第 89 夜 『後悔返上!』
語り部 : 野田友治
お相手 : 伊藤叶香
盛立役 : 枝丘織恵
小学生の頃、恋とは気付かずに好きだった女の子に、いらぬちょっかいを出す。
その行為に満足し、相手がどう思っているかなんてのは、関係なかった。
まだ低学年である頃はよかった。お互いの力も均衡していて、ケガを負わせる心配もなかった。
しかし俺は男だった。
5年生6年生になると、男は男らしく、女は女らしく体が変化していく。
いつものようにいつもの感覚で、手を挙げた俺はいつも通りに、あの子が追いかけてきて仕返しをしてくる。そう思っていた。
だけどその日はいつもと違った。
俺の平手はあの子の背中に、辺りに大きな音を響かせるほどの勢いで打ち付けられた。
一瞬、自分が出した音にビックリもしたが、速く逃げないと直ぐに捕まってしまう。
俺は懸命に廊下を走って逃げた。
なんでだろう、いつまで経っても追いかけてこない。
気になって戻った俺は、そこで自分のしでかしたことの大きさにやっと気付いた。
あの子は大きな声を上げながら泣いていた。
痛みに涙を溢れさせ、先生にしがみついていた。
第 89 夜
『後悔返上!』
あの後、彼女は俺を許してくれることはなかった。
いいさ、時間ならまだある。
そう思っていたが、気が付いたら六年生も最後、卒業式を迎えていた。
それでもまだ安心はあった。
義務教育は続く、中学に上がれば俺だって、もっと上手く謝ることが出来るようになる。
とにかく謝らないといけない。そう思っていた。
だけど彼女は、俺と一緒の中学には入学しなかった。
彼女は近くの私立女子中学校に入学した。
今俺は中学2年生、もう一年以上彼女に会っていない。
帰宅後シャワーを浴びる前に、部屋に荷物を置きに入った俺は、机の上に一通の手紙を見つける。
「誰からだ? 伊藤叶香……、ってあの子じゃないか」
彼女との思い出で一番に浮かぶのは、やはりあの時の涙。
楽しく笑いあった記憶の、全てをぬぐい去る泣き顔。
俺は緊張して手紙の封を開けた。
見覚えのある字だ。変わってない。
内容は小学生の頃の思い出話と、あの時の行為に対する謝罪を一切聞こうとしなかったことを、今は悔やんでいるといった内容が書き綴られていて、最後に会って話がしたいと書いてあった。
その指定日は……。
「今日じゃないか。午後6時に公園でって、もうすぐだぞ」
俺は慌てて自転車にまたがり、指定の場所へと向かった。
公園にはもう遊んでいる子供の姿はなかった。
辺りはまだ明るいからいいとして、それでもこんな人気のないところで、女の子が一人でいるのはいいはずがない。
とにかく俺は急いだ。
6時を5分ほど過ぎた頃に、俺はようやく公園にたどり着いた。
そんなに広い公園じゃあない、一体どこに?
「やっと来たぁ~!?」
背後からの声に驚いて振り返る。
1年と数ヶ月、成長期の少女は面影はもちろんあるけど、記憶とは大きく変わっていた。
「遅刻!」
「あ、いや、俺この手紙読んだのついさっきなんだ、どうもお袋が忘れていたみたいで」
数日分の手紙を整理している時に見つけて、俺の机の上に置いてくれたんだ。
「ふぅーん、まぁ、いいわ。久しぶりね。もう声変わりしちゃったの?」
「今その最中、大きな声出すと喉が痛い」
本当に久しぶりって感じだ。
会うのは卒業式以来だけど、言葉を交わしたのはもっと前。
「それで、なに? 急に呼び出しなんて、電話でもよかったのに」
「会いたかったのよ。野田に」
「えっ?」
「電話じゃあ、言いにくいお願いがあってね」
……ああ、そうか、……そう、だよな。そんなもんだ。
「で、どんなこと?」
「えっとね、私の彼氏になって欲しいの」
い、いきなりの告白!?
「ああ、えっと違う違う、彼氏のフリをして、会って欲しい子がいるの」
それは学校の友達で、彼女とはなにかとぶつかることが多く、色んな事で競っているらしい。
「枝丘織恵、いいところのお嬢様でね、何かと自慢しぃで」
「なんでそんな子とやりあってんの?」
「私、入試で一番の成績で入学して、学年総代に選ばれたんだけど、入学式でいきなり脚光を浴びた私が鼻についたみたいなの。それからことある事に突っ掛かってきて」
お嬢様は目立ちたがり。っていうことか。
「その彼女に、私の彼氏を見せてやるってか?」
「もういつもの如く売り言葉に買い言葉って感じで、引っ込みがつかなくって、うちの学校は女子校だし、こんなこと頼めるの野田以外に思いつかなくて」
それは光栄なことだけど、面倒な話だな。
「それじゃあ、俺のメリットは?」
「えっ? 見返り求めるの? ……私まだあの時の心の傷、癒えていないのに」
うっ、こいつはこの場面で、それを出してくるか。
「確かにもう一度、ちゃんと謝ろうと思ってたけど、今の感じで傷が残っているようには見えないぞ」
「本当だよ。見てみる?」
そう言ってシャツのボタンを上から外していきやがる。
「ばっ!? 分かったからやめれ!! つか、見た目の傷なんてなかっただろ。当時から!」
舌を出して手を止めたから、本気ではなかったんだろうけど、俺の角度からだとほんの一瞬、シャツの下のインナーが見えたぞ。
「……見返りってなに? 私に出来ることなら聞いてあげてもいいわよ」
そうまで言うからには、よっぽど負けたくないんだな。
「成功報酬でいいよ。上手くいったら教える」
とにかく今度の土曜日に、相手に会わされることとなった。
お昼ご飯の後、再びあの公園へ、そこで伊藤と落ち合う。
「おーい、友治ぅ」
「えっ、名前で?」
「だって恋人同士だもん。その方が自然でしょ? 野田も、じゃなかった友治も私のこと呼んでみて」
「伊藤でいいんじゃね?」
「だめ、絶対ダメ!」
「分かったよ。叶香、これでいいか?」
「うん、それじゃあ行こ! 駅前のバーガーショップで待ち合わせだから」
そう言って伊藤は、じゃあないや、叶香は俺の左腕に自分の腕を絡めてきた。
女の子と(男ともないが)腕を組んでの初歩きです。
しかし午後になって、日差しは益々強くなる。
俺達はどちらからともなく、離れて歩くこととなる。
待ち合わせ場所には、向こうの方が先に来ていた。
「織恵、待たせたわね」
確かに親しい友達に対するのとは、違うトゲを感じる挨拶。
「あら、伊藤さん遅かったでは、ありませんか? 土壇場で逃げ出したかと思ってましたわ」
今の喋り方……、確かに世間知らずのお嬢らしいな。
「とにかくお座り下さいまし」
って、居心地悪い。
俺はなぜか、二人に挟まれる位置に座らされる。
「お二人は小学生の頃から、お付き合いをなさっているんですってね」
そう、小学生の頃に俺から告白して、それからずっと仲良くやっている。
学校が違うのと、伊藤達の学校は課題も多いので、普段はなかなか会えないけど、毎日電話だけは欠かしたことがないとか、そう言う設定になっている。
細かい設定資料を渡されたのは2日前、頭に完全に入っているか不安だったけど、話題は俺個人のことに切り替わり、質問会は続いた。
「まぁ、バスケットボールを? それでそんなに身長が高いのですの?」
別にバスケットボールがしたくて身長を伸ばした訳じゃあない。
無駄に高くなった身長を活かすために、とりあえず部活動に参加しているだけだ。
この後もいろんな質問に責められる。
いや待てよ? この子、質問している俺の事なんてなにも見てないぞ。
……ああ、伊藤のことを意識してるのか。
その為に俺を間に置いたんだな。
話は尽きることもなく、ジュースとポテトだけで、いつまでも居座っているのも気が引ける。
俺達は場所をカラオケ店に移した。
そこでは歌うのかと思いきや、最初っからお喋りタイム。
ここでも俺のことを根掘り葉掘りと……。なにがしたいんだ?
「もうよろしいですわ。大体分かりましたから」
えっ?
「あなた達、お知り合いには間違いありませんけど、お付き合いはしてらっしゃいませんね」
なんで?
「あなたはなかなかアクティブな方のようですのね。なのに伊藤さんは学校でもあなたの事を、全く話題に上げていらっしゃいません。おかしいですわよね」
そうか、例えばバスケットの大会でブロック第4位になった。とか言う話題が俺達の間であったなら、学校の友達に話すのが普通だ。
それすらないということは……という推理か。
するどい。
「そ、そんなことないわよ」
「無理なさらなくて、よろしいですわよ」
「だからそんなことない!? 友治!」
俺を振り向かせて、俺の両方の頬を手で押さえると、突然キスをしてきた。
おお、おい! 勢いに任せてなにを、手、震えてるぞ。
「わ、私達はもう、こういう関係だから」
涙目になってなにを、肩も怒ってるし、説得力ないぞ。
「ふふ、そうですね。今のあなたの勇気を讃えて、今日はそう言うことにしておきましょう」
「だ、だからそう言うんじゃあ……」
「もういい!」
俺は二人のやりとりをもう見ていられなくて、立ち上がって二人を見下ろした。
「君の言うとおり、俺達はにわかカップルだよ。けど、俺が伊藤のことを、ずっと昔から好きだったのは本当だ。君らがなにで競い合おうと勝手だけど、もうこう言うのはよそう。競うならもっと有意義なことでさ」
そこでインターフォンが鳴り、ちょうど終了の時間も来た。
「もういいだろ? 帰るよ俺」
今日はこれでお開き、俺は帰路についた。
「友治~」
伊藤が追いかけてきた。
まぁ、そうなるよな。
「悪かったな、最後までつき合ってやれなくて、なんかもうあれでも見抜かれてただろうし、そうなったら追い込まれたお前がなにしでかすか、ちょっと怖かったからさ」
「うぅうん、それはいいの。やっぱり無理があったんだね、最初から。そんなことより確かめたいことがあって」
確かめたいこと? ……ああ。
「俺が君のことずっと好きだったのは本当、この1年ちょっと会えなかった間も、ずっと気になっていた」
小学生の間は思っていても言えなかった一言を、ちょっと大きくなっただけの今なら、はっきり言える。
「……野田の見返りって、なにを言うつもりだったの? ここまでつき合ってくれたお礼に、聞いてあげる」
「えっ、あぁ、いいよ。本当に」
「じゃあ、じゃあ、言うだけ言って」
「ああ、うぅ、うーん」
どうしよう。言っちゃってもいいんだけど、なんか空々しくならないかな。
「ねぇ、ねぇ」
「分かった分かった。言う言う、……一度しか言わないからな」
「うんうん」
「さっきも言ったけど、俺は今でも伊藤のことが好きなんだ。だから、……演技じゃあなく、本当に彼女になって欲しい。って言おうと考えていたんだ」
言った後、俺は真上の青空を見上げた。
なんかムッチャ恥ずかしい。
「なぁ~んだ」
なんだ? 思いも寄らない返しだぞ。
「そんなの、お願いされるまでもないじゃん。私のファーストキス奪っておいて、責任取らないなんて許されないよ」
ファーストキス奪ったのはお前だろ。って。
「い、いいのか?」
「イヤっていう要素が見つからない。それじゃあ、これからよろしくね」
あの後悔の日から、今まで蟠りを残してきた胸のしこりは消えた。
これからもよろしく、今度は俺の方から、彼女のキスを奪ってやった。
調子に乗るなと殴られたけど、最高の気分だ。