第 70 夜 『思いを込めて!』
語り部 : 風見康成
お相手 : 浅宮萌美
盛立役 : 瀬下みさき
大貫鷹
小学四年生の頃、大好きな女の子に自分の気持ちを打ち明けたことがある。
その子は心から「嬉しい」と言ってくれた。
僕はずっとその気持ちを色褪せさせることなく、高校も彼女と同じ学校を選んで、見事二人とも合格した。
頑張って入った高校での生活は、唐突に真っ暗闇に包まれた気分に陥った。
彼女は同じクラスの野球部員と交際を始めた。
確かに俺は彼女に告白したことはある。
だけどよく考えてみれば、一度として彼女から好きだと言ってもらったことはない。
第 70 夜
『思いを込めて!』
いつの間にこんなに勉強が好きになったのかは覚えていない。
と言うかクラブに入る気にもならなかったので、放課後などに図書館に入り浸る癖ができてしまったのだ。
ここの静かな空間が落ち着くってのもあるけど、家にいるより勉強がはかどるので、時間いっぱいまで利用することにしている。
「あ、いたいた。風見くん」
「浅宮さん……」
同じクラスの浅宮萌美さんは学年でもトップクラスの優等生。
彼女は医学部を目指しているとかで、毎日勉学にいそしんでいる図書室の常連だ。
「なに?」
「うぅ~ん、強いて言えばあなたに会うのが目的だし、建前で言えば勉強見てもらおうかと」
普通そこは建前を先に言わないか? それよりも。
「浅宮さんくらい勉強できれば、俺が教える事なんてないでしょ?」
確かに全教科を合わせた試験結果なんかでは、俺の方が上だったりするけど、化学や数学なんかは彼女の方が成績がいい。
「ここの問題なんだけど」
進学科の共通問題集にある一問、数学の問題か、数学なら彼女の方が得意だろうに。
「ああ、これかぁ、俺も苦戦したんだけど……」
答えを見ればどこが問題の鍵となるか、彼女なら分かるんじゃあないかと思いながらも説明した。
「あ、そうかそうか、私ここに気付かなかったよ。なるほどね」
確かにこの問題のここがキモなのは間違いないけど……。
「浅宮さん、この問題って、自分で解けてたでしょ?」
「えっ、……えへへへへっ」
彼女のこの顔を、俺は真っ直ぐに見ることができない。
それは2ヶ月前のことだ。
その日は図書館を利用することができず、教室で勉強をしていた。
「あれ? 風見くん、何してるの?」
「うん、ああ浅宮さん? えーっと俺は勉強中。図書館のエアコンが壊れたとかで、業者が来てるからここで」
「ふぅん、勉強好きなの? 変わってるね」
「好きって言うんじゃあないよ。ただ他に取り柄とかないから、とりあえずね」
問題を解くことや、色んな事の知識を記憶するのは確かに面白い。
だけどそれで好きかどうかってなると、なんか違う気がするしな。
「風見くんってすごいよね。全教科全てで、80点以上だったもんね」
「それなら浅宮さんだって、100点満点取ってたじゃない」
「2教科だけだけどね」
「医者になりたいんだよね。将来」
「うん、家がそうだから、っていうお約束な理由でね」
だからって、しっかり勉強を続けているなんて大したもんだよ。
「一人で勉強って言うのも味気ないからさぁ。これからは一緒に勉強してもいいかな? 私も」
「それは構わないけど……」
「本当?」
確かに勉強していて、行き詰まってしまうと、誰かに聞きたくなるもんな。
彼女なら俺のペースで勉強もはかどるだろうし。
こうして二人だけの勉強会が始まった。
「ところで風見くんはなんでこんなに勉強してるの? 何かやりたいことでもあるの?」
「ないよ。そんなの。ただこの国の教育制度を考えたら、しておくに越したことはないから」
本当にそれだけなんだよな。なんて俺は薄っぺらいんだ。
“康成も新しい事を始めた方がいいよ。見聞を拡げるの”
みさきの声がフラッシュバックする。
“私、野球部に入るの。マネージャー! すっごい格好いい人がいるの。同じ1年生なのに、入部して直ぐにレギュラー入りしたんだよ。中学生の頃から活躍してたんだって”
あいつが憧れて追いかけたのは野球部期待の新人、大貫鷹。
1年の女子の間で話題のスター、そんなヤツ相手に挑んで見事射止めるあたり、さすがは俺が惚れた女ってもんだ。
結局あいつにとって、俺という存在がなんだったのか、思い返せば何も手応えのある思い出がない。
言葉だってもらったことがない。
だから俺にはフラれたという実感もないのだけれど、あの二人が付き合っているという噂だけは、事実なのだ。
「俺って無価値で無意味な人生送ってるやつなんだよ」
「そんなに自分を卑下しなくても……、これから何かを見つけられるんなら、それからでも遅くないよ。第一これだけ勉強できたら、何でもかんでも選り取り見取りだよ」
そう言うもんかな?
「ねぇねぇ。この後ちょっと寄り道しない?」
「寄り道? どこに?」
彼女が行きたがったのはアイスクリーム店。
頭を使うには甘い物をと言うことらしい。
アイスクリームなんて、スーパーマーケットで売ってるカップアイスしか買ったことない俺は、浅宮さんに全部任せて席を確保した。
しばらくして、買ってきてもらったアイスを受け取りかぶりつく。
「おお、意外とあっさり目でしつこくないな」
「気に入ってくれた?」
「うん、おいしいよ」
みさき以外の女の子とこんなところに来るなんて、なんかおかしな感じだけど、今までしたことのない事をできるのって、悪くない。
「あ、あのね。これからもこんな風に、二人で勉強して寄り道して、お休みの日に出かけたりってできないかな?」
急に口調が柔らかくなり、浅宮さんは頬を赤く染めながら、そんなことを言った。
「……浅宮さん、俺、他に好きな子が」
「瀬下さんでしょ? 有名だもん。知ってるよ」
入学当初からあいつにピッタリ突っついて回っていた俺は、割と早い頃から、校内でも注目される存在になっていた。
そこに追い打ちをかけてきたのは、みさきからの告白を教室で聞かされたこと。
好きな人ができたから、これからはあまり周りをうろついたりしないように。と言われたのだ。
「今でもやっぱり瀬下さんがいいの?」
「うん」
思わず即答してしまった。
今のは相手への配慮が、あまりにも欠落している。
心配して彼女の顔を見ると、なぜか満面の笑み。
「あ~あ、フラれたかぁ」
そう言って彼女は、自分のアイスの最後の一口を頬張った。
俺、彼女のことをフッちゃったんだよな。
ああ、でも俺、別に彼女からちゃんとした告白を受けたわけでもないし、分かりやすい言葉にしてもらったわけでもない。
女の子って皆、こんな風にはぐらかした言い方するんだろうか?
男の方からはっきりした意思表示しないから?
でもみさき相手には、ちゃんと告白もしたはずだぞ。
「おう、康成! 久しぶり」
「みさき?」
たぶんあいつと一緒なんだろうけど、帰り道は俺の方が最後まで一緒にいられるから。
だから野球部の練習が終わるまで、こうして図書室でねばってきたんだ。
普段は会いたくても会えないのに、他の女の子のこと考えている時に会うなんて。
「あれ? 一人なの?」
「ああ、うんそう、鷹くんは先輩と今度の練習試合の相手校への挨拶に行ったから」
「へぇ、そうなんだ……」
なんか久しぶりなのに話すことがない。と言うか気になることがあって、他の話題が浮かんでこない。
「なぁ、みさき、ちょっと聞きたいんだけど」
「なに?」
「お前って、俺のことどう思ってたんだ?」
あまり回りくどく言っても伝わらない虞がある。ここはストレートに。
「どうって、友達でしょ?」
そう、なんだ……。
「そりゃあね、いつも私の傍にいるから、もしかして私のこと気になってるのかなって、思ったこともあるよ」
なに?
「だけど、結局一度も告白も愛の言葉も言ってもらわないままだったから、高校に入ったんだし、彼氏くらいは欲しかったしね。でもあんたは私のこと友達としか見てないみたいだったから、どうせなら思い切ってハードルを高くしてみたんだよ」
それが実って、あいつとつき合うこととなったのか。
「って、あれ? 告白なら俺、したぞ。小学生の頃、覚えてないのか?」
「あんなの……、子供の頃のお友達宣言でしょ?」
えっ、えっ、そう言うものなのか?
「まぁ、あんな風に大きくなっても言ってくれてたら、コロッといってたと思うけどね」
つまりみさきにとって俺は、ずっとただの友達でしかなかったと言うことだったのか。
「も、もし今から告白したら?」
「え、なにそれ、ウケるぅ~。けどそうね、もし本気でも今さらだよね。今の私は幸せいっぱいだもん」
完全に終わった。俺の初恋。
でもそうか、物事はちゃんとはっきりと意思表示しないといけないのか。
俺は一人、図書館で勉強をしていた。
今日も委員会で遅くなっているけど、こうしていたら、直ぐに彼女が来るはずだ。
「風見君♪」
「ああ、浅宮さんお疲れ様」
「ありがとう。風紀委員会なんて、書類提出だけなんだし、毎日しなくてもいいのにね。それより、ねぇ、今日も甘い物食べに行かない?」
いいのか風紀委員……。しかしやっぱりこういうのって、ちゃんと伝わるように言わないといけないんだな。
「ねぇ、浅宮さん、ちょっと真剣な話があるんだけど」
「あっ……、もしかして私があなたを好きって言った事の返事?」
やっぱりそうか、他の男とつき合っている子を好きだって言ったからって、浅宮さんのことは考えられないなんて、答えではないということだ。
「俺、まだ君のことをどう思っているのかは分からない。こんないい加減な気持ちで一緒にいるのもどうかなと思うんだ」
「で、でもそれは……」
彼女は思い耽るように目を細める。
「だけど、……それでも、そんな中途半端な気持ちでもいいのなら、君ともっと親睦を深めたい」
よし言った。
「えーっと、つまりそれは、ちゃんと交際をしてもらえると言うことでいいのかな?」
ああ、やっぱりちゃんとは伝わっていない。これじゃあダメだって事だな。
「俺、君のことがたぶん好きだ。特別なつき合いをして欲しい。……これでいいかな?」
浅宮さんの動きが止まっている。もしかしてこれでもダメなのか?
間をおいてから、彼女は満面の笑みで気持ちを表現してくれた。
「ありがとう、嬉しいよ」
よし、伝わった。
これからも意思表示は的確に、ちゃんと伝わっているのかの確認も忘れずに。