母と子 ―3―
「戦火がこの村の滅亡の直接の理由だという確証は? 何か違う事件が起きて滅ぶ可能性だってあるでしょ? 例えば今の仕打ちに激怒した私が一週間後にこの村の全員を皆殺しにするとか。それに仮に戦火が原因だとして、この村を放棄して逃げれば命だけは助かるのではなくて?」
それができないからこうやって力を借りようとしているのだが。
「この村は捨てられない?」
こくりとリオルは頷いた。
「何故? 住み慣れた土地を離れるのはもちろん嫌でしょうけど、それも命あってのものだねでしょ?」
「そういうことではないのだ」
「それはその腕の呪いのせい?」
「この腕にまつわる約束事が他にも多くある。おそらく他の村に行っても我等が馴染む事ができるとは思えない。おそらく奇異の目で見られるだろう」
「けれど、その守ってきた掟をすでに一つ破っている。今更掟だなんだとこだわる必要はないのではなくて?」
「それはそうだが・・・」
「いい機会じゃない。今まで縛られていた人生から真っ当な人生を歩めるのだもの」
「この土地から逃げたところで呪いから逃れられない。この村から出て行ったからといってのろいが消えるわけではないんだ」
「なら、なおのこと軍隊をどうにかする必要はないんじゃないかしら? ここにいる必要はないのだもの。もし戻りたいというのなら、危険が去ってから戻ってくればいいわ」
「しかし、それでは避難先で何が起こるかわからない。対応策が何も講じられなくなる」
「それじゃあ、迫ってくる軍隊をどうにかする対応策ってものがあるのかしら? それを私に聞こうとしているのだっけ? そもそも軍隊を退ける方が避難先で起こる何かよりも対応しやすいという考え方からしておかしいのではなくて? それにリオル、あなたはこう言ったわ。『この土地から逃げたところで呪いから逃れられない。』それはこうも言えるんじゃないかしら? 『軍隊を退けたところで呪いから逃れられない。』」
「それは・・・」
「呪いに関しては私が何とかしよう。ベルロゼッタ」
しどろもどろになるリオルにジルが助け舟を出すように言った。
しかし、その呪いこそをどうにかするためにベルはここに誘われたのではなかったのか?
もしかしたらジル達の目的は村人を救うことではないのかもしれない、そうベルは思った。
迫り来る軍隊をどうにかしようとすることに固執しているような気がする。だが、それにどんな意味があるのか、ベルには想像がつかなかった。
「・・・もうすぐ雨が降るわ。うろこ雲は雨を呼ぶ」
「雨?」
時折ベルはジルに対して天気予報をしていた。それは嬉々として遊びに行こうとするジルを落胆させるものであったが、いざ雨が降り出すとベルの予報が当たったとはしゃぐのであった。そこにはジルの素直な賛辞を照れくさそうに受けるベルの姿があった。
「あなたにはわかるでしょ。ジルルキンハイドラ」
遥か遠方にどんよりとした雲があるのを視認した。おそらくこれが雨を降らせる雲なのだろうとジルは思った。
「水計か」
ベルは頷く。
「だが、相手に被害を出させることはしない。戦争をしたいわけではないのだから。川を堰き止め、意図的に川を氾濫させる。そして、行軍の進路を操作する。それと同時に馬を走らせ、この村で伝染病がはやっていることを知らせる」
「伝染病? 呪いならばうつりはしない。これは・・・」
「いや、そうではない。この村に来るということがデメリットだと知らせられれば良い。事実流行り病かどうかが問題ではない。人が多ければ多いほど、伝染病の脅威は大きくなる。飲み水に毒を混ぜ、伝染病に見せかける手も考えたが、これは露見したときの事を考えれば悪手」
「・・・それでもこの村に軍が来たとしたら? 実被害が出ていないのに軍隊が忠告一つで動くとは思えない」
「・・・その時はこの私が力を以って排除しよう。」
個人の力で何とかなるのなら、まどろっこしい事などせずにとっと出向いて片付けてしまえばいいのに。そう傍観していたナージャは思う。少なくとも自分の主なら何も考えずに正面から突っ込みそうである。
ナージャの視線に気づいたのか、ティナは「なによ」と不満そうにもらす。
「いえ、なにも」
「そう」と短く返すティナであったが、ナージャが何を言いたいのかは分かったようであった。
「魔女には魔女の掟がある。その中には古めかしくてまるで現実的でないものもたくさんあるわ。今回の試練の品集めも最たるものね。それでも魔女たちが長年積み重ねてきた英知そのものだから、まるっきり無視することもできないのも事実なのよね。いつまでも子ども扱いされるのもしゃくだし。掟の中で多いのが人との関わりについて。基本的には人と関わってもいいことなど一つもないのだから、かかわるなっていうのが方針ね。ママができるだけ人の争いごとに首を突っ込みたがらないのも魔女としては普通のこと。でも、人と全くかかわらないで生きようと思ったらひきこもるしかないじゃない? そんなのかび臭い生き方、私はごめんだわ」
実に主らしい、とナージャは思った。
「『その時はこの私が力を以って排除しよう。』その言葉に嘘偽りはないのだな? ベルロゼッタ」
「ええ、ジルルキンハイドラ。私の実力を知るあなたならそれがただのはったりではないのはわかるでしょ?」
力強い目でベルが返答した。それに対しジルは「そうか」とだけ漏らした。先ほどまでのジルの態度にしては、あまりにもあっさりとした感じを受けた。
「皆の者、聞いたであろうか? この魔女はこの村を守ると誓約した。魔女にとって誓約は神聖なものであり、この魔女に仇なすことがなくば、この魔女はこの村の守り神となろう。」
戦々恐々と事の顛末を見守っていた村人たちは目を丸くしていた。ジルの言葉をうまく呑み込めないでいるようだった。そんなことはお構いなしにジルは歩を進める
「リオル。行こう」
「待ちなさい。どこへ行こうというの!」
「言ったはずよ。呪いは私がどうにかすると」
リオルがベルに向かって、香水のようなものを振りかけた。「すまない」そんな言葉を残して。
ベルの意識がまた遠のく。霞む視界。我が子と元夫、どちらもよく知る二人であったが、、自分の知らないどこかへと行こうとしていた。もう手の届かない、どこかへと。
「待ちなさい。ジル・・・待って・・・ジルちゃ・・・」
「どうされますか? 主よ」
「上を見なさい。ナージャ」
「・・・蒼いフクロウ」
「私たちの出る幕ではないわ。ジル姉の馬鹿な考えの馬鹿な真似に付き合う必要はないわ」
「主はジルルキンハイドラ様の真意が読めているので?」
「当り前よ。姉妹だもの。それよりどうやって戻るかを探りましょう」
「・・・御意」