第 17 夜 『すてい at home』
語り部 : 関西真人
お相手 : 城之内美保
人気アーティスト『SUTERA』の、新作限定CDを買うつもりだった金をうっかり使ってしまい、初回特典版DVDを手に入れようと思っていたのに、本当に残念だ。
「それなら持ってるよ」
交際4ヶ月目の彼女が、「見たい?」と聞いてくれたので、即答で「CDと一緒に貸して」と言った。
今から彼女の家に取りに行く。
何だろう、ちょっと上機嫌に思える彼女の鼻歌が、耳に心地良い。
それあの新曲?
第 17 夜
『すてい at home』
彼女の鼻歌は続いた。
俺がまだ聞いたことがないと知って、『SUTERA』の新曲を謳ってくれたのだ。
まだ歌詞を覚えていないというのが残念だけど、やっぱりいいな。早く聞きたい。
「ただいまぁ」
「おじゃましまぁ~す」
あれ? 専業主婦だって聞いている彼女のお母さんの声が、聞こえてこない。
「美保さん? お母さん今日は?」
「う~ん? いないよう。同窓会でお泊まりなの。お父さんはいつも日が変わる前だし、お姉ちゃんも大学のサークルで旅行に行ってるし、今日は家には誰もいなぁ~い」
そうなんだ? なんだろう、一気にドキドキしてきたぞ。
玄関でCDを借りて、すぐに出て行くだけなのに、妙に緊張してしまうよ。
「真人くん、上がってぇ」
「えっ?」
誰もいない彼女の家に上がるって……?
美保とは高校二年にして同じクラスになり、友達になって2ヶ月目に俺から告白した。
彼女には交際に関して、いろんな計画があって、この四ヶ月でもいろんな小さなイベントを行ってきた。
メルヘンの中にいる彼女には、一高校男児が頭に抱く妄想を、1ピースも当てはめることはできない。
この家の中に二人っきりというシチュエーションだって、単に特典画像を見に来ただけと思ってるんだろう。
「いや、家の人が留守の時に上がるのも何だし、CDとDVDさえ貸してくれたら」
「だって、私が買ったのってブルーレイディスクの方だよ。真人くん家って、DVDしかないでしょ?」
ああ、なんだそれで上がれって言ってるのか。やっぱり他意はないよな。
導かれたのは彼女の部屋、男兄弟の中で育った俺は、お袋以外の女の人の部屋なんて、婆ちゃんの家くらいしか覚えがない。
妙に動悸が激しくなってきた。
ああ、いい匂いだな。男の部屋とは大違いだ。
「ごめんね。ちょっと着替えてくるからCDでも聞いておいて」
おお、これが新アルバムか。
新曲が2曲入った7曲。
「これを聞いていろって言われても、……落ち着かん」
あまり良くはないのかもしれないけど、自然と部屋の隅々にまで目が向いてしまう。
ベッドの頭元、フォトスタンドには俺とのツーショット写真、なんかこれ一つで赤面してしまう。
あれ、勉強机の上、DIARYって書いてある。あいつの日記か?
やばい、普段の俺なら多分気にならない。でも二人っきりというキーワードが頭から外れないからか、手が伸びてしまうのを止めることができない。
美保遅いな、彼女は階下に降りていったのは分かっている。
階段を上がってくる音がまだ聞こえてこない。
早く来てくれ、理性が押さえきれない。
「おまたせぇ」
「おう、CDは一緒に聞こうと思ってさ、マンガ読ませてもらってるよ」
「あ、うん、それ面白いよね。ごめんね待たせちゃって、ちょっとシャワー浴びてたからさ」
手には飲み物とスナック菓子、時間がかかったのは、そう言うことだったのか。
なんとか自分の理性に打ち勝って、日記を開くことのなかった俺は、後ろめたさなしに彼女を待つことができた。
「って、それ部屋着?」
「へへ、可愛いでしょ」
って、ホットパンツとノースリーブのシャツって、無防備にもほどがあるだろうに。まだしっとり濡れた髪もちょっとあれだし……。
「ス、『SUTERA』の特典見ようぜ」
ヤバヤバだよ。なんかもうどこに目線をやっていいのかも分かんなくて、テレビに迎えれば大丈夫だと思い、再生を促した。
「特典なのに結構盛りだくさんなんだよ。対談とかもゲストがすっごいの」
少し興奮気味にディスクをプレイヤーにセットすると、美保は彼女のベッド前に座る、俺の隣に腰を下ろした。
シャワー浴びてきたって言ってたっけ、いい匂いだ。
火照った体温を感じるくらいの距離に座り、彼女はリモコンの再生ボタンを押した。
言葉を交わすことなく、映像に集中する。
いや、美保は集中しているかもしれないけど、俺は全く内容が入ってこない。
彼女が動くたび、聞こえてくる衣擦れや、淡い吐息までもが気になってしまう。
『SUTERA』の初回特典を楽しみに来たのに、彼女がテレビの中で何を語っているのか、しっかり聞こうとするのに……ダメだ。
そんな状態で32分、エンドロールが流れている。
永遠のようであり、あっと言う間であった時が過ぎた。
「ねっ、これ良かったでしょ! 真人くんもブルーレイプレイヤー買いなよ。もっとジックリ見てみたいでしょ」
確かに一度借りて、一から見直さないと、これじゃあ話もできないよ。兄ちゃんのゲーム使わせてくれないかな? あいつケチ臭いから、無理かな?
「ねぇ、アイス食べる? お母さんが買ってきた分だけど」
「いいの? じゃあもらおうかな」
そう言って立ち上がろうとする彼女が、前屈みの姿勢になる。
こういった行動もなんの警戒なしにやってしまう。彼女が俺をまだ男として見てない証拠だな。
俺はチラっとのぞけた胸元の内側の白いインナーが見えただけでもう、混乱してしまいそうになる。
「下行こう」
「う、うん」
それがいい。これ以上ここにいたら、彼女に嫌われるようなことをしでかしかねない。
リビングの長ソファーで待っていると、器に移したバニラアイスを持って、彼女が現れた。
ソファーはテーブル越しに向こう側にも一人用の物があるのに、美保はわざわざ俺の隣に座る。
「おいしいでしょ、ここのアイス」
と言われても、普段あまりこういった物食べないしな。ソフトクリームとかは食べるけどそんな物と比べていいのか分からないけど、かなり味が濃厚で、なのに甘さはあっさりで美味い。
「本当に美味いな」
「でしょ、でしょ」
おいしいアイスのお陰か、少し落ち着いてきた。
その後も暫く雑談を交わし、日が完全に落ちた頃、俺は帰ることにした。
「それじゃあCD借りていくよ。でも本当にいいの? 買ったばかりなのに」
「うん、もう音楽プレイヤーに入れてあるから、気にしないで」
「では遠慮なく、それじゃあまた明日」
玄関を開けて外に出ようとする。
「あ、ちょっと真人くん」
彼女に呼び止められて振り返る。
「あっ……」
頬に感じた暖かさと柔らかさ。
「美保?」
「真人くん、男の子なんだから、こういうのは、そっちからリードして欲しいな」
って、あれ? もしかして今日の一連の流れって、美保の特有の天然じゃなく? あれ?
「私だってそう言う気分になることもあるんだよ。あっ、でも普段から、むやみやたらにってのはNGだからね。ちゃんとムードとか考えてね」
そう言うことを求められても俺、そう言う空気読めないの知ってるだろうに。
「じゃあまた明日ね」
今度は口にソフトキッスをくれる。
「じゃあね」
俺は多分これからも彼女の信号に気づけず、怒られるかもしれないけれど、できることならずっと、長く一緒にいられるように、できる限りの努力をしていこう。