第 94 夜 『スシ食いねぇ!』
語り部 : 若松真鈴
お相手 : 間代晋介
運動神経抜群、体育の授業だけでなく、いろんな校内大会でも大活躍の彼。
あちらこちらからの勧誘も数多あり、高校2年生になってからも、まだどこのクラブも獲得したがっている。
しかし彼は一度として、部活に参加したことがない。
中学時代はサッカー部に入り、大活躍していたのに。
第 94 夜
『スシ食いねぇ!』
お父さんが昇進した。
大手の製薬会社勤務で、異例の出世とか言われて、部門長に着いたお祝いに、家族で外食をしようということになり、何を食べたいかと聞かれた私は、高級なお寿司が食べたいと思いきって言ってみた。
一人娘に甘い父は、苦笑いを浮かべながらも、OKを出してくれた。
兄も異論は無いようで、人生初の回転しないお寿司屋さんへと入った。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは若い男の子。
あれ? 若いって、ちょっと若すぎない?
間代くん!?
思ってもみない人がいるのに驚いて、大きな声を上げそうになるところで一呼吸。
「なんでこんな所にいるの?」
「ここ、俺ん家」
そう、なんだ。
「でもなんでカウンターの中にいるの?」
「だから、修行中なんだよ」
寿司職人の修行?
ああ、それで高校に入ってから、クラブに入らなくなったのかな。
「まぁ、そう言うことだよ」
お父さんからは高校を卒業してから、なんなら大学出てからでいいと言われていたのだけれど、彼は早く一人前になりたいからと、放課後に修行を付けてもらうことにしたそうだ。
そのような経緯があるのでは、どこの部がどれだけ勧誘しても、靡くはずもなかったのだ。
「お嬢さん、こいつの学校の友達かい?」
「えーっと、クラスメートの若松真鈴です」
「へぇ、真鈴ちゃんかい? 可愛い名前だね」
声を掛けてくれたのが、間代くんのお父さんで、私が同級生だと分かると、色々とサービスをしてくれた。
明くる日、私は間代くんに呼ばれて校舎裏まで来た。
「俺が店の手伝いしていること、誰にも言わないでくれないか?」
「なんか問題でもあるの?」
「いや、その……恥ずかしいから」
声が小さ過ぎて、聞き逃しそうになる。恥ずかしいんだ。
「でもウチの学校、同じ出身校の人って、他にいないよ。ちょっと地元も遠いし、そんなに気にしなくても」
「地元じゃあないからこそ、君が話さなかったら、誰にも見つからないって事だよ」
それもそうか……。
「よし、それじゃあ、私の質問に答えてくれたらそのお願い、聞き入れてあげる」
「脅迫かよ」
そんな大それた事をしようとしている訳じゃあない。
タダ好奇心のムシがウズウズしているだけだ。
もうすぐ授業が始まるので、続きはお昼休みに。
そしてお昼休み。
今度は屋上に来た。早速本題に入る。
「うちの親父さ、2年前にちょっと病気してさ。今も店に立ってるの辛いみたいなんだよ。近くで見てれば分かる」
そこで少しでも早く、お父さんを楽にしてあげようと、頑張ってるってことか。
「いい話じゃあないの? みんなが知ったら、間代くんの評価大幅アップだよ」
「そんな面倒な話、絶対に避けたいな。目立たないに越したことはない」
スポーツであれだけ目立っておいて、今さらですか?
でもそうだね。ここでこんな美談が持ち上がったら、必要以上にモテまくってしまいそう。
「女の子も選り取り見取りに選べそうなのに」
「そういうの、興味ない」
まぁ、そうだろうね。今まででも十分モテてきただろうに、彼は特定の相手を選んでいない。
「それより昨日は家族連れだったのか? ウチの寿司屋、決して安くないだろうに、4人連れでご両親大丈夫だったのか?」
「そりゃあもう、今日から目刺しで一月間過ごさなきゃいけないだろうけど、それでもお祝いしなきゃいけない一大事だったからね」
「ほぉ、それはすごいな。目刺しだけで一月か」
「ああ、いや、そっちじゃあなくって」
「はははっ、分かってるって、一大事ってなんだ? お祝いって事は良いことがあったんだよな?」
いつの間にか、ウチの話にすり替えられてしまっている。
まだ聞きたいこともあるのに。
ここは一挙に軌道修正。
「ところでここまで聞かせてもらったから、良かったら聞きたいんだけど、お父さんってどんな病気されたの?」
「えっ、……よく分からないんだよ。教えてくれない。入院したのは確かなんだけど、戻ってくるのに結構時間掛かったし、今でも定期的に病院に行ってる」
「ふーん、間代くんってさ、長男だっけ?」
「そうだよ。弟と妹がいるけど、妹が中学2年生、弟は6年生、弟はずっと寿司職人になりたがっていたから、その夢が変わらなければ、親父について修行するのは、弟だったと思うよ」
もしお父さんが倒れなければ、間代くん自身はサッカーを続けて、大学にも行かせてくれると言ってもらっていたから、寿司職人になることはないだろうと、以前は考えていたそうだ。
「なんだろうな、ここまで話すつもりなかったのに、べらべらと悪いな。なんか若松といるとそう言う気分になっちまう」
「そう言う事も言うんだ。女の子を持ち上げて下心ありですか?」
「なんだよそれ? どうせ俺がもし口説いたって、簡単には靡かないだろ、若松は」
「う、……うん」
私は過去、彼から告白を受けたことがある。
中学卒業の日。
あの日の朝、まだ卒業式の前、彼にその想いを告げられて、だけど私にはつき合っていた彼がいて、ごめんなさいと言った。
その日、卒業式後に彼からフラれるなんて、思ってもいなかったけど。
「結構ショックだったんだぜ、お前と同じ高校に来たくて、公立では学区一の難関の、この学校に入るために一生懸命に勉強して、なのにあっさりフラれて」
その告白の時間が、もっと遅かったら……、傷心の私は……。
うぅうん、あれからしばらくショックから立ち直れなかったから、たぶんムリだった。かな?
「それじゃあ、今はどう?」
「えっ? どうって……」
「……あっ! ごめんなさい。今さらなに言ってんだろうね、私」
中学を卒業してから、私は誰ともつき合っていない。
誰からも告白を受けていないのも確かだけど、誰にも告白していないのも確か。
私は高校に入ってからずっと、間代くんの事を意識してきた。
「……俺、もしまだチャンスがあるのなら、もう一度手を挙げたいと本気で考えているよ」
「そ、そう……、ありがとう」
「それじゃあ?」
「ちょ、ちょっと時間を頂戴」
「な、なんだよ、そっちから振っておいて、この期に及んで焦らしかよ」
本当にごめんなさい。
あまりの展開の早さに、心がついていけていないの。
「気持ちの整理だけ、つけさせて……」
私は屋上出入り口に向かって歩き出した。
彼への返事はその日の夕方、帰宅後直ぐに電話してOKだと告げた。
ただ単に焦らしただけになってしまったけど、私には本当に必要な時間だった。
電話の向こうで大喜びの彼、残念、返事は次の日にすれば喜んでる顔が見られたのに。そう思った。
そしてその考えは、間違っていなかった。
「どうかしたの? 元気ないね」
早速一緒にお昼ご飯を食べることにした私は、お弁当を前にため息を連発の彼に聞いた。
「なんでもないよ……」
なんでもない顔じゃあなかった。
だけど思い返せば、今日は朝から機嫌が悪そうだった。
何かあったとしたら昨晩か、朝待ち合わせをしていた、自宅最寄り駅前にくるまでの間。
「黙ってたら分からないよ? 晋介くんのことだから、私に何か怒ってるのに、黙ってるって事はないと思うけど」
「……、昨日店で大失敗した。ただそれだけだよ」
失敗って、……もしかして私が返事をするタイミングを、あの時間にしたから?
電話の向こうの晋介君は、かなり舞い上がっていたから。
「な、なにがあったって、客の前に立ってるのに、ボーッとしている俺が悪いんだ。若松のせいじゃあない」
そんなこと言ったって、やっぱり私にも責任はあるよ。
私はどうにかおじさんに!私からも謝れないかと晋介君に言ってみたんだけど、仕事のことだから、そんなこと親父には言えないからと言って、頑として断られた。
それでもやっぱり、無責任ではいられないと思って、今日は掃除当番で、私より帰りの遅くなる彼を待つことなく、私は晋介くんのお家に一人で行くことにした。
「まだ準備中だよ」
「こんにちは」
「君は……晋介の友達の……」
「若松真鈴です」
「そうそう、真鈴ちゃん」
忙しそうに準備をされているおじさんに、私は昨日あったことを掻い摘んで話し、彼がなぜ職人の道を選んだのかを熱弁した。
「ほぉ、晋介がそんなことをね。だけどなんだ、どんな理由があれ、どんな状態であっても、お客様にだけは迷惑をかけちゃあいけねぇ。それは寿司の世界だけでなく、客商売全般に言えることだけどな。お嬢ちゃんの気持ちはありがたいが、責任は全てあいつにある」
そ、そんな。
「話が済んだのなら悪いけど帰ってくんないかい? まだ仕込みが残ってるんでね。なんならあいつの部屋に、上がってくれていてもいいが」
私は言われて、大人しく帰ることにした。
「おお、若松、用事っていうのは済んだのか?」
偶然にも帰り道、晋介くんとパッタリ会った。
駅の調度反対側に位置する私の家、帰りに出会すなんて、十分あり得る偶然だった。
「私、……私にも責任があると思って、あなたのお父さんに謝りに行ったの」
「なっ!? なんだよそれ!? なに勝手してんだよ!?」
人目を憚らず彼は怒鳴った。
「ご、ごめん……いきなり大声出して」
直ぐに冷静さを取り戻す彼。
晋介くんの怒声を聞いて気が付いた。
舞い上がっていたのは、私も同じだったのかもしれない。
「ご、ごめんなさい。私の方こそ」
「あ、いや謝らなくてもいい。だけどその、悪いんだけど、もう一度一緒に来てもらえるかな。親父に話してみる」
「うん、分かった」
今来た道を二人でお店に戻る。
「ただいま」
「おかえり、……晋介、着替える前に少し話が……って、真鈴ちゃんも一緒か、なら話は早いな」
おじさんは少しだけど時間を置いたからか、頭の整理が出来たと言って作業を中断して、中から出てきてテーブルに腰掛けた。
そしておじさんの病気のことを話してくれた。
「はぁ?! アルコール依存症?」
お酒の飲み過ぎで体調を崩し、入院する事となったおじさんは、今でも禁酒を続けている。
アルコール依存は、その時の治療が済んでいても、その後一滴でも飲むと、再び慢性化する可能性があるらしく、お店で出す熱燗の香りなどにストレスを感じることもあるそうだ。
「それで体調が悪いように見えてたのかよ~」
「悪かったな。俺は嬉しかったけどよ。お前が跡を継いでくれるって言ってくれた時はよ」
昨日のミスは簡単に許せるもんじゃあないけど、しっかり反省している者を怒ってもしょうがない。
気を取り直して、ちゃんと注意するだけだと付け足して、おじさんは彼の進路について聞いた。
「そんで、どうすんだ? 今からでもクラブに入るのか? 大学に進学するのか?」
「そんなの聞くまでもないだろ? 俺は寿司職人になるって決めたんだから」
「そっかそっか、お前が継いでくれるってんなら安心だな。嫁さんも決まったみたいだし、これでもう安泰ってもんだ」
「親父!? 気が早すぎる」
「はははっ、そうか?」
豪快に笑うおじさん、私は真っ赤になって俯くしかできなかった。
「なんか色々と心配かけて、悪かったな若松」
「あ、うぅうん、それじゃあ私帰るね」
「ああ」
「おい晋介、送ってやれ」
「え、いいのかよ。店の方?」
「真鈴ちゃん家、近くなんだろ? いいから行ってこい」
「ありがとうございます」
「いやいやこちらこそ、またご家族で食べにおいで、目一杯サービスするからさ」
「はい、それじゃあ」
なんだか、色んな事が取り越し苦労だったみたい。
「ありがとうな」
「どういたしまして、私の方こそ先走ってごめんなさい」
「いや、結果オーライだよ。なんか俺、無茶苦茶格好悪いとこ、一度に見せすぎて、穴が合ったら入りたいよ」
「うぅうん、晋介くんは格好いいよ。なんだかこうして一緒に歩いてるのが夢みたい。これからもよろしくね」
「ああ、こちらこそ」
空にはチラホラと星が瞬き始めている。
お店のこともあるし、私達は少しだけスピードアップして、短い一緒の時間を堪能した。