血の轍
騎士という生き物があんまり命を懸けないようになってずいぶん経つが、しかしいまでも、剣を佩いて表に出られるのは騎士だけである。
権威と才ある者が杖を持つように、血筋と力ある者がいまも、武の象徴の帯剣を許される。
クライヌは腰に提げた剣の重みを感じつつ、畑の間を通るぬかるんだ道を歩いていた。
「のどかだなぁ」
ぼんやりした、何度目かの感想をこぼし、ぐきぐきと首を鳴らす。
都から蒸気列車と馬車を二日かけて乗り継ぎ、山中で降りてから徒歩ではや数十分。
冬枯れの森を抜けた先にあったのは広大な畑と点在する家々で、四方は鈍色の雲と山に囲まれている。
隣国との国境付近に位置する、美しい農村だ。
都にいる人間が想像する田舎が、ここにはあった。
「まだあるんだねえ、こんなところ……」
蒸気機関の発展により大気と排気の境目が無い都心部に住むクライヌからすると、冷たく澄んだこの土地の空気はそれだけで御馳走だった。
久しく嗅いでいなかった土の匂いの出どころである地面を見やる。
この寒さでは虫でさえさほど見当たらないが……石畳とは違ってなんとなく、生き物の住処を足場として借りている感じがして、それが心地よかった。
「しかし――改めて見ても」
デカい足跡だね、とクライヌは口の中へ含むように言った。
地面には先を歩いていった彼の上役・アルドモアのブーツの痕が、規則正しくかつクライヌの痕よりだいぶ深く並んでいる。
視線を上げれば、クライヌよりひと回り大きな彼の背中が二十歩ほど先に見える。
アルドモアは大柄で角ばった顔つきをした、いかにも豪傑という風体をした三十路の男だ。けれど、そのじつ妙に気が弱いことで有名な男であった。
騎士の正装でさえジャケットに変わっている時代なのに、どこへ出るにも「いつ切りかかられるかわからん」と口にして常に鎧を着込んでおり、その重みがこうして足跡にも表れているという次第。重役・アルドモアなどとあだ名されているくらいだ。
もっとも実際に血筋も大層な重役なので、都の騎士団では下にも置かない扱いをされている。たまたまの武勲で兵卒昇位を経て爵位を賜った騎士であるクライヌの一族とは、まるで違う立ち位置と言えよう。
「クライヌ、見ろ。近づいてきたぞ」
四角い顔をこちらへ振り向かせて言う大男は、鞄持つ手で進行方向を示す。
彼方から歩いてくる間の目印としていた、小さなアーチを指さしていた。
「『ランタイン村』――よかったですね。ここまで近づいてようやく字が見えて、目的の村じゃなかったぁーなんてことになったら……いま来た数十分を、引き返すところだった」
「まったくだ。国境付近ということで少し身構えていたが、とくに治安にも問題はなさそうだしな……」
ほっとした風に、彼は言う。
やはり根っこでは気が弱い。
「四方が山ですからね。そうそう、よそ者が来ることもないでしょ。この北方の地では、たしかに不法移民が増えているとは聞いてますが」
「そうだなぁ。北の国の者は切れると気性が荒いと聞くが、寒冷な土地は余裕が無いためにそうなるのかね」
「どうでしょ。切れたらこわいのはどこの者でも一緒では?」
「そうだな……俺も妻は西方の者だが、怒るとおそろしい」
身震いしながら、どうやら恐妻家らしいアルドモアはアーチをくぐって歩き出す。
「にしても、寒風吹きすさぶ中を歩き、すっかり冷えてしまったな……まずは酒でも、振る舞ってもらえるだろうか」
「仕事中ですよ、旦那」
クライヌは『なんだか豪快そうに聞こえる』という理由でアルドモアが好む呼び名を遣ってやった。
すると見た目豪傑の男はにやりとして、「度を過ぎなければよいのだ」と平気で言った。
気の弱い男だが、周囲に危険が無く部下しかいないとなるとこうして見た目通りの豪傑っぽく振る舞うのである。
さてそんな彼と共に赴く任務はと言うと、なんということは無い。
地方にある騎士団支部を通じた、村の内部査察だ。
要は租税や経費の誤魔化しをしようとこの年末に違法な行為をしていないかの調査であり、
もっと言うなら地方の村落をサッサと見て帰って書類に印を捺すだけの簡単な仕事であり、
さらに有り体に言うなら――騎士団の中でも天下り部署に振られる、かたちだけの任務だ。
「お前も度を過ぎなければ、いいぞ。酒でも、女でも。わはっ」
「いや後者は期待できないんじゃないですかね、こんなとこじゃ」
「なにを言う。こんなところだからこそ、都には無い素朴な味わいがあるのだよ」
「ほぉ。なるほどぉ」
恐妻家の癖に旅先だからと羽目を外すアルドモアの振る雑談に、適当に相槌を打つクライヌだった。
――騎士団と言っても戦の時代は遥か遠く、最早彼らが剣を振るうことはほとんどない。
現代では騎士も剣よりペンを求められる、公務員である。
となれば年の瀬でどの部署も慌ただしいこの時期、クライヌも本来は同僚と忙しなく走り回るところなのだが。
たまたまアルドモアが任務に同行する者を要しているとの話をクライヌの部署へ持ち掛けて来て、たまたまコイントスで当たりを引いた。
そういうわけで、彼は一足早い年末休暇のような感じで、こうして地方の寒村にいる次第である。
「ふむ。でも旦那の味を覚えさせちゃ、今後その女が可哀相かもしれませんね。夜ごと都の方を見つめて枕を濡らすことになるでしょう」
「そうか? そうかもしれんな……どうしよう」
「まあでもそれも、旦那のお眼鏡にかなう相手がいた場合ですよ」
「む、そうだな。たしかに、その通りだ」
「ですからササっと査察を終えて、ササっと宿に入りましょうや」
「うむ。そうだな。まったく、そうだ」
というわけで、こんな身の無い会話にも付き合ってやる次第である。
適当におだてておけば気を良くするので、アルドモアは付き合いやすいタイプの上役だとクライヌは思っていた。能は無いが愛嬌はある、という奴だ。
直属の上司には、いてもらいたくないタイプだけれども。
村の中は奇妙なほど静まり返っていたが、それがここ特有のものなのか、はたまた農閑期でひとが皆引きこもっている田舎によくある状況なのかは、判然としない。ただ、村全体で百人に満たない土地だとは聞いていた。夏場など人手を要するときは周辺から出稼ぎがくる地域らしい。
クライヌとアルドモアは冷え切った身体を揺さぶりながら、蹄鉄の跡が多く残る往来の道を通り抜けた。
点在する家々の中でもっとも大きい場所――事前に見た書類では村長の屋敷のはずだ――を訪ね、鞄を手から下ろした二人はドアをノックした。
ややあって、中からはこちらの顔色を上目遣いに見る、小間使いと思しき小男が出てくる。
「どうも。よろしいですか」
よそ行きの笑顔をつくってクライヌが言う。アルドモアも襟を、というかその上の鎧を正す。
ただしこちらはいかめしい顔つきをつくった。
こういうとき二人組なのは、各々の雰囲気の落差で相手に動揺を生むためである。柔和で接しやすい役といかにもカタブツそうな睨みを利かせる役。
これをして、相手が取り入りやすそうな方――つまり今回はクライヌになびくような素振りを見せたら、そこでサッと引く。あるいは同調して味方の振りをする。そうした揺さぶりをかけることで、相手にぼろを出させるのが査察における常套手段だった。
だからクライヌは小男へにこやかに対応する。
「本日、村長のクレモン氏にアポイントメントをとっている者ですが」
「あ……、はい。たしか、騎士団の」
「そう怯えなくともよろしいですよ。たしかに私ら、都から抜き打ちで派遣されてまいりましたが」
偽装の時間を与えないため、訪問の通達は前日におこなう決まりだった。この挙動不審ぶりだとなにかあるだろうか、とクライヌはいぶかしみつつ、笑みは崩さない。
「い、いえ。怯えてる、わけではないのですが……」
「左様ですか。なら、いいのですが。申し遅れましたが私はクライヌ、そしてこちらが」
「アルドモアだ」
仰々しく鎧を着込んだ大男に、小男は明らかに気圧された様子だった。無理もない、こんな時代こんな平時にこのような異装でいるのは変人だ。
しかしそんなことが帯剣した相手に言えるはずもなく、小男はそそくさと二人の鞄を持ち、奥へ通す。
外も静かだったが、扉が閉まった室内はさらに空気の質が一段変わる。物音を立てることは阻まれ、世界が終わるまでこの静謐さがつづくのではないかという息苦しさが、辺りに立ち込めていた。
奥の間で机を挟んで相対した村長は、小男と大して上背の変わらない老人だった。
こちらも、小男と同様に少し狼狽した様が見受けられる。クライヌは早くも状況の値踏みをはじめていた。
「膝が悪いもので。座ったままで、失礼」
机の陰になって見えない膝をさすりつつ、老人は深く頭を下げた。礼節には礼節で返し、それからクライヌたちも勧められるまま椅子に腰かける。
紅茶を頂戴しながら村長に話をうかがうと、山を背にして立つ古めかしい煉瓦造りの家屋が騎士団支部だと案内された。一応、国境近くなのもあり、近隣の防衛線駐屯地で用いる糧食などを保管している倉庫が併設されているとのこと。
「ではそちらを確認させていただきますね」
「よろしく、お願いいたします」
両手を机の上に揃えてまた頭を下げる村長と別れ、小男の案内のもと二人は支部へ向かった。
紅茶でぬくもりを感じた身体はすぐにまた冷え切り、アルドモアは「酒はないものか……」とぶつくさ言った。
「鞄に入れてきてたでしょう。アレを飲んだらどうです」
「アレか。二日前に胃の腑に消えた」
「出発前じゃないですか」
「どうせ旅先で飲めるだろうと思っていたものでな。つい」
悪びれない様子でアルドモアは言った。クライヌは呆れるしかない。
支部の隣にある農具小屋近くでは筋骨隆々とした若者が数名、なにか埋める予定なのかシャベル片手にだらだらと穴を掘り、じろんと無言でクライヌたちを見る。
村の人間の姿が見えないと思っていたが、若い衆はちゃんといるようだ。
「さて、それじゃ気を取り直して」
「仕事と行くか。そして、終われば酒だ」
小男が鍵を開け、支部の中に通されたクライヌたち。
暖炉の火で温まっている間に、奥から書類を持った男が二人、やってくる。
どちらも腰に剣を佩いており、ここに駐在する騎士だとわかった。たしか事前の書類で見た名前ではマカラとジェイムスだが、どっちがどっちかはわからない。
二名は体軸のブレと鞘が扉をこすっても気に留めない歩き方とで、大して剣の練度は無い、地方領主の血筋が名だけ継いでいる系統の騎士だと判断できた。
「都の本部からご足労いただきまして、誠にありがとうございます。外は大層冷えたことでしょう……紅茶をどうぞ」
へつらい笑いと共に差し出されたトレイには、紅茶のポットとカップ、それに小瓶のブランデーが載っている。心ばかりのもてなしということか。
見た目だけ豪傑のアルドモアはにやりと笑い、「おかわりをすぐ、いただけるかな?」と言うや否やこの小瓶をひと息に飲み干した。騎士はびっくりした様子だったが、すぐに大瓶とグラスを運んでくる。
上機嫌になってグラスになみなみとブランデーを注ぐアルドモアの横で、クライヌは一応の役目を果たすべくぱらぱらと書類を検めはじめた。
もともとそうした部署にいたので、帳簿の確認はお手の物だ。アルドモアが大瓶を半分空けるまでには、粗方目を通すことができた。
つづけて、糧食などのある倉庫も点検してくる。
一回りして戻る頃には、アルドモアは赤ら顔で瓶は空になっていた。
「どうだ、成果は」
「ううん……字はきったないですが、驚くほど綺麗にできてると思いますよ、旦那」
小男と村長、それに騎士二名の表情からすると、なにかあるように思われたのだが。クライヌの勘が外れたのか。
「これなら二、三点の指導で済みそうです」
「では明日には帰れそうだな……よろしい。ではこれにて任務は終わり、あとは都へ戻るための休息に充てる」
「つまり?」
「夜は長いぞっ」
うきうきした様子でアルドモアは立ち上がる。
やはり上司にはイヤなタイプだな、と思いながらクライヌはえへらえへらとへつらい笑いを浮かべた。
宿に着き、夕食を終えたクライヌはアルドモアと別れた。彼はまあ、豪傑や英雄に相応しい行いを為しに行く様子だったので。
クライヌはさほどそちらに興味がないため、もう少し酒を飲もうとパブへ繰り出した。
村に一軒だけのパブは各御家庭の悪い部分を持ち寄って煮詰めて均した、とでも言うべきなかなか趣深い様相を呈していた。
村の若い男衆は全員ここにいるのではなかろうか? そういぶかしむのも無理ないくらいに、店の中に押し込められている印象がある。昼間に見た穴掘りの男たちも表にたむろしており、夜風に当たりながら無口に焚火へ薪をくべていた。
座席のすべてと入口を見渡せるカウンター席に腰かけ、ジャケットの前を開き剣は横に立てかけながらクライヌはマスターへ口を開く。
「表の彼ら、飲みながらでそんなに焚火に当たりたいんですかね」
「ああ……彼ら、すでにだいぶやってるようでしてね。ろれつが回っていないから、表に出てもらったんです。そしたら勝手に焚火をはじめました」
「なるほど」
よく見ればたしかに酔漢のひどいの、としか言えない動きをしていた。
「それじゃ私も、アレくらいに酔いたいんでね。ひとつ一番キツいの頼みますよ」
「なら、この村でつくってる酒ですね」
オーバーオールになめし皮の上着を着込んだ恰幅のいいマスターはそう言った。
クライヌは片眉を上げて、彼のオススメとして出てきた瓶を指で弾く。
「こちら酒税は納めてます?」
「もちろん」
「じゃあ、いただきましょう」
「……お兄さん、そんなこと考えながら普段も酒飲んでるんですかね」
わずかながら皮肉った、いかにも『お上への声』という語りでマスターは言う。
まあ、たしかに、こういう粋や空気を楽しむ場でまでそういう話を持ち出すのは品の良い話ではない。
けれどクライヌは平然と言った。
「血税を公平に。国民とその血肉を守る。ってのが、騎士の務めです故」
グラスに注がれた琥珀色の液体に口づけして、官能的な香りを口に含みながらほざくクライヌに、マスターは鼻を曲げて顔をしかめていた。
クライヌは、知ったことではない。
しばらく飲んでから宿に戻ると、アルドモアが不満げな顔で自分の部屋への階段をのぼっていくのが見える。
「旦那、どうしたんです」と声をかけると、
「どうもこうもない。女と話せる場はあったがその先の場は無いと言われた」と答えた。
「……ご愁傷様です」
「まったくだ。せっかくの、せっかく羽と鼻の下を伸ばせる機会が。台無しだ」
震え声に哀れっぽい雰囲気で彼は部屋に戻り、すぐにいびきをかきはじめた。
必要あってしばらく書き物をしていたクライヌだが、あまりうるさいので彼より先に眠るべきだったと、しばらく布団の中で後悔した。
翌朝になり、二人は事前に手配しておいた馬車が来る予定の山中まで歩いていった。朝方はとくに冷え込む。靄のかかる乳白色の景色の中、かじかんだ手を懐に押し込めた。
前日に横切った往来を抜け、畑の間のぬかるんだ道を戻り。
森の中に入ったところでくわぁとあくびをかましながら、待っていた馬車にクライヌが近寄る。
「きみ。それじゃあこれを」
「はい?」
「都に、連絡を頼む」
御者に封書を差し出して、彼は言う。
蝋の封には騎士団支給の慈悲の短剣の柄尻にある印章が使われており、見る者が見ればどういうものかはすぐにわかる。
御者は不思議そうな顔をしたが、素直に受け取ってくれた。
「ちょいと私らは、戻らなくてはならないんでね」
言って、クライヌは道をまた引き返す。
アルドモアも後ろからついてきて、腰のものに手をやってはつかむときの具合を確かめていた。
慎重に動作を繰り返す顔は、不安が募っている様子。無理もない、寝起き早々にクライヌから『不穏な話』を聞かされ、そのままこの行動に付き合わされているのだから。
「……柄巻に革を使うべきだったな。この寒さだと、抜くときにヒヤリとする」
「よかったら今からでもなんか巻いときます?」
「いや……手触りが変わると滑りそうだ。懐でぎりぎりまで温めておこう」
ぶつぶつ言いつつなんとか、自分を納得させたようだった。
本当に、上司には要らない人間だなとクライヌは思う。
唐突に部下に聞かされた話を頭から信じ込んでそのまま付き合うなど、びびりのくせにお人好しが過ぎる。
ただ、まあ。
そういうところが、なんだかんだで彼の地位を押し上げた要因なのかもしれないが。得難い才能だと思う。
「私はあいにくと、これしか能が無いもんですからね……」
人徳も無いし目立った出世の芽は無い。
すん、と鼻を鳴らしてクライヌは腰の剣に手をやる。
――血と、鉄。
クライヌはとかく、それに対して鼻が利く。それだけが、彼の才能だった。
それは戦に関する血の臭いの他、彼の業務に密接に関係するものを比喩的に表した『血』にも反応する。
要するに。
「……こんな地方の村で、抜き打ち査察に対して綺麗な書類が出てくることなんざ。私はハナから期待してなかったんですよ」
森の中を迂回して戻ってきた村長屋敷に、扉を蹴り開けたクライヌが駆け込む。
広間にいた人間たちを確認する。
頭の後ろで手を組まされ、膝をついた村長と小男がいる。
囲んで、ナイフを手にした男が三名。そのうち二人は、支部の隣にある農具小屋前で見た顔だ。やはりか、と心中で嘆息しつつ、頭を切り替える。騎士としての感覚へ。
獰猛な獣のように低く這う走りの中から、クライヌは右手で抜剣した。
右上へ向けた切り上げから、左へ向かう真横への切り返し。身を起こしながら行うそれで、一人目は右腕を、二人目はうなじを切り裂いた。
勢いのままに右足を踏み出し、振り切った剣を一瞬で逆の手に持ち変えると左へ旋を巻いて、背後にいた三人目を切り払った。首が飛ぶ。
「あ、う、腕が……」
まだ息があるのは一人目、右腕を斬られただけの男だ。初手はまだ加減が利くため生き残らせた。
クライヌはつづけざまに膝裏を切り裂いて男を地に伏せさせると、頬を刃先で撫でながら男の顔を眺めた。
「……見覚えが無いな。私が来たとき、村長の机の下で余計なことを言わんよう脅していた奴か?」
「なっなんで気づいで……」
「私ぁね、ちょいと鼻が利くんだ」
とはいうものの、それは些細な違和感の積み重ねに過ぎない。
規模の小さい集落とはいえ、あまりに村が静かすぎたこと。
膝が悪いという割に、村長の手元に杖が見当たらなかったこと。
書類があまりにも綺麗過ぎたこと。
アルドモアが女を買えなかったこと。
「……まあ最後のはそこまでの要因じゃないが。私らと村の人間を二人きりにさせまいという、そんな意思を感じたわけだな。あとはお前、いまやっと口を開いたが、言葉に濁音が多い」
農具小屋の前にいた男たちは、無言だった。酒場の前で焚火に当たっているときも、あまり口を開いていない。
マスターは呂律が回らないから、などと言っていたが。
「訛りを隠したか。お前『北』からの亡命者だろう?」
酒場に男衆が皆押し込められていたのも、実際には彼らが表に立って見張りをしている中に留められていたからに相違ない。言い当てられていく恐怖に、男は顔をひきつらせた。
だがこの後に待ち受ける引きつりに比べたら、それは無いも同然のものだった。
「……三つ数えるうちに残りの人数と潜伏場所を言え。ひとつ。ふたつ」
「いや、待で、」
「みっつ」
剣身を鋭く振るい、側頭部の皮膚を一部、髪の根元ごとべろりと剥いだ。
蹴り倒して頭を踏みつけ、板の間にその部位を擦りつけてやると、男は叫ぼうとした。その口に剣先を噛ませて、声を出せないようにする。
「次の三秒は口を裂く」
結局、男はその場を血に塗れさせてから答えを口にした。
彼らは山越えしてきて、金品と倉庫の糧食を奪っていこうとした。
だが間もなくクライヌたち査察の人間が来ると村の人間に伝えられ、追手がかかるのを遅らせるため村の人間を人質に取り「なにも言うな」と村長他、クライヌたちに接する人間に命じた。何事もない村だと、見せかけようとした。
感じていた違和は、それらの積み重ねから発せられていたものだ。
「……なあ、クライヌ。やりすぎじゃあないか?」
「旦那こそ」
アルドモアと並び、クライヌはようやく剣を下ろした。
酒場にいた残りの亡命者連中の中で剣を振るい、二人は一党を壊滅させていた。
たとえ剣よりペンがもてはやされる時代であっても。騎士たる彼らが、鍛錬を積んでいないはずもないのだ。ひとたび抜けば、周囲を刻む。
「やはり、鎧を着ていてよかった……」
「今日ばかりは、旦那のその慎重さも正しかったと言わざるを得ませんね」
気の弱いわりに、土壇場になると度胸が据わって剣腕を発揮する。どこまでもギャップでひとをたらしこむ御仁だ、と感心と共にクライヌは言った。
剣を下ろした彼らの前で、血まみれになっていた男たちのひとりがつぶやく。
「……お前ら……ほ、ほんどうに……騎士か……? ご、ごんな、残酷、な……」
「さあて、どうでしょうねえ」
クライヌは剣を鞘に叩き込み、返り血の飛んだ顔をぬぐいながらぼやく。
血税に集り血税を守る。
そんな自分たちを称するのなら――
「国に飼われた吸血鬼って方が、似合いかもしれませんね」