第 31 夜 『あの空は遠く』
語り部 : 東屋鈴香
お相手 : 大宮洋一
盛立役 : 半田まどか
湯川朝美
前田齋
2年待って、ようやくこれからだと思っていたらまた3ヶ月。
3ヶ月なのならと待ってみれば、まだ2、3週間はと言う。
いい加減にしてよ!
……いったいどこまで信じて、いつまで待てばいいんだろう?
第 31 夜
『あの空は遠く』
会社が順調に右肩上がりなのはいいことだと思う。
成長するためには新体制に移行していくのも致し方ないこと。
新しい動きを見守るために、まとめる役割が必要なのも分かるよ。
「だからって、2年も3年も私のこと放ったらかしにしないでよ」
会社の海外工場立ち上げの責任者となった彼は、2年間、全ての準備を整える現場リーダーとして出向し、帰ってきたかと思えばまた一月後、起ち上げの最終調整ということで3ヶ月の出張。
その3ヶ月も昨日で終わるはずだった。
彼の帰りを首を長くして待っていたのに、電話で2、3週間延びることになったって連絡があった。
「こんなこと、もしかしたらずっと続くのかなぁ?」
「でもこれで出世できるんでしょ? ならちょっとくらい待ってもいいんじゃない?」
「まどかぁ、人事だと思って」
「人事じゃないよ。自分が同じ立場だったら、彼の事を応援するって」
自分が同じ立場になったらなんて、それを言っている時点で人事なんだって。
「分かった分かった。それっじゃあ鈴香、この後ね朝美と飲みに行くんだけど一緒にどう?」
「……うん、行く」
ちょっと愚痴をこぼしちゃったけど、もう少しすれば帰ってくるんだもん。
……もし、もしもこれ以上延びるようなことがあったら、どうなるか分からないからね。洋一!
信じられない光景だった。
別に私を慰めるために開いてくれた飲み会な訳じゃないから、こういう展開を想定していなかった、私が浅はかだったのかもしれないけど、なんでいきなり合コンになるかなぁ?
朝美が待っているバーに行った私たちは、彼女と、彼女が連れてきた男性3人と合流した。
まどかが私の仕事帰りを捕まえに来たのは、この為の人数合わせだったことを、この時に知った。
女3人横に並んだ真ん中に座った私は、テーブルの下で両端の友人の太ももを脛っておいた。
「どうかした?」
「いえ、何でも……」
ドリンクと食事が並んで、合コンはスタートした。
私は直ぐに右端に席を移して、一人で料理をつつきながらチビチビワインを飲んでいた。
目の前に座った男性が、熱心に私に声を掛けてくれるけど、私は社交辞令を返すばかりで、全く話に耳が傾かない。
彼は健康器具メーカーの営業マンであるらしい。
私との年齢差は4歳、現在係長職に就いていて、成績も上々だとか。
他にも趣味だったり好きな物だったりの話をしてたんだけど、本当に興味ないわ。
まどかと朝美は割と熱心に、他の二人の相手をしているけど、どうやら私の前にいる人は、どちらかというとオマケくらいにしか思っていないみたい。
お呼びでない彼は必死に私に自分をアピールしてくるけど、全くもって無駄な努力だ。と思ってたんだけど。
「君のような魅力的な人を長い間放ったらかしにして、平気だなんて信じられないね」
矛先が洋一の事に向けられて、私の耳は仕事を再開した。
「仕事も大事だけど、もっと大事なものに気付かずにいるなんて、どうかしてるね」
それはいつも私がグチグチと言っているのと同じだった。
ちゃんと理解しているだけに耳が痛い。
この人はたぶん自分をアピールしたいだけなんだろうけど、本当にイライラする。
「僕なら大切な人の側にいられるように、できる限りの努力を惜しまないけどね」
「洋一だってそうしてくれてるわよ」
こんな下らない事しか言えない人の言葉なんて、黙って無視しておけばいいのに、お前はそんなことも分かっていなかったのか! と言われているみたいで凄く辛かった。
「鈴香? ちょっと落ち着いて」
まどかが私をなだめようとしてくれる。
朝美と他の二人も黙って、こっちの様子を覗っている。
意外と脳は冷静に現状を把握しているようだ。なのに。
「あの人が今も頑張っているのは私の為よ。少しくらい帰ってくるのが遅くなったからって、彼に努力が足りないってことにはならない」
それは自分に言い聞かせるようにこぼれ落ちた。
「そ、そんなの分からないじゃないか。そいつだってもしかしたら、出先で楽しんでるんじゃないのか? それで帰ってこれなくなって」
「おい、前田! 止めろお前、それは言い過ぎだぞ」
本当になんなのよ、こいつの言うこと、全部私が不満に思っていることばっかりじゃないのよ。
私は怒りの矛先をどこに向けていいのか分からず、ストレスはドンドンと溜まっていく。
「ごちそうさま、雰囲気壊してごめんなさい」
言葉と感情が正反対の謝罪をして店を出る。
まどかと朝美が追いかけてきてくれて、私は二人を伴って焼き鳥の暖簾がかかった飲み屋さんに入った。
怒りは納まらず、私は色んなお酒を飲んだ。
「あの男、何も知らないくせに、空気も読めないくせに」
最初はあの前田ってのの悪口ばかり、お酒が進むに連れ、矛先は洋一へと向かっていく。
「いつまで待たせれば気が済むのよ、あのヤロー」
いけない、前後左右が定かでなくなってきている。
さすがにこれ以上は不味いと判断した二人に、引きずられるようにお店から出てきた私は、タクシーに乗せられた。
まどかが私の住むマンションまで付き添ってくれたが、マンションの前まで着いたところで、一人で降ろされて、彼女は帰っていった。
「後はお任せします」
彼女は走り去る前に、誰かに向かってそんなことを言っていたけど、いったい誰に?
「随分と飲んできたんだな」
「……洋一?」
何かの間違いだろうか?
日本にいるはずのない大宮洋一が目の前に立っているように見える。
私そんなに酔っちゃってるのかな?
「驚かそうとして、黙って帰ってきたのが失敗だったな。鈴香だいじょうぶか?」
鮮明なのは姿だけじゃない、声も間違えようもない洋一のものだ。
「あ、あんたいつ?」
「空港に着いたのは夕方5時くらい、こっちには7時くらいかな? もしかしたら仕事中かもと思って電話しなかったんだけど、9時回ってから電話入れたんだけど、全然出ないから、出直そうかとも思ったんだけど、何となく待っていたらこの時間だよ」
この説明口調なしゃべり方、間違いなく洋一そのものだ。
「ただいま、遅くなってごめん」
私は嬉しいのか、悲しいのか、怒りたいのか、泣きたいのか、安心したのか、疲れたのか、目の前が急にグルグル回り出して、意識はそこでとぎれた。
うっすらと空も明るくなっている。もう明け方か?
私は自分の部屋の自分のベッドに寝ていた。何も身につけていない。
隣にはまだ眠っている洋一、彼の体温を肌に感じる。夢じゃない。
私は彼の鼻を摘んだ。
「ふが……、お、おはよう。もう酒は抜けてるか?」
「まだボーとする。あなたは本物?」
「はは、そうだな。俺が正真正銘の大宮洋一でないのなら、いまここで東屋鈴香の部屋のベッドにいるヤツは、即行で通報されていると思うけどな」
本当、この回りくどい言い方は、間違いなく私がよく知っている洋一だ。
「……何も聞かないの? あんなに飲んでた理由」
「いや、だいたいの察しは付くし、そうなると俺がとやかく言えることでもないし。っていうか、やっぱり俺が原因だろ?」
洋一の大きな手が私の頭を撫でてくれる。まるで子供扱いだ。
「仕事の方は上手くいったの?」
「ああ、予定よりちょっと延びたけど、新任の責任者への引き継ぎも、新工場のラインの稼働の確認も全部終わった。それでこれお土産」
お土産? この状況で。
「喜んで欲しいな」
彼が出したのは紙切れ、何か小さい字で書いてある。
「上記の者 本日付で本社製造部 品質管理課 課長に任命する」
上記の者って言うのは洋一、本日付と言うのは昨日のことって言うとつまり。
「とりあえずは日本で仕事をする。短期出張はあると思うけど、もう長いこと行く必要はないみたいなんだ」
先のことは分からないけど、しばらくの間は一緒にいられると洋一は言う。
「信じていいの?」
「大丈夫だよ。うちの会社は特に世帯持ちは優遇してくれるから」
「えっ?」
「結婚してくれないか?」
私、まだ酔いが覚めていないのかな?
「返事はOKだと信じて、もう一つのお土産は先に渡してあるから」
そう言われて私は自分の左手を見る。薬指に指輪がはめられていた。
「こんな格好でプロポーズなんてするもんじゃないのかもしれないけど、ちょっとしたサプライズにと思ってね」
返事の代わりに私は彼にキスを送る。
暫くすればこの部屋も引き払うことになるだろう。
でもそうだな。この部屋があるうちにまどかと朝美を呼んで、気持ちよく飲み直したいな。