魔女ジルルキンハイドラへの拝借
深い森の奥に一人の魔女が住んでいた。
魔女の名は、ジルルキンハイドラ。
その姿は幼女の姿をしているが、数百年の歳月を生き、その知識は海よりも深く、ありとあらゆる妙薬の知識をもっていた。
そして、遠くを見渡せる千里眼をもち、彼女の知らないことなどこの世にはないとさえいわれている。
俗世を嫌い、一匹のペットと暮らしている。
ペットの名はトットルッチェ。
人語を解する稀有な黒いライオンである。
ある日のことである。
ある村の若者が彼女の元を訪れようとしていた。
「失礼いたします。どなたかいらっしゃいませんか?」
「ああ、いらっしゃい。お客さんかな?」
奥の方からのそのそと出てきたトットルッチェは、あくび一つして、若者を出迎えた。
「はい。こちらにジルルキンハイドラ様がいらっしゃると聞いてやって来たのですが・・・」
「ああ、ジルね。悪いんだけどさ、今ジルここにはいないんだよねー」
「いつお戻りになられるのですか?」
トットルッチェは首をひねる。
「さあ?いつ戻るとか言ってなかったからなー。その内戻るんじゃない?」
「その内ですか?」
「うん。その内。急いでいるんなら諦めた方がいいよ。いつもならジルは本読んでるか、ご飯食べてるか、寝てるか、実験してるかの四通りしかないけど。今日に限っては、珍しく散歩に出かけるとか言ってたから。ホント珍しいよねー。もしかしたら明日槍が降るかもね」
「そうなのです!」
若者が一際大きな声を上げたので、トットルッチェはびっくりして身震いする。
「は?何が?」
「実は私の村が明日、盗賊に襲われるのかもしれないのです。本当に明日槍が降ってくるのです。そこでジルルキンハイドラ様にお伺いしたく、ここへ参ったのです」
「ふーん。盗賊退治かぁ。ジルは基本的に荒事が好きじゃないから、もしこの場にいてもそれだと首を縦に振るか分からないよ?そもそも助けを求める相手が違うんじゃない?」
「その点は大丈夫です。盗賊達を懲らしめるのは私達でも出来ますので、問題はその後と言いますか・・・」
「その後?」
トットルッチェが問うてみるが、若者は答えない。
思案にふけっているようで、ぶつぶつと何かを言っている。
「そうです。この際、ジルルキンハイドラ様の御使い様でも問題ありません。どうか、私達の村までご足労願いませんか?」
「えー。僕?僕だってそんな戦うのって好きじゃないし、何せ面倒臭いよ」
「そこは大丈夫です。盗賊退治自体は御使い様に手を出していただかなくとも私達で何とかいたしますので、その後少しだけ盗賊達に御高説賜るだけでよいのです。お手はそう煩わせません」
「うーん。それなら僕も退屈してたし、今回限りの気まぐれでならいいけど。でも、ホントに盗賊退治には参加しないから、頭数に入れないでよね。いざとなったらすぐに逃げだすし」
「ありがとうございます」
そう言って、若者は深く頭を垂れるのだった。
「何だか人がいっぱいだね」
「はい。今回の盗賊撃退のために集めた傭兵です」
「ふーん。これだけ集められるってことは、この村結構豊かなんだね」
「はい。お陰様で。この土地は土壌も豊かで、水も豊富です。ですが、それ故に狙われる事も多く。一度や二度なら良いのですが、そう何度も襲われるとなると、さすがに村の財政も圧迫してくるのです」
「それでジルに知恵を借りようって思ったんだね。でも、僕は何もいい案なんて思い浮かばないよ」
「いえ、お力を借りようとした事は本当なのですが、知恵と言うよりはその御高名を借りようかと。ですから御使い様にはこの紙に書かれたものを捕らえた盗賊達の前で読み上げていただければ十分なのです」
「ふーん。まあ、それでいいなら、いいけど」
そして、その村に盗賊達は現れた。
呆気なく事態は収拾し、捕らえられた盗賊達は村の広場に集められた。
そこにトットルッチェが現れる。
「我は深緑の魔女ジルルキンハイドラの御使いである・・・ええっと、次なんだっけ?」
と言ってトットルッチェは足元に置いてある原稿を覗き見る。
「ああ、そうそう・・・此度のそなたらの蛮行、決して許されるものではない。だが、天が、地が、許さずともジルルキンハイドラの名において、そなたらを許そう」
盗賊達を戒めていた縄が断たれる。
盗賊達は怪訝そうな顔で、周りを、お互いを見回す。
「伝え、広めよ。我が主、ジルルキンハイドラの慈悲深さとその力の偉大さを。そして、ジルルキンハイドラ様の加護を受けるこの村を二度と襲わぬよう。今一度道を踏み外そうとするならば、その慈悲深さは安らかな死を与え、その力は魂を砕くこととなる。心しておくがいい」
そして、盗賊達は怪訝そうな表情のまま村を後にするのだった。
「あれでよかったの?」
「ええ。ありがとうございます。うまくいきました」
「そうなんだ。でもさ、言ったからもう襲わないでくれるなんて単純な話じゃないでしょ?」
「持ってなければ、持っているものから奪えばいいなんて、これ以上単純な思考ないでしょう?きっとうまくいきますよ」
若者は高らかに笑った。
「ふーん。まあ、そっちがさっきので良いっていうんなら、別にいいけど」
そう言って、トットルッチェは盗賊達の去った後を見つめた。
「あ、あれ?ジルじゃん。ど、どうしたの、こんなところで?」
「・・・散歩」
「そっかー。散歩かー。ジルはずいぶん遠くまで散歩に来るんだね・・・もしかして全部見てた?」
「うん。見てた」
「そっかー。いやー、僕ってさ、目の前で困ってる人を見ると助けずにはいられないっていうか・・・」
「そうなんだ。でも、私は私の名前が独り歩きしているのは気分が良くない」
「そ、そうだねー。良くないよねー・・・って、ジルそっちはいつもの森の方角じゃないよ?そっちはさっき僕がいた村の方で・・・行っちゃった・・・ごめんねー」
その夜、ある村では大変恐ろしい事があったそうだ。しかし、一体何が起こったのか、その真実は口伝ですら残っておらず、後世に残る事はなかった。