侯爵令嬢の婚約破棄物語
「もう我慢ならぬ! フィリーナ、貴様との婚約は破棄させてもらうぞ!」
私の名はフィリーナ、ハミルトン侯爵家の長女です。
当家は国内貴族の中でも最大規模であり、建国以降ずっと宰相を任されている家系でもあります。国内に四家ある侯爵家の中で筆頭であり、その力は一つ上の公爵家と同等と言われております。
このためか代々王家へ嫁ぐ事が多く、王家の血の半分、とは申しませんが三~四割程度は当家の血が混じっていると言えるでしょう。
ただし、あまり同じ家から嫁ぐと血が濃くなりすぎるので傍系の王族へ嫁ぐ事が多く、直系の王族へ嫁ぐ事は多くありません。
例えば先代では王弟殿下、先々代は当時の国王陛下の従弟である騎士団長に嫁いでおります。
当家より爵位の高い公爵家は二家ありますが、あの家は王家の分家扱いであり、万が一王家の血筋が途絶えたときのバックアップとして定期的に降嫁し王家の血を取り入れていますが、逆に嫁ぐものはいません。
さて、今起こっている事は現時点で王太子に一番近いとされる第二王子殿下が、何をとち狂ったか私との婚約を破棄するとおっしゃっております。
しかも貴族学院の卒業パーティで。
どういう頭の構造をしているのかさっぱり分かりません。
婚約破棄はかまいません。個人的にも侯爵家としても。
むしろ破棄してくれたほうが、喜ばしいまであります。
まず第二王子殿下が一番王太子に近いとされている理由ですが、長兄である第一王子殿下の母君が側室扱いの第二王妃殿下であり、正室とされる第一王妃殿下の子が第二王子殿下であるということ。
自分で語っておきながら、ややこしいですね。
簡単に言ってしまえば、自分の母の実家権力が強いから王太子に一番近いという事になります。
第一王妃殿下は当家とは別の侯爵家出身です。
そして第二王妃殿下は子爵家出身、さすがに子爵家の力では侯爵家に太刀打ちできません。
しかしながら能力的な面を見ると第一王子殿下のほうが優れており、実際第一王子殿下は次席で卒業なされました。
主席が次期宰相である私の兄上ですから、次席もやむなし、というところです。兄上は次期宰相ですもの、それはそれは幼少の頃から父上に厳しく教育されておりましたからね。
ちなみに私の成績は、さすがに兄上には及びませんが筆頭侯爵家として恥じない程度はあります。幼少の頃は兄上に負けられないと私も努力はしましたが、どうしても勝てなくて最近は諦めております。
お勉強も知らない事はないのではないか、くらい何でも知っておられますし、父上も既に儂を超えた傑物である、ともおっしゃっておりました。
そんな尊敬する兄上が将来の宰相ということで、我が国も安泰でしょう。
なお第二王子殿下の成績は……本人の名誉もありますから詳細は伏せますが、下から数えたほうが早い、という事だけ語ります。しかも王族だから忖度された状態で、です。
もちろん学院の成績だけで全体を見ることは出来ませんし、若干……どころではありませんが、成績が下だとしても周囲を優秀な人材で固めれば問題もありません。兄上もいらっしゃいますからね。
過去にも成績は悪いものの、カリスマがあり人を使うのが非常に上手い国王陛下もいらっしゃいました。その方は治世の賢王として歴史に綴られております。
そういう方であれば良かったのですが、残念なことに第二王子殿下の性格が、かなりアレでして、幼少の頃から周囲に甘やかされ続けた結果でしょうが、何でも自分の思い通りに行くと考えているようです。
さすがにこのままではまずい、と第一王妃殿下も思ったのか、学院入学前に当家へ婚約の依頼がきたのです。
第二王子殿下に二つの侯爵家がつけば、しかも片方が筆頭侯爵家であれば、まず王太子は確実だろう、という理由です。
第一王妃殿下も優秀な方なのですが、さすがに我が子は可愛い、と思っていらしたのでしょうね。
そういう理由で婚約となったにも関わらず、堂々と卒業パーティで婚約破棄を宣う第二王子殿下。
自分の立場が今どのようになっているのか、ご理解できてないのでしょうね。
「婚約破棄は構いませんが、どのような理由で、でしょうか?」
「貴様はいちいちねちねちねちねちと、しつこいのだ ! 俺が何かするたびにうるさいのだ! 我慢ならぬ!!」
何でしょうか、その子供が言うようなくだらない理由は。
そもそも第二王子殿下が馬鹿な行動をしようとするから、してはいけない理由を述べて止めただけに過ぎないのです。
例えば下級生の女生徒に対してナンパ行為や、その日の気分で授業の欠席、学院の食堂でまずいと料理をぶちまけ、更にはトイレで喫煙など、もうやりたい放題です。
しかもこの殿下、あろうことか第一王妃殿下の親族である側近に対し、気に入らないからと言って首を切ろうとしたのですよ。その方は第一王妃殿下が心配でつけたお目付け役でしたのに。尻ぬぐい役とも言えますが。
自ら後ろ盾を手放してどうするのでしょうか。
私は第一王妃殿下から、息子を頼む、とお願いされていたからお止めしていましたが、正直自分でも我慢強いと褒めて頂きたいくらいです。
そもそも当家は別に第二王子殿下へ嫁ぐ利は、殆どございません。
この馬鹿が王太子になれば第一王妃になれる、程度の利です。
下級貴族ならば王妃を排出すれば莫大な利にはなるでしょうが、当家は既に十分過ぎる程の権力を持っております。
今更王妃を排出したところで、正直婚約から王妃になるまでにかかる費用を考えるとマイナスでしょう。
父上も出来るなら断りたかったが、第一王妃殿下のご実家とは良い関係で居たいので、断り切れなかったそうです。
その代わり一つ約束事を結びました。
「それに俺は、偉大な国王になるべき男なのに、貴様一人しか女がいないのは問題なのだ。だから愛人を持とうと努力していたのに、勝手に断りを入れやがって。あれか? もしかして嫉妬でもしているのか?」
嫉妬、という言葉を聞いた瞬間、つい失笑しそうになりました。
すぐ元通りすまし顔に戻しましたが、嫉妬……ですって。学院に通っていた三年間、私の態度を見ていたはずなのに、どうしたらそのような発言が出てくるのか不思議です。
さて女生徒へのナンパ行為ですが、彼女たちも貴族なのです。
当たり前ですが当主を無視して、当人同士だけで勝手に愛人関係を持つなど出来るはずがないでしょう。
下手をすれば当主が見限って、愛人認定された方を貴族籍から抜いて平民落ちにします。
そもそも結婚すらしていない、まだ学院卒業前の未成年に愛人など持てるはずがありません。
こういう事があるため、女生徒を集め説明会を開いたこともありますし、女生徒のみのお茶会でも広めております。
そういえば約一名、やけに殿下へ絡んでいた方がいらっしゃいましたが、案の定当主から平民落ちされていました。そのあと王家の転覆を企んでいたとか何とかで、非常に重い処分を受けたとは聞いております。
ヒロインがどうのこうのとか叫んでおりましたが、でももう終わった話です。
「そういえば食堂でもこの俺様にまずい料理など出しやがって。まずいのを処分しようとしたのに、邪魔しやがったな」
貴族学院は貴族が通う学校であり、それに併設される食堂は貴族として標準程度の量と味を設定しております。
それ以上質を上げると当然価格もあがり、下級貴族への食費負担が高くなってしまいます。特に遠方の下級貴族は負担が大きく
国の貴族学院なのです、可能な限り下級貴族でも不自由なく通えるようにしなければなりません。
当初は上級貴族と下級貴族で食堂を分けるか、最低でもメニューを分けよう、という話もありましたが、元々貴族学院に通う人数自体が少なく、そこまで費用をかけられなかったそうです。
そもそもお金を持っている上級貴族であれば、食堂を利用せず別宅から取り寄せすれば良いのです。
上級貴族ならば自領地以外に王都にも屋敷を持っているでしょうし、そこでお好みの料理を作ってもらい運べば良いだけです。
そういう理由があるのを知らずに、料理を無駄にしてしまうなど、本当に国王としてやっていけるのでしょうか。
実際私が婚約する前、野心の高いとある伯爵家が、第二王子殿下の婚約者に名乗りをあげておりました。
それはもう、殿下を骨抜きにしてお飾りにし、裏から操る気満々だったそうです。
もちろん国王陛下並びに第一王妃殿下は却下しましたが、第二王子殿下だけが非常に心残りだったそうで。何でも婚約相手が非常に好みの顔をしていたらしいです。
いわゆるハニートラップですからね、殿下好みの女性をどこからか調達したのでしょうけど、それを見た第一王妃殿下が危機感を持ったとのこと。
それなのに今夜の婚約破棄騒動です。
婚約するにあたり、第一王妃殿下と結んだ約束事ですが、単純です。
殿下の奇行が卒業までに治れば単に若かりし頃の暴走として扱われたでしょうが、もし治らなければ廃嫡する、と。
学院を卒業すれば大人として扱われます。しかも殿下は王族であり、自身の言葉の重みというものを理解する必要があります。
それなのにこの騒動。
これはもうとどめでしょう。
適宜第一王妃殿下へ報告は行っておりましたが、この卒業パーティでの出来事も、当然当家の影が報告しに行っております。
あとは国王陛下と第一王妃殿下の出方次第ですが……。
「どうした? ぐうの音も出ないのか? ま、それもそうだろう。この俺の婚約者から外れるのだからな。悲しくて我慢しているのか? しかしこれは決定事項だ! だが俺は寛大だ、貴様がどうしてもというのならば、愛人としてやっても良いぞ」
筆頭侯爵家の娘に対し、愛人ですか。それは王家が当家に喧嘩を売っている、という事になりますが、何も考えておられないのでしょうね。
我が侯爵家は王家やその傍系に嫁ぐ事が多く、なるべく血を濃くしないよう、国内ではなく国外から当主の伴侶を求めています。
私の母上も二つほど離れた国の公爵家出身ですし、伯母上や祖母上も隣国の名のある家の出身です。
それら他国の貴族に対しても、同様に喧嘩を売っていることになります。
頭痛がしてきたような気がしますね。
「さあ! 黙っておらず何か答えよ! 王族から婚約破棄されみじめな生活を送るか、俺に縋って愛人となるか!」
殿下がそう高らかに宣言したと同時に、勢いよく会場の扉が開かれました。
騎士数人が会場内に入ってきたのち、国王陛下を先頭に第一王妃殿下、それと第一王子殿下が来られました。
お忙しい方々なはずなのに、三人とも勢ぞろいするとは。しかも先ぶれ無く、供の数も必要最低限。
これは相当急いで来られたのでしょう。
「おお父上! それに母上と……兄上も? 俺は今からこの傲慢な女と婚約を破棄するところです! ぜひ父上にも……ってなんだ、なぜ拘束する! 離せ! 俺を誰だと思っているんだ!!」
そして先行した騎士たちが殿下を拘束、見事な手際です。
そのまま猿ぐつわされ、手足もロープで固く固定され、荷物のように運ばれて行きました。
「みな! 騒がせてすまぬが、我々の仕事は終わった。なおアレの代わりに王太子のジャスティンに参加させよう。せっかくの卒業パーティだ、存分に楽しめ!」
国王陛下の王太子発言に会場がどよめきます。
既に国王陛下は第二王子殿下を廃嫡し、第一王子殿下を王太子として決めたのですね。
第一王妃殿下は顔を暗くしたまま、若干俯いていらっしゃいます。
結局こうなりましたか。
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パーティの翌日、我が家に第一王妃殿下と第一王子殿下が謝罪に来られました。
第二王子殿下の不適切な発言について、王家として正式に謝罪せざるを得なかったのでしょう。
卒業パーティであれだけ盛大にやらかしたのですし、子供を通わせている貴族にはとっくに知れ渡っているでしょう。
内々に収めるには無理がありますし、正式な謝罪と問題を起こした殿下の断罪を告知する必要があります。
王族でも罪を犯せばちゃんと裁かれる、王家は貴族に対し横柄であってはならない、という戒めですね。
「ごめんなさいね、あの子の事を慮って貴女の事を蔑ろにするつもりはありませんでした」
「もう過ぎたことです、王妃殿下」
「それとハミルトン侯爵家に対し、アレの私財から補填する予定だ。足りない分は王家からも出す。遠慮なく受け取ってくれ」
「そちらは父にお伝えください、第一……いえ、王太子殿下」
「宰相殿にも既に伝えてある。というより、宰相殿と協議して決めた内容だ。フィリーナ殿の私財として扱えと」
あらまあ、父上は私のお小遣いにするつもりですか。
確かに学院に通っていた三年間、自分の我慢の限界へ挑戦していましたし、その褒美として貰えるなら頂いておきましょう。
「またアレについては、昨日塔に幽閉した。後日正式に王族から籍を抜いて平民とし、南の島へ行くことになるだろう」
「え? 南の島ですか」
それは島流しですよね。
確かあの島は誰も住んでいなかったはずです。
そんなところに、身の回りの事が一切できないような第二王子殿下が流された日には、餓死か野生の獣に襲われる未来しかありません。
事実上の処刑です。
せいぜい幽閉止まりだろうと思っていたのですが、まさかそこまでやるとは予想外でした。
「ああ、処刑だと思ってるね。実は昨年に一名島流しにしたものがいてな。驚くべきことに彼女は何もない島の生活基盤を整えて、今もなお生きているんだよ。男爵令嬢とは聞いていたが半分平民だったらしいので、生活力が非常に高かったのだろう。彼女と合流すれば、アレも生きていけるのではないかな」
ええ!?
もしかしてその島流しされた男爵令嬢って、ヒロインがどうのこうのおっしゃってた方でしょうか。
重い処分を受けたと聞きましたが、まさか島流しされていたとは思いませんでした。
しかし逞しい方でしたのね。
ならばちょうど良いですね、彼女は第二王子殿下に付きまとうほど愛してらっしゃるのですから、きっとお二人で幸せに暮らしていけるでしょう。
「それとだな、フィリーナ殿」
「はい」
「その、私と婚約を……結んでいただけないだろうか?」
「それは補填、という意味でしょうか?」
内容はどうであれ、私は一度結んだ婚約が無くなったものです。今後の婚約で不利になることは間違いありません。
ただそれは国内的に、であり国外は問題ありません。
特に当家は他国の令嬢を代々迎えていますが、当家から他国へ嫁ぐ事は少ないため、当初私はどこかの国外へ嫁ぐ予定でした。
そこへ横やりを入れたのが、そこにいる第一王妃殿下です。
いくつかの国へ打診していたらしいのですが、根底から覆されてしまい大変だったと父上がお嘆きになっておられました。
確かに同じ国へ再度打診をすることは出来ないでしょうから、これからまた新しい国などに打診する必要があり、今しばらくは時間がかかるでしょう。もしかすると婚期が遅れる可能性もあります。
それならば、国内の有力貴族と縁を結んだほうがいいかも知れませんが、先ほどの通り国内的には問題があります。
その補填として王家へ嫁ぐ、という事になるのでしょうか。
「いや違う、補填ではない。宰相殿にも打診したが、この件の返事に関しては一切をフィリーナ殿に任せる、と」
「父上が一切を私に……ですか?」
貴族の婚約は非常に重要な事です。
当たり前ですが家の利を一番に考えた婚約になるのですが、その判断は当然当主である父上が決定することです。
私が決めていい事ではありません。
でも例えば三つ候補がありその中から選べ、程度の選択ならあり得ますが、そもそもそれは三つどれを選んでも大差がない、という事になります。
つまり父上は王太子殿下に嫁いでも良いし、それを断り国外へ嫁いでも良い、どちらも当家の利は大差がない、と判断されたのでしょう。
「それに、あいつにぎゃふんと言わせたいと思わないか?」
「あいつ、ですか?」
「フィリーナ殿の兄である、次期宰相ジャンパウロだよ。学生時代一度もあいつに勝てなかったが、フィリーナ殿、君と一緒なら勝てると思っている。私と結婚し王妃となって、宰相のジャンパウロ相手に共に戦わないか?」
思わず吹き出しそうになりました。
確かに私は幼少の頃、兄上に負けるかとたくさん努力しました。結局一度も勝てた事はありませんでしたが。
そういえば王太子殿下も兄上と同じ年であり、学生時代は主席次席を争ったと兄上に伺いました。
改めて王太子殿下を見ると、いたずらを企んでいるような笑みを浮かべておりました。
子供みたいですね。
しかし兄上に挑戦して勝つですか、なかなか良いお誘い文句ですね。
「ではこれから兄上に宣戦布告といきましょうか」
「それはいいな」
こうして私は王太子殿下の婚約者となりました。
この後王太子殿下と共に、兄上へ討論の勝負を挑み、見事に完膚なきまでに負けましたが。
でもこの先、まだまだいくらでもチャンスはありますから、頑張っていきたいと思います。
主人公、割とブラコンですよね




