琵琶精〜胡蝶真相編〜
そのもの、琵琶の名手なり。
音色を聴きし者達、皆悉く滂沱のごとく涙したと記される。
まさに人智を越えた音といえよう。
今宵語りまするは、琵琶精「胡蝶」の真相の物語なり。
雨のそぼ降る暗い夜に、鮮やかな服を着た女が石畳に座りこみ、空を見上げていた。
その顔は大層整い、乱れ頰につく白い髪も、色黒の柔肌に流れる雨粒さえもその美貌の一助になっているようであった。
女は名を「胡蝶」と名乗っていた。
愛用する琵琶に螺鈿で蝶が細工されていたからである。
女は西方の少数民族の生まれで、女の祖母は吉凶を預言する巫者であり、父は村長である。
女は幼い頃より音楽を好み、特に琵琶の腕は村一番だともてはやされた。
琵琶の腕試しに都へ行きたいと望む女は、髭もじゃのまるで山賊のような厳つい大男つまり父に話をすると、父は、まるで雷でも落ちたか、雨あられかというほど大粒の涙を流し、叫んだ。
「おぉ!娘よ、愛しき吾子よ。何故そんなことを言うのだ。
村の外には、良い人ばかりではないのだ。山賊もいる。人の皮を被った獣達ばかりなのだぞ?
愛する人の形見となったお前をみすみす危ない目に合わせてなるものか!」
頑として首を縦に振ろうとしない。
女は琵琶を爪弾いて、亡き母の教えてくれた子守唄を歌い、父に乞うた。
父は涙ながらに女を抱きしめて、
「これは愛しい人がくれた首飾りだ。
あの人は優しく、気高かった。
お前とは肌の色こそ違えども、そっくりだよ。
困った時は首飾りが守ってくれるだろう。」
女を村の外へと送り出した。
都へと行く道すがら、持ち前の琵琶の巧みさと美貌で噂になりつつある女だが、ある関所で、その地の領主の検閲を受けることになる。
領主は白磁のような肌に淡い白金の髪の壮年の男で眉間には深く皺が刻まれ、その青い瞳は冴えざえと冷たかった。
「女、最近巷で噂される琵琶弾きと聞いたぞ、その技見せてみろ。」
とぞんざいに言い放った。
渋々と琵琶を爪弾く女の演奏を聴く領主、いきなり女の手を掴むと抱き寄せ、
「顔立ちも整い、そしてこの指よ。何人の男を誑かせてきたものやら、千指妙手と呼ばれるだけはあるな。今宵は儂と床を共にせよ。」
強く引かれる腕、胸元から首飾りが溢れる。
さっと顔色が変わる領主、
「ややっ!それは我が姉の首飾り!こやつ!何処ぞより、盗みおったか!何処で手に入れた!言え!言わぬか!」と激情する。
女は領主をなんとか振り払い、琵琶を抱き寄せ、亡き母の子守唄を歌う。
途端に、力無く項垂れる領主。
「あぁ、まさしく姉の歌、お主もよく見れば姉によくよく似ている。
姉さんは幸せなのか?
家出をした後、いくら探しても見つからない姉が心配だったのだ。」
涙ながらに縋る領主。
仔細を伝えると領主は、
「最果ての西の地で最期を迎えられたか。子を成したということ、そなたの歌を聞けば幸せだったに相違なかろう。」
琵琶の腕試しに都へ行くと言う女に、
「姉の娘となれば、我が姪だ。
都は運と縁と金が物を言うものだ。
困った時は、都一の商人の金持ち爺さんにこの書状を渡すといいだろう。」
と微笑んで、見送った。
都に着いた女は琵琶を爪弾く、今までの出来事に感謝しながら、それはまさに自分を知れた喜びに溢れた調べだった。
ふと気づくと、琵琶を弾くごとに熱心に耳を傾けてくれる青年がいた。
毎回、訪れてくれて、門付けを弾む身なりの良い青年だが、なかなかに声を掛けてはくれず、女はたまらず声をかけた。
青年はもじもじとしながら、
「あ、あなたの琵琶の音は心地よく、と、とても心に響きます。
そして、あなたは、あなたは、美しい。
黒い真珠より美しいと思えるのです。」
と顔を朱に染め、告げて去っていった。
女もあまりに初々しい褒め言葉に、顔を朱に染め、手に持つ琵琶に顔をうずめた。
しかし、青年はそれっきり琵琶を聴きには来ない。
最近名が売れてきたのか、誰かの嫉妬つらみか、夜な夜な演奏から帰ってくると部屋が荒らされ、大変に気味が悪い。
困った女は叔父である領主の書状を持って、都一の金持ちだと噂の商会へと向かった。
しかし、商会は慌ただしく、なにやら物々しい雰囲気であり、女が立ちすくんでいると、
「女、芸人か?若様が不治の病とやらで屋敷の気風が暗くてかなわん。一つ歌ってくれぬか?なに誰も咎めはせんさ。さぁ歌ってくれ。」
と陽気な番頭らしき男に言われ、琵琶を爪弾き、亡き母の子守唄を歌う。
曲の佳境に入ると、奥が慌ただしくなり、スッと目端に人影が現れた。
「な、なぜあなたがここに!
夢か幻が聴こえるかと出てきてみれば、夢ではないのか、あぁ嬉しい。
叶わないと、諦めようとしたのに、やはりあなたは美しい。」
顔を朱に染めた、いつも訪れていた初々しく言葉をくれた青年が立っていた。
慌てた番頭が、
「若様、寝ていないといけませんぜ。大旦那様が心配なさいます。」
と顔を朱に染めた青年に駆け寄る。
すると店先に影が差し、
「おや、良い琵琶の音が聞こえると思ったら、うちの店じゃないか。
おや、坊も寝てなきゃ駄目じゃないか。
やけに顔色が良いじゃないか?
琵琶弾きのお嬢さん、すまないがまた日を改めて来てくれないかい?」
と好々爺を体現したような老人が入ってきた。
「「「「大旦那様おかえりなさいまし!!」」」」
店で忙しなく働いていた店員たちが声を揃える。
女は領主の書状を懐から取り出すと恭しく老人に差し出した。
「なんだい?手紙かい?
どれどれ、うん?こりゃ西方のお堅い領主様からだね。
まぁ、お上り。客間で話そうじゃないか。
うん。坊も調子が良さそうだ。一緒においで。」
書状を読み進める老人は柔らかい声で、
「あの領主様の姪御様とはつゆ知らず、ご無礼いたしました。
何かお困り事がある様子、この爺に話してくだされ。
必ず叶えて見せましょう。」
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石畳に艶やかな布と木目の美しい弦の切れた琵琶が転がっていた。
「どれどれ、上手くいったようだの。」
老人が、その布で弦の切れた琵琶を包み、脇に抱えると颯爽と立ち去っていった。
我が、年老いて産まれた一粒種の気弱な息子が鬱ぎこみ、臥せっている姿は見るに耐えず、代われるものなら代わりたいと涙したが、まさか恋煩いだったとは。
そしてそんな息子を好いてくれる可愛い嫁の困りごとならば、この爺、一肌脱ぐのも容易いこと、張り切って、今回の琵琶精の計画を行なった。
したり顔の老人は、
「なぁに、皆不思議な話は好きなものさ。すぐに噂が広がるさ。
琵琶精、我ながらよく考えたものだ。
いや、もしや本当に琵琶精がいて、我に策を授けてくれたのやもしれんぞ。
琵琶さんよ、切れた弦は痛むやもしれんが、張り直せば良いのさ。
なぁ、琵琶さんあんた、まだ良いお声で鳴るよ。嫁が弾くんだ、間違いない。」
とカラカラと笑い、まもなく祝言を迎える若夫婦の元へと嬉しげに向かった。
めでたく収まる琵琶精「胡蝶」の物語り。
語り終えたる琵琶精は再び眠りにつき、月の光を糧として、弾き手と共に歩みける。
次なる琵琶はいかなる琵琶精になろうやら。
されど、今宵は読み終わり、またの機会を、お粗末様でありました。