ようこそ。私の村へ ―1―
穏やかな風が吹いていた。
空では陽の光の流れにイワシたちが群れを成して、泳いでいた。
北に赤茶けた山々が連なり、そこから流れ込んでくる風は乾いたものである。
雨はあまり降らないようで、山々の岩肌には風が作り出した文様が鮮やかに刻まれている。
枯れた、命のない風景。
だが、それも南へと下り、大きな川を一つ越えれば在り様も一変する。
大地には力強く緑が生い茂り、大きな平野を成していた。
東西を貫く川は、北へ南へと分かれ、そこに住まう生き物たちの礎となっていた。
その生き物の中に人間も含まれる。
だだっ広い平野の一角に申し訳なさそうに、家々が身を寄せ合って建っていた。
その村には城壁と呼ぶにはあまりにもお粗末な岩が村を囲むように乱立している。
赤茶けた岩は北の枯れた大地によくあるものに似ている。
遠く村まで運んできたのだろうか?
そんな一風変わった村の岩にも目もくれず、ベルは深呼吸を一つして、村の中心へと歩んでいくのだった。
人の気配はあるが、皆息をひそめ、家から出てこようとしない。
ここに幼いジルと赤子のティナがいるのだろうか?
(どこかの家をぶっ壊して、中にいる人に聞いた方が早いかしら?)
とベルが物騒なことを考えてた矢先のことである。
「ようこそ。私の村へ」
そんな声がした。
振り返って見えたのは、ひょろっとした初老の男だった。
くるりん髭さえないが、どこかの誰かととても似ていたので、ベルの後ろをついていたティナはとっさに身構える。
まじまじと男を観察して、ようやく別人とわかると肩で息をついた。
「誘拐犯、登場ってところかしら?いかにも悪人って顔してるしね」
「いえ、顔は関係ないのでは?」
「じゃあ、何?この顔で善人だとでも?」
「もしかしたら孤児院に毎月寄付するような、はたまた捨てられた犬猫を拾い集め世話をするような、そんな善人かもしれませぬ」
「ないわね」
「断言されますな」
「当然よ。きっと裏で悪事を働いて、ほくそ笑んでいるに違いないわ。上から目線で、鼻で笑っているのよ。きっと」
「それは違う誰かではございませんか?」
「誰かって誰よ!」
「確かにこの男、彼奴と似てはおりますが・・・グベッ」
「だ・れ・と・似てるって?嫌な奴のこと思い出させないでちょうだい!」
誰と似ているかの返答は必要なく、ティナの足元には踏みつぶされたナージャの姿があった。
ワイワイと騒ぐティナージャをよそに、見えていないのだから当然だが、ベルと現れた男は間合いを探るような視線を交わしていた。
険しい表情のベルとは違い男は柔和な笑みを携えていた。
「やあ、久しぶり。っといっても・・・」
「・・・リオル・・・」
名を呼ばれた男は目を丸くして驚いていた。
「すぐにも分かるもんなんだね。あれからずいぶん変わってしまったのに」
「そんなことはないわ。あれから少ししか経っていないじゃない」
「少し・・・か。そうだね。君にとっては、瞬きするほどの刹那の時なのかもしれないね」
男は自身の顎に手を当て、剃り残した髭をさすった。
その顔にはベルと出会ってから、幾日もの年月を積み重ねた後が刻まれている。
「そう、ここがあなたの生れた村なのね」
「そうだよ。気に入ってくれたかい?」
ベルはあたりを見回す。
一巡りしたベルの視線はリオルの元に戻り、「興味ないわ」と吐き捨てた。
「相変わらずだね」とリオルが苦笑する。
「私が興味あるのは・・・」
「分かってる。そのために迎えに来たのだから。さあ、彼女たちも君を待ってる」
「・・・一体どういうこと?・・・」
リオルは答えず、「ついておいで」と返した。
とつとつと歩んでたどり着いたのは一軒の家。
辺りの家々に比べて、一回り大きい。
その家の中には明かりはなく、中で何かがうごめくような気配がした。
「さあ、どうぞ」
リオルは家の扉を開けるようにベルに促す。
何が出てくるのか、リオルの顔を睨んでみても、何もわからなかった。
まあ、何が出ようと切り刻んでしまえばいい。
そんな心持ちでベルはドアを開いた。
暗い闇。
その中から破裂音が一つした。