一章 「戦場、魔女、ティナエルジカ」 -1-
すみません。ここから少し長いお話になります。
いつも通りの形のお話を期待された方、申し訳ありません。
戦場を眺めている一人の魔女がいた。
魔女の名は、ティナエルジカ。
その姿は色気を醸す美女の姿をしているが、数百年の歳月を生き、その身の内に煉獄の炎を宿していた。
彼女は各地を一匹のペットと共に駆けまわっていた。
ペットの名はナージャ。
真紅の毛並みを持つ、人語を解する稀有な豹であった。
「主よ、いかがいたしますか?もう戦が始まってしまっているようですが?」
ナージャは腕組みをしているティナを見上げる。
ティナは不敵な笑みを浮かべていた。
嫌な予感がナージャの背を撫で、毛を逆なでる。
「そうね。ここは突っ込むしかないわね」
「え?突っ込むのですか?」
嫌な予感は当たる。
「大丈夫よ♪なんとかなるなる♪」
ティナの大丈夫はあてにならない。
今まで多くの経験からそれを嫌になるくらいナージャは知っていた。
出来れば知りたくも無かったのだが。
思い出しただけでも身震いする日々。
とは言えナージャには選択肢は無かった。
逆らったところで、ひどい目に合うのは目に見えていた。
具体的に言うと、丸焼きにされたり、丸焼きにされたり、丸焼きにされたり・・・などである。
行くしかないのだ。
ナージャは諦めという決意を胸にティナを背に乗せ、崖を駆け下りる。
「な、何事だ!」
「何者だ、貴様!」
戦場に紛れ込んだ異分子に小石を海に投げ込んだような動揺が起きた。
ナージャは出来るだけ騒ぎが大きくならないように、一気に戦場を抜けようとしたが、すぐさま兵に取り囲まれる。
「愚か、何という愚直な行動か。この我がこのような状況に置かれるとは・・・」
たまらずぼやくナージャだが、その後に全ては主のせいだとは口に出せない。
じりじりと間合いを詰める兵達。
そんな中一人の兵がポツリとつぶやく。
「獄炎の魔女、ティナエルジカ」
その言葉に小さな波紋は大海を揺るがす津波となり、戦場を駆け巡った。
「あらあら、私も有名人になったものね♪」
可愛らしく肩をすくめて見せるティナ。
「逃げろー!殺されるぞ!」
「母ちゃーん!まだ死にたくねぇよー」
「嫌だー、嫌だー、何でこんなところにあいつがー」
先程まで威勢の良かった屈強な兵達が、まるで子供のように泣きじゃくりながら逃げていくのである。
「確かに悪名はよく轟いているようですな」
自然とティナの行く先は道が開けた。
「主よ。一体今まで各地でどんな事をしてきたのです?」
「失礼ね。別に何も変な事はしていないわ。私はいつも至って普通よ」
ナージャはティナの普通を想像してぞっとする。
開けた道をナージャが駆ようとしたその時、一人の男がその前に立ちはだかった。
「何と不甲斐ない。この僕が相手をしてあげるよ」
傭兵風情の男。
カラスの羽の様な艶やかな長髪をかき上げ、男は剣を向けた。
「さあ、何処からでもかかって、うぎゃあぁぁぁぁーー」
ティナの煉獄の瞳が煌めき、男の頭が火だるまになる。
「ぼ、僕の自慢の髪がーーー。も、燃えるー。キューティクルが死んでいくー」
ナージャはわずかばかりの同情を胸にその場を去っていく。
そして、目的地のベネキア軍の陣営へと向かうのだった。
「我がベネキア軍の陣に何ようだ!」
怯えながら槍を構える衛兵。
それらに臆する事無くティナはナージャの背から降り立ち高らかに宣言する。
「ここにアトレイアという男はいるかしら?私は彼に呼ばれてきた客人よ。いるならさっさとここに連れて来て」
衛兵達は顔を見合わせる。
「しばし待たれよ」
そして、数名の兵が陣の奥に消えた。
(回り込んでこちらに来れば、こんな騒ぎにならずに済んだものを)
ナージャは心の中でぼやくが口にはしない。
口に出せば、先刻の傭兵の二の舞である。
最近前に焼かれた部分の毛がやっと生えそろってきたところなのに、また焼かれてはナージャとしても勘弁願いたい所であろう。
「お待たせいたしました。お久しぶりです、ティナエルジカ様。覚えておいででしょうか?」
現れたのはひょろりと背の高い男であった。
男は柔和な笑顔を浮かべており、左目に単眼鏡をしていた。
軍帽や軍服で引き締められた雰囲気はいかにも軍人という感じだが、鼻下からクルリンとカールする髭のおかげで道化のような雰囲気も放っていた。
「覚えているわよ。確かメルフォキアの人参畑に手を出して滅茶苦茶にした小僧よね」
「滅茶苦茶などとは。私はただジルルキンハイドラ様の望み通りに手入れをしたまでで・・・」
「貴方は知らないだろうけど。あの後私達はメルフォキアに散々な目に遭わされたんだからね」
アトレイアとティナが親しそうに話している様子を見て、衛兵達は怪訝そうな顔をする。
「アトレイア少将。失礼ですが、少将はこの魔女とお知り合いなのですか?」
「ええ。昔、子供の頃に少しだけ」
おおっと歓声が上がった。
「何だか私が珍獣、奇獣扱いされている気分ね。不愉快だわ」
「これは失礼。では、こんなところで立ち話もなんですから。どうぞ奥へ。少し落ち着いてお話しいたしましょう。ご案内いたします」
そして、ティナ達は兵達の奇異の目にさらされながら、陣の奥のテントの一張りへと消えていった。