the state of being perplexed (戸惑い)
生きることと、生きるとは、意味が違うと博史は思っていた。
あの日から、ただ生きていた。
生きるために、仕事をして生活費を稼いだ。
ただ、それだけだ。
誰かのためだとか、そんな意味はなかった。
ずっと、昔にはそんなことも考えていたはずなのに。
いま、ただ生きていた。
パソコンのエクセル画面に、エラーのホップアップが上がっている。
マクロのどこがで、構文謝りだろうが、マクロの画面を見るのが煩わしかった。
組みなおせば、いいのだが、つぎはぎで作成しているシートの数が多すぎる。
"少し休むか"と思い、自動販売機の前まで来た。
コーヒーのボタンを押して、缶の蓋をあけると一口飲んだ。
"今日も残業か>"と脳裏に浮かんだ。
明日は、リモートで支店長会議がある。
数字大好きな支店長の見せ場だ。
今回は、いい数字が出でいる。
さぞかし、大げさな資料を作ってアピールするのだろう。
何なのだろか、自分の人生の大半が終わろうとしているのにそんな風に達観している自分が
いる。
そういえば、支店長も来年は定年だ。
つまりは、子会社に出向だろう。
自慢の外車も乗れなくなるだろうな思っていた。
博史は、結婚をしていない。
いいなと思う人もいたにはいたが、踏み切れなかった。
人と人生を共有することを恐れた。
自分の持つ暗の部分を知られるのが怖かった。
独りで生きていくのが、辛いとは思わなかった。
今は、昔と違って独りでも行き行くには困らないほど生活様式は整っている。
と思っていた。
真姫の死によって、現実世界へと連れ戻された。
きっと、真姫はずっと忘れないでくれていた。
そのことは、真姫を忘れようとしていた自分自身に大きな戸惑いを生じさせていた。
真姫はきっと精一杯に生きたんだ。
功と一緒なって、子供を産んで育てて、生きたんだ。
そして、博史のことも思ってくれていた。
それは、男女の思い出はなく、幼馴染としての同郷の友としての思い。
人の思いだ。
相手を思いやることの大切さだ。
年を重ねるごとに、円熟される思いだ。
博史は、コーヒーの残りを飲み干すと、頬をたたいて気合をいれた。
資料を作成すると課長へ提出して、定時に会社を上がった。
梅雨は明けて、盛夏の季節になっていた。
まだ、日は高い。
これから、どう生きいていこうかと考えるには、ちょうどいい年齢になっていた。
次の朝、博史は課長宛てに、会社の規定どうり1か月後の退職希望の辞表を出して
「たまっている、有給休暇がありすので、今日は帰ります」
といって、ポカーンとしている課長と支店長をの越して会社を出た。
会社の前には、E90 BMW 330i のシルバーの車体が止まっていた。
運転席の窓が降りた
「乗っていきますか?」
と言われたので
「よろしく、お願いします」
と博史は答えて、後部座席に乗り込んだ。
セミの鳴き声が、響いていた。