七章 「穴、決別、ジルルキンハイドラ」 -2-
テントの中ではアトレイアがまだ将軍に食い下がっていた。
しかし、その言葉は空に投げかけるよりも空しい。
「どうあっても引いては下さらないのですね」
「その通り。進むべき道は前のみ」
「・・・そうですか。それではやむをえません。消えていただきましょう」
「何を言って・・・」
怪訝そうにする将軍に答えを与えたのは痛み。
自身を貫く剣を信じられぬとその存在を確かめる。
「そ、そんな馬鹿な・・・」
その剣の柄を握っていたのはダイナスであった。
ダイナスが将軍の体から剣を引き抜くと、将軍は崩れ落ちた。
「今までご苦労様でした。では、これからは元通り私の下で働いてもらいましょうか?」
片方のこされたクルリン髭をいじりながらアトレイアは無表情のダイナスに問う。
答えは、否。
ダイナスは頭を振るのである。
「いえ、できれば私は将軍の遺志を継ぎたい。彼の理想は素晴らしいものです。しかし彼にはそれに伴う実力がなかった。再度出陣しても我らは勝てないでしょう。理想は力を伴わないとただの妄言です。私は彼の理想をかなえて見せます」
「・・・そうですか。君ほどの実力のある者が離れてしまうのは残念ですが。いいでしょう。君の思う通りしなさい」
「ありがとうございます」
その場を背にするアトレイア。
「では、お言葉に甘えて・・・」
将軍を刺した剣は、今度はアトレイアを狙う。
だがその切っ先は届かない。
煌々と燃える炎。
それはかつて人だった。
残すは消し炭のみ。
「これで契約は履行されたわね」
闇夜に浮かぶ深紅の瞳。
ティナエルジカであった。
「ええ。『私を命を狙う者から守って欲しい』と言う契約はこれで履行されました。晴れてフォーナスクの写本はティナエルジカ様の物でございます」
「そう。やっとね。全くこんな契約私にはやっぱり向かないわ。まどろっこしくて性に合わないわ。やはり自分で探して見つけないといけないわね」
「おや、そうなのでありますか?それではこれは無用のものとなりますね」
そう言って、アトレイアは懐から石を取り出す。
金に瑠璃を混ぜた様な石。
「天元石・・・と言いましたか?確か魔女の試練の品にこれがあったと思いますが、もうティナエルジカ様は手に入れられたのでしょうか?もし手に入れてなければ・・・」
アトレイアの持つ石を掴もうとして、ティナはまた空を掴む。
忌々しいと顔をゆがめるティナにアトレイアは笑って見せる。
「新たな契約・・・結ばせて頂こうかと思っておりましたのに」
「いらないわ!そんなもの!」
「そうでありますか。この石、手に入れるのになかなかに苦労いたしました。もしかしたら、もう手に入らぬやもしれません。もし何も手掛かりなくば、どうぞ御遠慮なく」
「大丈夫よ。そんな心配しなくてもちゃんと自力で見つけてみせるわ。それにもし見つからなかったら、その時は・・・」
含みを持たせて、ティナはアトレイアを、石を指差す。
「力ずくで奪わせてもらうわ」
アトレイアから笑い声が漏れる。
「それは、怖い。しかし、どのような状況であれ、ティナエルジカ様の様な美しい方ともう一度会えるならば、喜ばなければなりませんな。お待ちしておりますよ。ティナエルジカ様」
鼻を鳴らし、去っていくティナの背を見送る。
そして、かつて人だった残骸をアトレイアは見た。
「なまじ優秀だったからこのような結果に。もう少し愚かであったなら死なずに済んだものを。優秀すぎると言うのも考えものですね」
アトレイアは懲りずに片方だけ残った髭をいじりながら考える。
「とは言え、手ゴマが無いとそれはそれで苦労いたします。愚直で力のある者・・・」
アトレイアの頭の中に浮かんだのは先程までの残像。
「馬鹿と何とかは使いようともいいますが・・・」
あまり気乗りしないようであった。
「もう片方の髭も覚悟しなければなりませんか。それは大変な覚悟です・・・うーむ、どうにか両方とも生えそろうまで待っていただけないものでしょうか」
問うたところで詮無き事。
答える者もない。
しかし、どうにもその無様な髭を剃り落とすことは念頭にないようであった。
クルリン髭はアトレイアの手から離れて、揺れている。




