第 72 夜 『スローなブギー』
語り部 : 佐々森孝太郎
お相手 : 霧千家香澄
生まれて初めてのデートの相手は初恋の相手だった。
と言うか、初恋自体が遅かったんだろうけど、高校1年生にして初の、季節はずれの春が訪れた。
第 72 夜
『スローなブギー』
ただデートはできることとなったけど、まだはっきりと告白ができているわけではない。
と言うか俺がチキンなせいで、できないだけ。
彼女は少しスローペースな“おっとり”と表現されるタイプで、天然惚けもある、ふわふわした女の子なので、このデート中に告白できたとして、果たして気付いてもらえるかも心配な二重苦が待っている。
今日の目的地は水族館。
大水槽の大型魚も見物だけど、今回の目的はイルカの赤ちゃんが産まれたとかで、ちょっと話題になっている展示スペース。
それを彼女が見たがっていると言う情報を仕入れて、チケットを取った。
最初どう切り出そうかと悩んだけど、結局シンプルに「俺とイルカを見に行って下さい」と、彼女にも分かりやすいアプローチで持って行った。
彼女が「はい、いいですよ」と言ってくれた時には、人目も憚らずに飛び上がりそうになった。
そこで飛び上がれるくらいなら、きっともう告白もできていたんだろうけど。
「おはようございます。お待たせしましたか?」
ああ、このロートーンな感じがいいんだよな。
「おはよう、いや、俺も来てそんなに経ってないよ。5分くらいかな? 待ったのって」
清楚なワンピースや帽子が彼女によく似合っている。
少しポーッと眺めてしまったけど、彼女はニッコリと微笑んだまま、俺の次の行動を待ってくれている。
「そ、それじゃあ行こうか?」
「はい」
天気のいい祝日、親子連れや男女の二人連れ、グループで来ているお客さんと、水族館は割と賑わっていた。
順路通りにゆっくりと、一つ一つ楽しんでいく。
のんびりとした空気が、普段何に対しても余裕のない俺に、今必要なことなんだ。
俺が彼女、霧千家香澄さんを好きになったのにはキッカケがある。
それは入学式のこと、朝一番で登校したら先生に捕まって、配布プリント類を教室に運ぶように頼まれて、結果時間ギリギリとなり、俺は式が催される講堂に、急いで向かっていた。
教室棟から講堂には裏庭を抜ける方が早いと、2歳上で先輩の兄貴から聞いていたのでそちらへ。
「あれ? 誰かいる」
まだ若い、あまり枝の張っていない桜の前に女の子が立っていた。
制服には左の二の腕に腕章が着いている。
その枠には色が付いていて、それで何年生か判断できる。
彼女の腕章には赤い縁取りがある。
俺と同じ新入生と言うことになる。
「君?」
「はい?」
「早く行かないと入学式始まっちゃうよ?」
「ああ、そうですね。ですが、ちょっと困ったことがありまして……」
「困ったこと? ……ああ!」
彼女の視線を追えば、そこには木の枝に掛かった布きれ?
「なんなのあれ?」
「えっと、私のリボンです」
リボン? 彼女の髪を見ると、右側にはおさげに髪を結ってるリボン、左側にはない。
もう一度見上げると、確かに右側のリボンと同じ色の布が引っ掛かっている。
あれを取りたくて、見上げてたのか。
失礼な言い方かもしれないけど、時間もないんだし、右のリボンをほどいて、先に式に出てから、後でどうにかすればいいのに、これだけ風が強いのに靡いても飛んでいかないんだし、もしなくなっても、そこまで困るもんでもないだろうに。
「……」
俺は何かが気になって、彼女の顔を見つめた。
「……うん、ちょっと待っててね」
俺はまだ若くて無理をしたら、変な傷を残してしまいそうな桜の木に、十分な注意をはらって登った。
若木だと言っても俺の身長の3倍以上はある。その天辺まで目指して登る。
あと少しで手が届くと言うところでチャイムが鳴った。
「あっ、遅刻……。まぁ、いいや」
最後の距離を一気につめて手を伸ばし、リボンを掴んだ。
さて、ここからがもう一苦労だ。
俺の体重に悲鳴を上げている枝を気遣いながら、ゆっくりと降りる。
そろそろ自分の身長ほどと言うところで俺は飛び降りた。
「きゃっ!?」
「っと、大丈夫?」
彼女は飛び降りる俺が落ちたと思ったんだろうか?
着地点近くまで寄ってきて、ぶつかってはいないけど、バランスを崩して尻餅を付いてしまった。
「ああ、ありがとうございます」
差し伸べた俺の手に捕まり立ち上がる。
ああ、ちょっとスカートが汚れちゃってるな。
俺はポケットからハンカチを取り出して、簡単にはたいてやる。
「あ、ありがとうございます。えっとごめんなさい。ハンカチ汚してしまって」
「いいって、いいって、基本的にハンカチは持っているだけで、特に使わないから」
俺は手に握ったままのリボンを彼女に渡した。
「本当にありがとうございます。……あのぉ、もう一つお願いしたいことがあるんですけど、いいですか?」
俯いてもじもじと赤い顔をしている姿が妙に可愛い。
大抵のことなら聞いてしまうよ。誰だって。
「何?」
「リボン、結んでもらっていいですか?」
「えっ、俺が? ……ちょうちょ結びなのかな? これって」
右のリボンを見て聞いてみる。
「はい、それでお願いします」
俺は右のリボンを見本にして、可能な限りバランスを取って結んでやった。
「それにしてもどうしようか? 結構遅くなっちゃったけど、今から行くとかなり目立ちそうだな」
「そうですねぇ、けどこのままサボってしまうのは、よくありませんよね」
うーん、式が終わるまでとなると、確かにまだ時間があるだろうしな。
どうしたもんだろう。
「ところでなんで敬語なの? 俺達って同い年だよね。今年の新入生」
「あ、そうですね。ですがこの喋り方は癖のようなものなので」
ふーん、そう言うことなら、これ以上は突っ込むまい。
さてと、とにかく講堂へ。
扉の前に立つと、中から校長先生の訓辞だと思われる挨拶が聞こえてくる。
このタイミングなら、あまり目立たずに中に入れるかもしれない。
俺は入り口付近にいる先生に声を掛け、正直にありのままを伝えて、特別ペナルティーなしで中に入れてもらった。
思った通り、今は校長先生がしゃっべているところで、俺達二人は自分のクラスの最後列に並んだ。
彼女は隣のクラスか……。同じクラスならもっと仲良くなれたかもしれないのにな。
そんなちょっと不純な事を考えている俺だったけど、入学式の後、帰り支度を済ませて下駄箱に向かうところで、彼女に呼び止められた。
「あ、あの今朝は何から何までありがとうございました。私4組の霧千家香澄と申します」
「ああ、これはご丁寧に。俺は3組の佐々森孝太郎です」
その後も成り行きというか、途中まで一緒に下校することとなった。
「へぇ、霧千家さんの家って随分と遠いんだね。これから毎朝大変そうだね」
方角は一緒だけど、俺がこの学校から準急電車で駅4っつ分のところ、彼女はその路線の終点近くまで乗らないといけない。
「あの、霧千家って言いにくくありませんか? 中学の頃の友人にはよくそう言われたんですけど……」
「えっ? うーん、そうでもないけどね」
「本当にそうですか? もし呼びにくいようでしたら香澄と呼んでいただいても結構なんですけど」
へっ、出会ったその日に名前で?
ああでも、ずっとそう言われてきたのなら、それが自然になるのか。
「って友人に?」
「あ、あのよろしければお友達になってもらってもいいですか? 私、家が遠いからだと思うのですが、同じ中学の出身のお友達がいませんで」
「ああ、そう言うことならうん、もちろんいいよ」
「ありがとうございます」
それからはクラスは違ったけど、昼休みや放課後はたまに一緒に過ごすこともあり、映画や音楽の趣味が割と近いことや、好きな動物はイルカであるなどを知った。
この頃の俺には、まだ恋をしているという自覚はなく、馴れていく高校生活の中、他にも友人が出来ていき、たまにだった二人の余暇は、もっとたまにになっていた。
初日に先生に捕まり雑用をさせられた俺は、その流れで学級委員にされてしまった。
3組から職員室や生徒会室に行くのに、4組の前を通ることはない。
だけどその日はたまたま5組に用事があって、4組の前を通りかかった。
あれ? 気のせいかな? 香澄ちゃん、クラスで浮いてないか?
周りは思い思いに賑わっているのに、彼女はぽつんと一人で席に着き、何をするでもなく、ただ前を見据えていた。
それから気になって、何度か見に行ったんだけど、やっぱり彼女の周りだけ人が寄りついていない。
あんな場面を知ってしまうと、四六時中彼女のことが気になりだして、昼休みや放課後、暇があれば4組に出向くようになり、彼女と談笑をするようになった。
そんなある日。
「3組の佐々森くんよね?」
えーっと、誰だっけ?
俺はあまり見覚えのない女子から急に声を掛けられた。
「あなたって、霧千家の何? 彼氏?」
唐突だなぁ。
「うーん、まぁ……友達かな?」
友達になってと言われて、OKしたことは確かだ。
「友達……ねぇ」
「それより君たち4組だろ? なんで彼女いつも一人なんだ? 他に友達とかいないの?」
「あの子の友達になろうなんて子、4組にはいないわよ」
なんだか高飛車な態度な女はズイっと躙り寄ってきて、俺の耳元でこう囁いた。「なんであんな子がいいの? 人の物横取りして、すまし顔してる子の」と。
俺の勘が正しければ、香澄ちゃんが入学早々クラスで孤立してるのは、たぶんこの女の所為だ。
その後立ち寄った4組、今日も香澄ちゃんは独りぼっち。
俺は教室には入らず中を見回した。
「あの二人ならいけるかな?」
めぼしい女子に目を付けて、タイミングを見計らい声を掛けた。
「……やっぱりそうか! ああ、あんまり俺と話してるところ見られたら困るよね。うんありがとうね」
香澄ちゃんは入学一週間でクラスの男子から愛の告白を受けた。
しかし彼女はその答えにNGを返した。
その話はそこで終わり、のはずだったのが、実はその男子を追っかけているのが、あの4組女子のリーダー格の彼女で、
その彼女は既にフラれた後で、そんな彼をけんもほろろにフッたのが面白くなく、
女子の中で、一番勢力の強いグループの先頭にいる彼女は、クラス中の女子に、香澄ちゃんを無視するようにし向けたのだそうだ。
「女ってのは怖いね。それって完全に逆恨みだよな」
状況は概ね分かった。
さて事の解決には、彼女に状況を把握しておいてもらう必要がある。
そこでいつもの帰り道に現状報告をする。
「佐々森くんはいいんですか? 私に話しかけて?」
「何言ってんの? 俺達は友達じゃんか」
そう言ったら彼女は、なつっこい顔で微笑んだ。
「でもああ、なるほど、それでクラスの方々からは、あまり声を掛けてもらえなかったんですね」
ってあれ? もしかしてこの子全く気付いていなかった? ああそうか、なるほどね。
はははっ、これってすごいな。
周りがどんな嫌がらせしても本人が気付いてないんじゃあ、相手の目的は達成されないわな。
なんだろう、俺、香澄ちゃんのこともっと知りたい。
もしかしたら俺は、とっくに彼女に惹かれていたのかもしれないけど、この時は激しくそう思った。
よし! どうにかして親睦を深めよう。
そんなことを考えながら彼女のことを思っているうちに、その気持ちが恋なのだと気付いたのだけれど、とにかくこの初デートで何らかの成果を出したい。
でももうそろそろ出口だ。
彼女はイルカショーや、今回のメインディッシュのイルカの赤ちゃんも、目一杯満喫していた。
満面の笑みがどうしても引き締められない香澄ちゃんは、本当に幸せいっぱいなようだ。
「あ、あの香澄ちゃん?」
「なんですか?」
今の雰囲気なら、さらっとさり気なく言える。
「今日は楽しんでくれた?」
「はい、とっても」
「そう、ねぇこれからも、こうして一緒にいろんな事しない? 二人で」
「ああ、はい、いいですね」
って、あれ? あまりにもあっさりと。
でも相手は香澄だし、あまり深くは考えていないんだろうな。
だけどそれはそれで!
「それじゃあ喫茶店にでも寄ってく?」
これからいろんな事をするにあたって、とりあえず来週は何をするかを相談したい。
「はい」
香澄ちゃんって俺の提案にNOを言ったことないな。ひょっとして気を遣ってる?
「ああ、いえいえ、佐々森くんのお話はいつも刺激的で、私の知らないことばかりですから……」
……そうなんだ?
なら俺が経験していることを順に、知らないことも二人で一緒にやっていくか。
とにかく次の休みは映画かな。
「あ、あの……」
「はい?」
「その、い、色々と私のために尽くして下さる佐々森くんに、またお願いがあるんですが」
「なになに、もう本当に遠慮無くどうぞ」
「私を、あなたの恋人にしてもらえませんか?」
……。
「えっ?」
十分な間をおいて、俺は一言こぼして動きを止めた。
「あの、ダメですか?」
いや、ダメも何も、俺の方からどうやって、ちゃんと気持ちを伝えたらいいのか悩んでいたところだから……。
まさかこの香澄ちゃんから告白してもらえるなんて、思ってもいなかった。
香澄ちゃんは強く目を瞑って、俺の次の言葉を待っている。
いくらチキンでもここで首を縦に振るくらいは。
「えーっとあの、よろこんで」
「はぁあ、ありがとうございます、ありがとうございます」
俺は彼女のことをもっと知りたい。
今日も彼女をいっぱい知る事が出来た。重要な項目だ。
香澄ちゃんには直球ストレートのみ!
変化球もチェンジアップも使ってはダメだ。
直球って言うのは割と照れ臭いものだけど、男の努めとしてリードしていけるように頑張ろう。
俺が学校でももっと、彼女と仲良くしている姿を周りに見せれば、みんなの当たり方も変わるだろう。