3 納棺
稀代のSSSランク『鉄壁』のショーン。
シランゼリシェ侯爵母君 リヴィエール辺境伯代夫人ショーン デ リヴィエール シランゼリシェの
葬儀が王都にある中央神殿にて執り行われる事となり、故人の希望で同郷のゼンコウジ神殿司祭が呼ばれ
リヴィエール辺境伯家が主催という大掛かりなものとなった。
納棺はリヴィエールの女達の手によって行われたが、見た事の無い異国の装束に皆が驚くも
着ている物を崩さないよう慎重に遺体保存の魔法陣の刻まれた特製の棺に納められた。
「見た事無い黒地の総アラクネシルクの前合わせのドレスは踝丈の短い裾に、波らしき模様に船や
六角形に華やかな紋様の刺繍と、肩と背に夫人のご実家の紋章だという『ミツモリキッコウ』なる
紋章が付けられておりました、そして幅広の帯はマント地を断って作られた
金色地に碇に逆三角形模様のシランゼリシェ家紋を織り出した特別なお品、其処に先代公より
形見と賜りましたケリアのブローチを留められ、お髪には花と六角模様の櫛と
飴色の棒状の髪飾り、お履物が…ダークブルーのブーツをお召しになって、おられました」
報告に上がったリヴァン家のレスティアが堪え切れずに涙を溢す。
同じく納棺に立ち会ったリギエルンのジェニファは、せめて死後は武装とされるブーツから
貴婦人らしい綺麗なパンプスに履き替えさせてやりたいと泣き崩れた。
美しく装い万全の支度をして死化粧を施した上での死が自死なのだとリヴィエールは考える。
表向き、老いて病みさらばえ判断力を失い手助けや介護を必要とし、無駄飯を食い続ける
足手纏いになる前にと、大体のリヴィエールの血族は準備万端整え苦痛無く静かに
眠るように逝ける毒を服用して他界する。
辺境の魔獣と嵐と他国からの侵略に晒され続けてきた厳しい環境ならではの習慣と
表向きではされているが、本当のところリヴィエール一族もシランスの騎士や男達は
とんでもなく見栄っ張りの良い格好しいなのである。
他人から格好良く見られたい、男らしくありたい、みっともないところや
格好悪い姿を見られるくらいなら死んだ方がいい!という人柄お国柄故に
先代辺境伯公も準備万端整え一族の主だった者を呼び、儀礼服に着替えて内密に服毒し
皆に看取られる中、堂々と亡くなる立派な最期を迎えている。
見事な程にリヴィエールらしい最期とはいえ、綺羅を飾りながらも小高い丘より海を睥睨し
死後もシランスを守護するとの気概と忠烈はいっそ非情と、納棺を手伝った女達は涙した。
「流石は手塚の姐さん、お見事で御座いました」
故人の愛弓を手に入室してきたのはゼンコウジ神殿司祭のシェン。
『鉄壁』の号を有する異世界人のショーンが使い熟すだけの特別な魔導弓は
リミッターを外した全開の状態で常人が触れれば、5分で全身の魔力を吸い尽くされて廃人となる
危険極まり無い魔道具である為に封印を依頼されて済ませてきたところだ。
SSSクラスのショーン程の冒険者の武器ともなれば墓所を暴いてでも欲しがろうとする
馬鹿者が現れるのは必須だからとシランゼリシェ子爵が依頼した処置だ。
「紺足袋ならぬ紺のブーツとは恐れ入りますな、それに開錠呪文が万葉の相聞歌とはね」
棺に横たわるショーン夫人の横に弓を置こうと側に寄れば、鼈甲の笄で髪を巻き上げ
蒔絵の美しい櫛と鼈甲の簪を挿し、五つ紋正絹の黒留袖に薄化粧を施した末期の装いに
白足袋では無く戦装束の紺足袋代わりのブーツに愛弓の全能力解放のキーワードの
相聞歌の意味を知るシェンの目には凄絶な程の美しさに哀しさを見ていた。
「そうもんか、とは」
「コチラの国の古い古い恋の歌ですよ、相手に求婚する時や愛を乞うのに歌い交わす
三十一文字の短い詩歌の一首で、我々の故郷信濃の川に絡めて歌われたもので
"信濃なる 千曲の川の細石しも 君し踏みてば玉と拾わむ"って歌がフルワードでした。
この弓の銘も其処から取られたんでしょう、だから本当はコイツの名はサザレでは無く"サザレシ“」
シェンの手の中で封印を施された筈の『細石』の弦が引かれてもいないのにビィィンと鳴った。
その鳴弦は二度と弓引かれる事は無くなった、成就する事はもとより声に出す事も叶わない
恋を歌うように風を切り、想いの深さを示すように深々と穿ち戦う事だけが
守る事だけが唯一の恋心の発露、だけどそれすらもう二度と無いのだと真名を呼ばれた弓は泣いた。
「司祭殿、これを」
物言わぬ主人の隣に弓を置いたシェンにシランス辺境伯オレールが声を掛け、
手にして包みをシェンへと差し出して故人の右手首にある武器収納の腕輪と交換して欲しいと
包みから現れたのは同じ収納の腕輪だが、今まで手首にあった腕輪に刻まれた紋章が
異世界転移の際に保護し庇護下にあると証する為の碇に槍のリヴィエール本家の物。
リヴィエール当主と正夫人だけが使える舵輪が刻まれた物。
「彼の者をリヴィエール家当主として、前シランス辺境伯ヴィクトワール デ リヴィエール継室
シランス辺境伯継夫人 ショーン デ リヴィエールとして送ってやりたい」
居合わせたリヴィエール一族の女達は涙を振り払ってワッと沸いた。
「良う御座いましたね!」
「やっとご本家がショーンさんを認められましたのね、遅う御座いましたけど漸くショーンさんが…」
渡された舵輪の刻まれた腕輪をリヴィエールの女達の手により彼女の手首にそれを嵌めたのを確かめると
シェンは司祭として婚姻の祝福の祝詞をあげると世話役の婦人達の啜り泣きの声が大きくなった。
「まるで死後結婚ですな」
「死後、結婚とは?」
「アチラの風習で未婚の死者に架空の連れ合いを当てがう冥婚、今回の場合はそれとは別に
外つ国のフランスというお国にある制度の、死後結婚のようだと思いましてね。
遺された側の心の救済の為に申請して、フランスの大統領が特別に許可をして死んじまった相手の
死亡日前日付けで戸籍上婚姻したと認める制度でしてね、相続は一切発生しませんが
家名も相手のものを名乗れるようになりますし、婚姻前に授かった子がいたら
腹の子を父無し子にさせない為のものですかね。
もし、その、違ってたら申し訳ないのですが、その前辺境伯閣下と夫人がそういった…」
分家当主母君の葬儀ではなく先代シランス辺境伯継夫人の葬儀となる為、格式を考慮し
多少設えを変えねばならなくなったのでリヴィエール側は慌ただしく動き出す。
当代閣下が事前に用意していたのか、舵輪を染め抜いた前シランス辺境伯当主旗が持ち込まれ
辺境伯夫人の棺に掛けるべく支度がされる。
「父もショーン殿も生前そういった仲ではありませんでしたし、そのような素振りすら無かったが
側から見ていれば誰だって気付いたでしょう。
遠く離れた場所で漸く相手を愛しげに見つめるだけの、それしか許されないと互いに思い込んで
何も言わず耐えて何も無かっただけの、だから一緒になりたいと一言、そう言ってくれだら
私も一族の誰だってシランスの者は何だってしたのに」
当主オレールの頬に涙が伝う。
「親父はショーンを貰ったらショーンが後妻になるから子を持たせてやれないから
不憫な立場にしては可哀想だと、それで何も言えずに帯に付けられたあのケリアのブローチを
買い求めたきり、ずっと、ずっと上着の内ポケットに入れて撫でておられた。
あのバカが勝手にショーンを掻っ攫っていきさえしなければ、後妻だろうと何だろうと
子が出来たって私達は歓迎したし弟妹として遇した。
それが許されないというなら何だってして子の身が立つよう取り計らったってよかった…」
隣で父の、文字通り降って来た恋をただ見ているしかなかったオレールの悔恨。
しんと静まり返った一室に再び一族の女達の啜り泣きが響く。
「そんな事しなくても奥様は幸せだったんじゃないですかね。
色恋なんてのは添うのくっつくの、籍を入れたり肌を合わせりゃ成就だけだなんて言う方が野暮ですよ。
結ばれずとも相手が息災いてくれるなら、同じ空の下で生きてるだけでもいいっていう恋もありますわ。
それに単に子を得るだけの関係よりも共に同じ方を向いて同じ物を見、互いを助け合える同士のように
肩を並べて同じ戦場に立てるなんざ、手塚の嬢ちゃんらしい在り方だったと思いますよ。
何せ嬢ちゃんの先祖にゃ手塚光盛って豪傑がいらっしゃるんですけどね、何が凄いかって言うと
その御先祖様だけでなく手塚の家系には歴史に名を残した女性が複数おられるって事です。
光盛さんの母親は手首を斬り落とされても源氏の旗を守ったという
手塚の姓を頂戴するキッカケになった御方ですし、姉君は山吹御前、娘の唐糸と孫の万寿も
御伽草子の題材として語り継がれる程の行動派の女性達です。
そんな家の女が男の歓心一つで右往左往して、泣くのを堪えながら耐えて待つ出来無い
大人しいだけの、淑やかと無能を履き違えた女な訳ある筈も無ぇ。
一緒に戦うんスよ、信濃の女はとても情が深くて時には男が引いちまう程の力を発揮しますよ。
恋人に逢う為には真闇の諏訪湖を泳いで渡り、一晩で湯の丸を駆けて峠を越えたりとかね。
惚れた相手に必要とされ、ありがとうと言われちまえば何だってしてやりたくなりますし
それだけで満たされるってもんですよ」