第 54 夜 『天のざわめき』
語り部 : 千内羽音
お相手 : 板垣聡
盛立役 : 里中うらら
交際3年と11ヶ月、元々あまり感情を表に出さない彼だから、ここ数週間の異変も、いつもの事かと思っていた。
だけどここ数ヶ月の彼は、本当にいつもと違っていたんです。
第 54 夜
『天のざわめき』
「えっ、今度の市民祭で?」
「ああ、だから当分は部活に入り浸るから」
大学内にあって、クラブとして認定されている課外活動はさほどない。
彼は高校から始めた管楽器、トロンボーンを続けるために、高校の時と同様に吹奏楽部に所属した。
「と言う事なんで」
そう言って講義以外の時間、彼の姿を見なくなって数ヶ月。
部室棟に近づけば、数多くの管楽器がお腹に響く音を奏でている。
「高校生の間はいくら部活で忙しくても、ちゃんと遊んでくれたのになぁ」
ここのところはなんかマンネリ化していて、遊びに行くのもいつも同じところばかり、刺激なんてものからかけ離れて、どれくらい経つだろう?
「もしかして倦怠期ってやつかな?」
彼には歴とした理由があるけれど、私の相手をしている暇がないなんて言われては、少し不機嫌になってしまうのも致し方ないよね。
まぁ、私の相手をする暇はないとは言われてないけど。
「私もなにかした方がいいのかな?」
アルバイトでもしようかな? もうすぐ交際開始記念日だし。
今年はどんな事してお祝いしようかな?
去年は受験勉強が忙しくて何もしなかったから、久しぶりだからなぁ。
私たちの記念日は市民祭の一日後。
まさか今年もお祝い出来ないって事ないわよね?
日にちずらすのもヤだな。けどお祭りの翌日は疲れているかも?
一人でウィンドウショッピングしながらの帰り道、商店街の楽器店の前で知っている顔に出くわした。
確か吹奏楽部の2回生の先輩女史。
「こんにちは」
「こんにちは……、失礼ですけど、どこかでお会いしましたか?」
そうか、私の事を知らなくても不思議じゃあないか。
聡の隣に引っ付いていた時に、何度か会っただけだもんね。
「ああ、板垣くんの? う~ん、何となく覚えてるよ」
先輩は無理に思い出した風にして、話を合わせてくれた。
「毎日大変ですね。本番間近ですと?」
「まぁ、そうね。楽器鳴らすだけじゃあなくて、マーチングバンドを組んで、市内を練り歩くからね」
その練習は連日連夜に及んでいるんだから、そりゃあ大変だ。
「へっ? そんなに遅くまではやってないよ。板垣くんもみんなと一緒に終わってるから、そこまで遅くなってないはずだし、確か彼アルバイトしてるんだったかしら」
今の言葉が本当だとすれば、聡は私に嘘を吐いている事になる。
しかもその理由がアルバイト?
「も、もしかして知らなかったの? あぁえっと……」
まずい事をしたって顔してる。
「ああ、お気遣いなく、あいつが私に黙って何かしている時って、今はまだ言えないけどって時で、全て終われば、後からちゃんと説明してくれますから」
「本当に? よかったぁ、もしかしてこれで修羅場ったら、なんか悪いし、だけど本当に信じてるの? 後からする言い訳なんて」
人を気遣って見せたと思ったら、これだよ。
女ってどうして人のもめ事とかって、好きな人いるんだろう。
(こんな事でいちいち心配していたら、交際なんて上手くいかなくなるんじゃあありません?
上手く誤魔化す気なら、いくら勘ぐったって足掴ませないかもしれないし、
だったら騙されている方が気が楽だし、嘘なんて、いつまでも突き通せるもんでもないから、その時に考えても遅くはないでしょ?)
割り切った考えを持っていれば、変な勘ぐりもしなくて済むってもんですよ。
なんて……。
面と向かって人に言えない、ただの強がりだ。
彼を信用する事で、とりあえず自分は今すぐ傷つく事はないから、楽なんだって分かってる。
でもそうか、私に嘘を吐いて何かをしているのは確かなんだよな。
もしかして記念日のお祝いにサプライズを?
なんて考えて、その期待が裏切られた時のショックも大きくなるから、今のはなかった事にしよう。
でもそうでなければ、いったい何でアルバイトなんて?
「先輩、彼のアルバイト先って聞いてます?」
「なに? 乗り込んだりするの?」
「ああ、いえいえ、そうじゃなくって、彼が何をしているのか、少しでも知っておきたいだけですから」
それを言い訳ととらえた先輩は気持ち悪いくらいにニヤケながら悩んだ振りをして、結局最後は教えてくれた。
市電で二駅上った町で、宅配ピザの配達員をしているそうだ。
聡はバイク好きだもんね。正に転職なんじゃない?
「それじゃあ私はこの辺で、くれぐれも、私から聞いたって言わないでね」
あ、逃げた。
別に気にしなくても、私は何も言う気はないんだけどね。
「私もアルバイト、本気で考えてみようかな?」
市民祭は滞りなく終わった。
うちの吹奏楽部の晴れ姿は、なかなかのもんだった。
聡の颯爽と歩く姿に、久しぶりのトキメキを感じたのは、少し得した気分だった。
「お疲れさまぁ」
「おー、来てたのか?」
「だって、ここんところ全然会ってなかったから、こんな機会逃せないでしょ?」
「選考科目ほとんど一緒なんだから毎日顔会わせてただろ?」
「違うよぉ~、聡ったら授業中はずっと居眠っていたんだもん。顔は見てたけど、話なんてほとんどしてなかったでしょ」
こうして落ち着いてお話しするのなんて、本当に久し振りなんだから。
「本当によく寝てたもんねぇ。市民祭の練習とアルバイトで、毎日クタクタだったもんねぇ」
その反動で講義中に寝ていたんだろうけど、そんなに無理してたら体壊しかねないもんな。
「でもこれでしばらくはクラブの方は気にしなくてもいいから、もちょっとゆっくりできるかな。……って、何でお前、俺のアルバイトの事を知ってんだよ?」
えっ? あっちゃ~、思わず言っちゃってたよ。私がアルバイトの事を知っていたのを。
「ま、いいっか。知ってんなら話は早いや。ちょっと俺欲しい物があってさ。昨日までで目標金額に達したからね。そっちももう、今日行けば終わりなんだ」
欲しい物? 何が欲しいのか知らないけど、なんでそんなこと私に隠してやってたんだろう。
「聡が欲しい物って何?」
「えへへへっ、本当は明日の記念日に発表しようと思ってたんだけど……、やっぱり明日にしよう」
「えーっ、気になって眠れなくなるよ。美容に悪いんだよ。体壊しちゃうかもなんだよ」
「分かった分かった。それじゃあ後で見に行こうぜ」
市民祭が終わり、吹奏楽部はこの後打ち上げの予定だが、他の部員に少し遅れて行くからと言って、私の手を引く聡は、彼の家の方角へと向かっていった。
たどり着いたのは、彼の家の近くにある月極の駐車場。
ここに用があるって事は……。
「俺達、ここんところ、なんかいつも同じ事しかしてなかっただろ? そこでサプライズ! 中古しか買えなかったんだけど、ここの駐車料金は、学生の間は親父が出してくれるって言うから思い切って」
マンネリ化。
私が感じていた事を彼も考えてくれていた。
そしてその行動に幅を持たせるために、バイトまでして用意してくれたんだ。
かわいらしい軽自動車の前で記念撮影。
さて記念すべき初ドライブはどこにするかな。
私の記念日のプレゼントは決まった。
色々と労う為にも腕によりをかけてお弁当を用意しよう。
これからはマンネリだなんて言わない。
いつまでも二人、楽しい毎日が続くように、天のお星様にお願いしよう。