリセットボタンを押すような死に方では、魂は成長しないらしい。 「死んで強くなる」という安易な攻略法は潰えた。 今の俺の手札だけで、勝つしかない。
──────第九次観測、開始。
少しずつ、ユキを殺すことに何も感じなくなってきた。 作業。これは、ただの作業だ。 ...ああ。ダメだな。俺は、何を考えているんだ。
──────第十次観測、開始。
なんもなし。情報ゼロ。
──────第十一次観測、開始。
だめだった。
──────第十二次観測、開始。
ムラクを倒せた。だが、強化されすぎたクオカミに触れることすらできずに敗北。
──────第十三次観測、開始。
負けた。
──────第十四次観測、開始。
──────第十五次観測、開始。
──────第十六次観測、開始。
──────第十七次観測、開始。
──────第十八次観測、開始。
──────第十九次観測、開始。
──────第二十次観測、開始。
──────第二十一次観測、開始。
──────第二十二次観測、開始。
──────第二十三次観測、開始。
──────第二十四次観測、開始。
──────第二十五次観測、開始。
...あれ、なんで俺はこのループをしてるんだっけ。
ああ。そうだ。あの二人に勝つためだったか。 勝って、どうするんだっけ。 ユキを、守る。そうだ、ユキを守るんだ。 そのためなら、ユキを何回殺しても構わない。 ...あれ? 矛盾してないか? まあいい。次だ。
──────第二十六次観測、開始。
──────第二十七次観測、開始。
──────第二十八次観測、開始。
──────第二十九次観測、開始。
──────第三十次観測、開始。
──────第三十一次観測、開始。
──────第三十二次観測、開始。
──────第三十三次観測、開始。
◇◇◇◇◇
──────第五十次観測、開始。
どうしても、二人同時に倒すことができない。あらゆるパターンを試した。魔法のタイミング、剣撃の角度、地形利用、イーシアの囮運用、敵同士討ち狙い。その全てが失敗に終わった。
思考力が、もうない。 脳が焼き切れるような感覚。
そして、また俺は致命的な一撃をもらう。 ムラクの拳で、下半身が消し飛ぶ感覚。
「.....やさしくやってくれよ」
ブラックアウト。
...ハッ。
起きる。そこは、薄暗い地下通路の隠し部屋。 目の前には、悲痛な顔をしたソフィアがいる。
「意識を確かに、レイ様」
ああ、またここか。 俺は負けたんだ。ロンベルは滅び、イーシアは死んだ。この世界は失敗だ。だから、リセットしなければならない。
俺は無言でベッドを降り、隣で眠るユキの元へ向かう。 ユキを殺す。 ころ、す。 殺して、俺も死んで、またあの戦場へ戻る。
魔剣を生成する。 切っ先を、ユキの心臓に向ける。
「......」
手が、止まった。
怖いわけじゃない。悲しいわけでもない。 ただ。
もう。疲れた。
あと何回やればいい? 100回? 1000回? この地獄に終わりはあるのか? 俺がやっていることは、本当に正しいのか?
俺は、ユキを殺すことを──躊躇ってしまった。 切っ先が震え、どうしても突き刺すことができない。
「...ごめん、ユキ。俺は...」
俺は膝から崩れ落ちるように、ユキの胸に顔を埋めた。もう、剣を握る力さえ残っていなかった。




