第 73 夜 『秘密の共有』
語り部 : 香倉倫弘
お相手 : 睦瀬茜
盛立役 : 諏訪米杏里
「こんにちはぁ~、突然ですがアンケートでぇ~す」
電話に出た相手の確認もしない、自分の名前も名告らないで何がアンケートだ。
「あなたは諏訪米杏里のことを、どう思いますか?」
諏訪米って、俺達のクラスメイトの女の子の名前だな。どう思うかってどういう事だ?
第 73 夜
『秘密の共有』
昨日の迷惑電話の犯人を捕まえて問いただした。
「おお、よく私だって分かったわね」
口の中のおかずを一生懸命噛みしめながら、僕の問いに答える茜はお茶を飲んで、口の中を空にした。
「全く、言いたいことだけ言って切っちまうんだからさ。わざわざ着信履歴で電話番号を確認して、さらに名簿で確認して、大変だったんだぞ」
番号を登録していない家電にかけてきたから、名前が出てこなかったんだよな。
とまぁ、そいつは嘘で。
つき合いの長い茜の声なら、名前を聞かなくても、すぐ聞き分けることが出来たんだけどな。
「それで結局あれは、一体なんだったんだよ」
食後、場所を踊り場に移してさっきの続き。
「うーん、だから杏里ちゃんがあんたのこと気にしてるって聞いたからさ。どうかなと思って」
「どうかなってなんだよ。大体彼女には彼氏がいるだろう? 確か」
「あれー、そうだっけ?」
そんなことはどうでもいいんだ。
「なぁ、いい加減止めないか? 僕はこんな茶番に付き合う気はないんだよ」
いつもいつも、なぜか茜が紹介してくる子は、僕と接点が全くなくて最初から興味がないか、相手がいるなどの理由で、つき合ったり出来ない子ばかり。
「確かにそうだけど、本当に杏里ちゃんたら、あんたの事気にしてたんだよ」
「それは光栄だけど、そう言う事じゃあないだろ?」
茜は確かに僕のことを心配してくれているんだろうけど、それは自分の自己満足を満たすついででしかない。
「今日はなんだか強気じゃない? 倫弘のくせに」
ああ、またこれか。
「そんな顔しないの、誰にも言わないって、いつも言ってるでしょ?」
高校1年、香倉倫弘は、どうにかこいつ睦瀬茜との腐れ縁を断ち切るべく、猛勉強の末にこの難関進学校に合格したというのに。まさかこいつもこんなに頭がいいとは思わなかった。
こいつは僕の消し去りたい記憶を共有しているから、どうにか逃げようと思っていたのに。
僕は小学生の頃は体が弱く、よく病気にかかる子供だった。
特にお腹が弱くて、冷たい物などを口にすると、直ぐに痛くなった。
たまに何もしないのにお腹が痛くなって、お腹を押さえながら家路を急ぐこともあった。
その日はとても暑い日で、クラスのみんなは授業でプールがあるのを大喜びしていた。
だけど僕はプールに入ると割と高い確率で体調を崩すから、あまり好きにはなれなかった。
決して泳げないからではない。
その日もやっぱり、プールに入った途端に、お腹がおかしくなって痛くなった。
僕は保健室のお世話になり、放課後少しマシになったので、一人で大丈夫だと言って、送ってくれるという先生に挨拶して、ゆっくり歩いて帰った。
「あれぇ、香倉くんじゃん。まだ学校にいたんだ」
「睦瀬さん……」
もう下校の時刻はとっくに過ぎている。
まだランドセルを背負って歩いている僕は、居残りをしていたか寄り道をしていたように見えるだろう。
「何してたの?」
「保健室、さっきまで横になってたんだ」
「そうなんだ。そう言えばよく保健室に行ってるもんね。大丈夫?」
実はこの時あまり大丈夫ではなかった。
学校を出てからすぐに、またお腹が痛くなって、さっきからグルグルいっていて、我慢するのも辛かった。
出来れば彼女には、すぐにどこかに行ってもらいたかったけど、辛そうにしている僕を見て、心配してくれて送ってくれようとした。
ここはどうしても我慢しなくちゃという緊張が、更にお腹を痛くした。
ダメだ。もう我慢できない。
お尻がもそもそしてきて、抗おうとすればするほどに、緊張が高まっていく。
「……!」
緊張の糸が切れる時というのは、本当に何かが切れる音がするような感じがする。
盛り上がるお尻、お腹の痛みは引いていくけど、それに反比例して情けなさが増していく。
僕は茜の顔を見た。
一目見れば分かる。彼女は気付いていた。
僕は涙を流して無言で泣いていた。
「大丈夫だよ。もうすぐお家だよ」
彼女は周りから少しでも分かり難くするために、横に並んで少し身を寄せてくれた。
あの頃から彼女の、僕に対する口癖が出来た。「大丈夫、誰にも言わないよ」と。
あれから程なく時間を置くことなく、僕は彼女の下僕と化した。
下僕と言っても別に使いっ走りをやらされたり、財布代わりにされたりしたことがあるわけではない。
彼女の些細なお願いを問答無用に押しつけられる程度の、そのぉ、下僕以上友達未満と言うヤツだ。
僕の体も成長するに連れ、徐々に丈夫になり、中学生になると普通に部活動で運動も出来るようになったし、他の友達に負けないくらいに大食いにもなれた。
これはもう茜と決別することで、新しい自分になるしかないと思えたが、結果として高校でもクラスメイトをしている。
「もう、お互いいい年なんだからそう言うのは止めようよ」
彼女の悪癖は僕をいびることだけではない。
なぜかは知らないけれど、彼女はスキンシップが好きだった。
他の男子にしているところは見たことないけど、これもまた下僕の悲しさと言うところか。
「何言ってるの!? これもそれも倫弘のためでしょ。いつまでも女の子に慣れないとか、触れないなんて情けないこと言ってるからでしょ」
いや、だからってチョークスリーパーはないだろう。
触れるにしても、もっと自然な格好って言うのがあるだろうに。
「全身で女を感じな。そうすれば倫弘にも彼女の一人や二人、簡単にもできるから」
そんなもの望んだ覚えもないのに、こいつのお節介はどこまで続くんだ。
それに僕は彼女が欲しいなんてお願いしたこともないぞ。
彼女になって欲しいと望んだことはあるけど。
そう、僕はこいつが好きになっていた。
それも中学2年生のことだ。
それでも別の学校に行きたいと思ったのは、距離を置けば告白する決意というのも、ひょっとして生まれるかもと思ったからなんだけど。
なのに今も昔のまんまの腐れ縁では、何となく行動に移せない。
しかしこいつは僕に彼女をとかいいながら、四六時中一緒にいて人をオモチャにして、もしかしたらこいつも僕を? ……それだけはないな。
いつまでも小学生ではないんだから、好きな子にちょっかい掛けるなんて、ありえないもんな。
「そうそう、帰りにちょっとつき合ってもらいたいところがあるんだけど」
「って、僕は今日も部活あるよ」
サッカーを始めたのは中学生になってから、体も丈夫になって、何かをスタートさせたくて始めた。
「うん、その後でいいよ。イヤだとは言わないよね」
イヤだとは言わせないんだろ?
「分かったよ。それじゃあ部活後に」
と言って僕は部室に向かった。
今日はレギュラーを選出する紅白戦がある。
僕のポジションはディフェンダー、争っている部員は5人。競争率はそれなりに高い。
結果、頑張ったんだけど、僕は今度の試合はベンチ要員と言うことで収まった。
まぁ、まだ1年生だしな。
これからこれから。
さぁ、気持ちを切り替えて、これから茜との約束だ。
あまり待たせてもよくないし、だけど後片付けは1年の仕事、僕は気合いを入れて、担当箇所をさっさと片付け終えて、先に着替えさせてもらうことにした。
ダッシュで片付けてダッシュで着替え終わった僕は、なんと先輩達よりも早く部室を後にすることになった。
「それではお先に失礼します」
まだ無駄話を部室内で続けている先輩達に挨拶して外に出る。
「あれ? 諏訪米さん」
部室の前に立っていた。
「ああ、香倉くん、待ってたの」
え、僕?
「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「えーっと、長くなりそう? これからちょっと約束があるんだけど」
「あ、うぅうん、そんなに時間取らせないよ」
「それじゃあ校舎まで歩きながら、ってのでもいい?」
「う、うん」
僕たちは二人で連れ立って歩いた。
部室棟から教室棟までにはグラウンドがある。
目をやると、まだサッカーグラウンドには片づけをする者がいた。
僕は後ろ髪を引かれる思いで、諏訪米さんに目線を合わせた。
「それで、僕に用事って何?」
「あの、私ね。先週に前の彼氏と別れたの」
そんな話を何で僕に?
「別れ話は私から切り出したの。他に好きな人が出来たからって」
それはなんとも冒険的な。
「それで? その好きになった人には言ったの? まだなら頑張ってね。折角決意して動いたのに、ダメだったら可哀相だし」
「こ、告白は今からするつもりなの」
「へぇー、そう? ……って、あれ?」
この話の流れってもしかして?
「香倉くん、私、あなたのことが好きになったんです。どうかお願いします」
それは思いも寄らない言葉だった。
答えは決まっていた。
だけど、一大決心をして行動を起こした彼女に、あっさりと断りを入れるのも気が引けて、僕は「少し時間をもらってもいいかな?」と言った。
僕の恋は叶う見込みが少ない。
それを分かっていて玉砕するか?
それとも最初から諦めて諏訪米さんの告白に答えるか……。
「倫弘……」
「お、おう茜!」
「それじゃあね。香倉くん、またね睦瀬さん」
走り去る諏訪米さんを見送って、僕は茜に声をかける。
「さて、どこに行くんだって?」
部活の後はさすがに疲れている。なるべく早く終わらせて帰りたい。
「どうした?」
「諏訪米さんとなに話してたの?」
なんかいつもと雰囲気が違うぞ。
というか、部活前までは普通だったのにな。
「なに話してたの?」
「なにって、この間の電話で言っていたことだよ。彼女に告白された」
そう言った瞬間、茜の目の色が変わった。
「そ、それで?」
心の動揺を隠そうと懸命に平静を装うが、その態度はかえって不自然だった。
「なんでそこまで言わないといけないんだよ」
さすがにそれは恥ずかしくて、口にはしたくない。
たぶん時間をもらったと言ったら、なんでそんなこと言うのとか言われそうだし。
「言いなさいよ!?」
「僕にだって言いたくないことの、一つや二つあるさ」
「なによ、倫弘のくせに」
これは普通じゃあない。
茜に何があったのかは分からないけど、この取り乱しようは尋常ではない。
「私に逆らうんじゃないわよ。あの事みんなにばらすわよ!!」
なに?
「いま、なんて言った?」
「なに、耳までおかしくなった? じゃあもう一回言ってやるわよ。あんたの恥ずかしい過去をみんなに言って回るわよ! って言ってんのよ」
何をこのバカ増長してんだ?
「……いいよ。そうしたいんならそうすればいい。だけど僕は今のお前には合わせてやれない。好きなようにすればいい。それじゃあな」
僕の記憶にはない、今にも泣き出しそうな顔、ああ、いやもう泣いている。
「やだよ……」
消え入りそうな小さな声。
「やだよ……」
俯いてしまった茜の顔が見えない。
「やだよ、行かないでよぉ。お願いだから怒らないで」
やばいどうしよう。
僕が原因で泣き出している茜の顔を見て、「こいつ可愛いな」と思ってしまっている。
「ふぅ、……とにかくまず顔拭け、みっともないぞ」
「ごめんなさい、ごめんなさい。私を一人にしないで」
こんな茜、見たことない。
「えっと、分かったからさ。泣きやめよ」
しばらくベンチに腰を降ろして、落ち着かせて、涙が収まったところで話を聞くことにした。
「私、小学生の頃から倫弘のこと好きだったの」
それは本当に驚きだった。
全く考えたことがないわけではなかったけど、それだけはないとも思っていたから。
「小学生の時のあの事があった後、ひょっとしたら気にして距離置かれちゃうかなと思ったけど、頑張って普通を装っていたでしょ? その時に、この子強い子だなって思って、なんとなく興味持つようになって」
気が付いたら苛めていたんだな。
「でもそれならなんで、僕に色んな子の話、持ってきてたんだ?」
「だって、倫弘って、私がどれだけくっついても、女として見てくれなくて、落ち込んで、だからまず倫弘が好きな女の子が、どんなタイプなのかって知りたくて」
それで可能性の薄い子を選んでは、突っついてきていたのか。
なるほどなぁ。こいつはこいつで思うところがあったんだな。
「それで……、杏里ちゃんへの返事って、どうするの?」
「断るよ。だって僕もようやく答えが見つかったんだし」
「……なんのこと?」
「僕もさ、好きだったんだ。気付いたのは中2の頃だけど。やっぱり茜といる時が一番楽しいからね」
「えっ? えーっと、……それって?」
「うん、好きだよ茜」
さて、それからの僕たちなんだけど。
その翌日、僕は諏訪米さんに正直に話して、理解してもらった。
その後で聞いた話によると、彼と復縁できたそうだ。
そして晴れて恋人同士となった僕と茜の関係も、より近い物となった。
なったのだけれど、そんなに大きく変わった。ということはなく。
そうだな、今は下僕以上友達未満で恋人同士って感じかな。
そんな劇的な変化なんて起こるもんじゃない。
僕の下僕生活ももうしばらくは続くだろう。