第 51 夜 『トリックダウト』
語り部 : 塩田かすみ
お相手 : 高宮隼人
盛立役 : 牧瀬光輝
伊尻聖子
最低のタイミング。
物事を進めるのに、一番大切なのはタイミングだと思う。
なのにあの男は、こっちの気分なんてお構いなしに……。
最悪の気分にさせてくれたあいつを、さてどうしてやろうか?
第 51 夜
『トリックダウト』
私はあの日、6年も付き合っていた彼から引導を渡された。
他に好きな女ができたですって!?
あの日までは何も変わらない、うぅうん、より一層の愛情を感じる毎日だったのに、なんでいきなりそうなったのか理解ができなかった。
失意のどん底にいた私の目の前に現れた男、牧瀬光輝!
あいつ私に対して、一夜にして闇の果てに追いやられた私に、愛の言葉を囁きやがった。
「君がフリーになるのを待っていたよ」
人の不幸を喜んでくれちゃって、もし本当に本気だったんだとしても、言い方ってもんがあるでしょうに!
「でもそうやって言ってくれる人がいるだけいいじゃない。私なんて事務だし、あんま趣味らしい物もないから出会いもないし、もういろんな合コンに参加したりして、大変なんだよ」
私だって事務だっての。
趣味どころか、合コンもあまり行ってないつうの。
牧瀬さんは我が社営業部のエース。
業績は毎月トップクラスで、あんな空気の読めない事をする人では無いはず。
フラれた例の彼は大学生の頃から付き合いだして、就職後も交際は続いて、彼は仕事を覚えて、順調に昇給して、きっと近いうちにプロポーズをしてくれるはず、とまで思っていた。
もう頭の中ぐちゃぐちゃだ。
彼の別れの言葉の重さよりも、牧瀬さんが何を考えているのかが、分からない事の方が落ち着かない。
あの絶縁宣言について、もっとジックリ考えたいのに、もう! イライラする。
気が気じゃなくても仕事はこなさないといけない。
悶々としながらの仕事は一分一秒が長く、思いっきり何かにぶつかりたい衝動にかられる。
「塩田さん」
「はい!?」
げっ、牧瀬!?
「な、なんですか牧瀬さん」
「あの資料見つかったかな? お客さんとの打ち合わせで使いたいからって、頼んでおいた」
「あ、はいこれです」
「ありがとう」
私の手から資料を受け取ると、さっさと事務所から出て行った。
なに、あの態度?
仕事中だから自制してるの?
でもせめて目配せくらいあってもいいんじゃあないの?
もしかして私、悪い夢でも見てたのかしら? それともからかわれた?
どうせなら彼からフラれた事の方が、夢ならいいのに。
長い就業時間もようやく終わり、今日は残業も無し。
楽しい週末のアフター5を迎えたというのに、今は全く楽しくない。
一緒に過ごす相手もいないし、真っ直ぐ帰ろう。
「お疲れ塩田さん」
「牧瀬さん……お疲れ様です」
「この後の予定ないでしょ? 伊尻さんとそう話してたし。だから俺とご飯行こう」
聖子にフラれちゃった仕事中の雑談をどこかで聞いていたんだな。
やっぱりあの悪夢は続いているんだ。
仕事終わって職場から離れて、一対一で声を掛けてきている。
セクハラではないって事か。ということは断るのもありだよね。
だけど断る前に。
「一体どういう事なんですか? だいたい何で牧瀬さんが、私が彼にフラれたことを知っていたんです?」
ずっと別れるのを待っていたみたいに言っていた。
それってもしかしてストーキングでもしていたって事だろうか?
「細かい事はいいじゃない。何が食べたい? 今日なら少しくらい無理言われても叶えてあげられるよ」
人の言う事に、聞く耳持ってないなこの人。
「それじゃあお寿司、カウンター越しに職人さんが握ってくれるところ」
こうなったら思いっきり贅沢してやる。
私は当てつけに、高級食材にばかり食らいつき、レジを見るのも怖いくらいに食べた。
先輩はイヤな顔一つ見せず、先に私を店外に出してから、お勘定を済ませた。
「ごちそうさまでした」
「うん、おいしかったよね」
先輩、巻物ばっかり食べてましたよ。私が贅沢しいている横で、当てつけとはいえ、すごく良心が痛みました。
「牧瀬さん、ちょっとだけ飲みに付き合ってもらっていいですか? 今度は私が出しますから」
「そうだね。それじゃあ焼き鳥でも、食べに行こうか?」
「先輩まだ食べ足りてなさそうですもんね」
「あ、やっぱりばれてた?」
最初のアプローチがおかしかったんだけど、牧瀬さんは紳士的で、気配りの仕方も心地いい。
私の財布を気遣って、入ったのは大衆焼き鳥店。
先ずはビールを頼んで、いきなりご飯系の注文をした。
やっぱりお腹いっぱいにはなってなかったみたいだ。
「ごめんなさい。牧瀬さんの告白が私的にとっても最悪だったから、今日は困らせてやろうと思って」
「こっちもごめんね。君が交際していた彼って、付き合い長かったんでしょ? その分ショックも大きいだろうって思って、それじゃあ俺としてはまずインパクト重視で売り込む事で、まず頭の中を俺一色にしようと思ってさ」
なるほどね、そう言う事なら完全に術中にはまった形になりますね。
女は傷心で弱っている時が押し時なんて、馬鹿げた持論を唱える男もいるって聞くけど、あまり人を見下さないで欲しい。
本気でそう思っている私だからこそ、完全に引っかかったという事だ。
話せば話すほど、先輩の人となりが見えてくる。
「私、本当に失礼な態度もいっぱい取っちゃたんですけど、牧瀬さんとはいい関係でいたいって思い始めています。もう一度仕切り直しって、お願い出来ますか?」
まだお付き合いをしていくと言う所まではいかなくても、これからもっとこの人の事を知りたい。
そしてそのうち気持ちも絆されるかもしれない。
それもいいかと思っている自分がいた。
「塩田さん、この後もう一件だけ付き合ってもらってもいいかな?」
「あ、はい」
牧瀬さんはここの支払いを割り勘にしてくれた。
食事兼だったので、自分の方が割合高かったからと言って。
場所を移すとして、歩いて向かったのは駅前。
「屋台ですか?」
「うん、ちょっと変わったお店でね。ファーストフードの屋台でスイーツなんかも出すんだよ」
ハンバーガーやホットドック、たこ焼きに鯛焼き、クレープやソフトクリームを扱っているとか。
開店して日数も経ってないと言う事だけど、飲み歩くサラリーマンやOLに割と人気なのだとか。
「へぇ……、あっ! 確かにお腹いっぱいでも、こう言うのなら入りますもんね」
「なんならビールとかも置いてるからね」
物珍しさだけではないだろう賑わいに、期待が高まる。
順番に並び、メニューを確認する。
ちょっとお酒も入って火照っているから、私は濃厚牛乳ソフトクリームでも頼もうかしら。
「いらっしゃい!」
順番が回ってきて、応対してくれる屋台のお店の人に見覚えが……。
「隼人!?」
その店員さんを見て驚いた私は、大きな声で、その店員の名前を呼んでしまった。
「かすみ……、それと牧瀬さん、あなた一体?」
高宮隼人、私をフッた男がなぜここに?
しかも牧瀬さんを知っている?
「もうすぐ閉店時間だよね。少し話そうか」
牧瀬さんはたこ焼きとビールを、私は予定通りソフトクリームを買って、屋台の閉店を待った。
「これはどういう事ですか? なんでかすみを連れてきたんです? 約束が違いますよ」
屋台に使っているミニバンの片づけもそこそこに、駆け寄ってきた隼人は私にではなく、まず牧瀬さんに詰め寄っていった。
「俺は元々こうするつもりで、君の話を聞いていたからね。苦情は受け付けるけど、先ずは落ち着いてくれないか」
少し落ち着けと言われて、隼人は店じまいを完全に終わらせるために、車に戻った。
「私も、早く聞きたいんですけど?」
「うーん、そうだな。それじゃあ先ず、俺と彼との接点からだよね」
牧瀬さんと隼人は、仕事で繋がっていた。
3年ほど前、私たちが社会人になった時の事、うちの会社と取引のあるお得意さんの更に取引先。
その取引先の新人の中に隼人はいて、その頃から牧瀬さんとの面識があったそうだ。
「彼は社会人になったものの、会社勤めっていうのが、あまり肌に合わなかったみたいでね。独立して何かお店をしたかったようなんだ」
そんな話聞いた事無い。
「彼はね、本当に君の事を大事に思っていてね。だから自分が冒険をする姿を見せて、心配かけるのもいやだったそうなんだ」
もしその事を正直に相談すれば、私を何らかの形で巻き込むかもしれない。
それでどうしたらいいのかを、牧瀬さんに相談していたそうだ。
「彼は自分に3年の期限を設けてね。その間に成功して屋台を軌道に乗せる、可能なら小さくてもいいから、自分のお店を持とうと頑張っているんだ」
その時成功を遂げていたら、もう一度私の前に現れて、元の鞘に収まりたいと考えていて、その間守ってくれる人として、牧瀬さんを選んだ。
「もしそれで、君が俺を選ぶ未来があったとしても、俺なら諦めもつくとか言ってさ」
「あいつ、そんな自分勝手な事を」
でもそれは自分のわがままを通すためと、私の事を思ってを、両立させるための苦肉の選択だったのだろう。
「君をこちらに向かわせて、他の虫が付かないように色々考えてね。だけど俺はやっぱり君たちは、一緒にやっていくべきだと思ってさ」
きっと私が少し牧瀬さんに傾き始めたから、それと屋台ならいつか自分でこの場にたどり着き、辺りを憚らずケンカを始めてしまわないように。
私、牧瀬さんの事を、本当にひどい色眼鏡で見ていたのに。
「牧瀬さん」
「やぁ高宮くん、片づいたかい?」
「ああ、はい」
「それじゃあ大体の概要は話しておいたし、後は二人での方がいいだろう。苦情は後日聞くから」
牧瀬さんはそう言って、駅のホームへと向かった。
「その、なんだ……」
「なんでこんな大事な事、黙ってやってたの?」
「だって、お前の性格じゃあ、俺の事を気にして、あれこれと面倒見ようとして、苦労しそうだったから。できたら不幸には巻き込みたくないから」
「私が幸せか不幸かなんて、隼人が分かるはずないでしょ。私はいつだって、あんたと一緒にいれば幸せでいられるのに、勝手に決めつけて結論付けて、あんなに人のいい牧瀬さんまで巻き込んで」
本当に最低で、一生忘れられない思い出ができた。
「じゃあ俺はどうすればいい?」
そんな事自分で決めてよ。……なんて、こういう人だからこうなっちゃんだもんね。
「そうね、罰として私と結婚しなさい。そうして二人で一緒に将来の事を考えていく事。でないと牧瀬さんに悪いでしょ?」
「分かった。本当にごめん。俺、頑張ってこの仕事絶対に成功させるから、サポートを頼むよ。そしていずれ牧瀬さんに、二人で結婚の報告に行けるように頑張ろう」
こうして最低のプロポーズは、最高の思い出となった。
今度お給料をもらったら、牧瀬さんにお寿司をご馳走しよう。
たぶん回るお寿司になると思うけど……。