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二章 「森、姉妹、お着替え」 -1-

 その森の奥に一人の魔女が住んでいた。

 魔女の名は、ジルルキンハイドラ。

 その姿は幼女の姿をしているが、数百年の歳月を生き、その知識は海よりも深く、ありとあらゆる妙薬の知識をもっていた。

 そして、遠くを見渡せる千里眼をもち、彼女の知らないことなどこの世にはないとさえいわれている。

 俗世を嫌い、一匹のペットと暮らしている。

 ペットの名はトットルッチェ。

 人語を解する稀有な黒いライオンである。

「あれー、ティナじゃん。いらっしゃい。今日は一人なのー?」

「ええ、そうよ。ジル姉はいる?」

「何だか険しい顔だね、ティナ。今日こそ決着つけようって感じ?」

「そんなんじゃないわ。今日の私はただの伝令よ」

「伝令?ふーん。まあ、どうでもいいけどね。多分ジルは家で本でも読んでるよ」

「そう、ありがと」

 ティナは家の前で日向ぼっこをしていたトットルッチェに礼を言うと、家の中に入っていった。

 家の中ではトットルッチェの言葉通りジルが椅子をギコギコ揺すりながら、本を読んでいた。

 固いパンをちぎり、口に入れ、そのまま口の中で遊ばせている。

 そして、唾液で柔らかくなると思いだしたようにモグモグと咀嚼するのだ。

「ジル姉」

 ティナの呼び掛けには応じない。

 本に集中して何も聞こえていない様子だ。

 いつもの事ではあるけれどティナはため息を漏らす。

「ジル姉、ちょっと話を聞いて」

 とティナはジルから本を取り上げる。

「ふわ~。何するのよ~。今読み始めたところなのに~」

「ジル姉、お楽しみ中悪いんだけど、ちょっと良いかしら?」

「ふへ?ああ、ティナ。いらっしゃい。今日はどんな御用?」

 おもむろにティナは手紙を取り出し、ジルに渡す。

「何これ?手紙?誰から?」

「ジル姉、アトレイアって覚えてる?」

「えっと・・・アトレイア、アトレイア・・・ああ!あの可愛い男の子!ねえ、ティナ。あの子元気にしてる?」

「ええ、元気そうだったわよ。今ではただのいけすかないおっさんだけど」

 目をキラキラと輝かせるジルにティナは残酷な現実を突き付ける。

 ジルは背中に『がーん』と効果音を背負って、落ち込んでみせる。

「まあ、普通に考えれば放っておいても子供は大人になる訳だし、いつまでも可愛い子供のままだなんてジルの願望以外何物でもないけどねー」

 外で日向ぼっこに飽きたのか、それともこちらに興味が出てきたのか、部屋にトットルッチェがあくびをしながら入ってくる。

「失礼ね。私だってちょっと遠くを覗き見ればどんな風になっているかなんて分かるんだから。でも、やっぱり見たくないものってあるじゃない。ずっと心の中にしまっておきたいような・・・」

「臭いものには蓋ってこと?」

「違~う。もう、トットルッチェに乙女心なんて分からないんだから!」

「乙女心ねー」

「何?文句あるの、トットルッチェ」

「いや、何も。それより手紙に何が書いてあるのさ」

 トットルッチェは馴れたようにジルの矛先をかわし、手紙に興味を向ける。

 ジルは乱雑に手紙の封を切ると、読み始めた。

「えっと・・・『暁射て宵闇の頃、神楽かぐらの舞巫女が季節を告げ、雉鳩きじばとが鳴きました。この身、煩わしき現世の鎖に縛られ、相見あいまみえずこのような形にての再会お許しください。幼き頃、ジルルキンハイドラ様にお世話になりましたアトレイアと申すものです。覚えておいででしょうか?農家の息子でありました私でありますが、今は故あってベネキア軍の末席に身を置いております。この度の文はそのベネキア軍に関するものです。戦をいとわれる心優しき魔女ジルルキンハイドラ様の御目汚しになるかもしれませんが、どうぞ最後までお読みください。只今我がベネキア軍はリリィロッシュのゲルガー砦を攻略中であります。戦況は我が軍の圧倒的有利であり、ゲルガー砦の落ちるのも時間の問題であります。問題はゲルガー砦攻略後、我が軍はさらに遠征をし、ジルルキンハイドラ様の森を侵すやもしれぬと言う事。私としてもそのような愚行何としても止めたいところなのですが、私は何分平民上がりの軍属、耳を貸さぬものが上官には多くおります。そこで今回のゲルガー砦攻略においてジルルキンハイドラ様のお力添えあらば、上官をも説得に足ると私は考えております。どうか、その深謀にて森を侵そうとしようとする浅慮を打ち砕いていただきたいのです。ご無礼承知で申し上げます。どうか、どうか・・・』だって」

「ふーん。また戦争か。飽きないねー」

 ジルはテーブルに手紙をぽいっと投げると、不満そうな顔で読みかけの本を取る。

 すかさずティナがそれを取り上げた。

 ジルが不服を訴え、ぷくっと頬を膨らませるが、ティナには通用しない。

 本は返ってこない。

「あ~あ。あの可愛かったアトレイアちゃんも軍人か~。あんなに可愛かったのに~・・・にへへ」

 ジルは思い出し笑い、いや思い出し妄想をしてよだれを垂らしていた。

 そんなジルの様子を見てトットルッチェは全然興味無いので、毛繕いをしている。

「だから、今ではただのいけすかないおっさんだって言ってるでしょ。それよりもジル姉、どうするの?」

「へ?どうするって?」

「だからこの手紙の事よ。ジル姉、ベネキア軍に行くの?」

 ジルは腕組みして、唸る。

「あんまり気が向かないかなぁ。だってこの手紙、要約すると従軍しろってことでしょ。さもなくば森も侵略するって脅してるだけ。それに私戦争嫌いだし~」

「でも、行かないとこの森が大変なことになるんでしょ?」

「それもそうなんだけどさ~。でもでもリリィロッシュって嫌な思い出もあるし、それにその本読み始めたばっかりだし、ベネキア軍がこの森に来るって絶対決まっている訳でもないし。それにもし来るとしてもその間にその本読めるんだよ」

「ジル姉・・・この本は絶対に読まないといけないものなの?」

「う~・・・そうでもない・・・でも~、面倒臭い~」

(この引き籠りが!)

 とティナは内心拳を固めるが、ナージャが人質に取られており、魔女の試練の事もある。

 そう易々とは引き下がれない。

 何とかジルをリリィロッシュへ誘おうとするが、一向に色よい返事は出てこなかった。

「なんか、ティナ。ジルに戦争に行って欲しそうだね」

 そんなやり取りをじっと見ていたトットルッチェがポツリと呟く。

 じとりとティナの背筋に汗が流れおちた。

 そして、硬直した体はまるでゼンマイの切れかけた人形のようにトットルッチェの方へ振り向く。

「そ、そんな事は無いわよ。ただ私は心配してるだけで・・・」

「何かやましい事でもあるの?」

「ないないない。全然ない。そんなものある訳ないでしょ!」

「ホントにー」

 頑張って肯定しているティナだが、トットルッチェはジト目で疑いの眼のままである。

 そんな風に必死で隠そうとするティナにジルはあっさり事情を暴露する。

「あれ?そうだっけ。確か魔女の試練の品につられて、軽率な行動を取って、ナージャが捕まっているんじゃなかったけ?」

「え?!何で知って・・・」

「私を誰だと思っているのよ」

 えっへんとジルは胸を張ってみせる。

 ティナは肩を落とし、大きくため息を吐いた。

「何か頭痛い。でも、事情を分かっているならいいわ。ねえ、ジル姉。手伝ってくれるでしょ?」

「やだよ~。だから、戦争嫌いって言ってるでしょ」

「でも、ナージャが。そして、何よりも私のメンツが立たないじゃない」

「あ、やっぱりナージャどうでもいいんだ」

「そ、そんな事は無いわよ、トットルッチェ。あれでも曲がりなりにも私のペットだし。少しぐらいは心配しているわよ。そりゃ、あいつは全く役に立たないけど。いるだけ無駄だけど。でも、少しぐらいはちゃんと心配しているわ」

「ふーん」

「ねえ、ジル姉。この通りだから、お願い」

 とティナは床に土下座して、ジルに懇願する。

「うーん・・・やだ」

「何でよ!私がこんなにまでしてるのに」

 まるで飛びつきそうな勢いで抗議するティナだが、ジルは駄々っ子のように意見をちっとも聞きやしない。

「だって~、やなもんはやなの~」

 仕舞いには涙を浮かべて、階上の自室へと逃げていった。

 あまりに慌てていたために途中階段で蹴つまずくが、さもそれがティナのせいであるかのように睨みつける始末である。

 バタンとジルの部屋の戸が閉まった。

「ねえ、トットルッチェ。どうにかしてジル姉を連れていく方法ないのかしら?」

「さあ?僕はそんな事には興味無いし、ジルの好きにさせておいたらいいんじゃない?」

「もう、自分には関係ないからって好き勝手言ってくれるわね。私だってジル姉に頼るのは本意ではないし、出来る事ならそうしたいわよ」

「そうなんだ。じゃあ、その魔女の試練の品とやらは頂いておいて、ナージャを助けたらトンズラしたらいいんじゃない?もしこの森にベネキアの軍が来てもそれはジルに任せておけばいいじゃん」

 トットルッチェの意見にティナは目を丸くする。

「トットルッチェ・・・貴方意外と黒いわね」

「ん?そう?見たまんまでしょ?」


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