第 22 夜 『トライミーティング』
語り部 : 大倉天馬
お相手 : 犬飼葵
盛立役 : 犬飼翠
大倉唯
マンション住まいの俺んちは、俺と妹と両親の4人家族、ただ高校2年生の俺に対して、妹はまだ小学3年生、だから子供の頃は一人っ子のように1人遊びが当然。
だったわけではなく、俺はお隣の姉妹とまるで兄姉のようにして育った。
最近では現役合格を果たした大学1年生の犬飼翠と、高校二年生の大倉天馬こと俺、今年高校生になったばかりの犬飼葵と、俺の妹の大倉唯の4人で出かけることが多くなったが、昔はもちろんずっと3人で遊んでいた。
第 22 夜
『トライミーティング』
「葵! ミド姉が彼氏作ったって本当か!?」
「……天馬ちゃん、部屋に入る時はノックぐらいしてよ。着替えてるところだったらどうする気? お嫁にもらってくれるの?」
冷ややかな視線で、俺の無礼を指摘する葵は、くつろぎモードでベッドの上に横になって、本を読んでいた。
「それは悪かったよ。それより本当なのか?」
「誰に聞いてきたか知らないけど、情報古すぎるよ。お姉ちゃんは彼氏と別れたばっかりなの」
「別れた? あれ? いつからいつまで付き合ってたって?」
葵の勉強机の椅子に座り、詳しく聞いてみる。
「ああ、そうか、と言うことはミド姉は今フリーって事だな。ならいいんだ」
「何がいいのよ。そんなこと言って、お姉ちゃんに彼氏できるたびに大騒ぎして、その度に私のところに飛び込んできてさ」
「まぁ、そう言うなよ。こんなこと葵にしか聴いてもらえないんだからさ、それより今日ミド姉は?」
「知らないわよ。大学生だもの、今までとは生活も変わっちゃったし、お父さんもお母さんも、あんまり五月蝿く言わないし、結構遅い日もあるよ」
そうなんだよな。だから最近あんまり会うこともできなくて、俺はそれもあって、焦ってたりするんだけど。
これはやっぱりちゃんと告白して、正式に彼氏として側に近づかないといけないよな。
「葵、俺今度こそミド姉に告白したいんだ。協力してくれよ」
「またぁ、て言うか何度目よ。こうして練習ばっかりして、本番迎えなきゃ意味無いのに」
それを言われると辛いんだけど、何もしないでいるのも、また辛いんだよ。
「頼むよ」
「じゃあ今日は、お姉ちゃんじゃなくて、私に向かって言ってみてよ。お姉ちゃんじゃない私に言うのもいいけど、私に対して私向けの言葉を口にして、緊張感を持ってみるの」
なるほど、今までは葵の顔を見ながらミド姉を意識していたけど、それってなんだかんだ言っても、本人に言っていないから、告白の緊張感って言うのを体験していることにならないのかもな。
「それじゃあ……」
俺は椅子から立ち、葵の座っている彼女のベッドに移動する。
姉妹だけあって、顔立ちは本当によく似ている。だけど小さい頃からずっと見てきたその顔は、見間違えようもない葵の物。
「葵……」
今まで何度となく練習と銘打って見つめた瞳、けれど今まで一度として触れたことなどなかった彼女の両肩に、俺は自然に手を置いていた。
「天馬ちゃん?」
緊張が高まる。
今までの本番を想定した戯れ言ではない、生まれて初めての体験。
「俺、本当は葵のこと……」
「……ま、待って! やっぱり止めよう。ごめんね」
ああ、そうか、俺がこれだけ緊張するってことは、もしかして葵も。
「サ、サンキューな。まぁなんだ、こんだけ協力してもらったんだし、マジ今度こそキメなきゃな」
「うん、そうだね。お、女の子の部屋に飛び込んできて、人の読書を遮るくらいのことしちゃったんだからね」
「読書ってお前、読んでたのマンガだろ?」
「マンガだって本だもん、読書に違いないでしょ!」
「面白い?」
「読んだら貸してあげる」
それから晩飯の時間までのしばらくの間。俺は葵の部屋で過ごした。
部活を終えた帰り道、買い物があって商店街までやってきた。
そこでミド姉を見かけて、俺は思わず走り寄った。
だけどそれは所謂修羅場だった。
相手は男、人目をはばからず怒鳴り散らすミド姉の言葉は、耳を塞ぎたくなる物だった。
昨日あった姉さんは、いつもと変わりない笑顔を俺に向けてくれていたのに。
「もういいだろ? 俺行くところあるから」
相手の男は号泣する姉さんを置き去りにして消えた。
事の一部始終を見ていた町行く人々も、何もなかったように、足早に去っていく。
だけど俺は黙って知らないフリもできず、でもすぐに何かをすることもできなかった。
俺は直ぐに姉さんの元に歩み寄ることなく、力なく歩き出す後を黙ってついて行った。
「天馬、もういいわよ」
川辺の散策道に出た辺りで少し落ち着いたのか、涙も拭った俺がよく知る笑顔を見せてくれる、いつものミド姉がいた。
「変なとこ見られちゃったね」
「あの人、別れたって言う彼氏?」
「うーん、別れたって言うより、フラれたって言う方が的確ね」
いつも笑顔で優しいミド姉を袖に振るなんて、一体何様だよ。
「四股されていたって……」
「本当に恥ずかしい、逆上してあんなところで大声で、でもね。お陰ですごくスッキリしたんだよ」
俺はあんな姉さんを見たことなかった。こんなに長いこと一緒にいるのに一度もなかった。
「なんて顔してるのよ。あんたが騙されてた訳じゃないでしょ。……さっきはね、決定的な言葉を聞かされて爆発しちゃったけど、ずっと前から噂は聞いていたの。だからそんなにショックを受けた訳じゃないから」
「俺だったらミド姉を泣かせるようなことしないよ」
「そうね、あんたならきっと大事にしてくれるんだろうね」
いつものミド姉、そういつものだ。
俺を本当の弟として大切に思っていてくれる目。
「姉さん、いや翠さん、俺、本気なんだ」
「天馬、ダメだよ、傷心の女にそんなこと簡単に言っちゃあ、違うって解ってても、ぐらついちゃうから」
俺は本気をぶつけたんだ。その言葉に嘘や偽りは微塵も含んでいない。
けど姉さんは一切取り合ってくれない。
「ありがとう、ちゃんと伝わったから天馬の気持ち。でもね、あんたが本当は誰を好きなのかも知ってるから」
そうだ、俺はミド姉が大事で、大好きで、姉さんを泣かせるヤツは絶対に許せない。
でもそれは弟としてなんだ。姉さんはそれをよく知っている。
「姉さん、俺……」
「ちょっと待って、携帯」
ミド姉の携帯電話が鳴って助けられた。
何を言っていいのか分からないまま、マヌケに口を開いていたから。
電話の相手は葵だった。
葵の友達が、ミド姉が泣き喚いていたのを目撃して、心配して電話をくれたらしい。
行く当てもないまま探し回っていたそうなんだけど、見つけることができなくて電話をしてきた。
先に電話すればいいのに、その辺が葵らしい。
「うん、そう、川辺の散策道、蹈鞴橋の辺りにいるよ。でも大丈夫、天馬が慰めてくれたから、うん、そうだなぁ……、葵こっち来る? 私はもう帰るけど、天馬が話があるって」
電話は切られた。俺から葵に話って……。
「以前一度だけ、二人だけで遊びに行ったこと覚えてる?」
「うん、葵が熱出して行けなかったから、二人で映画に行った」
「あの時、あの子38度も熱出ちゃったじゃない? 天馬ったら映画の内容全く頭に入いんなくって、終わった途端にお見舞いのデザート買って走って帰ったよね」
高熱が出たのは前日で、その日の朝にはほとんど微熱だったけど、用心して寝ていることになった。
それは映画の前に聞かされていたけど、俺はもう心配で遊びどころじゃなかった。
「本当言うとね、私もちょっとは天馬のこと、男の子として見てたこともあったんだよ。だけど、あの時だけじゃなく、あんたは私より葵のことを、いつも気にかけてたよね」
「それはやっぱり葵は年下だし」
「天馬!」
俺の初恋の人は間違いなく翠姉さんだ。それは間違いない。
だけど中学生になって、女らしさが見え隠れするようになった葵を前に、ミド姉には感じることのなかったドキドキがあったのを、今も覚えている。
「運命の人を手にするのが妹の方が先って言うのは、ちょっとシャクだけど、あんたにならあの子を任せられるって、分かってるから。それじゃあ先に帰るね」
葵が息を切らせて走ってくる。
ミド姉は先に葵の元に行き、一言二言交わして本当に帰っていった。
「葵……」
「お姉ちゃん、本当に平気そうだった。ありがとう天馬ちゃん」
髪を乱して、汗だくになってるよ。
「天馬ちゃん、お姉ちゃんが言ってたのって? 話があるって」
そんなこと言っちゃってたな。さて何の話をしようか。
このお膳立てで何も言わないのって、このままいつまでもぬるま湯のまんまになってしまいそうだし。
「ああ、あのな、葵にお願いがあってさ」
「なに?」
「ああ、うん、……俺マジ告白したくってさ。その、練習に付き合ってもらっていいかな?」
「えー、またなの? しかもこんなところで?」
まぁそうなるよな。
「ああ、俺が告白したい人の名前で呼ぶから合わせて欲しいんだ」
「それじゃあ私はまたお姉ちゃんの役すればいいのね」
今まで味わったこともない緊張感、しっかりしろ俺。
「俺、実はずっとお前のことが好きだった。今まで自分の気持ちも誤魔化してきたけど、本当の事を言う。好きなんだ葵」
「えっ?」
そうさ、俺はずっとお前のことが好きで、お前と一緒にいたくて姉さんを追いかけているフリをしていたんだ。
もう誤魔化したりしたくない。
姉さんが背中を押してくれたから、本当の自分を引っ張り出すことができたから。
「俺と付き合ってくれないか?」
「……、そう、だったんだ。ふーん、……あれなんでだろう?」
「葵?」
「嬉しいのに涙が出てきちゃう。ずっと言って欲しかったこと、言ってもらえたからかな?」
髪を乱して、汗だくになって、涙でグショグショになって。
「今まで嫌な思いさせていたんだな。姉さんのことばっかり言って、ごめんな」
「うぅうん、うぅうん」
涙にむせぶ葵が落ち着くまで、もう少し時間がかかりそうだ。
俺達は近くの公園に行き、腰を下ろした。
普段からハンカチやティッシュも持ち歩いていないことを悔やみながら、手櫛でできるだけ優しく髪をなで下ろしてやる。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
「何か俺、今日一日で5年は老けた気分だよ。心臓バクバク言っちゃって」
「えー、練習でそんなんなって、どうするの?」
落ち着きを取り戻した葵は、俺がよく知っている元気な女の子に戻っていた。
「本番の告白、楽しみに待ってるからね」
「お、おい!? それはシチュエーションとして言ったことでだな、今日のが……」
「た・の・し・み・に! 待ってるからね」
星が瞬き始める空の下、俺はどんな言葉のチョイスが、今日以上のフレーズになるのかを考え始めていた。