四章 「罠、花火、コッカス」 -1-
風は淀んでいた。
たなびくはずの軍旗はしょんぼりと肩を落としている。
ティナはそんな盤上の駒の様なベネキアの兵士たちを丘の上から見下ろしていた。
「よろしいのですか?主よ。奴の元からこんなにも離れて」
「いいのよ。契約主が来るなって言うんだから」
ナージャとしてはこのまま逃げる、もしくはジルの元に走るのもありかとは思うのだが、ティナにはそんな意思は無いように思える。
まるで見世物を楽しみにしている子供のようにはしゃいでいる。
「ここじゃ少し見えにくいわね。ナージャ、もっと高い所へ移動しましょう」
「御意のままに」
主の命に従い走り出そうとしたナージャ。
しかし、すぐにその動きは止まる。
ティナがナージャの耳を引っ張ったのだ。
「ちょっと待って。動きだしたわね」
馬の蹄が煙を立て、側に寄らずとも鎧がこすれ鳴る音が聞こえそうである。
あっという間に砦は囲まれ、堀を越える準備が為されていた。
「門が開いていく?ジル姉、誘っているのかしら?・・・行軍は・・・止まらないわね。馬鹿なのかしら」
引き付けておいての橋の崩落。
門による敵の分断。
少し考えただけでもその危険性が分かる。
だが、ベネキア軍は虎穴に入らずんばとばかりに突撃して行くのである。
「やっぱりここじゃ見えにくいわ。急ぎなさい、ナージャ」
「御意」
わがままな主人にげんなりしながら、ナージャは走り出した。
「なるほど。ジル姉ならこう来るか」
丘を駆けあがり、ティナが目にしたのは門を出るとすぐに仕掛けられた落とし穴である。
勢いを消しきれずに落ちていく者、留まれ戻ろうとするが、押され堀に落ちる者。
様々であるが、何よりもティナが先陣として出張って来た時には一番有用な罠である。
「あんなのにかかるなんて馬鹿じゃない。私ならあんなの楽勝ね♪」
前日、何時放棄されたのか分からない枯れ井戸に落ちていたティナの言葉に、ナージャはどの口が言うのだと眉をひそめた。
「それにあの砦の中、まるで迷路みたいじゃない?楽しそう♪」
もしティナが砦の中に入っても迷って、仕掛けてある罠(恐らくは落とし穴)に掛かってお終いである。
行きたいとか言い出しそうで、ナージャは内心戦々恐々していたが、ティナは見ているだけでそこそこ満足している様だった。
一方、アトレイアの方はと言うと。
「まるで猪ですね。何をそんなに功を焦っておいでなのか、私には分かりませんな。攻城兵器にて弱体化させ、それから後に攻め入ればよいものを。数を以て力ずくとは・・・時にはそれも良いでしょうが・・・」
「確かにアトレイアには愚に写るかもしれんな。しかし、あのように死を恐れずに攻め立てる姿こそが相手に畏怖を与え、ベネキアの勝利の一助となる。ほどなく勝利の報が入るであろう」
ぼやくアトレイアに将軍はたしなめる。
(相手が普通の相手ならばそうなるかもしれない。だが、相手は魔女だ。そんな策も無く突っ込んでくる相手、魔女にとっては格好の的にしか過ぎない)
そして、アトレイアの予想通り、待てど暮らせど勝利の報は入ってこない。
伝令は戦死者の名を連ねるだけである。
「敢えて申しましょう。ここは一度引くべきです」
アトレイアは沈黙し、状況をただ見つめる将軍に進言する。
それに反応したのはダイナス。
「アトレイア少将!卿は何故に引きたがる。そんな事では落とせる砦も落とせはせぬ」
「別段引きたがっている訳ではないのです、ダイナス大佐。ただ今はその状況にあると申しているのです。このままではあの砦を落とせたとしても我が軍の損害は大きく、その後の遠征に差し障ると申し上げたいのです。ここでは補給もままならない。そんな状況で怪我人ばかりを増えていく。このままでは攻めるに攻めきれず、こんなところで立ち往生してしまう。それでは・・・」
「補給?なるほど、その手があったか」
何か思いついたのか、ダイナスはにたりとする。
「将軍」
「なんだ。ダイナス」
「一度軍をお引きください。私に策がございます」
ちらりアトレイアを見る将軍。
アトレイアは無表情で片方だけ残ったクルリン髭を撫で続けるだけである。
「よかろう。一度軍を引こう」
「御意のままに」
アトレイはその言葉に髭を指に絡めて、少しねじった。
(まあ、結果として軍を引くのです。良しとしましょう)
「ベネキア軍が引いて行く」
歓声が上がった。
「ベネキア軍大した事無いな」
「この分だと一週間なんて楽勝じゃないのか?」
確かにベネキア軍に対して、シュレミアの兵達は優位に展開していた。
それもゲルガー砦に張り巡らせたジルの罠がことごとく成功したせいである。
「なんならこっちから仕掛けるってのもありなんじゃないか?こっちにはジルルキンハイドラ様もいるんだし」
「確かにありかもな。攻められっぱなしってのも何だかしゃくだしな」
兵士たちが好き勝手言っているところに外の様子を見ていたジルが現れる。
カツカツと進みくるジルに兵士たちは賛辞を送ろうとしたが、その体は硬直したまま動かない。
原因はジルの鋭い視線である。
「貴方達は死にたいのですか?そうやって浮き足立っていれば、勝てる戦も勝てない。まだ戦は始まったばかりです。気を引き締めなさい」
兵士たちは背筋を正し、敬礼一つ。
固まったその表情に、あぶら汗が流れおちた。
その様子に満足したのか、ジルはその場から立ち去る。
そして、歩きながらジルは思う。
(けど、実際物量が違い過ぎる)
次はベネキア軍も罠を警戒してくるはず、そうなれば今回のようにうまくはいかなくなる。
それに今回だって引き際を考えないような指揮官なら押しきっていたかもしれない。
仕掛けていた罠が尽きればそこでお終いだった。
選択肢は無くなっていた。
(トットルッチェが間に合えばいいのだけれど)
遠くで駆けているであろう黒いライオンの事を思い、ジルは祈る。
(できれば、使いたく・・・ないなぁ・・・)
そして、懐の小瓶を握りしめるのだった。




