Lose all (何もかも失って)
博史は、鈍い痛みの中で目が覚めた。
知らない天井、体は動かそうとしても、指1本動かせなかった。
金縛りにあったような感覚。
頭は起きているのに、体は起きていない感覚。
鼻に、チューブが差し込まれていて、呼吸をするのが少しつらい感じ。
記憶が混濁して、現状の認識ができなった。
そして、また意識が混濁した。
死者6千人以上 負傷者4万3千人以上、未曽有の地震だった。
戦後、大きな地震がなく、揺れても体感地震の範囲だった。
テレビの画面には、横たわる高速道路の橋げた。
テレビ中継で、余震で崩れていくビル。
空を真っ赤に染めて燃え盛る炎と立ち上る煙。
消火活動さえままならずに、延焼防止に必死の活動を続ける消防隊。
テレビのニュースで地震の発生を知ったとのたまう、政治家たち。
地震当日に死亡した5千人のうち4千人弱うちの9割が圧迫死だったと判断されている。木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとみられ、特に1階で就寝中に圧死した人が多かった。
何も知らずに、博史は混濁の中にいた。
博史は、崩れた屋根から体の一部が見えていたため、救助隊から救出されて、頭部と左足の膝から下が複雑骨折しており、出血も多量であったため、応急手当の後で、都市部の大学病院へ搬送され緊急手術をうけた。
その際に、組織が壊死しており、ひざ下より切断となった。
同時に、挫滅症候群により壊死した筋肉より高濃度のカリウムが致死的不整脈や急性心不全を起こす(高カリウム血症)などが疑われたため、数日は意識不明の状態だった。
目がさめて、医師から左足の切断のことを聞いてた博史は、ない足の幻肢痛にさいなまれた。
それをどう受け入れるかに、1か月以上を要した。
それを追い打ちをかけるように、母親の死の知らせが博史を襲った。
震災のPTSDと肉親の死、左足の切断、完全に心が壊れた。
自分の意志で、行動することもなく、ただ 生きていた。
「ヒロ」
という声ともにベットの傍で、泣く女性がいた。
博史は、それが真姫だと気づくまでにひどく時間かかかった。
真姫は、博史の手を握り締めて
「生きてくれてよかった」
と繰り返した。
博史は、その言葉の意味が分からなかった。
うつろな目で、真姫を見て、失った左足の幻肢痛に耐えていた。
人の心は、壊れやすい。
簡単に壊れる。
そして、元に戻ることはない。
真姫は、博史を支えよと必死になるほど、博史の心は壊れていった。
そんな博史を見て、真姫の両親は、真姫にこれ以上、真姫が博史の傍にいつつけることが、博史のためにならないことを諭して、真姫は狂うほどに泣いて、何度も謝罪の言葉を口にしながら去っていった。
博史は、静かになった病室で、壊れた心を抱いて、夜になって眠れなくて眠ってしまうと自分が死んでしまうという妄想に取りつかれ、昼間に眠るという生活を送っていた。
母親の死は受け入れられなかった。
何かの間違い、書類のミス、人違いだと信じて、母親を待ち続けた。
半年が過ぎて、何十通もの手紙が真姫から届いていたが、読まれずにベッドの横の棚に積まれていた。
いわれがままに、リハビリを続けて、なんとか松葉づえで歩けるようになった。
会社から有給の休職をもらったが、その年の秋に病院を退職すると、会社に退職願いをだした。
この町には、いられなかった。
居たくなかった。
九州の北の街のリファビリ施設に流れついた。
明治時代にこの国で地震が少ない地区とされ、官営の製鉄所が作られた町に・・・
母親の遺骨を抱えて、独り博史は、ここで、生きてみよう思った。
何故か、この町は暖かった。
障がい者になった博史を憐れむのではなく、助けてくれた。
障がい者雇用枠で入った会社で何も考えずにがむしゃらに働き、独りで生きてきた。
あの日に何もかも失ってしまったけれども
人は、生きていくしか仕方がない
心は壊れてしまって、治らないけれども、生きていくしかない。
ズルズルとでも、生きていくしかない。
博史の壊れた心の中では
もう 真姫を幸せにはできないからと、つぶやいていた。
それは、祈りなのか呪文なのか、あの日、真姫泣きながら両親に引きずられていく姿をみながら
言い聞かせていた言葉だったから・・・