第八話 戦場の視察
体が冷えてきた。
スリマールによると今は初冬らしく、冷たい風が潮の香りを乗せながら貴防壁の上にいるわぁに向かって吹いてきているのだ。
熱気が漂ってそうな戦場を映すタイヴェールの視覚と、冬の風を感じる生身の触覚の差異が明確になって、感覚に酔いそうになる。
「あの旗を持っている兵士は主に伝令役を担っていて、自分の組に上からの命令を的確に伝えたり、仲間同士の連携の際に伝令役同士でタイミングを計ったりしています。組の指揮も取りますから、賢い者が旗手になるのが基本ですね」
「私達もあれを覚えないといけないんですか?」
「勇者様方がどのように動かれるのか存じませんので、何とも申せませんが、覚えて損にはなりませんよ」
次々とスリマールに質問を飛ばしている咲々音達。
わぁも耳に入れつつ、タイヴェールをゴブリンの近くに動かし、戦闘の様子を覗き見る。
残念ながら、タイヴェールから音は拾えないものの、視界は普段と遜色ないどころかより遠くを見渡せ、ズームできる分、わぁより優秀だろう。
丁度、ゴブリンに対し一組が挑みかかろうとしていたので、観察する。
大盾を持っていた兵士の一人がタイヴェールに気づき足を止めるが、こちらが攻撃しないのを見るや無視してゴブリンに突っかかっていった。
ゴブリンの前方及び左右を大盾で押さえつけ、ゴブリンが後ろを向く前に、魔器持ちが背中をバッサリ切りつける。
見るからに致命傷であるゴブリンが倒れる瞬間、魔器使いはとどめとばかりに首を跳ね飛ばした。
スリマールに説明されたときも同じ光景を目にしたが、より近くで見ると、ゴブリンの首の切断面がくっきりと見えてしまい、人に体格が似ているのも相まって、吐き気を催す。
しかし、ここで吐いてしまったら、わぁの才能でもある美しさが薄れてしまう。
今後のためにも、そんな状態を一人たりとも見せるわけにはいかない。
わぁがつばを飲み込み、吐き気をどうにか抑えつけていた間に、血が染みついた荷車を牽引してきた別の組が首が斬られたゴブリンを荷車に乗せる。
どうやら、その組は倒されているゴブリンを回収する役目らしい。
思わずタイヴェールから視点を戻し、スリマールに尋ねる。
「ゴブリンって何かに使うのー?」
「主に食用です。身が引き締まっているので、まだ食べられる方ですよ。昨日の夕食にも入っていましたし。コボルトは鱗の部分が大盾や鎧に使われます。その代わり肉の方はあまりおいしくはないため、魚の餌にしていますね」
「……食べるんだ」
咲々音達の顔色が悪くなった。
わぁも追いやった吐き気が戻ってきたような気がする。
道理で昨日の夕食の肉の味が日本で食べたときよりもおいしくなかったわけだ。食材からして違うわけだし。
「口に合いませんでしたか。オークの肉であれば料理が絶品に化けますが、ここの砂州付近にはめったに来ないので、基本肉料理はゴブリンです。ただ、英雄様や勇者様が召喚され戦力が増えたお陰で、遠征の日が近づきました。遠場に行けばオークも見つかるはずです。ですから、そんな神に見捨てられたような顔をしないでください」
スリマールは苦笑いしているが、日本の味に慣れ切ったわぁ達にとっては切実な問題だったのだ。
それにしても遠征か。
スリマールに聞くと人類の勢力圏がここまで狭まってからは初の試みらしいので、実際にそこに住むであろう魔人や魔獣と戦った者はあまりおらず、戦闘が激化されるとの予想されるという。
つまり、わぁ達も遠征に照準を合わせ、その日までに最低でも自分の身を守れるようにしておかなければ、命はそこまでという事。
時間はなさそうだ。
「ここからゴブリンを狙ってもいいー?」
「はぁ。味方に当てなければ構いませんが」
ここから豆粒とは言わないまでも、親指程度にしか見えないゴブリンをどうやって攻撃するのかと首を傾げるスリマール。
まあ見てなって。やるのはわぁじゃないけど。
「咲々音ちゃん。ここからゴブリン狙えたりしないー? 石とかそのあたりに転がってるし、ギフトは[必中]だったよね」
「……やってみます」
咲々音はそう呟くと、突如空中に現れた魔法陣に手を突っ込み、弓を取り出す。
矢をつがえないまま、弓を素引きし、ホールドの段階になった途端、光り輝く矢がすでに装填されていた。
しかし、咲々音の指は弦から離れない。
「撃たないといけないんですよね。きっとこれからも同じことをしなきゃいけない。でも指が離れてくれません。私、この矢がゴブリンの心臓に絶対当たってしまうことがわかるんです」
咲々音ちゃんのもやもやは濃い緑色。生き物を自らの手で殺してしまうことの恐怖を感じているのだろう。
いずれ必要になるとはいえ、軽い気持ちで咲々音にお願いしたことが申し訳なくなる。
だからといって発言を取り消すつもりはない。
人の能力は把握しておくのに限るのだから。
「家畜と一緒だよ。享楽のために殺すんじゃない。わぁ達が生きていくために必要な肉を有難く頂戴するために殺すんだよ」
「……そうですね。そう考えることにします」
咲々音は弓をいったん下げ、深呼吸した後もう一度弓を引く。
「お命、いただきます!」
光を描いて飛んでいく矢は見事に、戦闘中の大盾持ちの間をすり抜け、ゴブリンの胸に突き刺さる。
流石、[必中]。人間離れした技を難なく披露してくれた。
当たると予想していなかったスリマールは、呆けて口が開いていたが、音苑達は特に驚いている様子はない。
矢を撃ち終わった咲々音は、弓を片手に、弦を引いた方の右手をじっと見つめる。
息をゆっくり吐いた後、こっちを向いて頭を下げた。
「さっきはありがとうございました。お陰で、少し覚悟が出来ました」
「それは良かったねー。まだ撃てそう? 疲れたのなら美少年のわぁが膝枕でもするよー」
「お気遣いありがとうございます。でも、今の私にできることはこれくらいなので、精一杯やってみます。レベル上げも重要だと思いますし」
迷いが消えた晴れやかな笑顔を浮かべた咲々音。
前向きになれたのはいいことだけど、聞きたいことがいくつかできた。
「その弓は空中から出てきたけど、どういう仕組み?」
「詳しくは私もわかりませんが、武器が欲しいと思うと魔法陣が現れて、そこから武器を取り出すことができます。おそらく、武器ありきの職業のクラスメートは自然にできると思いますよ。私だってさっきのが初めてでしたし」
わぁは職業が双剣士の十六夜を注視するが、十六夜はこちらをちらりとも見ない。
まあ真偽はどうであれ、わざわざ武器を用意しなければ戦えないといった状況に陥らずに済んで助かった。
「じゃあ、レベルという概念は勇者はみんな理解しているの? ゲームとかなら、敵を倒してレベルアップして強くなれるのはしっくりくるけれど、勇者はレベルアップしたらどうなるの? もしかして、みんなムキムキになったりー?」
「分からないです。まだ誰もレベルアップしてないから、私が先駆者になってみようかなって。でも神託によると強くなれるらしいですよ。ムキムキはちょっと嫌ですけど」
自分のムキムキ姿を想像したのか咲々音は苦い笑みを浮かべつつ、弓を引く。
さっきまで、生き物を殺すことに怯えていたのに、今は凛々しい顔で次々と矢をつがえ撃破していく咲々音。
「ふふふ」
「咲々音の実力に感心していただけだ! 何が可笑しい!」
その横顔に見惚れていた十六夜は、霊螺の含み笑いに気づき顔が赤くなる。
「私、まだ何も言ってないわ」
「ちっ」
十六夜は咲々音に関して言えば、厨二君からいじられキャラに成り下がる。宰相相手に強気な交渉していた君はどこにいったのか。
十六夜から目線をそらし、暫く咲々音の射る姿を眺めていると、今まで我関せずといわんばかりにゲームに熱中していた音苑が、わぁの身に着けているメルキュテルムに視線を向けながら口を開いた。
「遊鈴は攻撃しないのか?」
「んー、やるやる。わぁの華麗なる攻撃の姿、篤とご覧あれー!」
わぁは、装飾品にしていたメルキュテルムを液状化させ、腕ぐらいの長さの針を数本作る。そして、タイヴェール視点に切り替え、接敵していないゴブリンに向けて発射するイメージを脳内に描けば、その通りに動き、数本の針が一体のゴブリンめがけて空を切り裂いた。
「当たったのか? ここからじゃよく見えん」
「それはもうばっちし。脳天直撃だよー」
音苑にはそういったものの、タイヴェール視点では、ゴブリンの首に突き刺さっているのが一つ。後は見事にそれてかすりもしていない。
ゴブリンまでの軌道は、タイヴェール視点で見ていたおかげでぼんやりしていたところもあったけど、概ね脳内通りに動いてくれた。速度に関しても、咲々音の撃つ矢を見たおかげで、簡単に想像できた。
ゴブリンも針を飛ばしている間に動くということを欠片も考慮していなかったのが外した原因だろう。
改善点を挙げるとすれば、速度を上げる。もしくは近づいて刺す。
矢以上の速度だと想像しづらい。近づいて刺すのも、それが出来たらわぁはこの武器を手にしていない。
いや、メルキュテルムのみ近づけることはできるのか。
一旦、針が刺さっている場所から抜き、今度はゴブリンの周りを囲むように空中に針を待機させる。そして射出。
全ての針がゴブリンに刺さった。
成功したとはいえ、ジャンプで躱されそうになった。
まだまだこれぐらいでは遠征の時に命を落とす。
どんどん試行錯誤を繰り返さなければ。
※※※
だいぶ効率よく仕留められるようになってきた。
最終的にはメルキュテルムで最大限の大きさの刀身を作り、根元を中心にフードプロセッサーのブレードのように回しながら移動させていく。
乱暴な扱いのせいで刀身が砕けたり、折れたりするが、また液状化させて作り直すイメージをすれば、すぐに元通りになる。
高さが合致したときは面白いようにゴブリンの首がポンポンポンポン飛んでいく。
殺しに関する忌諱感だって、すぐになくなった。
元々、遠距離武器であるため、直に殺した感覚はないし、百体以上殺していたら血も見慣れてくるものだ。
「僕も何かやらなきゃダメかな?」
わぁと咲々音だけが攻撃に参加しているからか、育文は人の顔を伺い、右往左往している。
「やりたくないのなら、やらなければいいだけだ。どうせ明日から戦場に放り込まれるんだろ。俺はレベル上げが捗るからありがたいが。……今からでもありか?」
十六夜が落ち着かない育文を軽く蹴り、壁の端で足をプラプラしているわぁの元に来ているのが、タイヴェール視点で見えた。
わぁは基本メルキュテルムを操作している時は、視界をタイヴェール視点に切り替えているのだ。
「幽霊。俺は貴様よりも強い。目を瞑って余裕をかましていられるのも今のうちだ」
「うん? そうだね」
タイヴェールで見ている今、わぁの目は何も映してないからね。
「この世界は強い者しか生き残れない。今日中にレベル10までいってやる」
そう言うや否や高さが20メートル近くある貴防壁から飛び降りる十六夜。
「ひぃぃ。……自、殺」
誰の視界にも入らないように、存在感を薄くして息をひそめていた初衣が、昨日に引き続きまた気絶した。
音苑が頭を抱えたのも致し方がないだろう。
自殺と勘違いされた十六夜は、落下しつつ咲々音と同じ方法で、刀身の色が紅と蒼と対になった双剣を取り出し、壁に双剣を突き立てる。
特に抵抗なく刺さった双剣はバターのように壁を切り裂いていき、十六夜はほとんど落下速度を殺せずに地面に到達してしまった。
「うわぁ、痛そう」
十六夜は暫く棒立ちのまま動かなかったが、屈伸して問題ないことを確かめた後、ゴブリンめがけて突っ走っていく。
ゴブリンが密集している地帯に飛び込み、紅と蒼の光を縦横無尽に煌めかせ、ゴブリンを悉く撃退する勢いで倒していった。
タイヴェールを十六夜に近づけて、覗き見する。
十六夜が撃ち漏らしたのを、わぁがメルキュテルムで刈り取っていく。
それにしても初戦のはずなのに、動きも的確で、双剣も使いこなしているようだ。
これも十六夜の双剣士としての能力のうちなのか。
わぁなんて与えられた才能は【不老】だけなのに。
平和な世界ならまだしも、これから人類を盛り返していこうとする世界で、長生きできるとは思えない。
しかも他の英雄と違って戦ったことはさっきが初めてだし、戦闘の才能もなし。
魅力と交渉力に全振りだ。
だから日本では男女限らず、貢いでもらってたりしていたわけだけど。
とはいえ文句ばっかりも言ってられない。
取り敢えず、双剣を十六夜から習おう。
だって双剣の流麗な軌跡が頭から離れないんだから。