32話 先行の一手
「....イ殿? レイ殿!!」
「ん......ああ」
名前を呼ばれ、俺は目を覚ます。反射的に首筋に手を当てる。......傷はない。さっき自分で突き立てたナイフの感触も、噴き出した血の生暖かい感覚もない。目の前には、心配そうに俺を覗き込むイーシアの顔がある。
戻ってきた。やはり、死ぬ感覚というのは何度味わっても気持ちが悪い。こみ上げる吐き気を鉄の意志で抑え込み、俺は冷静に思考を回す。
「大丈夫か? 顔色が悪いようだが」
「ああ。それより、今何の話をしていたんだっけか」
なるべく違和感のないように、現状を把握するための質問をぶつける。
「今は作戦会議をしていたところだぞ。レイ殿自身が『待ち』の判断を勧めたところじゃないか」
ああ。そこか。ならば、恐怖のパンデミックが起こるまで、あと2日ほどの猶予がある。前回のルートでは、このまま待機して、斥候のイアンが呪いを持ち帰り、城下が全滅した。
──『待ち』は悪手だ。
打開する案は、さっきの死ぬ直前に構築済みだ。原因となる術者を、発動前に消す。それだけだ。
「円卓は最後、どの辺で見つかっているんだ?」
俺の唐突な質問に、イーシアは戸惑いつつも地図を指差した。
「最後は、この国から北東にある『龍の髭』で発見されている」
「龍の髭……?」
「ああ。大きな原生林だ。厳しい冬でも恵みがあることから、龍の加護があると言われている場所だが……」
そういえば、この国は龍の宗教を信仰しているらしい。どうやら昔いたとされる龍を崇めているようだ。だが、そんな伝説はどうでもいい。
重要なのは「場所」が割れているということ。そして、相手の能力が「恐怖の伝染」であるということ。
かつて元の世界で見た資料──バイオテロのシミュレーションと同じだ。一度広まれば止める術はない。だが、広まる前の「病原菌」さえ潰せば、被害はゼロで済む。
「わかった。ありがとう」
「えっ? おい、レイ殿?」
聞きたい情報は得ることができた。ここからは、俺一人の戦いだ。ユキを巻き込む必要もない。いや、巻き込んではいけない。
「まさか、単独で行く気か!?」
イーシアが驚いて叫ぶのを無視し、俺は作戦会議室から飛び出した。廊下を早足で歩く。装備は整っている。今すぐ出れば、夜明け前には森に着けるはずだ。
その時、廊下の向こうに、人影が見えた。
「あ......レイ?」
ユキだ。不安そうに廊下を行ったり来たりしていたのだろう。俺の姿を見つけて、無理にパァッと表情を明るくして駆け寄ろうとする。
──合わせる顔がない。
今の俺は、これから人を殺しに行く顔をしているはずだ。それに、声をかければ引き留められる。情が移る。今の俺に、人間らしい「迷い」は不要だ。
この状況で、最適となる行動は、”一人”で行動することだ。誰かを巻き込んでは、あの能力にやられる可能性を孕んでいる。リスクは最小限にしなければならない。
だから、俺は視線を逸らした。
「ごめん、ちょっと一人にさせてくれないか?」
俺はユキと目を合わせることなく、ただ距離を置くようにして、その場から足早に去った。どうしても、突き放すような冷たい声色になってしまう。
「え......? レ、レイ......?」
背後から、困惑と悲しみに満ちた声が聞こえる。だが、今の俺には関係ないことだ。今集中するべきなのは、危険の排除。それだけだ。
考えた作戦を頭の中で整理し、かつて作戦に従事していた時のように行動を開始する。
そして俺は一度も振り返ることなく、城の出口へと足を速めた。
......その背中を、見知った誰かが、静かに追いかけてきていることに気づかないまま。




