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血奇譚  作者: 留龍隆
2/3

その、吸血鬼が、枯れるまで


 剣の壁が降りかかり、吸血鬼が食んでいた遺体を複数個所刺し貫いた。

 飛び退り、吸血鬼は距離を空ける。長いコートをはためかせて反転し、スモッグに満ちた路地裏を軽やかに駆け抜けていく。

 背後からは各々で剣を手に迫る、騎士団の者が数名。

 彼らはこの街に数多現れる吸血鬼を滅ぼすべく組織された、異形殺しの専門家だ。


「……ようやく追い詰めたぞ。今日こそ殺してやるぜ、自己愛野郎のナルシスト!」


 吸血鬼はそう呼ばれた。

 けれど、名を失いし吸血鬼たる彼には自身につけられたあだ名も、いまいち認識の上でピンとこない。

 ……ただ、己がそのように呼ばれる理由は知っているため、思考が由縁を経由してくればやっと理解が追いつく。

 理由。由縁。それは――


「死ね!」


 背後から殺気がほとばしった。

 振り向けば、頭部にめがけた斜め掛けの斬撃。

 距離感は、甘い。直撃しても死ぬことはない。むしろ吸血鬼として保有する再生力を頼りにするなら、一撃を身に受けた上で後の先を狙うのが確殺の術というもの。


 しかし吸血鬼は、その手を選ばなかった。


 不格好に左腕を掲げ、防御する。

 文字通り反撃の手を自ら差し出し、無様に剣を防御した。

 腕を切断される前に、相手の騎士を蹴りつけてまた距離を空ける。傷口が抉れて引きつれ、灼熱の痛みにさいなまれた。吸血鬼も痛覚がないというわけではない。

 まあ。

 再生は、するのだが。

 骨が見えるほどの深い傷口は、ぐぢュる、と痰を啜るような気持ちの悪い音と共に周辺組織が泡のように盛り上がり、膜を幾重にも重ねるように再生する。


 ただ。

 彼の場合、その傷口が。

 ひどく、いびつだった。


 通常の吸血鬼であれば傷の再生は完全で、傷を負う直前に巻き戻ったかのように治る。……けれど彼だけはちがう。再生するときには周りの組織を寄せ集めて無理やりぎゅっと焼き固めたかのように、赤黒い肉の瘤がいくつも連なった不気味な状態に成り果てる。

 この再生結果を見て、蹴り飛ばされた騎士が剣を構え直しながら嘲笑う。


「相変わらずだな。自己愛野郎!」


 そう。

 だから――ナルシスト、なのだ。

 彼がいつも、頭部への傷を嫌って無理やりにでもほかの部位で防御をするから。

 と、そのとき彼は、蹴った勢いで己のフードが頭から外れていたことに気づいた。

 晒した面相を、すぐに闇の内に戻す。

 けれどこの一瞬のうちに、相対した騎士の青年が、呆気にとられ――顔をしかめ――吐き捨てるような口許の動きをもごもごと見せ、「ちっ」と小さく舌打ちしたことに気づく。

 むかしから、そうだった。

 社交の場などで彼が顔を晒すと、同性は皆こういう反応をする。異性は血の巡りが良くなったような顔をして、そそくさと顔を背けるか、目を一切逸らさなくなるかどちらか。

 ……まあ、心情としてはどうでもいいことだが。それでも無用な争いは避けたくて、彼はいつもフードをかぶるのだった。

 追われている現状では、もう隠す意味もないけれど。そこは染みついた癖である。


「……、」


 吸血鬼は無言で周囲を見回す。

 道は少しずつ、袋小路に追い詰められていた。この貧民窟から繋がる下層民の住まう区画に明るい彼は、先をあと二百メートルも行けば区画整理の折にできてしまった異様に建物間の間隔が狭い、通り抜けのできない地帯に行き着くことを知っている。

 ならば、どうするか。


「……活路は、そこか」


 ちいさくぼやき、彼はダッと正面に駆けた。騎士の青年は、まさかここまでひたすら逃げていた相手が向かってくると思っていなかったのか身を硬くした。

 一対一の場合――再生力のある吸血鬼に先手をとられると、一部傷つけば途端に戦闘力が失われる人間側はかなりの不利を強いられる。狭い路地に追い込んだ以上、一列になってしまっている騎士団は数の利が失われている。

 まずい、と思ったのか騎士の青年は低く深く半身に構え、相手から接触される面積をなるべく小さくしながら突きに移行する。姿勢が低ければ、襲われた自分を飛び越えてつづく後ろの人間が剣を振るえるとの考えであろう。

 だが、

 それには及ばなかった。


「……さようなら」


 吸血鬼は建物に外付けされた蒸気循環パイプをひっつかむ。

 勢いよく地を蹴り――どうせ再生するのだからと、人体の限界を超え筋肉が引きちぎれるような握力と膂力を発揮し、蜘蛛のようにするするとパイプをのぼって屋上へ逃げた。

 あぜんとする騎士団の面々はやがて地団太踏み、その振動は心なし、建物の上を逃げる吸血鬼の足元までも伝わってきているような気がした。


「《自己愛野郎》!!」


 騎士団の、咆える声が聞こえる。それでも彼は逃げる。逃げのびる道に入ったと、たしかに感じて。

 しかし、ひとりだけ。

 彼の逃げ道を塞ぐように、階段を駆け上がってきていた者がいた。


「逃がさない、よ」


 にいと笑んだ男は、進路をふさぐと同時に中段へ構えていた剣を振るった。

 吸血鬼の両腕から血が舞い飛ぶ。

 瞬間に二度振るわれた。

 両方とも、神経を斬られた。

 再生している間に、男は剣を構え直している。つづく一撃の狙いは――喉笛への突き。

 とはいえこれは牽制だ。間合いからして、仕留めきれる突きは放てない。本命はその次の剣にある。

 吸血鬼は。

 そこまでを読み切れた――わけではない。

 あとから思い返して、そうだと思っただけだ。

 実際には。

 すぐさま彼は顎を引き、喉笛を守った。


「な、」


 男が驚愕に目を見開く。

 対して吸血鬼は、左の顔面を縦に割かれ――ごちゅりと眼窩まで剣を刺し込まれた。

 ぼこぼこと肉が盛り上がり再生する。だが水晶体や角膜は元の形状に戻らない。左の視界は太陽をにらんだときのような像が意味もかたちもなくぼやぼやと流れ続ける状態となり、自身の面相がいびつに歪んだのを、頬肉の引きつる感触から彼は察した。

 けれどその攻撃後の隙に、逃げることができた。

 吸血鬼は夜闇に飛んでまぎれ、そのまま姿を消した。


        +


 吸血鬼は、日光を浴びても死なない。

 死ぬのは首を落とされて『負傷部位を再生せよ』との意識を送れなくなったときか、心臓を潰されつづけて酸素不足で再生の意識を送れなくなったときか、瞬間的な大量失血で再生を意識する間もなく脳死状態に近いところへもっていかれるか……その辺りだ。

 だから彼は、昼間から表に出ていた。

 街角で、フードを目深にかぶり、だれなのかわからないようにして。

 かぶるわけでもないハットを足下に置き、わずかに銅貨を入れてから背筋を正す。

 すうと息を吸い。

 七分で止めると――歌い出す。

 べつに、生計のために必要なことではない。

 ただ、そうしたいと思ってのことだ。

 しばらくの間、彼は歌う。それは流行の唄のときもあれば、詩を取り入れて適当に節を付けただけのものもあり、同じように街角で楽器を奏でる者たちの伴奏があるときもあれば、ひとりただ喉と肺を酷使するだけのこともある。


 その日は、ひとりきりだった。

 街角を彼の声が漂う。午後の忙しない時間を、彼の声が通り抜ける。

 しばらく、すると。

 角の先から。

 こつり、こつ、と音がしはじめる。

 途端、彼の世界が、光を帯びた。


「……あら、吟遊詩人さん」


 こつり、と音が止まる。

 彼の前で動きを止め、じっと聞き入る。

 まぶたを永遠に閉ざした少女が。

 杖をついた身で、吸血鬼の前に足を止める。


「詩人さん。少し、歌声が変わったかしら」

「ああ……頬の肉が腫れてまして」

「まあ、たいへん」


 少女の声に、吸血鬼は苦笑する。

 フードの奥で、肉の瘤浮かぶ面相が歪む。

 半分だけになった世界で。

 彼から遠のいていくものばかりの世界で。

 ここにある時間だけが、

 心に、響きつづけるのだ。


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