第 18 夜 『ヒーローになる時』
語り部 : 牧島詩織
お相手 : 水島裕一
盛立役 : 木津瀬清子
小さい頃、私には正義の味方が側にいました。
呼べば現れる私だけのヒーロー、子供心に本気で大きくなったらこの人のお嫁さんになると思ってました。
だけどある日、あの時、私のヒーローは姿を消してしまいました。
第 18 夜
『ヒーローになる時』
昔はこうじゃなかったのにな。
「ほら、バス来ちゃうよ。ゆっくりしてると遅刻しちゃうよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと時間見てるから」
「バスは電車ほどダイヤも正確じゃないんだから、早めに着かなきゃでしょ」
同じ高校に入ったご近所さんのよしみで、毎朝呼びに行ってやってるけど、なんか無気力なこいつは毎朝毎朝ダラダラと、遅刻したらどうするのよ。
「よかった、まだ3つ前の停留所だね」
「だから大丈夫だって言っただろ」
「はいはい」
なんか毎朝同じ事言ってる気がする。
気は合ってるから、日常会話もそれなりに楽しいし、趣味も割と近いから聞いている曲とか、見ている番組とかも結構被っているので、話題にも事欠かない。
考えてみたら、一緒にいる時間が長いんだよね。何するにもこいつは私に付いてくるから、女友達だけで何かするって時以外は、ほとんど側にいる感じだ。
「来た」
「今日も混んでそうだな」
通勤通学に使う人の多い路線のバスだから、この時間帯はほとんど乗車率120%を越えている。
私たちは中程から少し後ろくらいに立つ。
本当に混み混みだ。
後ろにちょっと恰幅のいいおじさんが立ってるから、余計そう感じるかな。
毎日毎日こんな中を30分我慢しないといけないんだけど、中学の頃の友達の中には、通学に1時間半くらいかかる子もいるしな、まだマシな方なのかな?
でも30分って言っても、その間もずっと、私はこいつとお喋りしながらだから、あんまり長いとは感じないけどね。
「そうそう、昨日のあれ、ムチャぶりもいいところだよね」
でも本当に今日はいつにもまして混んでるな、バスが揺れる度に、隣や後ろに立っている人に寄りかかっちゃう。
それに周りの人の手とか肩が当たってくる。
「ん?」
なんか腰の辺りやお尻の辺りがモゾモゾする。
なんだかゴワゴワしていて、ウネウネした物の動き。
これって、手? って、痴漢!?
うそ、ヤダ、混み合っていることをいいことに、不躾な手が私の下腹部を中心に這い回る。
「ちょ、裕一……」
声を出そうと思っても出せない。こういう時って、体が強ばるのってやっぱりあるんだ。
曲がりなりにも男の子と一緒にいるからか、こんな体験はしたことがなかった。やだ、怖い、気持ち悪い!
助けて裕ちゃん……。
私はその昔、困ったことがあれば、どこからともなく飛んできてくれた、私のヒーローを心の中で呼んでいた。
「お、おい君、大丈夫か!?」
私の隣でドタンという音がして、知らない男の人の声のする方を見る。
「な、裕一、何してんのあんた」
隣でヌボーっと突っ立っていたはずのヤツが、この混雑の中、人を巻き込んですっころんでいた。
裕一にシャツを捕まれて、一緒に転んでしまったのは、私の後ろにいたメタボ気味のオジサン。
「……」
裕一は男性に何か耳打ちをしている。謝っているのかな?
男性は顔色を変えている。
あまりに突然のことに驚いてしまったんだろう。気の毒に。
「ほら、手! つかまんな」
私は右手を差し出して、裕一を引き起こした。
オジサンの方は自分で立ち上がり、私が「ご迷惑おかけしました」って言ったら、「い、いや、大丈夫」って、そっぽを向いてボソボソとそう言った。
バスは学校の前で停まり、ようやく混雑から解放された。
「まったく、格好の悪い。なに? 朝ご飯食べてないの? 貧血?」
「まぁ、そんなところだ」
「もう、朝ご飯はちゃんと食べなきゃダメって、いつも言ってるでしょ。今日裕一のクラス午前中に体育あるでしょ、大丈夫なの?」
「うん、まぁ平気だよ。そんじゃあ、また放課後にな」
裕一はヒラヒラと、手を頭の上で振りながら、ウチのクラスの一つ上の階にある、自分の教室へと向かっていった。
3時限目は家庭科、今日はパンケーキを焼くことになっている。
家庭科教室からはグランドがよく見える。
体育の授業、裕一のクラスの男子は、今日はサッカーをしている。
「ホントにあいつ大丈夫かな? 朝ご飯抜いてサッカーなんて」
作業の最中だけど、ちょっと気になって下をのぞき込む。
「詩織……? なぁ~に見てんの?」
「ああ、清子、うん、ちょっとね」
同じ班の木津瀬清子に声を掛けられる。
彼女は私の視線を追って、グランドを走り回る裕一達に気付いて納得する。
「なんだ、やっぱり旦那か。水島くんって、背も高くてスタイル良くて、格好良いよね」
「裕一が、そっかな?つか旦那じゃないし……」
まぁ見てくれはいいとは思うけど。
「水島くん、他の学年の子にも人気あるんだよ。スポーツ万能なのに、どこのクラブにも入んないの、勿体ないよね」
確かに運動神経はいいんだよね。
なのに今朝のバスでのあれは、やっぱり格好悪いよね。
それにしても貧血で倒れる位なのに、よく走るなあいつ、本当に大活躍。
「牧島さん、いつまでもさぼってないでぇ」
「はいはぁ~い」
まっ、一食抜いたくらいで死んじゃうわけでなし、私がここで気にしてたってしょうがないか。
「裕一ぃ、帰るよう」
勝手に帰ると怒るから、しょうがなく教室まで迎えに行ってやる。
一体いつからこんな寝てるのか、机に突っ伏して、イビキまでかいてる裕一をたたき起こす。
「まったく、私たち別につき合ってるわけでも何でもないんだからね。あんまり世話やかせないでよね」
恋心を抱いたことがないかと言えばウソになる。
でも昔のようにいつでも一緒が当たり前って思いが、今はないのも本当。
子供の頃のようにいつもシャンとした男の子だったら、きっと誰にも渡したくない。って想っていたと思う。けど。
「ほーら、起きて起きて、帰りますよぉ」
「お前は俺の母親か、ちゃんと起きてるよ。ガキ扱いすんな」
いつも世話焼かせるくせに、よく言うわ。
私たちは並んでグランドを横切り、正門へ向かう。
「おーい、水島ぁ!」
「あーん?」
「次の試合、助っ人で出てくれよ」
クラブにも入らずのらりくらりしているスポーツ少年は、こうしてよく助っ人のお声がかかる。そしてこいつはいつも。
「お前、応援来る?」
「何で私が!?」
「わりぃー、パスするわ」
って、私の所為にして尽く断るんだよね。
「あんた、やりたいスポーツとかないの?」
「これって言うのはないなぁ。何をやっても面白いからな」
結局やる気ないんだよね。
学校を後にして、すぐにバスには乗らず商店街の方へ。
毎月買っているファッション誌を買いに本屋さんへ、と足を向けたその時。
「お願いします。もういい加減にしてください」
女の子の大きな声が聞こえた。
「いいじゃん、どうせ予定とかないんでしょ。一緒に遊ぼうぜ」
男二人が女の子二人を挟むように立って、ナンパをしている。
どうやら女の子たちは困っている様子なんだけど、辺りの人たちは見て見ぬ振りをしている。
「ちょっと裕一、助けてやろうよ」
口ぶりから言って、ずいぶん困っているみたいだし、裕一ならあんなヒョロッとしたチャラ男二人くらい、どうって事ないはずだ。
「止めとけよ。こう言うのは当事者間の話だろ。交番も近くにあるんだし、直ぐに通報受けて、警官が走ってくるよ」
本気なの?
普段は態を潜めていても、いざとなれば昔のようにヒーローになってくれる。
どこかに淡い期待を抱いていたんだろう。
それを簡単に裏切られて、私はちょっと感情的になってしまって。
「ちょっと、あんた達!?」
後先考えず、ナンパヤローどもに向かっていた。
「なんだ、こいつ?」
「お、可愛いじゃん、なに、あんたも俺達と一緒に遊びたいの?」
なんとも頭の悪そうな台詞を吐き、男達が標的を私に変更してくる。
その隙を見て逃げ出す女の子たち、これでまずは一安心だ。
「あ、このヤロぉ、二人逃げちまったじゃないか、こうなったらお前に二人分相手してもらうからな」
そう言って、私の腕を掴んでくる。
見た目よりも強い力で捕まれた二の腕を、振り払うことができない。
「わるいねぇ、うちの連れが失礼して」
「裕一……」
「ほら、帰るぞ」
引きずって行かれそうになるのを、裕一が止めてくれた。
「なんだお前、男に用はねぇんだよ。それともこいつの代わりに女を二人用意してくれるのか?」
私を掴んでいた手を放し、男は拳を裕一目掛けて叩きつけた。
伸びてくる男の右手首を掴み受け止める。動体視力いいもんね。
「なっ!? 放せこら!!」
「こいつ!」
もう一人が殴りかかるも、手首を掴んだ男を振り回して、同士討ちにさせる。
「いってぇ~、このままじゃすまさねぇぞ」
「なぁ、いい加減この辺で終わりにしないか? 俺はこいつのことを解放してくれたら、あんたらがどこでナンパしてようと別に構わないんだからさ」
「ってえ! なんて握力してんだ。このヤロ!! いってー、わ、分かった。分かったから放してくれ」
本当に痛かったんだろうな。放された手首を擦っている。
男達は捨てぜりふを忘れることなく吐いて、どこかに行ってしまった。
「まったく、あんまり変なことに首突っ込むな。あの子達はいつもナンパ待ちしてる子達で、いつもそこに立って男漁りしてんだからさ」
「そんなの、なんであんたが知ってんのよ」
「いつも同じところに、いつもの時間に立ってんだ。こんなところでそんな事してんのは、ナンパ待ちだからだよ」
そうだったんだ。私本当に気付かなかった。
「本当にヒヤヒヤさせないでくれよ。ったく、痴漢にあっても何も言えないくせに」
「えっ?」
「ああっと、本屋だったよな。早く行こうぜ」
痴漢のこと、知ってたんだ?
もしかしてあの場で転んで見せたのって……。
あの日あの時いなくなった私だけのヒーローは、私に見えないようにして、ずっと側にいてくれた。
あの日、いつものように近所のガキ大将に泣かされていた私の元に駆けつけた裕ちゃんは、ガキ大将と取っ組み合いのケンカを始めた。
ケンカはどんどん激しくなってきて、思わず止めに入った私は巻き込まれてケガをした。
それを悔やんだ裕ちゃんは、暴力を振るうのを止めた。
飛んできてくれなくなって、私には見えなくなっていたけど、ヒーローはいつでも側にいてくれたんだ。
「ねぇ、裕一」
「あん?」
「クラブに入らないのって、私のため?」
今までそんなことにも気付かなかったことが恥ずかしい。
「違うよ。俺がやりたいことをやるのに、部活には入れないだけだよ」
今度助っ人頼まれた時は、応援に行くからって言おうかな? 裕一がスポーツの汗を流す姿を見てみたい。
現金な私の心は、一気に乙女モード全開で、今後裕一とどんな事をしようかという、未来を描き妄想を始めていた。