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気の向くまま、風の向くまま  ―3―

 時間ってやつはなぜにこうも早く過ぎてしまうのだろう。

 そんな誰かの呟きが聞こえるかのように、太陽が愛する妻と子供たちの待つ我が家へと足早に帰って行った。

 辺りはフクロウ鳴く闇が訪れていた。

「それにしてもあの魔女さん・・・」

 と言いかけて、宿屋の主人が言葉を飲み込み、周囲を見回した。

 話し相手以外に誰もいないことを確認すると、話を続ける。

「本当にあの山賊達をやっつけたのかね?」

「本当に決まってるじゃない!」

 もちろん周囲の誰かに見えないティナたちは含まれない。

 それ故、抗議も当然聞こえないわけだが・・・

「私のママなのよ。当然よ」

「主よ。聞こえていませ、ハウアッ!」

 いらないことを言ったナージャが蹴り上げられ、悶絶する。

 ご愁傷様である。

「まあ、あの様子を見たら、私もそう思うがね。あんたも見ただろ?あの山賊が改心したと奪っていったものを返しに来たのを」

「そうだねぇ」

 宿屋の主とその話し相手は、二人してベルの寝ている部屋の方を向き、唸った。

「もし本当にそうなら、このままあの魔女さんにここにいてはくれないかしらね」

 宿屋の主の言葉に話し相手は目を見開き、すぐに細い目で怪訝な表情を作った。

「何やら東の方がキナ臭いって言うじゃないか」

「ああ。その話、私も聞いた」

 宿屋の主人の話し相手は、顔を曇らせたままうなずいた。

「何も私は未来永劫一生ここにいてくれって頼むわけじゃない。ただもう少し平和になるまでじゃないか。 山賊みたいなゴロツキどもにへいこらしていたこの村が、今度は軍隊相手にへいこらしなきゃいけないなんて、そんなバカな話あるかい。やっと訪れた平穏だってのに」

「言いたいことはわかるがね。しかし・・・」

 宿屋の主人がカッカと燃え盛るが、話し相手は眉間にしわを寄せ、ずぶずぶと沈み込んでいるようだった。

「それとも何かい?やっぱりあの男の言葉が気になるのかい?」

「・・・どうだろうね」

 話し相手の力ない笑い顔がそうだと答えた。

「あんな仮面かぶった薄気味悪いやつのことなんかさっさと忘れちまいなって言ったじゃないか」

「でも、あの男は言ってたじゃないか。『風は留まるを知らず。留めるは禍の元。風は東に流れ、石柱立ち並ぶ彼の地にて、風は翼休める安寧の地を得るであろう。風見鶏たちよ。東を指すのだ』」

「よく覚えてるわね」

「あいつの言葉を聞いてから頭から離れない。いや、違うな。正確にはあの魔女さんがあいつの言っていた風なんだろうと思った瞬間からだ。まるで何かを仕掛けられていたみたいに急にふつふつと言葉が思い出されて。何かの暗示にかかっていたのだろうか?胸がざわつく」

 宿屋の主人はそれを聞いて、一笑する。

「そんな大層なもんじゃないさ。あんたに吹いて来たのは、あの魔女さんなんかじゃない。ただの臆病風さ。風はその場に留まらないのだろう?なら、そんなものこそさっさと東に吹き飛ばしちゃいなよ」

「あら、臆病風だって素敵なものよ。ぜひとも私も一緒に東へと連れて行ってほしいわ」

 ぎょっと目を見開き、宿屋の主人はなかったはずの背後の気配を確認した。

 ベルの姿があった。

 目は相変わらず眠そうに半開き、口元は弓を描いていた。

「お、おや。起こしちゃったかい?ずいぶん気持ちよさそうに寝てたからね。起こすの悪いと思って。まあまあ、こんな時間だ。一回り回っておなかも空いただろう。今食事の支度を・・・」

 宿屋の主人がまくしたて、ごまかすようにその場を立ち去ろうとすると、視界がくるりと反転した。

 背中に受ける衝撃。

 痛いという感情より、熱が背中を覆い、熱い。

 頭はくらくらとする。

「子供がね・・・さらわれたの・・・いないのよ・・・」

 とつとつと語る口調は昼間のものと同じである。

 馬乗りになり、微笑んでみせるベル。

「あまり心に余裕はないの・・・分かるでしょ?」

 首筋を指でなぞると、紅い筋がつうっと通っていった。 

 宿屋の主人がコクリコクリと頷くと、ベルの指が止まる。

 指が離れ、パチリと指をこすり合わせた音が静かな空気を震わせる。

 風の糸が深くさけた傷口を縫合し、葉っぱで切ったような跡だけが残った。

 どくどくと流れる首筋の血は止まった。

 痛みは嘘のように消え、出血によるくらみが残る。

 許してもらえたのだろうか?

 そう、疑いながらも宿屋の主人は立ち上がろうとする。

 しかし、体は思うように動かなかった。

 情けなくも腰を抜かしてしまったのだろうか。

「じゃあ、話して・・・もらえるわよね?」

 そう言って、ベルが宿屋の主人の上から退くと、金縛りが解けたように宿屋の主人の体は自由になった。

 いきなり与えられた自由に宿屋の主人は目をぱちくりとさせ、驚いていた。

 難なく立ち上がれる。

 目の前の華奢な女性が自分を身動き取れなくなるような腕力を持っているようにはとても思えない。

 魔女、自分たちとは違う何かしらのモノ。

 そう頭では分かっていた。

 頭だけが分かっていた。

 だが、今。

 体験を以って、体の隅々までゾクゾクとした感触が真実を述べるのである。

 違うのだと。

 自然と宿屋の主人の体は震えていた。

「やはり話してもらえないのかしら?」

 ベルの催促に宿屋の主人は、はっと顔をあげ、ぶんぶんと頭を振った。

「あれは魔女さんの来る少し前のこと。前進マントで覆い隠した大柄の男が一人来たわ。体が不自由なのか、足を引きずっていたのを覚えているわ。どうせ物乞いの類なのだろうと、村の誰も相手にしなかった。そして、その男は、さっきの何て言ったかしら?『風は・・・』どうとかってのを村中に聞こえるくらい大声で叫び続けながら、村を通り過ぎて行ったわ。今にして思えば、本当に奇妙な出来事」

「そのマントの男は本当に一人だったのね?誰も一緒にいなかった?」

「さ、さあ?いなかったと思うわ。私も遠目に見ただけだから、はっきりとは言えないけれど・・・」

「そのマントの下に小さな子供と赤ん坊がいた可能性は?どこからか泣き声は聞こえなかった?」

「それは・・・」

「足を引きずっていたのは足元に何かがいたから歩きづらかったのではなくて?ことさら大声を上げていたのは、聞こえる何かを掻き消そうとしていたからではなくて?さあ、答えてくれるのでしょう?さあ!」

「やめてくれ!」

 宿屋の主人の話し相手は懇願する。

「あの頃、この村の誰もが日々生きることだけでに必死で、何かに注意を払えるような余裕はどこにもなかった。山賊達の、奴らの気まぐれで明日死ぬかもしれない。奪われたのは物だけじゃない。家族も尊厳も自由も、何もかもが私たちの手元にはなかった。逃げることも抗うこともできず、行きながら死んでいたんだ。。私たちは。それを魔女さん、あなたが救った」

 うろんな目でベルは放心状態の宿屋の主人とむせび泣く宿屋の主人の話し相手を見ていた。

「・・・すまない」

「そう。本当にあなたたちは私の欲しがっている情報を持ってはいないのね。あなたたちにどんな事情があったのだろうと私には関係ない」

 謝罪は不要とベルはすっぱりと切り捨てる。

「あなたたちを救おうなどとこれっぽちも考えていなかったわ。あれは、そうね。ただあそこにいた山賊どもの運がなかっただけ。私が彼らのもとを訪れたことこそ、不運だったのよ。だから、あなたたちは感謝も恩も感じる必要はないわ。自分たちの強運を素直に喜びなさい」

 わーい、ともろ手を上げて喜べるような状況ではない。

 けれど、宿屋の主人は何かを伝えなければならないような気がしていた。

 それでも救われたのは事実なのだという内容なのか。

 はたまた違う内容なのか。

 カサカサの唇が震える。

「それじゃあ。そろそろ行くわ。あなたたちに不幸が訪れる前に」

 にこりと一つ微笑むと、ベルは宿屋の主人たちに背を向けた。

「あ・・・」

 遠ざかっていくベルの背に、思わずすがるように手が伸びる。

 べちゃりと気持ちの悪い音が耳に入る。

 伸ばした手には乾いた血痕。

 それらがこれ以上はいけないと、警告の色を放つ。

「食事・・・おいしかったわ・・・ありがとう・・・」

 ベルは背を向けたまま、宿屋の主人たちに手を振った。

「はふー。やっぱり私のママよね」

「そうでありますな。やはり主とあの母君は似ております」

「そうそう?やっぱりそう思う?無敵なとことか。かっこいいところとか。こう、ぶれないところとこか。見ていて見とれちゃった♪やっぱり私ママの子なのよね♪」

「・・・」

 ナージャはあえてどこがとは言わなかった。


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