33話 死の恐怖
城を出た俺は、グリモ=メモリアの知識を展開し、身体強化魔法を起動する。
「チャージング=ストレングス」
脚部に魔力が集中し、筋肉がバネのように収縮する感覚。 痛みはない。あるのは、肉体が兵器へと切り替わる冷たい充足感だけだ。 なるべく早く、敵を捕捉し、処理する。今の俺の頭には、それしかない。
幸い、街から目的地である『龍の髭』までは、強化された俺の足なら1時間とかからない。 俺は風を切る弾丸となって、夜明け前の街道を疾走した。
森へと入りこむ頃には、日は高く昇り始めていた。 『龍の髭』と呼ばれるこの原生林は、意外にも明るい。鬱蒼とした木々の隙間から木漏れ日が差し込み、神聖な空気すら漂っている。
だが、俺の鼻は誤魔化せない。 この清浄な空気の裏に、べっとりと張り付くような甘い腐臭──「死の気配」が混じっているのを。 それはまるで、美しい花畑の下に大量の死体が埋まっているような、強烈な違和感だった。
「......どこだ」
俺は目を凝らし、感覚を研ぎ澄ませて森の奥へと進む。 鳥の声もしない。虫の音もしない。 静寂。生物としての生存本能が、この森を忌避している証拠だ。
こういうのは根比べだ。焦りは禁物だが、時間は有限。 適度に集中し、敵を探索する。
そうして気を張らせて探すこと、数時間。 日は傾き、森の中は急速に闇に包まれ始めていた。 視界が悪くなる。木々の影が、不気味な怪物の手のように伸び、俺の足元を掴もうとする。
そんな時だった。
「貴方、他の子と違う匂いがする」
声は、耳元でした。 俺の索敵範囲をすり抜け、いきなり背後に──!?
心臓が跳ねるよりも早く、身体が動く。 俺は反射的に前転して距離を取り、魔剣を構えて振り返る。
「よう。お前が円卓の刺客か?」
威勢を張って、相手の出方を見る。 そこに立っていたのは、豪奢な喪服のようなドレスを着た、華奢な女だった。 身長は俺よりも高い。 だが、生き物としての存在感が希薄だ。 ただ一つ確かなのは──彼女の周りだけ、世界の色が落ちたように空気が淀んでいるということだ。
「やっぱり変。普通の子は、私を見ただけで壊れちゃうのに。......じゃあ自己紹介しないとね」
女はスカートの裾をつまみ、優雅に礼をした。 その所作は洗練されているが、関節の動きがどこか人間離れしている。
「私は円卓第六席、タゼ=ウータ。よろしくね」
そう告げる口ぶりからは、一切の生気を感じない。 まるで精巧に作られた死体人形が、録音された音声を流しているようだ。 こいつ、根本的に何かが壊れてるな。
「貴方にも、死の救済をあげる。とびっきりのものを、ね」
タゼが、細い指を俺に向ける。 その瞬間、脳漿を直接かき回されるような不快感。 防御魔法を展開する隙もない。これは物理現象じゃない、精神干渉だ!
「メメント・フィロソフィア」
タゼの言葉がトリガーとなり、俺は強制的に精神世界へと引きずりこまれた。
──ガクンッ。
地面が消える。 重力が反転する。 視界が極彩色に歪み、溶け落ちる。
「......あ?」
ここは、どこだ。
痛い。 皮膚をやすりで削ぎ落とされるような感覚。
苦しい。 肺の中に熱泥を注ぎ込まれたような窒息感。
辛い。悲しい。寂しい。
引き裂かれる。体が。 飛び散る。脳漿が。
これは「死」だ。 人間が本能的に忌避する、死の苦痛そのものを脳に流し込まれている。 恐怖。絶望。虚無。 普通の人間なら、この瞬間に精神が崩壊し、廃人になるだろう。
自分が自分じゃないみたいだ。
でも、
──────あの、誰かを守れずに死んだ瞬間
そんなの、
──────取り戻す為に、自分で自分を貫いたあの瞬間
何回だって、
──────一歩届かず、無念にも死んだ瞬間
味わってる。
──────そのどれよりも、この”偽物の死”は、薄っぺらい。
精神世界で殺されるたびに、体が元に戻る感覚。 斬首の痛み。焼死の熱さ。圧死の苦しみ。 それらは全て、本物よりも劣っている。
タゼの見せる地獄は、所詮は「作り物」だ。 俺が歩んできた「本物の地獄」に比べれば、あまりにも温すぎる。
それなら、
「......もう、慣れた」
俺がそう呟いた瞬間。 極彩色の世界に、ピキピキと亀裂が走る。
俺の「死の記憶」という圧倒的な質量が、タゼの作った華奢な箱庭を内側から食い破る。
パリンッ。
ガラスが割れるような軽い音と共に、タゼ=ウータの心象世界はあっけなく崩れ去った。
現実へと戻った俺は、冷ややかな瞳で、驚愕に固まる人形を見下ろした。




